12話 1月20日 素敵な休日を贈ろう
魔物の襲撃があった夜、あらかた事後処理を済ませた僕たちはいつものように村の酒場に集まっていた。
結局十三匹の猟犬に襲われた。危なかった、アントニオさんとローマンさんが助けに来なければ、ノエミさんを守れなかっただろう。
二人の動きは凄かった、アントニオさんは終始サブエソを寄せ付けないように足止めしていたし、ローマンさんはほとんどひとりであの数を仕留めていた。
レスリングのようになっていたのは僕だけだ。
戦闘が終わってノエミさんが出てくると、魔物の唾液と返り血と土くれと芝生でドロドロになった僕を見て泣き出してしまった。しばらく涙が止まらなかったノエミさんを、アントニオさんと一緒になだめつつ、お互いの無事を喜んだ。
今、ノエミさんとその家族は、もっと安全な他の農家に避難してもらっている。
「あんな人の住むところにも魔物が出るんですか?」
僕は問いを口にする。
「いや、出ない。はずだ」
僕の問いに答えたのは教授で、いつになく真面目だ。いつものようにアルコールで溶けたような表情はしていない。死者が出るかもしれない状況だったのでは当然か……
「はず、というのは?」
「時折、猟犬――狗が群れて黒い森の外に出ることがあるのは事実だ。だが、比較的ノエミ宅が黒い森に近いとはいえ、農民の生活に支障がないように日々、伐採が行われている。魔物が出るような場所には住んでいられんだろ?」
「じゃあ、今回の件は人為的なもの、ということですか?」
あの事件のイメージに引っ張られてしまい、誰かがノエミさんの家に狗を連れてきたという想像をしてしまう。
頭の無い御者、この世界に来た時の事件を思い出して――
教授はひとつ唸って、
「いや、それは考えづらい。言い方は悪いが、今のところヘイトとノエミを害して利益を得る奴がいるとは思えん」
「そう、ですか」
納得のいく説明だ。頭のおかしな人間がやった。という考えがよぎったが、無理だ。あんな化け物を誘導するなんて危険なこと、狂人がこなせるとは思えない。
「――実を言うとな、群れの発生は二回目だ。お前が直している、壊れた柵があっただろ?あれは一回目で壊されたものだ。そうだな今回の件は……伐採が追いついていない……黒い森が我々の想像以上に広がっているのかもしれん。侵攻作戦も近いしな」
「……黒い森が広がっているせいで、ノエミさんの家と森の距離が縮まってしまった。だからノエミさんの家が狗の行動範囲に入ってしまったと?」
多分な。と教授は答えた。
何となくだが、教授は言葉を選びながら話しているように感じる。いつもは酔っぱらっていても僕の問いには即答だったのに。
――何が、とは分からないが。彼は僕に言いたくないことがあるのだ。しかし、それは僕を慮ってのことだろうと想像できる。
ここ数日で、彼は呑んだくれなだけで、聡明で誠実な人柄なのは分かっている。
僕がもっと頼れる人間だったのなら、何でも話してくれると、そう思う。
……彼に言葉を選ばせているのは、僕の力不足だ。
だから僕は黙ってしまう。
ローマンさんが会話を引き継いで話し出す。
「明日、私とアントニオ、それと勘治は事後処理の続きと、あの辺りの調査をしてみるつもりだ。侵攻作戦が近いから手早く済ませるよ。何か分かったら君にも話す」
「ぼ、僕も行っていいですか?」
「駄目だ」
即答したのはアントニオさんだ、いつものにやけ顔と違う、真面目な表情と声色に驚いてしまう。
「なんで……」
拒絶されたようで、絶望的な気分になり、声が震えてしまった。僕は役立たずなのだろうか。確かに昼間の戦闘では、あまりうまく戦えたとは言えない。
「ヘイト、お前には明日、フベルトと街に行ってもらう。調査よりもっとやらなきゃいけない重要な任務があるからだ」
「重要な任務って――」
「それはな――――」
僕にとって真の試練がこれから始まるとは、思ってもみなかった。
「無理ですむりむりできないよぉ」
「泣き言いうなよヘイトぉ。なんで狗と戦えるのに――――っったく、お前は」
任務の内容を聞いた僕の、あまりに情けない声を聞いて、アントニオさんは呆れかえっている。
いいや、こればっかりは僕が悪いんじゃない、悪くないはずだ、この色惚けは、こともあろうに、この僕に、
この僕にだ。
アイシャさんをデートに誘えと、
そう言い放ったのだ。
