123話 アコレード
「儂らの家はなくなったのだな」
かつて王都には"墓ひとつ"という組織があった。
誰かが誰かを憎む気持ちを受け止めて、呪いという形でそれを成就させる。例えば、敵対する貴族に公衆の面前で犯罪を犯させれば、威厳と名声は地に落ちる。
標的になった者はみるみるうちに破滅していった。まるで本当に呪われたかのように。仕事を続けるうち、グレイヴ・ワンは王都に影を落とす巨大な勢力になり――
12年前のクーデターですべてが破綻する。
グレイヴ・ワンが目論んだ王の代替わり――政変の準備を進めていた王都に、神罰教会が入った。絶妙なバランスを保つ秤を殴りつけたように都は荒れ、止めと言わんばかりに召喚された数体の魔獣が蹂躙し、王都は焼けた。
結果として政変は成ったが、グレイヴ・ワンの構成員はほとんどが死んだ。残った者は王都を離れて南の街に流れたが、ただひとりだけ古い家に残った。
場合によってはグレイヴ・ワンを再起させる、そのための拠点を残すため。いつか戻ってくるかもしれない仲間たちを待ち、アジトのひとつだった共同墓地を守り続ける。
死者の遺品を狙う墓荒らしを粛々と倒していると、忘れられた墓守はやがて血錆の亡霊と呼ばれるようになっていった。
「始めのうちは頻繁に手紙がきていた。だが数年前から滞るようになり、とうとうこなくなった。おそらく、宛先を知っていた者が仕事を辞めたのだろう。ただ、街でうまくやれている様子は伝わってきていた。安心したものだ」
おじいさんは小さく溜息を吐いた。
「頭目とはどんな関係だったのだ?」
「……友人でした」
「そうか」
「信じるんですか?」
「ああ」
招き入れられた隠し部屋は思ったよりも広い。拠点として使っていたからだろう。使い古された最低限の家具が置いてある。
「数週間前、途絶えていた手紙が届いた。差出人はチコと書いてあった。ともすれば、我々のことを知る使徒が現れると。何者かに謀られているかと思ったのだが、まさか本当とは」
王都にくる前に当のチコさんから手紙を預かった。宛先も手紙を出す方法も分からなかったからヒメネス家の執事であるセバスティアーノさんに渡して、おじいさんの手元に届いたのだろう。
「手紙には、もし使徒が現れたらあの剣を渡してくれと書かれていた。何の冗談かと思ったが……」
おじいさんは立ち上がり、壁に掛けられた赤い剣を恭しく持ってきた。ルーン文字が刻まれた赤い刀身。切っ先が丸い独特の形状。美術品のような造形。
ブラックナイト氏の兜を容易く割った剣だ。ブラックナイト氏は出された椅子に座ることなく、ずっと押し黙っている。怪我はしていないと言っていたが。
「"審理者の剣"。一度振るえば何人も切り伏せられた……とは言え、頭目はこの剣をつまらないと嫌って、槍ばかり使っていたが――――ヘイト様、この剣を持っていってくだされ」
「受け取れません」
12年間、この剣はおじいさんの拠り所だった。身体の自由や不自由とか言う話ではない。僕には重すぎる。
「儂は老いた。もう守れぬのだ。このまま滅び、盗人どもに奪われるままなら、貴方に持っていってもらいたい」
おじいさんは我が子のように抱えた剣を、机の上に置いた。受け取る気にはならない。しかし、こうも思う。この剣がおじいさんの拠り所なら、僕が持っていけば彼がカタコンベにいる意味はもうない。一度預かれば、一緒に街へ行けるかもしれない。
こんなところにずっといるよりも、かつての仲間といた方がいいはずだ。剣は、帰れたら、然るべき誰かに渡せばいい。
「わ、分かりました」
たっぷりと悩んでそう答えると、おじいさんは頷いた。
「ブラックナイトさん。持って行ってくれますか?」
審理者の剣の刀身は1メートル近い。車椅子に括り付けるより、彼に持ってもらう方が良いだろう。
「持てません……ヘイト様」
軽い気持ちで頼んだのだが、重い口調で断られてしまった。やはり先ほどの戦闘で、
「やっぱり、どこか怪我してるんじゃ」
「違う……違うのです……私にはその剣を握る資格がない」
部屋の隅へ歩いていき、壁に手を着く。顔は影と同化していて表情は見えない。彼は意を決したように、
「墓守よ、貴様の頭目を手にかけたのは他ならぬこの私だ」
ブラックナイト氏は壊れかけた兜を外す。
「お前は……フェルナンド・イエルロ」
おじいさんが息を飲んだ。
