110話 ロープのある家
真っ暗な部屋で、椅子に座らされている。
両腕を背もたれの後ろで縛る鎖の先は、両の足首を拘束している。
上から押し付けるような重力に逆らえず、身体は前へと項垂れて目線は下を向いている。何も見えない闇の中だから、目は開けていても閉じていても変わりはない。
「まったく。何時見ても滑稽だな。ヘイト」
「ついてきたのか」
どこかで聞き覚えのある無機質な低音が聞こえ、目を開ける。
不思議な光景だ。何も見えない闇の中からぼうっと骸骨が浮かび上がる。高級なコートを身に纏った長身の骸骨は、僕を見て首を傾げると、鼻で笑った。
「骸骨ではない。我が名はD・サブナクだ。馬鹿には難しいか?」
さらりと出てくる罵倒に、そうでしたね、と素っ気なく返す。
久しぶりに顔を合わすのにご挨拶な悪魔だ。ただでさえこいつと話すのは不快なのに、縛られていて自由がないから、猶更に不快だ。
こいつが出てきたということは。
「ふむ。"無道の鎧"と"爆発反応装鎧"は、私の作品だ」
やはりあいつらが着ていた鎧は、悪魔が創り出した呪物だったか。僕の身を包んでいる、この"悔悛の鎧"と同じように。
「あの鎧の能力を教えろ」
「お前のような雑魚を蹴散らす程度の能力だ」
思わず舌打ちする。悪魔に対してまともに聞いてもまともには答えない。諦めを溜息と共に出す。
「あのカッコイイ鎧は、どうやって作ったんです?」
「やっと口の利き方に気を遣うようになったか。アホめ」
偉大な悪魔氏は呆れながら続ける。
「爆発反応装鎧は、装甲と武装のすべてに爆薬を内包させた鎧だ。衝撃により本体から破片が離れた際に、小規模な爆発を引き起こす」
ザカリアスとハイドレートがぶつかった時の爆発はそのせいか。衝撃を受けた瞬間に爆発することで、攻撃を弾き、自動的に反撃を行なえる。どう攻めるか。
「"栄光をその手に"は」
「……?」
聞き覚えのない名前に少しの間何を言っているのか分からなかったが、すぐに思い当たった。
神罰教会の伝道師は3人いる。まだ姿を見ていないグローリーと呼ばれるもうひとりも、呪いの鎧を着ているのか。
「両腕が使えない代わりに、背中から腕を模した翼が生えている。右翼、"剛腕"と左翼、"多腕"だ。変則的な動作を可能とする、多対一の戦いを想定した鎧だ」
手を模した翼が生えた鎧。その姿を想像することは難しいが、こいつが作った甲冑だ。厄介なことに変わりはないだろう。何せ、人間を不死身にする鎧を作るような悪魔なのだから。
「無道の鎧に特殊な武装や能力は無い。頑張って殴って倒せ」
「そこが一番聞きたかったのに」
ムドーは、ただ硬くて速くて強いのだ。
シンプルイズベスト。最悪だ。
――俺は無道――
「彼らの、名前は何て言うんですかね……」
だたの独り言だ。
奴らはコードネームのように、呪いの鎧の名前で呼ばれている。そんな連中にも、生まれ落ちた時に貰った名前があるはずだと。それが"ヘイト"のように、変に独創的だとしても。
これからぶつかる相手はどんな人間なのかと考えた時に、当然、親から貰った名前があるのだろうと思っただけだ。
「ヘイト。どれだけ望まぬとも、授けられるだけ幸運なこともある」
悪魔はにやけた骸骨を引っ込め、僕から目を逸らしてそう言い、
「そして、強大な力を得た人間は悪魔に類する」
そう続けた。
「何を言っているんですか?」
「時間切れだ。ヘイト」
悪魔は僕を無視して話を打ち切った。すると、身体から力が抜けて瞼が重くなる。
「今度はその皺の無く矮小な脳みそに刻み付けろ。我が名はD・サブナク。崇高なる"鎧袖"の悪魔である」
遠ざかる意識のなかで、重い声が響いている。
「舞台の上で無様に踊り続けろ、ヘイト。観客でいたいとは、ゆめゆめ思わぬことだ」
「おい、起きろ」
頭を殴られて目を覚ます。
夢で見たような暗闇ではなく、陽光が射し込む古い家だ。強い風が吹けば畳まれてしまいそうなくらいに老朽化している。向こうには、太い梁にぶら下がった、古いロープが見える。
