124話 9月15日 幕を引く
こうするしかないか。他に方法が思い浮かばないのだから仕方ない。
嘘を吐くのが苦手だ。大事なことを黙っているのも。
味方に対しては特に。
「アレホさん。明日時間ありますか?僕とヒメネス劇場に行って欲しいんですけど」
「え、えぇ。構いませんが。私とヘイト様だけでですか?」
「皆は他の場所を探すみたいです。僕はまだこんな感じですし」
ふたりでとは予想外、といった表情のアレホさんに、誰かに連れて行ってもらわないと、と車椅子に座ったまま少し肩をすくめる。
そうして昼過ぎに劇場まで連れてきてもらった。関係者専用の出入り口から建物に入り、舞台袖から舞台へ上がる。
中は薄暗く、客席は影に塗りつぶされていてよく見えない。
「ろうそくを灯してきます」
甲冑に身を包んだアレホさんが、舞台の縁に並んだ燭台に火を灯すため離れる。この異世界で電気の発明はまだのようだから、自然光が届かない室内にはシャンデリアや燭台が主な光源になる。
明るくなるにつれ、板張りの四角い舞台、取り囲むような半円の客席、装飾の凝った壁と天井が姿を現し始める。はっきりとは見えないが、声が通っている感じから相当な空間の広さを感じる。通ってきた舞台裏を含めればディマス伯爵くらい簡単に隠せそうだ。
舞台の燭台にあらかた火が灯った。
「どうして騎士団を裏切ったんですか?」
アレホさんの後頭部に言葉をかけると、明りを灯す手が止まった。こちらを向かずに答える。
「何を。冗談にしても、笑えません」
「ディマス騎士団を狙う国会と神罰教会には、ずっと先手を取られていました。敵に情報を流しているひとがいたからです」
「私がそうだと」
ディマス騎士団は、第二王妃が亡くなった事件を皮切りに国から狙われるようになった。都から出ることができず、隠れ場所を変えても、敵は行き先が分かっているかのように現れ、次第に追い詰められていった。
敵と通じている者が僕たちの中にいると考えるのは自然だ。しかし、敵の能力を考えると誰がスパイであってもおかしくなかったから安易に相談もできないし、僕はバカだから、難しい推理でスパイを特定することはできない。だから単純に、
「襲撃を受けた時、誰と一緒だったか整理したんです」
アレホさんは何も言わない。
「螺良さんたちと合流してすぐ、処刑場で伯爵を助けた時はザカリアスに襲われました」
ザカリアスの到着は早かった。襲撃があると知っていたのだろう。それに僕が使徒だと見抜いていた。あの時は皆と一緒だった。
「敵の目を伯爵から逸らすためにヒメネス家へ向かった時は、幽霊を撒くことができませんでした」
ローマンさん、アレホさん、イザベルさん、ダリアさん、セナイダさんと暗闇を移動する時、幽霊は僕たちの向かう方向を知っているかのようだった。
「大聖堂に忍び込んだ時は、ムドーに」
ローマンさん、アレホさん、イザベルさんだけが、僕が大聖堂に向かったことを知っていた。
「螺良さんにリーレーズ修道院から離れるように頼んでから、敵は伯爵を見失いました。隠れ場所を知っていたのはセバスティアーノさんを含めて3人だけだったから」
伯爵の捜索を始めてからを思い返す。
大聖堂では神罰教会と遭遇した。闘牛場でホセ王と会ったのはある意味必然で、地下墓地でおじいさんに襲われたのはスパイの件と無関係。
「そして、リーレーズ修道院に衛兵が来るようになったのは、街から出た僕たちが合流してからです」
僕たちが現れるまで、リーレーズ修道院で隠れていた螺良さんたちは無事だったのだ。
スパイが、真面目に情報を流していたなら、
「あなたといた時だけ、敵に襲われるんですよ」
アレホさんは振り向き、片手を上げて手首を前へ倒した。ハンドサインだ。舞台袖から黒いローブを着た男たちが出てくる。
「申し訳ありません。ヘイト様」
自白した。アレホさんは敵に向けるような鋭さでこちらを見る。車椅子に座っている僕の周りを、武器を手にした連中が取り囲む。
アレホさんは手に持った草の束に火を点けると、こちらに近づいてきた。スマッジスティック、あれを燃やした煙で燻されると、呪いの鎧を剝がされる。
「伯爵とその鎧はあの方のために使わせていただきます」
鎧がなければ僕は無力な高校生だ。この人数も、騎士として鍛錬を積んでいるアレホさんにも勝てる道理はない。
煙を燻らせる草束が近付いてくる。呪いの鎧が緩むのを感じる。
「せめて苦しませずに――」
目の前に立ったアレホさんは覚悟と憐憫が混じった表情でこちらを見ている。
