115話 無道
公園に植えられた木々を抜け、円形の広場に出る。
視線の先には白亜の石で造られた塔があり、そこに掘られた老人の像が、馬に跨って槍を天高く掲げる騎士のブロンズ像を見下ろしている。
そして、石の老人と青銅の騎士に向かい合うように、金属の大男が棺桶に腰掛けている。傍には黒いローブを着る男が所在なさげに立っている。
ふたりの周りには、ボロボロになった兵士たちが散らばっている。
「この像を知ってるか?」
真っすぐと歩く僕に向かって、男は目線を向けずにそう聞いた。待ち合わせに遅れた相手へ声をかけるように。
「いえ」
「とある作家と、そいつが生み出した遍歴の騎士だ。騎士は現実と妄想の区別がついていないイカれた奴だったが、だからこそ物語の最後でデカい敵を倒すことができた」
男はこちらに背を向けたままふたつの像を見上げる。それに釣られて男の背中越しに、石像と銅像を見た。
「この物語が好きでね。ガキの頃、寝る前にママがよく読み聞かせてくれた」
「騎士は最後どうなるんですか?」
ふ、と笑い、
「理想に殉じ、死を受け入れた。男らしくな――待ったぜ、ヘイト。よくここが分かったな」
棺桶から腰を上げ、振り返ってこちらを真っすぐ見る。
邪悪な意匠の髑髏兜、金属の鎧は筋肉のようで、悠々とした動きは自信の表れだ。
立ち上がると、その大きさがはっきりと分かる。
ムドー。
「伝道師がいる三ケ所。三角形で囲むように、王宮から見える場所だとすると、ここだと教えてもらいました」
ザカリアスがグローリーを斬った後、ブラックナイト氏と無線でやり取りした。
王宮を中心にして、伝道師のいる場所が二点。それで三角形をつくるように、人口が多いところに最後の点を探すと、この広場になる。
夕暮れ時、王宮を囲うように大魔法を使う。成功すれば魔獣が暴れまわって辺りを破壊する。
確実に王宮は焼け落ちるだろう。だが、預言者もあそこにいると思う。何せあそこなら王都に広がっていく地獄のパノラマがとても良く見えるだろうから。
「ハイドレートとグローリーはやられたか」
「分かるんですか」
「ああ、分かるさ。兄弟だからな」
「残る伝道師はお前だけだ。もう負けでしょう。諦めませんか?」
僕がそう言うと。ムドーは肩を上下させて楽しそうに笑う。
「俺が負けを認めると?」
ぜんぜん思ってない、とは口が裂けても言わない。
返答の代わりに拳を握る。
「下がってろ」
と起爆役の男にムドーは声を掛け、構えを取った。
同時に地面を蹴る。
数メートルの距離が一瞬で詰まる。
ムドーの首を狙って尻尾を閃かせるが、左手で防がれる。
尻尾を引っ張られた勢いを乗せ、相手の拳を逸らせて、渾身の右ひざを顎に打ち付ける。
「グッ……」
ムドーは小さく呻いた。
兵士から拾い上げた戦棍を両手に持ち、頭と腕を滅多矢鱈に叩く。
こちらが見えないように目を狙う。兜に阻まれるが視界は悪いだろう。
闇雲に前蹴りが繰り出された。
避け。上がったままの足を小脇に抱え、振り回して倒す。
追撃――
と思った時、ムドーが苦し紛れにパンチを放った。
避けられず、十字に組ませたメイスで受けると、木の柄がバキバキに折れる。
ムドーが跳ね起きる。巻き込まれないように距離を取った。
"無道の鎧"は身体を動かしただけで相手に致命傷を与えられる。
前の戦いで分かってる。一発も、まともに食らったらダメだ。
それに引き換え僕はローマンさんたちのように強力な才能を持っていない。ミックさんからの餞別もない。
腰にぶら下げた魔剣、乞患も鎧に阻まれるだろう。
ムドーが足元に転がった大剣を拾う。
こちらへ1歩。まさか剣技を使うのか、と頭をよぎった瞬間、鞭のようにしなった腕が大剣を投擲した。
「まずッ」
頭を下げて、空気を唸らせて飛来した回転する刀身を避けると、背後の石塔に深々と突き刺さった。ローブの男は悲鳴を上げて腰を抜かす。
「よそ見してて良いのか!」
「ッ!」
四肢に力を込めて横に転がる。間一髪でムドーのタックルを避けられた。
僕の代わりにタックルを受けたブロンズ像が針金のようにひしゃげている。
「ハッハア!良く避けたッ!!」
ムドーは心底楽しそうに、獣のように笑う。
「楽しいねえ!」
タックルの構え、鋼の塊が地面を蹴る。
見知らぬ青銅の像が持っていた槍を拾い――
「こっちは必死なんですけ、どッ!」
バッティングセンターにいるかのように、迫ってくるムドーに向かって思い切り振り抜く。
槍と言っても像が持っていたものだ、刃の付いていない2メートルくらいの金属の棒きれでしかない。だが、この重量は好都合だ。
衝撃。
全身が軋む。
自動車事故のような金属音が響く。