「ヘイト様。12年前のあの日、私は騎士ではなくなった。かつての友の呪いを受け取り、英雄でもなくなった。そればかりか、命の恩人である貴方の友人を殺めたのです。彼が使っていた剣を握るわけにはいきません」
彼の言う僕の友達、おじいさんの言う頭目、グレイヴ・ワンのリーダーは、ある時命を賭けて死神に戦いを挑み、その姿を見届けさせることにした。理由は最後まで言わなかったから、想像するしかない。
街中を巻き込む大きな戦いだった。それで結局、友人は死神に勝つことはできずに命を落とした。ため息ものだったのは、彼は見届け人に僕を選び、死神役をフェルナンドさんにしたことだ。
「私に、貴方のそばで戦う権利はない。この戦いが終わったらティリヤを離れるつもりです」
3人で一緒になって奇妙な形の十字架を背負ったと、そう思っていた。
だが、フェルナンドさんにとっては違ったのだ。今になって気づく。間抜けなことだ。
「私のことが憎いでしょう」
フェルナンドさんは、僕の友達を殺した罪悪感をずっと抱えていたのか。教会に籠ったのもそうだし、鎧を纏って僕から顔を隠し続けたのもそうだ。
ろうそくの火がフェルナンドさんを照らした。彼は、始めて出会った日と同じ表情をしている。
どうやって伝えたらいいのだろう。
あの時から今まで、僕はフェルナンドさんにまったく憎しみを持っていない。僕の友人を殺した彼にだ。そこに疑問も感じていない。
彼は自分こそが加害者で、死んだ友人と僕こそが被害者だと感じている。
だが僕は、加害者は死んだ友人で、僕と彼こそ被害者だと思っている。
友人が作り出した舞台で、彼と僕は傷を負ったのだから。
どう伝えたらいいのだろう。罪悪感を抱えるとしたら、呪われるとしたら僕らふたりで一緒にだと。言っても聞かないだろうな。
「貴方の友人を、この手で」
「あれは自殺だ」
言葉を失ったふたりが僕を見る。
ホセ王の真似をして、堅苦しい言い方をする。
「フェルナンド、僕は何だ?」
「……主の、御使い。使徒様です」
「そうだ。罰が欲しいなら与えよう。主の代わりに僕が」
おじいさんが手を伸ばしかけていた赤い剣を両手で握る。
処刑人が扱うような剣を持ち上げると、彼はこちらへ歩み寄り、跪いて頭を垂れた。首を刎ねやすいように。
友人が遺した一振りを掲げる。フェルナンドさんは何も言わなかった。自らの不実を精算し、抱えた罪悪感から逃れるための罰を待っている。
僕は高く掲げた剣の刀身を、彼の肩に置いた。力が抜けているのを不審に思ったのか、はたまた昔の、騎士に叙任された時のことを思い出したのか、彼は目を見開く。
「僕がこの世界にいる間、この剣を携えて戦いなさい」
「それは……!」
「罪からは逃れられない」
喪失感は消えない。
「抱えて戦え」
呪いはそう簡単に解けない。
「貴方は強いのだから」
フェルナンドさんは歯を食いしばって俯いた。肩を震わせる。かつてこの世界に降りた使徒は、魔の手から人々と、自分を守れるように、聖遺物を与えて聖騎士に任命した。
彼らも後ろめたさを感じていたのだろうか。苦しみながら戦い続ける道を選んだことと、そんな道を進むよう背中を押したことに。
「この命に代えても……っ」
まったく、慣れないことをするものじゃない。
騎士の叙勲とはあの大玉座の間でやるような、輝かしく奮い立つようなものではなかったか。洞窟のなか、無数の死者たちに囲まれた場所で聖騎士を任命とは。
まったく僕ららしいというか。
目を瞑り、暗闇に浸る。
またひとつ、肩の荷が降りたような気がする。
ふたりが僕の代わりに泣いてくれたからだろうか。
君の所為だぞ、ヒル。
おじいさんは、カタコンベに伯爵たちはいないと言った。墓地のことは隅々まで知っているが、誰も隠れていないと。
3か所目も潰れた。きっとディマス伯爵は最後の場所にいる。探しにいく前に準備を整えないと。赤い剣を背負ったフェルナンドさんと共にカタコンベの入り口へ戻る。
見送りのおじいさんへ提案をする。
「いずれ僕たちは王都から逃げることになると思います。必ず連絡を入れますから、一緒にティリヤへ行きませんか?」
「だめだ」
「なぜ」
「儂はこの都でやり残したことがある」
「この場所はもう」
「違う」
フードの隙間から覗くおじいさんの瞳に強い光が宿った。
「儂は、黒い馬を殺すのだ」