122話 9月12日 忘れられた墓守
3か所目を目指して都の外れ、壁に近い教会へと向かう。その途中、見たことのある女性騎士ふたりと出会った。顔を見ると、ディマス伯爵を処刑場から救出してすぐに別行動をとったふたりだ。
お互いに驚き、無事を喜んで、近況を聞く。
「捕まったはずの騎士団員を大通りで見かけたので声をかけたら、王から治安維持の協力要請が出ていると聞きまして」
「手配が解かれていて驚いて……それで私たちも協力を申し出ました。じっとしていても仕方ありませんし」
「あぁ、あれから連絡できなくて……すみません」
良いんです、伯爵を頼みます、とふたりは笑みを零した。心が痛む。彼を行方不明にしいるのは僕なのだ。嘘も、大切なことを黙っているのも慣れない。味方に対しては特に。
「ヘイト様とブラックナイトは、これからどちらに?」
「あの、ちょっと都の外れにある教会へ……あの、そちらの方は」
ふたりは縄を打たれたガラの悪い男を連れている。
「私たちの仕事の成果というところです。ケチな盗人ですよ」
「なるほど」
「なんだ、墓荒らしか?」
目を泳がせていた男は身を乗り出し、車椅子に座った僕を見下してほくそ笑んだ。
「ヒヒッ。俺たちはあそこだけは狙わないぜ」
「無礼な真似はやめろ」
騎士の表情が冷ややかなものに変わると、男の服を引っ張って引き戻す。
「離せよッ。引っ張るんじゃねえ!」
「黙れ」
「"血錆の亡霊"に殺されないようにな!」
男の腹に騎士の強烈な肘打ちが入ると、うずくまって黙った。
ブラックナイト氏に手を借りながら教会の階段を降り、地下墓地に入る。お墓というより洞窟だ。
「燭台は僕が持ちます」
「分かりました」
声にはエコーがかかりながら遠くまで響いていった。幅2メートルはあり、ブラックナイト氏が立っているのだから、高さも3メートルくらいあるのだろう。
燭台を動かすと、ろうそくの柔らかい明りに照らされた壁に、無数の頭蓋骨が浮かび上がった。
「…………おぉ」
思わず声が漏れる。骨の壁はこの先ずっと続いているようだ。一体何人の死者がここで眠っているのだろうか。恐いは恐い。しかし身体が強張るほどではない。カタコンベと聞いて身構えてきたからだろうか。違うな。
ここがお化け屋敷のように生者を恐がらせるためではなく、死者の安息のための場所だからだろう。大通りのようにゴミが落ちていないし、遺骨は整然と並べられている。見た目と雰囲気に押し返されるような圧を感じるだけで、心象はお墓参りに近い。
「誰だ」
不躾に声をかけられる。こちらに近づいてくる明りに気づかなかった。黒いローブを着たおじいさんが立っている。
ブラックナイト氏が動じずに、
「ホセ王の命令により重要人物の捜索にきている。そちらは?」
「ここには誰もいない。儂だけだ。出ていけ」
フードの隙間から見える瞳には、はっきりと警戒心が見て取れる。
「貴方はここの墓守か?」
「そうだ」
「ここは王の統治下であり、教会の神父にも許可は得て……」
「関係ない!祈りを捧げにきたのでないなら出ていけ!」
おじいさんはしゃがれた声で叫ぶと激しく咳き込んだ。曲がった腰をさらに丸めている。
「ヘイト様。関係ないのはこちらもです。これは正式な調査ですから、構わずに探しましょう」
こちらをじっと見つめる彼を無視してカタコンベを進む。変人と言ってしまえばそれだけだが、尋常ではない様子だった。
「少し……申し訳なくはありますが」
ブラックナイト氏は小さくそう呟く。
カタコンベは想像以上に広く、暗かった。収穫のない捜索が何日も続いている。まあ文字通り僕がブラックナイト氏の足を引っ張ているわけだが。
滞在している教会は大きいが、大聖堂のように新しくなく人気は少ない。朝早く準備をする傍ら、快く捜索の許可をくれた神父さんと話す。
「神父さん、あのおじいさんは……」
「あの、何か、彼が使徒様にご無礼を」
「ああ、いや、大したことはありません」
初老の神父さんは顔を曇らせる。何か伝わってしまったのだろう。
「申し訳ございません。どうかあの者をお許しください。仕事ぶりはまじめで、長く地下墓地を守っております」
「実害はないので、大丈夫ですよ」
神父さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「あの者は私よりも古くこの教会におります。昔は今ほどひと嫌いではなかったのですが、そう、12年前の争乱があった辺りから、滅多に墓所から顔を出すことはなくなりました。あの時は大勢が被害に遭いましたし、縁のあるものがこの下で眠っているのかもしれません」
ここは暗くて、広い。
隠れ家には螺良さんやセバスティアーノさんもいるはずだが、ひとの気配はあの墓守のおじいさんしかない。
成果と言えば、無数の死者たちに親しみを覚えるくらいにはカタコンベに慣れてきたことだ。彼らが目を覚まさないよう静かに探索を続けている。
多分見つからないだろう、僕もブラックナイト氏も口には出さないが、そう思いながら探し続けている。すると、ブラックナイト氏が立ち止まった。視線を壁に向けている。
「ヘイト様、燭台を借りてもいいですか?
