10話 木柵と使徒たち
農家のご婦人から二振りの木刀を渡されたあと、勘治さんは短く礼を言って歩き出した。牧草地のような場所を木柵に沿って歩いているようだ。僕は何をするのか、どこに向かっているのかも分からないまま彼に付いていく。
渡された木刀は日本の観光地で売っているようなもので、形状はカタナだ。欧風な世界なのだからここは両刃の剣ではないのか。
こういった物を手に取るのは初めてだが、かなり頑丈そうだ。ずっしりと腕に重量を感じる。中に鉄でも入っているのだろうか。
前を歩く勘治さんは、木刀を肩に担ぐようにしてのしのしと歩いている。木刀を持て余している僕と違ってその姿はとてもしっくりくる。舎弟をしばき倒している様子がありありと想像できるのだ。
この場合誰が舎弟役になるのだろうか?
この辺りを歩いているのは勘治さんと僕しかいない。
いやあ、ここで想像はやめておこう。
益体もないことを考えていると、勘治さんが立ち止まったので、僕も歩みを止める。
気付くと、この辺りの柵は折れていたり、ロープが千切れていたりするようだ。柵としての役目を果たしているようには見えない。壊れているのだろうか?
等間隔に土をほじくったような跡が続いており、近くには先の尖った木の杭が山と積まれている。
「歳は」
「あ、えっと、17歳です」
「喧嘩したことはあるのか?」
「あああああ、ありません」
突然勘治さんに問われ、激しくどもってしまった。
ぶっきらぼうな聞き方だ。
人と喧嘩したことなど無いような気がするが、魔物を倒した大広場での一件はカウントするのか?
「直せ」
――?
勘治さんが言った意味を理解できず、固まっていると、彼は積まれていた杭を一本持ち、土の跡に刺した。
地面に刺さり垂直に立つ杭は、胸くらいの高さだ。
勘司さんはおもむろに木刀を振り上げる。いわゆる大上段の構えだ。
淀みない動作から、時間が止まったかのように姿勢が固定される。様になっているとはこのことか。
勘治さんは一呼吸のあと、杭に向かって一気に木刀を振り下ろした。
木刀は杭の芯を見事に捉え、鈍い音と共に土にめり込む。
勘治さんは同じ動作を繰り返し、木刀を杭に打ち付ける。学校で剣道部がやっている素振りに似ている。
迷いない動作で振り下ろされた木刀はすべて同じ軌跡を描き、杭に命中する度にぐいぐいと地面に入っていく。
あっという間に胸ほどの高さがあった杭が、腰ほどの高さになった。
杭を打ち終わった勘治さんは、
「足手まといだ、次の侵攻までに全部終われば連れてってやる。じゃあな」
と言って来た道を帰ってしまった。
何を言われたのか、言葉の意味を咀嚼している間に、ぽつねんと残されてしまった。
えーと、つまり。
この辺りの柵は、何らかの理由で壊れてしまっていて、大部分が撤去されている。
積まれた大量の杭はその修理をするために準備されていて、等間隔に着けられた土の跡に杭を刺していけと。
……木刀で。
もし終わらせることができたら、魔物との戦いに連れて行ってくれる。
課題と言うわけか。
何だか厄介払いされたような気もする。バースィルさんに暗くなる前に宿に行くように言われたことだし、日が暮れるまでやってみて、そのあと木刀を借りた農家まで行ってみよう。
ご婦人は優しそうな方だったが、「今晩泊めてください」なんて人との会話が苦手な僕に言えるだろうか。眠れるかどうかは別にして、家畜小屋か納屋のような建物があったし、いざとなればあちらを借りよう。
杭を土に刺す。あらかじめ柔らかくしてあるようで、そこまで苦労はしなかった。
少し傾いてしまったのは気になるが。
勘治さんの姿を思い出して、木刀を振り上げて力を込めて振ってみる。
勢いのついた木刀は空を切り、切っ先が地面に突き刺さった。
当たらない。
もう一度。
当たらない。当たらない。当たらない。
――――。