事の発端は、アントニオさん宛の手紙。差出人は教会のエルザ・マイさんだった。
アントニオさんが取り出した手紙の内容をまとめると、
あの後、アイシャさんの怪我は無事、快方に向かったそうだ。
彼女は持ち前の真面目さを発揮してリハビリを頑張り、腕もかなり動かせるようになったと言う。
だが、彼女の負った怪我はそう小さいものでは無い……
治療にあたったシスターは、少なくともあと一か月は安静にしていた方が良いと判断した。
だが、アイシャさんはそれは出来ないと、断ったのだそうだ。休んだ分取り戻さなくてはと、安息日も無視して働き始めてしまった。
休むように諭しても、目を離すと動いてしまうらしい。何か負い目を感じているようだ。
エルザさんはまだ痛む腕を抱えて働くアイシャさんを見ていられなくなり、どうにか休ませて欲しいとアントニオさんに便りを出した。
そうしてアイシャさんを仕事にかこつけて休ませるため、僕に白羽の矢が突き刺さった訳だ。何故アントニオさんが手紙を受け取って、僕とアイシャさんがデートをする話になるのだろう?
同行してくれるフベルトさんは街に入ったら別行動を取ってしまうらしい。
確かにアイシャさんのことは心配だ。彼女が身体を休めることには、全面的に賛成だし、協力もしたい。
――だが二人きりでなくとも良いのではないだろうか。
ただでさえ僕は人とのコミュニケーションが苦手なのだ。アイシャさんと二人でなんて緊張で何を口走ってしまうか分からない。
もし彼女に気を遣わせてしまう結果になったら、本末転倒だろう。
そうゴネにゴネた僕に対して、
では、儂も行こう、と教授が同行を申し出てくれた。
それを聞いたアントニオさんが不満を言ったが、
「こうしていても埒があかんだろう。ヘイトの主張にも一理ある。我々が面白がっているのも事実だしな――
だがヘイト、これが妥協点だ。アイシャが案内人をやっているのは今のところお前だけだ。仕事を模した休暇を与えられるのはお前しかおらん」
と僕に最後通牒を言い渡したことで話が落ち着いた。僕がアイシャさんとデートをするのは避けられなかったのである。
翌日、フベルトさんがどこからか巨大な馬を連れてきた。その馬に引かれた馬車で、僕と教授は街の教会までやってきた。
ジョストだトーナメントだ、とか言ってフベルトさんは、馬車と共にどこかへ行ってしまった。
街に入って思ったことだが、まだ早朝だというのに、以前よりはるかに人が多い。
大通りも、大広場も活気があり、驚いてしまうくらいだ。
教会に入ると、すぐに一人の女性が小走りで近付いてきた。エルザさんだ。僕たちを待っていたのだろう。
おはようございます、と挨拶する。
「はい、ご無沙汰しております。ヘイト様。教授もよく来てくださいました。アイシャは準備が出来ております」
「大変なようだな」
と教授が微笑みながら言う。
「ええ。送還祭で忙しいからといって。無理に働くことは無いのに……あの子ったら、もう」
そう言うエルザさんは、前に会った時のような余裕がないようだ。本当にアイシャさんのことを心配しているのだろう。
呼んで参ります、といってエルザさんはどこかへ行ってしまう。修道服は裾が長いから、両手の指先でつまむようにして、ずっと小走りで行動している。
ほどなくして、エルザさんがアイシャさんとバースィルさんを伴って来た。
「お久しぶりです。お世話になったのに、あれから顔も見せずに申し訳ありません。おかげさまで、僕は元気にやっています」
ここに来るまでは妙に緊張していたのに、二人の顔を見ると、何故だかそんな言葉が自然と出てきた。それほど時間が経っていないが、気持ちの良い別れ方を出来なかったから――
「そうですか……本当に良かった。私としても心残りでしたから」
バースィルさんは感慨深そうにそう言ってくれた。出会った時のように微笑みをたたえている。
ごきげんよう、と言うアイシャさんは……顔色は大分良くなったようだが、なにやら心苦しそうな表情をしている。
やはり仕事から離れることに、抵抗があるのだろうか。
「アイシャ、ヘイトは才能についてよく知らん。鑑定もまだしていないそうだな。案内人として、説明を頼めるか?」
教授がそう言うと同時に、彼女に見えないよう僕を拳で殴る。
僕は察して、
「アイシャさん、お忙しいところ恐縮ですが、案内人の仕事を引き受けては貰えませんか?」
と頼み込んだ。ちょっとわざとらしかっただろうか?
