111話 手紙が導く稲妻
夕焼けで引き延ばされた長さの違う影がふたつ、ゆらゆらと揺れている。木造の、古く、低い家屋が敷き詰められた貧民区画だ。
「衛兵はいないみたいですね」
「まれに来て、王都の土地を不法占拠しないよう勧告するだけです。捕まった者はほとんどいないでしょう」
ブラックナイト氏はこちらを見ずにそう言う。
「実質的に許されてるんですね」
「はい。ですから、ここに住む者は国に従順です。我々のような余所者の話は遠からず親衛隊の耳に入ります」
ここに身を隠すことはできない。そもそもザカリアスが来る場所だ。あまり長居しない方が良い。無言になってしまった。気まずい沈黙に耐えかねたのか、ブラックナイト氏は遠慮がちに口を開く。
「拷問は、本当に平気でしたか?」
「ええ、大体は。でもザカリアスに殴られたのが効きました。まだ身体が重い」
「歩けますか?」
「はい。そのくらいなら」
「申し訳ありません。私が付いていれば」
「そんな。あの時は助けてもらいましたし」
「そう、ですか……」
二度目の沈黙が降りる。
彼とはどこか距離を感じる。僕なんかに対して礼儀正しいのは昔からだが、最近は輪をかけてそうというか。遠慮があるというか。ずっとブラックナイトと名乗っているのもそうだし、兜を被って素顔を晒さないのもそうだ。
それでもこの旅についてきてくれたのだ。嫌われているとかではない、と思いたい。
「ここはどこなんですかね」
「王宮から東、門の近くです。皆様はどちらに?」
「ヒメネス家に滞在させてもらってます」
「ああ、なるほど。北ですね。少し遠い」
「歩いて行けますか?」
「今からでは、日が暮れてしまうでしょうね」
日が落ちれば幽霊が出る。たどり着けない。
せめて一晩だけでも、と思ったが、僕たちを見た人影は、声をかける前にいそいそと影の方に引っ込んでしまう。黒い甲冑に身を包んだふたりが当てもなく歩く姿は奇異に見えるのだろう。
「とりあえず、近くにある知人の家に行きましょう」
そうして、夜に向けてふたり、歩き始めた。
「引っ越してしまったみたいですね」
ブラックナイト氏に案内されて向かった知人宅には、別のひとが住んでいた。随分前に引っ越したわよ、と出てきたご婦人は大層怪しんだ様子で教えてくれた後、一刻も早くと扉を閉めた。
日が沈んでしまった。今日は曇りだ。真っ暗闇が降りてくる。
途方に暮れてしまう。
「あぁ、とりあえず、そうですね……どこか、馬小屋などを探して……」
ブラックナイト氏が考えを巡らせていた、その時。
「ねえ、もしかして困ってる?」
ふざけた調子の女性の声は、頭上から聞こえた。脊髄反射のように上を向くと、黒いマキシワンピースに身を包み、エナン帽を被った女性が、箒に乗って浮いていた。
「この都にまだ魔女が残っているとはな」
「だいぶ少なくなったけどね。現王になってからさ」
日が落ちてから箒に乗って現れた女性は、僕たちをぶら下げて悠々と夜空を飛び、大きなお屋敷のバルコニーへと降り立った。
ブラックナイト氏は到着早々、軽い調子で話す女性と言葉を交わしている。緊急事態に空から現れた者が、敵か味方かを引き出すかのようだ。
彼が落ち着いているのが凄い。僕は空を飛んでしまい、地面に足が着いてもまだ落ち着かない。
「何故私たちを助けた?」
「そう恐がらないでよ。手紙くれたでしょ」
手紙、と僕が呟くと同時に、「C・フュル・フュールよ、契約を履行する」と女性が指先をろうそくに近付けて言うと、静電気のような光が見え、火が点いた。魔法だ。
「ああ、メサさんの」
「そうそう、メサとは魔女仲間。まあ、文通するほど仲良くないから、手紙がきたときは驚いたよお」
街を出る時に預かった手紙、セバスティアーノさんはちゃんと届くようにしてくれたようだ。メサさんから預かった手紙のあて先は、知り合いの魔女だった。
黒い服にとんがった帽子を被り、箒に乗って飛ぶステレオタイプの魔女の後ろを歩きながら、黒猫が近くにいないか見回してしまう。
魔女さんの燭台に照らされたお屋敷には、ひとが暮らしている痕跡がない。その代わり、絵が飾られていた跡や、調度品が置いてあった跡が、埃の形で分かる。廃墟のようだ。
ブラックナイト氏が聞く。
「何故この都に残っている。ホセ王は魔法の使用を厳罰化した」
「捕まったら極刑だしね。でも検問が無くなったわけじゃないでしょ。だから私は、この都に残った魔女を逃がしてるの」
夜闇に紛れて王都の壁を飛び越えてしまえば、当然捕まらない。できたらいいな、と思ったことを、実際にやれるひとがいるとは思わなかった。
「さ、座って」
広い応接室に着いた。魔女さんは部屋の燭台に次々と火を点けると、その顔が照らされて驚く。
「私はクラウディア。フュールって呼んでね」
