125話 9月16日 憎しみ燃やし火を放つ
客室に戻る。扉を閉める腕に力が入ってしまい、バタンと大きな音を立ててしまった。椅子に体重を預け、鎧の上から痒くもない頭を掻く。
「アレホの様子は?」
「落ち着いてきました」
イザベルさんが聞いてきたので短く答えた。
踏み入ってきた衛兵とすれ違うように劇場を後にした僕たちは、ヒメネス家の屋敷へと戻った。洗脳されている間も記憶は残るようだ。敵の才能自体は試行錯誤の末に"シャナの金糸"で解くことができたが、アレホさんは自身が何をしてきたのかを思い出すと激しく取り乱した。
主人を処刑台へと送ったのは、騎士団を追い詰めてバラバラにしたのは自分だったと気付いたのだ。元来真面目な彼のこと、精神的な負担は察するに余りある。仲間たちが紙一重で助かったとは言えだ。
夜になり、やっと話せるくらいに落ち着いてきて、何があったのか聞くことができた。
2か月ほど前、ディマス騎士団が都に入ってすぐ、伯爵は供を数人連れて王の下へ謁見に向かったようだ。大玉座の間へと王宮のなかを歩く途中、幼い王太子と王女を連れ、重そうな本を抱えた女性に出くわした。
『これは、殿下。お初にお目にかかります、ディマス・アギレラと申します』
『あら!ご機嫌よう、髑髏公。お噂はかねがね』
伯爵が間を置かずに丁寧な挨拶をしたため、その女性が第二王妃だと分かった。伯爵はとりとめのない雑談を交わしながら、彼女の両手が塞がっているのを見るとアレホさんに目で合図をする。
『殿下。お目にかかることができ光栄に存じます。ディマス騎士団のアレホと申します。よければお持ちしましょう』
『でも、伯爵と王のところへ行くのでしょう?』
王都滞在の御挨拶に向かうまでです、と伯爵が答えると、
『じゃあ、お願いしようかしら』と第二王妃はいたずらっぽく笑った。
本を抱えて王宮の庭に建てられた東屋まで同行した。そこで王太子と王女の勉強を見るのだと言う。第二王妃付きの女中がお茶の準備をしていた。
違和感はないではなかった。荷物を使用人ではなく王妃自身が持ち、女中は昏い目をしたひとりだけ。護衛もいない。
第二王妃は聡明だと評判だが、何と平民の出身だと聞いている。彼女を取り巻く環境は普通ではなく、平和な時間を子供たちと過ごしたいのだろう、そう自分を納得させ、礼をしてから背を向けると、声を掛けられた。
『ねえ、アレホ。お茶に付き合ってくれない?』
驚いて、答えに詰まった。伯爵位に仕える、一介の騎士に。
『ふたりに冒険の話をしてあげて』
言いながら王妃は子供たちに微笑を向ける。冗談で言っているのではない。無邪気な少年と少女がこちらへ向ける興味津々な瞳に負け、
『では、一杯だけ』
正直立ち去りたかった。しかし、王妃の心証を損ねてもディマス伯爵に利は無い。そう思い、女中の引く椅子に腰を下ろした。
何を話そうか、と深緑色の液体が揺れるティーカップを口につけると、きつい苦みが広がった。視界に火花が散る。震える手がカップを割らないようにそっとソーサーに置いた。
『独特な……味ですね。どこから取り寄せを……』
無理矢理に笑みを作り、長い瞬きを終えて瞼を開けると、王妃は整った顔にいたずらっぽい笑みを浮かべていて、その瞳は十字に割れていた。
「伯爵には内緒よ?」
そこから先は夢のなかにいたようだと言う。
酷く疲れた。
話を聞くだけで精神がやられる。アレホさんを落ち着かせながら話を聞いたのもそうだし、内容が重すぎる。
王宮で第二王妃に会った時に才能の影響を受け。神罰教会に情報を流すようになった。奴は、ホセ王と結婚し、ふたりの子供をもうけ、ディマス騎士団が追われるきっかけになった事件を引き起こし、それに自ら巻き込まれて死を偽装した。
加えて、この世界を滅ぼす神伐の四騎士のひとり。これじゃあ僕たちもホセ王も何と戦っているのか分からない。
ヒメネス家の客室には沈黙が漂っている。