色気が無え、とアントニオさんに怒られそうだ。
「はい、喜んで」
アイシャさんは顔をほころばせて引き受けてくれた。
僕の心配は杞憂だったようだ。
昨晩は夜遅くまでアントニオさんと誘い文句を考えていたのだが、無駄になってしまった。まあいいだろう。
僕、教授、アイシャさんの三人は、教会内の一室に通された。バースィルさんとエルザさんは僕たちを案内すると小声で、アイシャをお願い致します、と言ってどこかへ行ってしまった。
「アイシャ、まずはアントニオ、ローマン、勘治、そして儂の才能は把握しているか?」
椅子に座ったあと、ゆっくりと話し始めたのは教授だ。
はい、と返事をしてアイシャさんは話し出す。
「アントニオ様は、川の怪物。鋭いナイフと拳銃?という武器のレガロです。その両手は黒い靄に包まれ、魔物がアントニオ様を見失うようになる。と聞いています。拳銃と言うのは……ええと……」
「いいんだ、アイシャ。拳銃は、使徒専用の武器だと思ってくれ」
ナイフと拳銃か。ノエミさん宅での戦闘を思い出す。アントニオさんが手を向けると、離れた魔物が怯んでいた。発砲音は聞こえなかったが、あれは銃撃していたからか。
中世欧州のようなこの世界で、銃なんてありなのか……
「遮って済まないな。続きを話してくれ」
教授が優しく続きを促している。
「いえ、補足して頂きありがとうございます。では、
ローマン様のレガロは、衝撃波。精緻な造形の大弓です。番えた矢の速さを決めることが出来ると。なんでも、その速度は音よりも速いといいます。矢が刺さった後で、風切り音が聞こえるなど、想像が及びませんね。ローマン様はそんな弓矢を、決して外さない技術を持っています」
ローマンさんが放った矢に当たった魔物が、バラバラになったのを見た。あれが自分に当たらぬように祈ったものだ。内容から察するに、音速を超えていたのだろう。
魔物に当てていたのは、純粋に彼の腕だということか。
「勘治様は、鞘無。勘治様が故郷で扱われていたカタナという、剣のレガロです。鍔と鞘が無いようですが、抜群の切れ味を持ち、それがまったく陰らないそうです。一度お祭りで魔物と戦うところを拝見させて頂きましたが、とても美しい剣でした。剣のレガロを持つ使徒様は、この世界の脅威である魔物と戦ってくださる、勇敢で誠実な方が多いそうです。勘治様もそういった使徒様のひとりですよね」
お祭りで戦うこともする、誠実な使徒。知らない人だなあ。聞き流しておこう。
そんな誰だか分からない無愛想な男のことよりだ、アイシャさんが徐々に溌剌とし、言葉数が多くなっていることを嬉しく思う。
「教授は、25番の書。そのレガロには、あらゆる知識が記されているといいます。ええと……」
「うむ、そこまででいい。良く学んでいるな、アイシャ。素晴らしい答えだ」
そこで教授が会話を切り上げる。
一連の会話は、授業で先生が質問し生徒が回答を出すようだった。アイシャさんはさしずめ優等生だ。褒められたアイシャさんはどこか誇らしげにしている。
「儂のレガロについては、それ以上の説明は無いだろう。儂の頭の中を形にしただけの単純なものだからな、他の連中のように特殊な力は、なんも無い。どれ、少し見せてやろう」
そう言った教授は、己の右手を見つめる。
突然、教授の右手首から先が黒く染まり始めた。
血管に黒い液体が入り、指先まで広がっていくようだ。
まるで、教授の手の中で小さな森が育っているように見える。
その枝葉はやがて右手という枠から飛び出し、皮膚の外に出て来る。
30cmほどまで伸びた、黒い"それ"は纏まり始め、板のような形を為していく。
