109話 8月25日 三つ巴
戦棍を携えた完全武装の聖騎士が鉄の巨体に向けて得物を振り下ろす。ヤツの構えは多少ぐらついたが、それだけだった。
「何だ、相手して欲しいのか?」
反撃として繰り出された掌底や前蹴り、パンチの一発で聖騎士は伸される。
全身に甲冑を纏った敵と戦うのなら、エストックのような刃物で装甲の隙間を狙うか、メイスのような鈍器で鉄板ごと叩き潰すか。
だが、こいつは、ムドーは。
極限まで鍛え上げたボディビルダーやプロレスラーの皮膚を剥ぎ、剥き出しの筋肉をすべて金属にしたようなこいつには、そんな定石が無意味だ。そして、ムドーの攻撃は、一撃一撃が鈍器を振り降ろすかのよう。
「お前の相手は僕じゃないのか!」
倒された聖騎士を見て、そう呼びかける。金属でできた化け物はこちらを向いてから、笑った気がした。
敵が地面を蹴る。速い!
身体が発した警戒に従って横っ飛びに避けると、ムドーのタックルが馬車の荷台を粉々にした。鈍重な見た目からは想像の及ばない速度と力。
砂煙から起き上がる巨体の横っ腹に打撃を入れるが、びくともしない。雑に振られた相手の左腕を、両腕でガードしながら距離を取る。掠っただけなのに、痺れるほど重い。
「その魔剣は抜かねえのか。良いねえ。やっぱ喧嘩は素手じゃなくっちゃなあ!」
ムドーは両腕を広げながら笑う。
重機に立ち向かっている感覚だ。
身体能力と頑丈さで圧倒的に劣る僕が、こいつに対して優位性を持てるとすれば、鎧から生えているこの尻尾しかない。呪いの鎧に巻き付いていた尻尾を解き、地面に這わす。
1歩で数メートルを詰めてきたムドーの拳を避け、目元に向かって掌を突き出す。攻撃ではなく、ただの目くらまし。素早く尻尾を太い両足首に絡ませる。
「おおっと!」
踏み出そうとしたムドーは重心を崩して前向きに倒れた。がら空きの背中に向かって跳躍し、重力と全身甲冑の重量を乗せた両膝を沈み込ませる。
ダメか。
生身の人間相手なら背骨が折れそうな攻撃だが、効いていない。尻尾を掴まれて引っ張られた。こちらの重心もくずされる。
お互いに体勢を立て直したタイミングで膝蹴りがくる。ミサイルのように迫った膝から芯を逸らした。攻撃の掠った重い衝撃の残る胸で、ムドーの上がった足を抱え、相手の胴に巻き付けた尻尾を掴む。
「おらァ!」
全力で前に押し、朽ち木倒しの要領で仰向けに倒す。
聖騎士が落としたメイスを拾い、空を見上げているムドーの首を踏みつけて滅多打ちに殴る。
「グ、がァッ!」
5,6回目のフルスイングで、メイスの柄が折れた。
倒れた姿勢から放たれた雑なフックが腹に入った。内臓が揺れる。
「――ッ!」
「こんな喧嘩ア、久しぶりだ。楽しくなってきた」
ムドーはゆっくりと立ち上がり、兜の隙間から血反吐を吐き出した。しこたま頭を殴ったのに、ダメージは少ない。
「本気で行かせてもらうぜ」
ムドーが腰を落とす。最初と同じ構えだ。
1歩踏み込みからの、右のジャブが2回、左のストレート、を思い切り姿勢を低くし、懐に潜り込んで躱す。
僕ができることは決まっている。というか選択肢が少ない。大柄で屈強な敵に立ち向かわなくてはならないなら、ひたすらに相手の重心を崩すしかない。
相手の腰に頭を寄せ、両の膝裏を抱きしめるように腕を回す。そのまま双手刈の要領で――
「"戦士"の悪魔よ、契約を履行する!」
ムドーの巨体がピタリと止まった。このまま持ち上げて倒そうとしたが、まるで、巨木を根っこから引き抜こうとしているように動かない。
戦士の魔法、こいつ、まだ強くなるのか。
逃げなければ、と思った瞬間に、身体を上から抱え込まれた。
そのまま強引に軽々持ち上げられる。半回転し、視界が高くなり、遠くが見えた。
身体が宙に浮く。
まずい、パワーボム――!