「はい、もちろん」
「少々お待ちください」
迷路のようなカタコンベをかなり進んだここは、壁に横穴が彫られ、遺体が横たわっている区画だ。棺桶が置かれているところもある。ブラックナイト氏は棺桶の方へ近づくと、ノックや力を入れたりで調べ始めた。
「上段、中段、下段、ここの棺桶はすべて空ですね」
「は、はあ」
「この燭台……使われていないな……位置も妙だ」
彼がろうそくの乗っていない燭台を握ると、ガコッと重い音が響いて押し込まれた。そのままドアノブのように回すと、土と壁が奥へと開く。
隠し部屋だ。
ブラックナイト氏は入念に罠があるかを調べると、暗闇のなかに入っていく。彼の持つろうそくが、壁に掛けられた一振りの長物を照らした。
「それは……剣?」
美しい造形だ。土っぽいカタコンベの中にあって、赤い刀身は一際輝いて見える。先端は丸く、刻まれたルーン文字が金色に光っている。
何より、随分と丁寧に置かれているように見えた。
「ヘイト様ッ!!」
ブラックナイト氏の警告。すぐに後ろから足音。後ろから頭を殴られてなすすべなく倒れる。
歪む視界。横倒しになった車椅子。錆び付いたショートソード。
ボロボロのローブから見え隠れする、赤くくすんだ鎧。
「血錆の亡霊」
男の言葉が不意に蘇った。
剣を守る亡霊が墓荒らしを殺しにきた。死者を怒らせてしまったか。
戦うには狭いカタコンベに戦闘音が響く。
僕をかばうように割って入ったブラックナイト氏は、亡霊の剣を間一髪で防ぎ続ける。状況は不利に働いていた。
視界は悪く、巨体は思うように動かせず、バトルアクスは捨ててナイフを抜き、さらには僕を守るように立ち回っている。
対する亡霊はここに棲む蜘蛛のように俊敏で、振るうショートソードにも躊躇いがない。間違いなく手練れだ。
位置が入れ替わると亡霊は隠し部屋に入った。ブラックナイト氏は僅かな時間で僕を壁際まで寄せる。
出てきた亡霊はあの赤い剣を持っている。ショートソードを投げて壁に灯るろうそくを一本消すと、カタコンベの明るさが一段下がり、影が亡霊を隠した。
倒れこむほど低い姿勢で飛び出した亡霊が、赤い剣をブラックナイト氏の足首に向けて突き出す。反応の遅れたブラックナイト氏は身を引き――赤い剣の軌道が上向きに跳ね上げられた。
直撃をもらったブラックナイト氏のナイフが砕け、兜が割れた。まずい。相当な業物だ。
「クッ……やるッ……!」
体術に持ち込もうとするブラックナイト氏は左腕を伸ばすが、掴んだのはローブだけだ。影を纏っていたかのようなローブがなくなり、赤い剣と鎧が露になる。
それらは、西洋甲冑の意匠を汲んでいるが、造形は美しささえ感じるほどで、とてもこの世界の技術で造れるような物のレベルではなかった。
忘れられるはずのない、赤い鎧。
「あれは……墓ひとつ」
亡霊は刃をブラックナイト氏へ向け、踏み込んで斬りかからんとする。今しかない。
「チコさんっ!」
「――ッ!!」
刃がブラックナイト氏の直前で止まった。
「街にいるチコさん、フェリシアさんと結婚したんです。この前、女の子が産まれました」
亡霊は震え出した。
「チコに、娘が……無事に、生きて……」
しゃがれた声で呟く。
「"頭目"が……死んだという噂は本当なのか……」
「……メフィストは……はい、死にました」
おお……っ、と老人の細い喉から嗚咽が漏れる。剣を落とした音がカタコンベに響いていく。亡霊は跪くように倒れ、土を握りしめると、
さめざめと泣いた。