「ガ、ァ……」
ムドーはたまらず仰向けに倒れた。
「く、ッソ……」
こちらの両腕には感覚が無くなるほどの痺れが走っている。
槍は根元の辺りから、く、の字に折れ曲がっている。
「最適化……最適化」
動け、動け、と念じながら自分のレガロの名を呼ぶと、震えながらも拳が握ることができた。
頭を振って起き上がろうとするムドーの身体を尻尾で拘束し、鎖骨の辺りを踏みつけて馬乗りになり、頭を地面に叩きつけるように殴る。
このくらいじゃ倒せない、死なないと半ば信じながら。
「良い拳だ」
ムドーの眼に凶暴な光が宿る。
仰向けのまま上体を逸らし、頭突きを放った。
防ごうと両腕を上げたが、直撃した自分の腕に殴られた形になる。いとも簡単に態勢を崩されて、ムドーが立ち上がると、さっきとは逆の状況になっている。
いや、違う。
なんとか立ち上がると、ムドーが鎧の尻尾をしっかりと握っているのが見えた。
「俺に殴られてまた立ち向かってきたのはお前が初めてだぜ。ヘイトお!」
ひゅっ、と視界が飛んだ。
抵抗できない慣性を感じて、流れる視界に、石の塔を見た。
眼が飛び出るかのような衝撃を背中に感じる。
全身の力が霧散していく。
尻尾を掴まれ、振り回されて塔に叩きつけられたのか。
姿勢が崩れると、足から地面の感触が伝わってくる。自分の体重を支えられず、項垂れるように地面へ倒れてしまう。
まったく、嫌気がさす。
手に力を入れる。身体を起こす。足に力を入れる。立ち上がる。
「お前は最高だ。ヘイト」
僕もこいつくらい強くありたかった。
世界に拒絶されても、自分の道理を通せるくらいに。
ムドーは掴んだままの尻尾を引っ張る。
鎖につながれた罪人のように、よたよたとムドーの方に足を進める。
「俺の勝ちだぜ」
ムドーが眼をぎらつかせながら、固めた拳を振りかぶっているのを、スローモーションのような視界に収める。
こいつは凄い。
暴力に迷いが無い。
自分が殴られても怯まない。
大事なひとのために、泰然と矢面に立てる。
素直に尊敬するよ。
体重の乗った、止めの右ストレートが放たれる。
僕は一歩、ムドーの方に進む。
だが、僕も負けるわけにはいかない。
こいつの拳が、また他の誰かを傷つける前に、この鎧で止める。
ふら、と揺れた身体を太い右腕が掠めていく。
相手の懐へと入り、体重と勢いを受け止めるように、腕を取る。首へ回した尻尾を引っ張り、姿勢を低くしながら振り向き、腰でムドーを持ち上げると、巨体の足が地を離れた。
「!」
一本背負い。
投げられたムドーが塔に叩きつけられる。
見様見真似で決まるとは。
これで最後だ。
倒れたムドーへ背を向け、跳んで後ろ向きに倒れこむ。全体重を乗せ、肘を立てて。
限界を迎えた身体が放ったフラッシングエルボーが、嫌な音を立てながらムドーの顔面に突き刺さった。
「"戦士"の悪魔よ、契約を履行する」
……届かなかったか。
呟きが聞こえ、巨体がゆっくりと立ち上がる。悔しさを力に変えて動こうとするが、うつ伏せになるのが精一杯だった。
兜の隙間から血反吐を吐いて苦しそうな呼吸をしながらも、ムドーは立ち上がる。
「人生で最高の喧嘩だ」
「――――良いねえ、私も混ぜなよ」
あらぬ方向から声が掛けられ、僕とムドーの目線がそちらへ向いた。
歩いてくるすらりとした長身は装飾的な鎧を纏っている。
身体をぴたりと覆う青地に金色の模様、牛のように前を向いた角が2本生える兜を被り、赤い布をはためかせ、金色の刀身のエストックを持っている。その姿は、
「闘牛士?」
ムドーは訝しんでいるが、あれは、"光の鎧"だ。と言うことは。
「ダリアさん」
「ごめんね、ヘイト。遅くなって。渋滞しててさ」
「ああ、ヘイトの仲間か。俺は何人相手でも構わねえぜ」
「豪気だね」
ムドーは新たな敵を前にしてひとつ笑い、構えを取る。
ダリアさんが助けに来てくれた。ほっするのが半分、心配がもう半分。この鉄の化け物相手だ、無策は危険だ。僕がやられたように。
「手加減しないぜ」
トン、トン、とムドーは構えたまま踵を浮かせてステップを踏む。ダリアさんは気楽な歩調で近付き、ムドーの間合いに入った。
魔法の力が乗った、必殺の右ストレート。
拳は、ふわ、と開いたムレータの華に突き刺さり。
「グッ……」
ムドーが痛みに呻いた。
見ると、無道の鎧の脇腹から細く血が流れている。
「こっちも手加減されちゃ困る」
胸を張る独特な構えでエストックの切っ先を向けるダリアさんには、掠り傷ひとつない。金色の刀身の先からは、真っ赤な血が滴っている。
ダリアさんは淡々と言った。
「あんたのこと殺すって言うんだからさ」