アレホさんの尋問に立ち会ったのは僕、フェルナンドさん、ローマンさんの三人だけだったが、客室に置いた無線機を通して全員が内容を聞いた。
伯爵も。アレホさんの身に尋常ではない力が働いていたのはよく伝わっただろう。
「……結局のところ、神罰教会の預言者と、第二王妃は、同一人物ってことでいいわけ?」
ダリアさんが聞く。
「多分」
経緯は分からないが、第二王妃が黒い馬と同一人物なのは間違いない。十中八九、という意味を込めて頷く。
「もう、さっさと出よう」
イザベルさんがうんざりしたように言った。セナイダさんが真剣な瞳で頷く。
僕たちはディマス伯爵を助け出すことができたし、スパイも見つけることができた。後はもう、この王都から離れるだけだ。
逆に言えば、王都に残っていることはリスクしかない。僕たちが伯爵を確保したことを王に知られれば、一度は解けた指名手配がまたかけられるのは想像できる。
そうですね、と相槌を打ちながら、何故か心の底からそう思うことができない。
「脱出経路はどうしますか?」
「"聖職者の抜け道"を私とダリアで当たってみる。任せな」
セナイダさんが聞き、イザベルさんが答えた。
「王が気付くのも時間の問題ですね」
「将軍が不在の今であれば、親衛隊の動向は探れます」
フェルナンドさんが聞き、セバスティアーノさんが答えた。
全員が王都脱出に向けて話している。このまま話が進めば、スクブスに関わらないうちにこの都を去ることになるだろう。まあ、当然か。その方が良いに決まっている。
「ま、待ってくれ」
割り込むように声を上げたのはディマス伯爵だった。
「皆様には危険を顧みず、遥々王都まで来ていただき、私を救っていただいた。ご尽力に対し、この至らぬ身では感謝のしようもない」
大きな声で懇願するようないつもと違う様子に、全員が彼を見つめる。
「だが、恐縮至極の想いではあるが、私は、騎士団を救っていただけないかと――どうか」
街で受け取った伯爵の手紙には、騎士団を救って欲しいと書いてあったのを思い出す。セナイダさんが具申した。
「お言葉ですが、ディマス様。祖国に戻れば他の騎士たちがいるのです。私たちは代えが利きますが、ディマス様はそうではありません。騎士一同、同じ想いです。ここは先に脱出を――」
伯爵は手で制し、ひとりひとり使徒の顔を見る。
「騎士たちには、守るべきもののため戦場で死ぬように言い聞かせてきたのだ。裏切り者として処刑場で死なせることだけは見過ごせぬ」
未だ全快していない伯爵は、深く頭を下げようとして倒れ込んだ。地に片腕を着き、祈るような姿勢を取る。
「頼む」
ふむ、とこの家の主であるドロテオ侯爵は冷めた眼で伯爵を見、
「今手元におられる伯爵ひとりを救うのと、実質王の人質となっている騎士団員数十名を救うのでは、難度が段違いですな。それが分からぬとも思えぬ。
伯爵の御言葉からは指導者としての責任というものを感じられません。自らは頭を下げるのみで、主の遣いである使徒様に領民の運命を丸投げするおつもりか?」
ドロテオ侯の実子であるイザベルさんが嫌悪感丸出しで父親を睨んだ。
おそらく、ドロテオさんは僕たちが難題を快刀乱麻を断つが如く解決するのを期待している。舞台脚本のいいネタになるとでも思ったのだろう。
伯爵を詰めて、僕たちに発破をかけようとしている。他人の運命を弄ぶ手腕に、娘が苛立つのも仕方がない。
「ドロテオ侯の仰られる通りだ。無理を言っていることは理解している。私が差し出せるものがあれば惜しまぬ」
差し出せるものがあれば惜しまない、か。
「――じゃあ、こういうのはどうですか?」
外には雨が降っている。ろうそくだけが照らす暗いお屋敷で、螺良さんがこちらを見た。
「佐々木くん、本当に良かったの?ここまでしてくれるなんて」
「良いんですよ。僕がやりたいって言ったんですから」
「……目付き悪いんだね」
「気にしてるんですけど」