これは難しいのではないだろうか。
杭の断面は直径10㎝ほどだろう、広くは無い。というか狭い。
こういった作業は木槌でやるのではないだろうか。
まったく当たる気がしない。
勘治さんはあっという間にこなしていたが、達人がやると難しいことでもいとも簡単なように見えると、そういうことだろうか。
悩んでいても進まない。
少し考えて、まずは力を抜き、当てることだけに集中することにした。
勘司さんの姿を思い出しながら、杭に向かって木刀を振る。
中学校のとき体育館でちらと見た、剣道部の素振りを思い出す。防具が暑そうだな、声出しが辛そうだな、とあの時はそんな感想しか持たなかったっけ。
……大事なことは忘れているのに、なぜそんなどうでもいいことは憶えているのか嫌になってくるな。
数十回も木刀を振ると、やっと当たるようになっていきた。
しかし、土には入っていかない。勢いが足りないのだ。高さはあまり変わらない。
徐々に力を込めていくと、また外すようになってきた。それどころか木刀が掠ったせいで杭が傾いてしまう。こうなるとますます芯を外してしまう。
力を抜くと当たるが、土に入らない……
力を入れるとそもそも当たらない……
これは、どうしたらいいものか……
落ち着け、集中しろ。
よりはっきりと勘治さんの姿を思い出すよう努め、自分の姿勢を彼の姿に近付けるようイメージをする。
そうして、木刀を振り降ろすと――
やった。勢いのついた木刀は杭の芯を外したものの、少しだけ土にめり込んだ。
少しでも進めば、後はやるだけ。
目的の高さになるまで、続ければいい。
たっぷりと時間をかけて、やっと一本目が終わった。
次に行こう。
二本目の杭を地面に刺し、木刀を構え、振り下ろし続ける。
命中率は決して高くないものの、着実に進んでいく。
徐々に一発で土に入る量が増えてきたように思う。始めは目的のために頑張らなくては、という責任感のようなものがあったが、こう少しずつ上手くなると作業自体が面白くなってくるものだ。面の中で自然に顔が二ヤついてしまう。
二本目が終わった。
一本目より少しだけ早くなった気がする。
三本目から試行錯誤するようにした。
上段の角度をもっと高く。
足をもう少し広げてみる。
力を入れるタイミングを変えてみる。
ジャンプしながら振ってみたりもした。
何回振ったか分からないぐらい試行すると、自分自身、徐々に"これだ"という動きが出来てきた。単純作業ではあるものの、成果や成長が目に見えるのは達成感がある。
……楽しいな、これは。
こうして勘治さんと同じことをしていると、彼の凄さが分かる。
彼が最初にやって見せてくれたのは、あれはお手本にしろということだったのかもしれない。
地上げだのなんだのと色々失礼なことを考えていたことを反省した。
勘治さんの速さには全く及ばないものの、試行錯誤のおかげか作業スピードも改善されている。
ジャンプはやめた。
作業に慣れ、思考に余裕が出てきたので、自然と記憶を探ってみる。
ひっくり返したジグソーパズルを見ているように断片的な印象しか出てこない。
高校に、うまく馴染めなかったこと。
家にも、何故か居づらかったこと。
学校の近くの大きな図書館にずっといたこと。
そこで本ばかり読んでいたからか、成績は悪くはなかったこと。
そこで男の人に会ったこと。話しかけられたのが怖かったこと。
何故、話しかけられたのが怖かったのか。
怖い男といえば。
あの男――
夢で見たずぶ濡れの男――
こちらを見るあの視線。
理性をかなぐり捨て、すべてを投げ出してしまいたくなるぐらいに怖かった。
17歳にもなって、と思うが。
異常なことだと思う。僕は何故あの男に対して、あそこまでの恐怖心を持ったのか。
恐怖の根源が分からない。
あの姿、見覚えがあるような、無いような。
なんにせよ、もうあの悪夢は見たくないな――