「悠長に寝ていられているとはな。癪に障る」
折れ曲がった鉄の棒から目線を上へ上げると、線の細い男が僕を見下ろしている。無線で聞いたフリッツとか言う男性だろうか。
男の傍には台が置かれ、多種多様な拷問器具が並んでいる。
そう言えば、この家に連れてこられてからずっと拷問されていたような。とは言え、呪いの鎧は針もペンチも通すことはなかった。
この鎧がなかったらオシッコを漏らして泣き叫んでいるところだろうが、今はままごとの道具にしか見えない。ただ座っていただけだ。
しびれを切らしたザカリアスに、剣が折れるほどの勢いで殴られたところまで憶えている。爪を剥ぐ道具より、ザカリアスに殴られる方が何倍も堪えた。
「ちなみに、水没とバーベキューも試しましたが、死ねませんでした」
不遜な口調でそう言うと、フリッツは冷めた目で僕を見た。火に巻かれても、湖の底に沈んでも死ねなかったのだ。無駄なことをしていただくことはあるまい。
尋問が再開される。
「ディマスをどこに隠している」
「伯爵は冤罪ですよ。テロやらかしたのは神罰教会です」
フリッツは神経質そうな白い頬をひくつかせた。
どこにいる、という問いに対して、関係ない、と言う。答えになっていない。自分でも舐めていると思う。
「それをどう証明する?」
「真犯人を捕まえてきますよ。この鎖を解いてくれれば」
ディマス伯爵の敵に対する嫌悪か、拘束されているのが不快だからか、自己に対する不信感か、どうしても小馬鹿にしたような口調になる。
「口の利き方に気をつけろよ。お前が喋らないなら、お前の仲間を捕まえて吐かせるだけだ」
「脅しのつもりです?」
フリッツは僕の首を掴むと、自らの眼前に引き寄せた。男の眼には苛立ちが募っている。
「どこにいるかは大方見当が付いてるんだ。ひとり捕まえて、四肢を末端から潰して聞き出せば。後は一網打尽だ」
「伯爵が無罪なら、真犯人は野放しです。あなたがたが関係ないヤツを殴ってる間にまた事件は起きる」
「そうはならない。犯人はディマスだからだ。お前ら全員を捕まえ終えたら、ディマスと一緒に、今度こそ死刑だ。絶望の底で、バラバラにしてやる、ゆっくりとな」
「好きにしたらいい。神罰教会の脳足りん共に、まんまと王都を壊されるまでね」
「……後悔させてやる」
「残念ながら、後悔するのはそちらです。割とすぐに」
「何を――クッ!!」
フリッツの首を後ろから尻尾で縛り、後方へ引っ張ってから、こちらへ向けて引っ張り、向かってくる鼻っ柱に僕の頭を沈ませた。
ボキッ、と鼻の骨が折れた音を額で聞く。
フリッツの身体は、鼻血を流しながら地面に崩れる。
近付いてもらって良かった。
視界が狭かったおかげで尻尾の動きには気付けなかったのだろう。手足の拘束は手慣れていたが、尻尾は柱に固結びされていただけだったのも幸運だった。あれくらいなら自力で解ける。
尻尾は指をなめらかに使って、鎧の隙間から糸鋸を引き出した。そのまま片手で器用に、手足を拘束している鎖を切っていく。
フリッツが気絶していて、ザカリアスが帰ってくるまでにこの家を脱出しなければならない。
「フェル……ブラックナイトさん!無事ですかっ!?」
隣の部屋への扉を勢いよく開ける。部屋には僕より簡素に縄を打たれた男性と、ベッドに座る女性がいた。
フェルナン……ブラックナイト氏がこちらを驚いた表情で見て、顔を背けた。豊かな金髪が整った顔を隠す。僕と素顔では会いたくなかったか。
「ヘイト様。やはりいらっしゃったのですか」
「はい。ちょっと拷問されてました」
「あ、ああ。お元気そうで何よりです」
「ブラックナイトさんも」
細身の女性はその会話を聞いて微笑んだ。
「こんにちは」
「やあ」
とぼけた挨拶をすると、リラックスした声で返してくれる。女性は理知的な、値踏みするような瞳でこちらを見ながら、
「フリッツは?」