嘘を吐くのが苦手だ。大事なことを黙っているのも。味方に対しては特に――
迫ってくる手首を掴んだ。その力強さにアレホさんの表情が驚愕に染まる。振りほどこうとされるが離さない。
舞台に足を着け、力を入れる。
ゆっくりと、立ち上がる。
「ヘイト様……歩けなかったのでは……!?」
目の前の顔が青ざめる。
――そして、味方を殴るのはもっと苦手だ。
「アレホさん。ごめんなさい」
手首を捻じり上げて、拳を固め、
「手加減しますから……ッ」
がら空きの頬に拳を撃ち込んだ。
車椅子が倒れる。場が動く。
スマッジスティックに点いた火を踏み消すと同時に、取り囲んでいた神罰教会の構成員が一斉に襲い掛かってきた。
振り下ろされた斧を両腕でガードし、向う脛を蹴り上げて得物を奪う。木こりが使うような普通の斧、ラッキーだ。この長さ、重心、手に馴染む。
袋叩きにされるが、同時に攻撃できるのは3人くらいだ。ショートソードを弾いて足払いを掛ける。
転んだ味方を踏まないように、味方に武器が当たらないようにと、敵の攻撃が甘くなる。フルスイングした斧の柄が大男を宙に浮かした。それを見た連中が狼狽える。
こいつら腰が引けている。戦闘経験はほとんど無いと見た。
壮絶な戦いで身体に不自由がある無力な使徒と聞いていたのに、そう言いたげだ。アレホさんを含めてまんまと油断していた。
動けるようになったのはカタコンベに入る前くらい、万全ではない。全力で戦うのはまだ無理だ。ハッタリが効いているうちに――
「我が信仰を!災禍を退ける力に!」
アレホさんがロングソードを抜いて前へ出てくる。流れるような横薙ぎからの袈裟斬り。ガードが上がったところへ膝を打たれて、無様に尻餅をつく。
流石、ディマス騎士団員だけあって戦い慣れている。若くとも重い剣技。
頬に痣を作り、血反吐を吐き捨てたアレホさんが切っ先を向けている。
「ヘイト様。あなたの負けです――」
「それはどうでしょうか」
「アレホ……何故だ……」
予想外の方向からかけられた声に、アレホさんが反射的に振り向く。
「ディマス……様」
客席はいつの間にか明るくなっている。観客席には見知った顔がまばらに座っている。
劇場に破裂音が鳴り響き、神罰教会のひとりが倒れる。ローマンさんの援護射撃だ。間を置かずに黒い甲冑と金髪の聖騎士が舞台に飛び込んできた。フェルナンドさんとイザベルさんが敵を制圧し始める。
正面の客席には、ダリアさん、セナイダさん、そして螺良さんに守られたディマス伯爵が立っている。
「皆に頼んで、昨日のうちにディマス伯爵は見つけていました」
事態に付いていけず棒立ちになった男を、フェルナンドさんが前蹴りで沈める。
素人同然の神罰教会はフェルナンドさんとイザベルさんによって次々と倒されている。力の差は歴然だ。
瞬く間に形勢が逆転し、うろたえたアレホさんがこちらへ突っ込む。
切っ先に迷いが乗っている剣戟を受け止め、カウンターのストレートを鼻先に叩き込んだ。甲冑を着た長身が仰向けに倒れる。
もう立っている敵はいない。呻き声を出しながら舞台に転がっている。
「どうして情報を流していたんですか!」
アレホさんに馬乗りになって襟首を掴み、大声で尋問する。
本当に動機が聞きたいわけではない。おそらく黒い馬の能力の影響を受けている――洗脳されているだけだ。
「そんな……あの方のために……私は……」
どうすれば洗脳にかかるのか?才能の限界はどの辺りにあるのか?
アレホさんがどんな経緯でスパイになったかが分かれば、より相手の手の内を知れるはず。
それと、伯爵の目の前でアレホさんが操られているだけだと証明したい。彼がまた騎士団に戻れるように。だからこんな大掛かりな仕掛けをしたのだ。
「あの方とは誰ですか!どこで会ったんです!?」
「あの方は……この国のためだと……」
「アレホさん!」
「私は――第二王妃のために!」
「ッ!?」
第二王妃……?
何故、そこでその名がでてくる……?
アレホさんはスクブスのレガロによってスパイ行為をするよう洗脳された。
神罰教会のテロに巻き込まれて第二王妃は死んだのだと。
魔獣と戦った時、王宮からこちらを眺めるスクブスを見た。
最悪な想像が頭に満ちていく。闇が這い上がってくるような感覚に囚われる。
大玉座の間にある、暗幕がかけられた絵画。幕を引くと、そこには椅子の背もたれに手を置くホセ王が描かれている。
椅子に座っているのは――
「第二王妃」