126話 アクティブエリミネートエスケープ
大勢の足音が聞こえる。
廃屋の壁は隙間だらけで、雨降る夕暮れ時の外が見える。明滅するように見えるのは、この廃屋が取り囲まれようとしているからだ。
目の前の甲冑姿が、コケティッシュな声で言う。
「やっときたね」
「ええ」
「伯爵はそんな風に喋らない」
「……それもそうだな」
扉代わりに立てかけただけの木の板が避けられた。空いた入り口から黒いローブを着、黒い十字架を首に下げた男が、武器を構えて敷居を跨いだ、瞬間。
廃屋の外に弾き飛ばされる。他の連中が伸びた大男を啞然と目で追った。放物線を描いて戻ってきた棍が彼女の手に収まる。
「じゃ、伯爵。ここは任せて早く行って」
こんなものか、と言いたげに騎士団の仇を睨むと、螺良さんは首を鳴らした。
シナリオはこうだ。
使徒一行は伯爵を確保した。そのことに王は気が付き、伯爵の身柄を引き渡すように勧告したが、使徒側はこれを拒否。再び追われる身となった使徒一行は王都を脱出するために行動を開始した。脱出方法は、"稲妻"の魔女の協力を得て空路を使い、少人数ずつ壁を飛び越える。
情報によれば、使徒一行はスラムに潜伏して衛兵の目から逃れている。であれば、使徒たちは悪天候の夜を待ち、策を実行に移す。ならば――
――そういう読みを、相手にさせる。
僕たちは神罰教会の本拠地がどこだか分からない。攻めることはできず、まとまったところを一網打尽、とはいかないのだ。だったらどうするか。
あっちから来てくれればいい。
「"戦士"の悪魔よ!契約を履行する!」
魔法で肉体を強化した男が剣を振り上げる。螺良さんは戻ってきた"幻日環"を手首の返しだけで投擲すると、男の顎に鉄球が撃ち込まれる。
包囲網の一部が崩れた。その隙間を縫うように走って逃げる。螺良さんは僕を追えないように敵の足を止め、距離を詰めさせないように戦っている。
しかし多対一だ。数が少なくなっているが包囲網は狭くなっている。いくら螺良さんが強いとは言え、手が足りない。
「"火炎"の悪魔よ!契約を履行する!」
神罰教会のひとりの手に炎が灯った。螺良さんに狙いをつけて投げつけられた火の球を、"衝撃波"の矢がかき消す。
すかさず二度目を放とうとした男の肩に矢が突き刺さる。ローマンさんの援護射撃が始まった。敵は辺りを見回して射手を探すが、その間にもどこからともなく飛来した矢が戦力を削いでいる。
敵が狼狽えた隙に螺良さんが逃げた。ローマンさんは死なないよう丁寧に手加減しながら、彼女に追いすがる敵を狙撃していった。
立ち止まって戦局を見ていると気づいた敵たちが迫ってきた。
引き連れるように足を動かし続ける。
息が切れる。身体が熱い。
敵に追いつかれる。
ここだ。
「今だ!」
叫ぶと廃屋の壁が斬れて、2mを超す黒甲冑が現れた。"審理者の剣"が振るわれ、剣の腹で殴られた敵がくの字に折れる。
果敢にも黒甲冑に向かって、ロングソードを構えた男が踏み込んだ。勢いよく赤い剣に振るい降ろされたロングソードの刀身がスパッと斬れる。
何が起きたのか理解できず、柄だけになった剣を見つめる敵の鼻っ柱を、赤い剣の腹が攫っていく。
何かにとり憑かれたように剣を振るうフェルナンドさんはただただ強い。数人を容易く伸してしまう。数十人に囲まれているのに、気圧されているのは敵の方。
息を整えることはできたが、あれは頑張り過ぎだ。
「移動する!」
「はっ!」
僕が走り出すとフェルナンドさんが踵を返してついてくる。その後ろを連中は諦めもせず付いてきた。圧倒的な人数差に有利性を感じているのか、それとも預言者が言えば遂行のみを考えるのか。得体の知れない気味悪さを唾と一緒に吐き捨てながら走る。
日が落ちた。
僕とフェルナンドさんは古い屋敷の敷地に逃げ込み、扉を閉めて閂を下した。開放的な玄関を見回す。各部屋に繋がっている廊下、正面には上階へ続く立派な階段がある。
木の扉を激しく叩く音が響き、振り返った。大きな観音開きの扉が衝撃の度に軋む。
破られる――
扉から数歩離れ、フェルナンドさんは剣を構えた。
一際大きな衝撃と共に閂が折れ、扉が破られた。闇夜を背にして立つ大男が、スレッジハンマーを肩に担いで入ってくる。上背はフェルナンドさんに並ぶだろう。
そいつに続いて連中がぞろぞろとエントランスに入ってくる。僕とフェルナンドさんは警戒を切らさないようにゆっくりと後ずさった。
その姿は追い詰められた貴族と騎士が、最後まで抵抗を決意したように見えたのだろう。大男は、僕を嗜虐的な眼で一瞥して「思ったより小さえなあ」とほくそ笑んだ。
ハンマーを振り上げながら大きく一歩踏み込み、そして、
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
雷鳴に焼かれた。
大男が仰向けに倒れると同時に振り向いた。階段に座り指鉄砲を構えた魔女がいる。
フュールさんは立ち上がると、わざとらしく黒のロングスカートを摘まんで礼をする。
「さあ、伯爵。ダンスホールへ。お客様をお出迎えして?」
「そうだよ、伯爵。ちゃんと歓迎しなきゃ。私たちもすぐに行くから」
暗い廊下から鞭を引き摺った螺良さんが現れる。開け放たれた扉のずっと向こうには、大弓を構えたローマンさんの姿も認められた。神罰教会の連中はどこへ得物を向けたらいいのか分からなくなっている。
フェルナンドさんはこちらを見ると、
「ヘ……伯爵。それでは私はここで。ご武運を」
と言った。
「分かった。皆、しっかりな」
フュールさんとすれ違うように階段を駆け上がる。
連中は遠回りする僕とフェルナンドさんを律儀に追いかけて、このフュールさんの屋敷まで付いてきた。数が少なくなり、魔法使いも倒されたが、追い詰めることができた。そう思ったら囲まれている。
前方にはフュールさんとフェルナンドさん、それに先回りしてきた螺良さんがいる。後ろに逃げようと庭に出たらローマンさんの弓矢が飛んでくる。
ああなったらあの程度の人数が相手でも4人で十分。
ここまでは上手くいった。
あとは――
廊下の壁には火の灯ったろうそくが並んでいる。
フュールさんが降りてきたバルコニーを見る。
月の無い夜に、女の影が浮かんでいる。
頭の芯が冷える。
急速に息が整う。
女はバルコニーの手すりに腰掛けて、虚空に足を投げ出している。
都に落ちた闇を見つめたまま、夜に合う落ち着いた声で言う。
「ダンスのお誘いありがとう」
「分かっててきたのか」
「あら、髑髏公じゃないのね」
淑やかな仕草で振り向き、手すりからバルコニーへと降りる。黒いローブを着こなした姿がこちらへと歩を進める。
「退屈していたから。嬉しかったわ」
ろうそくが、絶世の美女が浮かべる怪しい笑みを照らしている。
全身から黒い枝葉が伸びた。頭には月桂樹を編んだ冠、両腕には玉の枝のような弓と矢を形作る。
琥珀色の、十字に割れた瞳が、こちらを見ている。
会いたかったぞ、黒い馬。