気が付くと、教授の手にタブレット端末のようなものが収まっていた。
僕は今目の前で起こったファンタジーな光景を見て、啞然としてしまった。
アイシャさんも、わあ、とどことなく感動した声を出しながら一部始終を眺めている。
「これが儂のレガロ、25番の書だ。書と言ってもまあタブレット端末だな。この世界に来る直前は、よくこういった物を使っていた。
巨大な建造物の建て方からプディングの作り方まで、儂の知っていることなら完全な形で閲覧できる。儂がうろ覚えでもな。
……ウチの学生が欲しがりそうだ」
そう言いながら現れた板をひらひらと振っている。
アイシャさんは、すごいすごいと小さく喜んでいる。
「……痛くないんですか?」
我ながら間抜けな質問だと思うが、皮膚が破れていたように見えたのだ。
「ハハハ。問題ない。使徒なら自分のレガロは出し入れ自由で、怪我も無い。ほれ」
そう言う教授の右手には、確かに何の裂傷もない。
「へぇ、凄いですね。僕にもそんなスーパーパワーがあるってことですか?あ、そういえばフベルトさんはどんなレガロなんです?」
フベルト様はですね、と言い始めたアイシャさんを、教授が手で制する。
「それは後の楽しみに取っておこう。送還祭には奴も出る。その時説明をして貰おう。アイシャ、君も来なさい」
「ですが……」
「ヘイトは送還祭についても知らん。一緒に行って教えてやってくれ」
アイシャさんは少し逡巡し、承諾してくれた。
僕のレガロは有耶無耶になったが、今日はアイシャさんに休んで貰うのが目的だから、次の機会でいいだろう。
「さすがは"教授"ですね。勘治先生よりずっと先生みたいでした」
音楽隊の奏でる演奏と、観客の活気あふれる闘牛場で、そう教授に耳打ちする。
「おだてるのはやめろ。それに勘治のあれは"用心棒"っちゅう意味だ」
広い闘牛場では、馬上槍試合が行われていた。馬に乗った甲冑の騎士たちが、すれ違いざまに攻防を繰り広げる度に、会場を埋め尽くした観客が熱狂する。
教会を出た僕らは、露店の並ぶ大広場を経由して、"送還祭"の会場である闘牛場へと来ていた。
すでに人で埋め尽くされている会場で、教授は人を除けて狭いスペースを作った。今は三人並んでそこに座っている。
避けてくれた人は、相手が教授だと分かると快く席を詰めてくれた。
席順は、僕がセンター、ライトが教授でレフトがアイシャさんだ。
僕がアイシャさんの隣に座る、この守備位置に関しても僕は少々ゴネさせて頂いたのだが、
お前は今日何しに来たんだ?と教授に即却下された。
途中で大広場に寄ったのは、果物類とお酒を買うためだ。
果物はかねてより決めていた、アイシャさんのお見舞い品――もう退院祝いになってしまったが――で。
お酒は教授の物だ。
教授はアイシャさんが遠慮する隙を与えないよう、バリバリ買い物していった。
代金は無論のこと僕持ちだ。貯めたお金では心許なかったが、ローマンさんが無利息で貸してくれた。
購入したものはすべて教授が持ってくれている。
教会での問答により、アイシャさんは持ち前の明るさを取り戻し始めている。
教授のおかげだ、今日は付いてきてくれて本当に助かった。ただの酔っ払いでは無いのだ。
「儂のことより、さっさとアイシャに話を振れ、この馬鹿」
教授は呆れ顔でそう言う。またやらかした……
「凄い人数と熱気ですね。"送還祭"と言いましたか?どういったお祭りなんです?」
僕はすぐさまアイシャさんに話しかける。