色白の整った顔を覆うように刺青が彫られている。たれ目をこちらに向けて慣れた笑顔を見せるが、危険な匂いが漂ってくるようだ。
「クラウディアなのにか?」
「"稲妻"の魔女はみんなそう呼ばれてんの。魔女のなかでも特別な存在なのよん。おふたりのお名前は?」
「ブラックナイトとお呼びください」
「ヘイトです。さっきは助かりました」
ソファが軋む音を聞きながら腰かけて、自己紹介をする。
フュールさんも応接室のソファに深く腰掛けると、金属のコップに向かってボトルを傾ける。並々と注がれたワインを見て、長話になりそうだと思った。
「魔女についてどこまで知ってる?」
「えぇと、悪魔と契約をすることで力を借り、魔法を使えるようになったひとたち……箒で飛んでいたのも魔法ですか?」
「そだよ。ちなみに、大魔法については?」
「自らの命を契約した悪魔に捧げて、大きな力を使う、でしたか」
「そうだね。大魔法を使ったら魔法使いは死んじゃう。その代わりに悪魔の魔獣を召喚したり、とんでもないことができる」
そう言って、フュールさんは僕の目をジッと見た。何か推し量っているようだ。
「じゃあ、魔女集会は?」
「えっと、聞いたことないです。魔法使いにも組織があるんですか?」
「うぅん。ボスがいて、中間管理職がいて、下っ端がいるって感じじゃないかな。夜宴って言って、魔法使いが定期的に集まるんだけど、そこで顔を合して、自分とは違う魔法が使えるヤツと、じゃあ一緒に仕事しましょうかって感じ」
「同業組合に近いんですね」
そうそう!と高めの相槌が入った。
個人事業主の魔女が、自分とは違う能力を持った者と協力して大きな仕事をこなす。
どんな仕事を?、とブラックナイト氏が聞いた。
「ええと、敵対する権力者を消してほしい、妻の病気を治してほしい、希少な美術品を自分の物にしたい、盗賊から守ってほしい、あの男を惚れさせてほしい、女の子になりたい、全裸で空を飛びたい、それから……」
「もういい」
話の流れが不穏になりブラックナイト氏が遮った。彼は頭痛がするかのように手を額に当てている。
「たまにちゃんとした仕事もしてるんですね。たまに」
「そうなのよう。魔女に頼る連中の方がずっと悪くて、そいつらの頼みを聞いてるだけなんだ。権力者や聖職者でも魔女のところにくる奴は多かったんだよ?でも、今はね」
政権交代があって、魔女たちの立場は急速に悪くなっていったと言う。それは、
「もしかして、12年前のクーデターが原因だったりしますか?」
「あそこが分岐点だったのは間違いない」
緩んだ表情は変わらないが、フュールさんの雰囲気が引き締まった。
腐敗した前王の政権下で、神罰教会が大魔法を使ったテロを起こした。それを鎮圧できなかった前王の代わりに、当時軍の顧問をやっていた現王が出陣した。結果、前王は、現王であるホセ王により王座から降ろされた。それが12年前。
「私たちは真面目にコソコソ仕事してるのに、神罰教会が悪目立ちするようなことばっかりするから、世間一般の魔法に対する心象は悪くなる一方」
「魔法使いの印象が悪化したのは神罰教会のせいだけど、迷惑被ってるのは魔女集会って酷い話ですね」
魔女も大概でしょ、とさっきの話を聞くと言いたくなるが、ぐっと我慢する。
「話の分かる使徒様だこと」
ふふ、とフュールさんは笑う。
「ねえ、一緒に戦わない?」
「どういうことだ」
ブラックナイト氏は、警戒している、という意思を見せつけるかのような声色でそう言った。出会って間もない魔女の考えを質そうとしている。
「あなたたちを助けた報酬が欲しいってわけじゃないけど、協力してくれるなら、連中の次のテロを防げるかもしれない」
「な、んだと。まさか12年前と同じようなことが」
そこでブラックナイト氏は絶句してしまった。そうだった。彼はずっと捕まっていて、僕たちの経緯を知らない。そして、彼はあのクーデターの当事者だ。人生を変えられるほどの大きな借りがある。
「神罰教会の所為で、魔女も煮え湯を飲まされたからね」
「僕たちにやってほしいことって、具体的に何ですか?」
「まずは情報交換。"王の宝剣"フェルナ――」
「ブラックナイトさんです」
「ブラックナイトと、魔女集会のこの私、そして神罰教会と直接ぶつかった不死の使徒様。3人寄れば神罰教会のテロを予見できるかもしれない」
「敵の先手を打って、好きにはさせない、と」
そういうこと、と言いながら、フュールさんはテーブルに置いたコップの縁を指でなぞる。
「私は」
落とした視線の先、昏いワインの水面がグツグツと泡立ってくる。
「ひとつ、神罰教会をビリビリさせてやりたいの」
沸騰したどす黒い液体から顔を上げ、稲妻の魔女は、僕とブラックナイト氏を見て、ゾッとするほどの危険な笑みを浮かべた。