「おらアアアァァァ!!」
浮遊感は急降下する感覚へと変わり、自分の身体が鈍器のように地面へと叩きつけられる。
上半身が破裂してバラバラになったかのような、衝撃。
視界が暗く――
「残念だ、ヘイト。お前とは別の場所で会いたかった」
掠れた視界に、見下ろしたムドーが映る。首を吊り上げられているのだ。死んだ幽霊や、あの聖騎士と同じように。
たった一撃か。
頑張ったつもりだが、ものの見事に覆されてしまった。
僕を掴んでいない方の手で枯草の束を持っている。火が付き、タバコのように白煙をくゆらせた枯草の束を、こちらへ近付ける。
「その鎧、貰っていくぜ」
白煙に巻かれた途端、拘束感がゆるみ始めた。まさか、呪いの鎧が脱げかけてる?ムドーが着ている鎧と言い、神罰教会の目的は……
「何者だア」
聞いたことのある声が聞こえる。ムドーは声のした方へと首を動かして、僕から手を離した。呪いの鎧を着たまま、重力に従って地面に倒れ込む。
土と擦れる音を聞きながら声のした方を向くと、10名ほどの王国親衛隊を引き連れて、黄金の鎧を着た男が立っていた。
「来たか、アーサー・ザカリアス!俺はムドー」
ムドーの声に歓喜が混じる。
「その十字架、神罰教会。自分から出てくるとはなア。探す手間がァ、省けた」
「ああ、お互い会えるとは運がいい」
ムドーは草の束を投げ捨て、構えた。
ザカリアスは親衛隊に目線で指示を出す。聖騎士たちを救助させて、ムドーとは一対一で戦うつもりか。
「吾輩を前にして逃げんのかア」
「逃げる?まさか。お前も標的のひとりだぜ」
金属の巨体が雄叫びを上げ、この国の英雄の方へと地面を蹴った。
唐突に、アーサー・ザカリアスとムドーの戦いが始まる。
放たれたムドーの拳が"神威招来"にいなされ、3度目のパンチを受け流したザカリアスがアッパーカットを放ち、ムドーの顎を的確にとらえる。
ムドーは少しぐらいついたが、直ぐに体勢を立て直してザカリアスへと果敢に殴りかかる。
戦闘の経験値ではザカリアスの方が遥かに高いが、基礎能力は鎧と魔法を使ったムドーが勝っている。
僕を一撃で戦闘不能に追い込んだムドーが、あの時手も足も出なかったザカリアスと、互角に戦っている。
うつ伏せにピクリとも動かない僕に、誰も目をくれない。
今のうちに逃げるか?
いや。
ムドーの狙いは僕とザカリアス。そして、ザカリアスの目的はここで暴れたムドーと、逃亡中の僕だ。この教会の本拠地である大聖堂で、国会と神罰教会と使徒の三つ巴ができている。
僕が逃げ出した時の、ムドーとザカリアスの動きが読めない。なら、今はこのままザカリアスにムドーを抑えてもらう。
横目でムドーが捨てた枯草の束を見る。この草から立ち上った煙が当たった時、呪いの鎧が緩んだ。もしかしたらと思い、尻尾で点いた火を消すと、こっそりと魔剣の鞘に入れる。
「アーサー・ザカリアス!お前とは一度戦ってみたかった!」
ザカリアスが臙脂色の大剣、"エグゾカリバー"で動きを遅延させて、ムドーをタコ殴りにするが、有効打になっていない。効果が切れた途端に、戦士の魔法で強化された鉄の化け物の拳が、ザカリアスを襲う。
互角じゃないのかもしれない……ムドーが押している。尋常ではない殺意を滾らせた刺々しいまでの攻撃性が、ザカリアスから反撃の芽を奪っている。
ザカリアスは多分、教会の勢力下であり、怪我人と仲間が散らばるここで、大規模な攻撃を放ちたくない。だから"神威招来"の雷も、"火尖鎗"の炎も使っていない。
仕方ない。
地面に手を着き、泥の中でもがくように身体を持ち上げ、立ち上がる。良し。まだ何とか動ける。
激しく打ち合うふたりに近付き、ムドーの太い首に尻尾を巻き付ける。
「ッ!」
ほんの一瞬、ムドーの注意が逸れる。その一瞬にザカリアスがラウンドシールドの先端を叩きこんだ。
仰け反ったムドーの膝を後ろから蹴り、ザカリアスがさらに盾で殴り、延髄を蹴り上げ、ザカリアスが大剣で顎を攫う。
僕とザカリアスのふたりがかりで、ムドーへと渾身の打撃を繰り返す。
「ウオオオォォォッッ!!」
辺りの空気を響かせる叫び声を上げたムドーが、思い切り跳躍して距離を取った。
着地した巨体は片膝を着く。
少しは効いたみたいだな。
気付けば大聖堂には、大勢の聖騎士や王国親衛隊が集結していた。装備を見ると、大槌や鎖を持っていて、なかには騎兵もいる。これだけの戦力があれば、ムドー相手といえど押し切れる。
「ムドー、いつまでかかってるの?」
視線が空中に縫い付けられた。その甲冑は、空から降ってきたのだ。
標準的な西洋甲冑に見えるが、どこか華奢に見えるシルエットには不釣り合いなほど大きな戦斧を持ち、純白に輝く毛足の長い、毛皮のコートを羽織っている。
「ハイドレート、邪魔すんじゃねえ。ここからがいいところだってのによ」
「遊んでるんじゃないの。母さんが待ってる」
あれがハイドレート。神罰教会の伝道師のひとりか。ムドーの傍で地面から浮いている女騎士。あれもまた、ただの鎧ではないのだろう。
「ママが……仕方ねえ。またやり合おう!ザカリアス、ヘイト!」
ムドーは構えを解いて首を鳴らした。撤退する気か。
「逃がすかアッ!」
最も早く反応したザカリアスは、エグゾカリバーを振りかぶって異形の鎧を着たふたりへと突撃した。ハイドレートと呼ばれた女騎士は、浮遊した状態で前へ出て巨大なバトルアクスで迎え撃つ。
切っ先が衝突した瞬間。
炸裂した爆風が身体を打った。
身体が地面を転がる。何だ!?、と自分で発した言葉が聞こえない。連鎖的に爆竹を鳴らしたかのような音が掻き消し、吹き出した黒煙が辺りを包んでいる。
爆発したのだ。何かが。パラパラと砂粒が呪いの鎧に当たっている。
数分かけて爆煙がなくなると、ムドーとハイドレートの姿は消えている。
「どこ行った……?」
ふらふらと立ち上がり、辺りを見回して特徴的な鎧姿を探す。まんまと逃げられたのか?
後ろから聞こえた足音に振り向くと同時に、苛立ちと嫌悪感を募らせたザカリアスの表情と、振りかぶられたエグゾカリバーの刀身が見えて――
意識が途切れた。