「はい。月に一度行われる送還祭は、一年間この世界に居て下さった使徒様への感謝を捧げ、お別れをするための祭典です。
街に貢献して頂き、人々に愛された使徒様ほど、大きなお祭りになります。
私たちはお祭りを盛り上げるために頑張ります。使徒様に貰った多大なご恩をお返ししたいのですが、我々にはこのくらいしか出来ませんから……
あっ。今月は"召喚祭"が行われなかったので、その分大規模にはなっていますね」
「そうか、使徒は一年経ったら元の世界に帰るのか。大事なお祭りなんですね。……なぜ今月は"召喚祭"が無かったんですか?」
僕がそう質問すると、何故だかアイシャさんは苦笑して黙ってしまう。何と答えればいいか迷っているようだ。
教授が口を挟む。
「今月召喚された使徒は誰だと思う?ちなみに召喚祭の予定日に元気よく木刀振っとったヤツだ」
「ん?――もしかしなくても、僕?」
僕のアホみたいな回答はどうやら正解だったようだ。
アイシャさんはこちらから眼を逸らしてしまった。彼女の肩が小刻みに揺れている。笑われてしまったのか?
「僕は、また醜態さらしてしまいましたか?」
「ヘイト、気にするな。アイシャは仰々しい黒甲冑が馬鹿をさらす姿がお気に召したみたいだぞ」
「教授。それは少し事実と異なります。僕が鎧を着る前から、アイシャさんは僕の醜態を笑っていました」
「お前にはプライドっちゅう物が無いのか……?」
「ちょっとお二人ともやめてください!私はヘイト様を笑ってなんかいません!」
と言いながらアイシャさんは笑っている。
喜んでくれたようでなによりだ。
アイシャ、食え、と教授が言いながら僕の膝に、皿に盛り付けられた果物を乗せた。
皿の役目を果たしているのは、25番の書だ。
教授は会話をしながら、自身のタブレット端末のようなレガロをまな板代わりにして、果物をナイフで切り分けていてくれたようだ。
確かに真ん中に座る僕の膝なら、二人とも手を伸ばして食べられる。
「い、頂けません。それにレガロをそんな風に扱うなんて、よろしいのですか?」
「ヘイトのおごりだ。いいから食え。買いすぎて酒のつまみには多いしな――
それにレガロの使いようは使徒それぞれだ。勘治なんて鞘無で羊の毛を剃っとるぞ」
そう言って教授はブランデーを吞み始めた。もうしばらくしたら彼は使い物にならなくなるな。
「羊と戯れる勘治先生って……なんだか信じられませんねえ。あぁ、アイシャさんもどうぞ食べてください」
では、有難く頂戴します、と言って果物を口に運び始める。
遠慮しているように言うが、動く手には迷いが無い。
約束を果たせた僕は、心の中でガッツポーズをした。
僕は行われているジョストに視線を移す。
「フベルトさんも出場してるんですよね。彼の出番はいつなんですか?あ、もう負けてしまったとか……?」
フベルトさんはいつもやる気のなさそうな、眠そうな顔をしている。手をひらひらと振って、誰よりもゆっくりと食事を摂る。そんな彼が、目の前で行われているような、苛烈な競技をしている姿が想像できない。
あ、今も対戦者の強烈な一撃をもらった騎士が、落馬して転がった。
勝利した騎士が高々と槍を掲げ、観客にアピールする。
そしてそれを見た観客が、物凄い熱気に包まれる。
大丈夫かなあフベルトさん。
「ふふっ、フベルト様も他の使徒様と同様、素晴らしい方です。今の試合で優勝者が決まりましたから。フベルト様の出場はここからです」
「え、今のが決勝戦だったのですか?」
優勝者が決まったのだから、ジョストはこれで終わりではないのか。
どういう事だろう、トロフィーを渡す役割とかか。もしや彼は試合をしない?
