112話 9月1日 伐厄
「ねえ、おにーさん。煙草に火、点けましょうか?」
「は……?」
枯草の束を持ち、火種を探していた黒いローブは不意に声をかけられ、振り向きざまに感電した。
空から声をかけられて驚いたような、呆気にとられたような表情が脳裏に残る。だが面影はすでに記憶のなかにしかない。
真っ黒い人型の炭が、置いてあった棺桶に覆いかぶさるように倒れる。着ていた服からは、ふすふすと火が出ている。
別の男が宙に浮くこちらに気が付いた。死んだ仲間の手から枯草を奪い取り、遺体からくすぶる炎で必死に火を点けようとする。
箒に乗る、僕がしがみついているフュールさんは指鉄砲の狙いを定め、
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
「ハイドレート様!敵ですっ!」
叫んだ男を魔法で焼いた。
明滅する光と、空気の層を破いたかのような轟音が迸る。枯草の束は男と共に瞬時に炭化し、風に攫われていった。
空を満たす暗雲の所為ではない、魔法による二度の雷撃が、神罰教会を先んじて戦端を開いた。
「神罰教会が貴方の鎧を狙ってきたのは、爆弾を作るため」
廃墟となったお屋敷でひとしきり情報を交換すると、フュールさんはそう言った。
「呪いの鎧が爆弾の材料になるんですか?」
――その鎧、貰っていくぜ――
大聖堂でムドーと戦った時、奴は僕に向かって火の点いた枯草の束を近付けてきた。少しこの鎧の拘束感が緩んだのを憶えている。そのままするりと脱げてしまうのではないかと。
連中の狙いは、僕自身ではなくこの呪いの鎧だったのかもしれない。フュールさんは、頬杖を付いて顎を指先に乗せる。
「"鎧袖"の悪魔、D・サブナクの作った呪いの鎧群は、魔法とか、聖職者の使う秘跡を阻害する力を持っている。鎧袖の魔女がよく言うのは、『まるで、鎧の外と内で違う世界のようだ』」
「魔法と秘跡がほとんど効かないのは、これまでもありました」
あの気に食わない悪魔自身が、自信ありげにそう言っていた。
「そうだろうね。じゃあ、呪いの鎧を着た状態で大魔法を使うとどうなるか、考えたことある?」
自分が魔法を使えないこともあって、考えたことがなかった。
テーブルを見つめる。呪いの鎧は魔法や秘跡を阻害する。まるで鎧の外側と内側が隔絶しているようだと。そんな状態で悪魔の魔獣を召喚する大魔法を使ったとしたら。
「大魔法は発動しない?」
「ハズレ。発動はする。でもね、外には出てこない」
ブラックナイト氏が答え、フュールさんは軽い調子で答えを言う。
外には出てこない、という状態をうまくイメージできず、考えている間にフュールさんは次の話をする。
「"契約"の魔女になった者は、主たるA・ルシフージュ・ロフォカルから、とある呪物が与えられるの。それがスマッジスティック。見た目は、紐でまとめた草」
無意識に魔剣の鞘を撫でる。
ここにはムドーがザカリアスと戦う時に手を離した草の束が入っている。間違いなくフュールさんが話している実物だ。
「スマッジスティックを燃やして出た煙には、呪いを払う効果がある」
「煙に巻かれたら、解呪の秘跡を使わなくても、呪いの鎧を脱げるってことですか」
フュールさんは目を細めて微笑んだ。
「魔法使いに呪いの鎧を着せて、大魔法を使わせる。その鎧を好きなところに運んでおいて、使いたい時にスマッジスティックで呪いを解く」
すると、呪いの鎧という閉ざされた世界が解き放たれ、悪魔の魔獣が飛び出し、辺りに破滅をもたらす。
大魔法と、魔法使いの遺体が内包された呪いの鎧。
「それが、呪詛爆弾」
『テロの当日、呪詛爆弾の近くには、スマッジスティックを持った起爆役がいる。で、十中八九、護衛として――』
バトルアクスを持った女騎士が文字通り飛んでくる。神罰教会の伝道師のひとり、"爆発反応装鎧"を纏ったハイドレートと呼ばれる敵だ。
「上がるよ、ヘイト」
フュールさんの跨る箒の先が天を向き、急上昇を始める。みるみるうちに暗雲へと近付く箒に振り落とされないように、フュールさんにしがみつく。
目線を下に向けると、ハイドレートが釣られて高度を上げている。こちらは二人乗りだからか、あっちの方が速い。このままじゃ追いつかれる。
接近する女騎士の大腿辺りが爆発した。数拍遅れて聞き慣れた破裂音が聞こえる。"衝撃波"。音速を超える矢を放つ、才能による狙撃だ。
剥げた鎧の破片が爆発して矢の勢いを防いだことにより、ハイドレートにダメージはほとんどない。だが、距離は稼げた。
「フュールさん、今です!」
よぉし!、と叫んだと同時に急ブレーキがかかった。
飛んでくるハイドレートを見下す形になる。
「堕としてあげる」