「あ、ああ。ちょっと寝かしつけました」
「フフッ」
「あの、ええと。ヘイトといいます。初めまして」
「私はネバ。君と同じ使徒だよ」
監禁されている使徒同士、おかしな会話だと思う。
ネバさん。
白い肌にオレンジ色の髪。30代後半くらいだろうか。女性としてはかなり低い、ハスキーな声が魅力的に耳に響く。何となくアイシャさんのことを思った。全然似てないのに。
「ネ、ネバさんは、どのくらいここに?」
「ああ。ティリヤで召喚されてね。王都に観光にきてから、ずっとここにいる。ザカリアスとフリッツ、3人暮らしだ」
「ほ、ほお」
ザカリアスに捕らえられ、神が使徒に与えた才能を搾取され、虐げられている――そんな前情報と違うゆるい雰囲気に、拍子抜けしてしまう。
「あの、体調は……」
「今は良いね。私の、調子が悪いフリも板についてきた」
フリッツは厳しいが、ザカリアスは無理させようとはしない、と快活に笑っている。
「ザカリアスは使徒を憎んでいるんじゃ」
ザカリアスは、この世界の住人である母を置いていった使徒を恨んでいる。僕に武器を振り降ろすところを思い出すと、その憎しみは嘘ではない。
「単純に見えるけどね、意外と複雑な男なんだよ。母を自死に追い込んだのは、実父である使徒だと思っていて、自らの手で殺したいほどに憎んでいるのは確かだ」
ネバさんは目を伏せる。
「だが、ある時こう言っていた。『もし会ったら殺す。だが、その前に話がしたい』とね」
「問答無用とは、思っていない。と」
多分ね、とネバさんは言う。
「ヘイト様。そろそろ行きましょう」
気付くと、ブラックナイト氏があの黒い甲冑に身を包んでいて、僕の装備を持っていた。ザカリアスたちは装備を没収したものの、捨ててはいなかったようだ。
「そうですね」
あまり時間は無い。フリッツが起きる前にここを出なくてはならないし、やらなければならないことは山積みだ。
「じゃ、ネバさんも」
「何だい?」
ネバさんは、僕が差し伸べた手を本当に疑問に満ちた目で見た。
「何って……一緒に逃げましょう?」
僕としては当然だ。
切り離し型のレガロは身体への負担が大きい。連中にレガロを渡すときに衰弱するのに変わりはないのだ。
ネバさんがここにいるのは強制されているからで、機会があれば脱出したいと思っている。彼女の考えをそう推察するのは自然なことだ。
だが、
「ありがとう、ヘイト。でも私は、ここにいるよ」
「え、いや。何で?」
ネバさんは照れ笑いをして、
「ザカリアス。あれはあれで好い男だろ?結構好みでね」
「うぅむ」
思わず納得してしまった。
ザカリアスは敵に回せば凶悪だが、男として憧れなくもない。大柄な身体に、豪快な性格。腕っぷしが立ち、仲間から絶対の信頼を寄せられる。
――失礼したア!ご婦人!皆もさっさと逃げるが良いッ!――
民に愛され、身に余るような尊敬を受け止めきるだけの度量もある。
まごうことなき英雄。
「君たちは行きなさい。やるべきことがあるのだろう?」
「はい」
彼女の決意は固いようだ。ブラックナイト氏を伴って扉の方向へ踵を返した。その時、ネバさんから呼び止められる。
「なあ、ひとつ、頼みごとをしてもいいかい?」
「何ですか?」
「私の"英雄薬"を持っていってくれ」
ネバさんは手のひらに夕焼け色の液体が入った小瓶を、こちらに差し出す。これは処刑場でザカリアスが呷った液体と同じ物だ。ネバさんのレガロだったのか。
「服用すれば一時的ではあるが、超人的な力を得られる薬だ。いざという時に役に立つだろう」
「そんな」
ネバさんの顔色は悪くなっている。体調が悪いのはフリだと言っていたが、どこまで本当なのか。
「もしできたらでいい。ザカリアスの呪いを解いてやってくれ。彼は囚われている」
「何故」
初対面の僕に、そんなことを。
ブラックナイトから話を聞いてね、と青ざめた表情で笑みをつくり、僕の眼を見る。
「君なら、助けられるような気がしたんだ」