僕がアイシャさんの話した意味を考えていると、観客がより一層の歓声を上げた。
ここからさらにヴォルテージが上がるのか!?と驚いていると。
音楽隊の奏でる重厚な曲と共に、
ゲートから異様が姿を現していた。
悠然と巨大な黒い馬に跨った、黒い甲冑の騎士が進んでいる。
甲冑の意匠は、僕の鎧とは異なるスタンダードな西洋甲冑だ。
金色の豪奢な装飾があしらわれているように見える。
いや、比較的騎士の方は無難だ。ジョストの出場者には、もっと煌びやかな物を着用している騎士もいた。
問題は、馬の方――
あまりに巨大だ。その規格外のサイズに、遠近感がおかしくなったように見える。
優勝者の跨る馬も立派なものだが、相対すると仔馬に思える。
ああいった魔物だ、と言われたほうが納得できるくらいだ。
だが、なんだろう、あの馬、今朝くらいに見たような気がする……
「フベルト様です」
「は!?」
「フベルト様は、定期的に行われているトーナメントに優勝し続け、今では殿堂入りとなりました。希望する優勝者達だけに、フベルト様と戦うという誇り高い栄誉が与えられます」
アイシャさんがべた褒めしている。また僕の知らない人の登場みたいだあ。
「フベルト様の操るあの馬こそが、あの方のレガロ。名は神馬の子。
ただ進む、それだけで幾百の魔物を蹴散らしてしまうそうです」
僕が驚いているうちに試合が始まる。
駆けだした二頭の馬は同じくらいのスピードだ。
あっという間に互いが距離が詰めて、ランスが交差する一合目……
フベルトさんの攻撃を、挑戦者が巧みな槍さばきと体さばきでいなす。
すれ違ったまま馬は走り続け、二頭同時にターンをして互いの方向に向き直る。
距離が詰まり。そして二合目……
挑戦者が攻撃する。フベルトさんがそれに合わせてカウンターを仕掛けた。
決まらなかったものの、挑戦者は態勢を崩したようだ。
そして三合目……
と呼べるほどのことは起きなかった。
互いの馬が向き直らんとするその瞬間――
神馬の子が爆発的に加速した――
まるでミサイルのように加速したフベルトさんは、挑戦者が体勢を立て直そうとするわずかな隙を狙って肉薄した。挑戦者はフベルトさんの痛烈な一撃を受け、もんどりうって地面に転がる。
それを見た観客の興奮は最高潮に達している。
「あれ、死んじゃったんじゃ……」
驚くべき光景を見て、僕はそう独り言ちる。
「いやあ、大丈夫だろう。フベルトはインパクトの瞬間にランスを上に逃がした。小突かれたようなものだろう。あの速度だから無事とは行かないだろうがな。
フベルトも大したものだが、挑戦者の方が高い技術を持っていたな。最初の攻防なんか完全に上手だった。勝ったのは馬の性能差だ。反則級だなあ、アレは」
そう教えてくれたのは、解説の教授氏だ。
「いやあ、凄いものを見ました」
僕の言葉にアイシャさんが何度も頷いている。
「はい、素晴らしい試合でした。前座はこれで終わりですね」
「え?今のが前座だったんですか?」
「はい、もっと大掛かりなトーナメントは別日に行いましたから。本日のは特別試合のようなものですね」
「"送還"祭と言っとるだろう?フベルトの送還はまだだ。日も高い。メインイベントは昼休憩と片付けをしてからになる。今日の主役は、あと数日で元の世界に帰るソフィアとポーランだ」
教授はほろ酔いでそう言った。
昼休憩が終わるころには、ジョストに使われた柵などが片付けられていた。
買ってきた果物はアイシャさんがつまんで確実に減っている。