フュールさんが右手を振り降ろすと、暗雲から伸びた光の枝が女騎士を撃った。ほとんど差がなく、鼓膜を破るような轟音が響く。
連鎖的に爆発しながらハイドレートは地面に落ちていった。
「やりましたか?」
「いや、呪いの鎧はあのくらいじゃダメ。まだ生きてるよ」
だが、危機は脱した。と、思った時。
いつの間にか屋根の上に立っている聖騎士が、こちらに向けて手を振っている。
「イザベルさん、ローマンさんもいるのか。流石に速い」
「お仲間?」
「はい」
「じゃあ、次に行こう」
ここ数日、皆とは無線でやり取りしていた。
敵の作戦は、今日の日が暮れた後、呪詛爆弾を複数カ所で起爆させる。数はおそらく三個で、都にとって重要な場所か、人口過密地帯を狙うだろうと。
神罰教会は、夜の帳が降りたところで悪魔の魔獣を暴れさせて、王都を混沌の底に叩き落とすつもりだ。
それを防ぐため、日が昇る時間にフュールさんと僕で空を飛び、起爆役を見付け、消して回る。稲妻の魔法でできるだけ派手に攻撃を仕掛けることで、ブラックナイトさん、イザベルさん、ローマンさん、ダリアさんに爆弾の位置と、護衛として控えている伝道師の位置を伝える。
神罰教会の構成員は、日が暮れたあとが作戦開始だと聞いているだろうから、何が起きているのか分からず混乱するはずだ。その隙を突いて、皆には伝道師の無力化と、爆弾の確保を頼んだ。
僕たちの中にいるスパイを炙りだすため、少しだけ嘘の情報を混ぜつつ……
「捕まってッ!」
鬼気迫るフュールさんの声が意識を戻した。
金属で作られた、巨大な掌が下から迫っている。フュールさんの急旋回で間一髪指先を逃れた。
「伝道師だ。この近くに起爆役がいる」
巨大な両手で屋根によじ登る人影は、鎧を着ている。囚人の着る拘束衣のように腕を固められているが、肩甲骨の辺りから異形の翼が生えている。
細身の胴に、巨大な腕を模した羽、その全体像は蝶のようだが、造形は禍々しい。すぐに分かった。あれが、"栄光をその手に"か。
グローリーは両腕を屋根に引っ掛け、こちらに向かって飛びあがった。腕が迫る。
「そんな雑なのに捕まるか!」
「ダメです。フュールさん、左腕っ!」
伸びた腕の影が変わる。
一本の左腕が、ロープを繊維へ解すようにばらけた。無数の細い腕が投網となり、空を泳ぐ小魚を捕まえた。
「クッソッ!」
無数の腕に絡めとられ、地面へと引き寄せられる。逃れようともがくがきりがない。
「ナメるなよお……C・フュル・フュールよ、契約を履行する!」
空から降った稲妻が腕の網を、フュールさんと僕ごと打つ。あまりの衝撃に拘束が一瞬緩んだ隙に突き飛ばされ、屋上に落ち、転がって勢いを殺す。
身体に残った落下の衝撃を堪えて立ち上がると、同じ屋上にグローリーと、その左腕に捕らえられたフュールさんが見えた。
「忌々しい使徒が。この女が潰れるのをそこで見ていろ」
グローリーは憎しみを込めた視線をこちらに寄越し、心底腹立たしいといった様子で言った。
まずい、あのままじゃ握りつぶされる。助けに行こうと足に力を籠め、フュールさんと目が合った。早く行け、そう言っているような、恐れのない瞳が――
「吼えろオッ!火尖鎗オオォォッ!!」
剛声が身体を打った。
白炎を帯びた異形の槍が、真っ直ぐ飛来してグローリーの右翼を捉える。刺さった瞬間に爆炎を撒き散らした聖遺物に、グローリーは堪らずフュールさんから左翼を離す。
駆け出し、屋上から落ちたフュールさんを追って屋根の縁を蹴る。重力を身をもって感じながら、落ちるフュールさんを抱きしめた。あとは何とか尻尾を引っかけて――
「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」
耳元で掠れた声が聞こえる。
落下速度が徐々に落ち、裏路地がゆっくりと近づいてくる。階段をゆっくりと降りるように地面を踏みしめる。
箒が無くても飛べるのかと、呆気にとられてしまった。
「あんた意外といい男だね。メサが惚れるのも分かるわ」
「えっ、惚れ……ちょっとフュールさん、大丈夫ですか!?」
「このくらいなんてことない」
彼女の息は乱れ、唇の端と額から血が流れている。ぐったりと僕の腕に体重を預けている。服のところどころは焦げていた。とてもじゃないが戦える状態じゃない。
「医者に見せないと……」
「ダメ。まだ始まったばっか。この近くにいるはずの起爆役は私がやっておく」
フュールさんの力強い瞳が僕を射止めた。逆らうな、そんな意志を感じる。
「ハイドレートはヘイトの仲間が戦うし……グローリーはザカリアスが逃がさないでしょ。作戦変更」
フュールさんの背を路地の壁に預けさせる。立ち上がった僕を見上げる彼女の微笑は、背中を押しているように見えた。
「ムドーを探せ」