雑談をしていると、バルコニーに人影が見えた。夜闇から降り立つように現れる、箒に乗った女性など、顔が見えなくても誰かは分かるが。
「フュールさん、勝手に入り込んじゃってすみません」
「ずいぶんお客様が多いこと。お茶菓子は出ないよ……ってもしかしてヘイト?」
「はい」
「へえ、目付き悪いね」
「ほっといてください」
わしゃわしゃと前髪をかき集めて目元を隠す。黒い服ととんがり帽子という魔女らしい出で立ちの、"稲妻"の魔女がろうそくに照らされる。
これで話したいひとは全員がフュールさんが塒にしているお屋敷に集まった。
僕、螺良さん、フュールさん、フェルナンドさん、ローマンさん、そして、カタコンベで会ったおじいさん。
昼間ヒメネス家にいた面々とは打って変わって、影のある顔ぶれだと思う。
「今日はどんな用事?」
「また協力してくれないかと」
「ふぅん。聞こうか」
フュールさんは開いているソファにどさっと座る。ほこりが舞って鼻がむずついた。
「僕たちはディマス伯爵を確保しました。それによって、王と神罰教会から狙われるようになります。相手の目的は分かれば何か対策が立てられそうですが、分からなくて。それに脱出方法も決まってません」
「しかも、できれば騎士団員も助けたい」
ローマンさんが逸れそうになる軌道を修正してくれる。
「はい。でも、騎士団を救うのは大変です。彼ら全員が脱出することは難しい」
「この方にご助力を得るのが良いかと思います」
フェルナンドさんが後を継いでくれる。
「彼は王都の外れにある共同墓地の墓守です。聞くところによると、カタコンベは掘削の段階で壁の外まで伸びたようです。それが大戦中に貴人を逃がすための避難通路として改造されました――そうですよね?」
フェルナンドさんがおじいさんの方を向くと、ローブを着た老人は深くゆっくりと頷いた。フュールさんが口を開く。
「へぇ、知らなかった。じゃあその秘密の通路を使って、騎士団を外に出すわけだ」
「……そんな上手くいくの?」
螺良さんは遠慮がちに疑問を呟き、僕の方を向いた。
「治安維持のため、ホセ王は騎士団員を拘束できません。将軍が帰ってくるまでは」
ザカリアス率いる親衛隊は北へ遠征中だ。ホセ王はその穴埋めをするためにディマス騎士団を使っている。だから「騎士団員を処刑する」と伯爵を脅すことは難しい。
「バラバラには出せません。動きがバレるとせっかくの通路が使えなくなります。僕たちとディマス騎士団、全員が同じ日に王都からの脱出を決行します」
「でも、団員に決行日と場所を伝えるには時間が……」
そう、螺良さんの言う通り、こっそり情報を共有するには時間稼ぎが必要だ。
「僕たちで攪乱します」
両手に抱えた金属の冷たい感触に集中する。必要な要素は、ムドーとアレホさんから掠め取ったスマッジスティックふたつ。メサさんからもらった赤いマント。
そして、欠かせないのが、この"夜宴の兜"。
「……」
ディマス騎士団、全員を救うため。それにこれからの戦いが本当に必要か、と問われると苦しい。自己正当化も、大義名分で皆を危険に巻き込むのも、いくらでもできるが、結局は――
「正直、騎士団を助けるってのは建前です」
重たい兜をヘルメットを被るように、両手で頭の上まで持ち上げる。
「これからの戦いは私怨です。何も利にならないかもしれない」
スマッジスティックで僕の"悔悛の鎧"と伯爵の"夜宴の兜"を剥がした。リーレーズから出た時と同じだ。髑髏公、の形を誰かに被せることで、敵をおびき寄せる。
「付き合ってくれるひとはいますか?」
呪いの兜を被ると頭を強く締め付けられた。ズキズキと脈動する頭の痛みに耐えかね、脱ごうと力を入れるが一体になったように離れない。
痛みの波が引いていき、目を開けられるようになると、皆が心配したような眼でこちらを見ている。
「神罰教会を叩き潰して、スクブスをぶん殴りに行きます」