突然、音楽隊が新たに曲を奏で始める。メインイベントが始まったのだ。
ゲートが開き、観客の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられ、今日の主役が会場に入ってくる。
アフリカ系の、黒い肌をした長身の男性。彼は満面の笑みで観客に両手を振っている。
こちらがポーランさん。
スラヴ系の、白い肌をした厚着の女性。彼女は無表情で、澄ました様子で歩いている。
こちらがソフィアさん。
教授に教えてもらった、対照的な二人の使徒。
そして、反対側のゲートが開くとそこからは―――
十数匹ほどの猟犬がのっそりと入って来た。
「ちょっと!!あれ!!」
全身に緊張が走り、教授の方を向く。
「落ち着けヘイト。トラブルではない。これも祭りの一環だ。送還祭では、使徒が捕獲された魔物と戦う場合がある。教会でアイシャも言っとったろう。勘治が戦ったと」
「危険では!?」
「落ち着け、と言うとる。戦うのはそれを承諾した使徒だけだ。万が一も無いよう、ラグナルを始めとした他の使徒たちが監視してるしな。それにあの狗どもは衰弱させられとる。
そして―――」
教授の続く言葉を待つ。他にも安全策があるのだろうか。
「あの二人なら、あの程度の魔物では話にならん」
狗が一斉に走り出す、
ポーランさんの手には槍が、
ソフィアさんの手にはシャベルが、
いつの間にか握られている。あれが彼らのレガロなのだろう。
ソフィアさんが動いた、自分の足元にシャベルを突き立てると、闘牛場の土が隆起して狗の突進を防ぐ。
ポーランさんは隆起した土の間を猫のように動きながら、手にした槍で勢いの殺された狗を仕留めていく。
あっという間に狗の数匹が倒された。
歓声が増していく―――
「いい機会だ、ヘイト。二人の戦いをよく見ていろ。一年間魔物とやり合って来た連中だ、学ぶことは多かろう」
ソフィアさんは一歩も動かないまま、シャベルを使って地形を有利に変えている。
ポーランさんは、地面がどう変わるか予知しているかのように先んじて動き、狗に攻撃を加える。
完璧なコンビネーションの前に、凶悪なはずの狗は、為す術なくその数を減らしていく。
必死に喰らいつこうとする狗を相手にしているのに、危なげな様子は無い。
戦闘というより、ある種のショーというか、演武を見ているようだ。
昨日の僕とは次元が違う。
二人が観客にこれでもかと技を見せ終わる頃には、動く狗がいなくなっていた。
ふと隣を見ると。座っているアイシャさんが涙ぐんでいた。ついこの間、彼女は狗によって怪我を負わされたばかりだ。
アイシャさんに見せる内容ではなかったのでは、と僕が戦慄していると、周りの観客にも涙を流す者が混じっていることに気付く。
「ヘイト、土の跡を見てみろ」
ふっ、と笑った教授にそう言われ、二人の使徒がいる方に目を向けると、
そこにはーー
闘牛場には、隆起した土で、地面いっぱいに、大きく、
Gracias、
と書かれていた。
勇猛で見惚れるような槍遣いを魅せながら魔物を倒したポーランさんは、街の皆へ、笑顔で両手を振っている。
戦闘中に文字を書いたソフィアさんも、変わらぬ澄まし顔で、しかし時折涙を拭いながら、手を振っている。
そんな二人を永遠に続くような拍手と歓声が包み込んでいた。
「ポーランもソフィアも優秀で、いい奴らだった。この街の連中も、別れは寂しかろう」
教授が慈しむような声で、そう言った。