ふと、雨音がすることに気づいた。
見渡せない程ではないが、辺りは暗い。
作業に夢中になっていたようだ。
いつの間に――
と思い杭から目を離すと。
「何してやがる、てめえ」と言う。
ずぶ濡れの男が立っていた。
「うわあああぁぁぁぁっ!!」
僕は悲鳴を上げて尻餅をついた。
取り乱した僕が落ち着きを取り戻したのは随分経ってからだ。
今は木刀を借りた農家に招かれ、焚火に当たり、ゆらゆらと揺らめく火を眺めている。
――声を掛けてきたひとは、勘治さんだった。
一瞬、夢で見たあのずぶ濡れの男がだぶって見えた気がしたのだが。
「大丈夫か?」
勘治さんは怪訝な顔をしている。
仕方がない、僕の取り乱し様は尋常ではなかった。自分でもわかる。
「……ごめんなさい」
「てめえ、この五日間、何してたんだ?」
「え?」
農家のご婦人が説明してくれた。
僕たちは木刀を借りた後、柵を修理する場所まで向かった。
夜になったら戻って来ると思っていたそうだが、勘治さんが戻らなかったので、二人で宿屋にでも向かったのだろうと思っていたそうだ。
だがその時勘治さんは用事で別の場所にいた。
「驚いたわあ。てっきり先生についていったのかと思って聞いたら、ここ何日か見てないって、そっちに居るんじゃないのかって言うものだから。様子を見に行ったら、ほとんど終わっているんだもの。もしかしてと思って先生に急いで来てもらったの。ごめんねえ。私も仕事で忙しくて、なかなか見に行けなかったの」
ご婦人も勘治さんもここ数日僕の居場所を知らず、二人がそれに気付いて僕を探し始めた。
そうして雨が降るなか、勘治さんが様子を見に行くと、元気に杭を打つ僕を見つけたと。
勘治さんと別れてから、僕はすっかり作業に夢中になり五日間ぶっ通しで杭を打っていた。
僕はと言えば雨の中、外套を着た勘治先生を見て、腰を抜かしてしまった。
ということは、僕はこの世界に来てから一週間程度……
飲食なし。
睡眠なし。(気絶あり)
排泄なし。
ということになる。
身体に不調は感じない、悪くなるどころかむしろいつも感じているだるさがちょっとマシなくらいだ。
もしや、生理現象なしで生きていける?
あり得るのか?
呪いの鎧を着ている影響なのか。
「それがお前の才能なのかもな……信じられねえが」
と勘治さんが言う。
レガロか、使徒が持つ不思議な能力だったか。
そういえば、ちゃんとした説明を受けていない。その話をする前に色々なことがありすぎた。
来い、と勘治さんが言って席を立つ。
「あの。柵作りがまだ……」
「後でやればいい。いいから来い。ばあさん、世話掛けたな」
「続きはまた今度で大丈夫よ。どうもありがとう」
そんな会話を三人でして、家を出た。
すでに雨は上がっていた。二、三十分ほど歩いただろうか。集落というか村というか、何軒かの建物が建っている場所に着く。細い道を住民と犬やら鶏やらが練り歩いている。
軒先に看板のある木造の一軒に入る。中は居酒屋というか、酒場といった感じだ。
中は結構広く、壁際のカウンターキッチンに店主と思われるおかみさんがなにやら手を動かしており、五十人は座れそうなぐらいの席があって、そのほとんどが人で埋まっている。
暗い店内をろうそくがほのかに照らしている。
勘治さんに案内された一席にはすでに四人が座っていた。皆日本人には見えない顔だちをしている。
「やあ、君がヘイトか?」
にやけ顔の男が聞いてくる。
はい。と答えると。
「カンちゃんが悪かったな、俺たちが話を聞いたのはついさっきでさ、使徒を預かった、なんて知らなかったんだ」
か、カンちゃんって誰だ?
まさか……
「バースィルあたりに、夜になる前に帰れって言われなかったのか?」
勘治さんは不機嫌そうだ、責めるような口調で僕に言う。
「カンちゃんが悪いよ、第一、日が暮れたらどこに行けばいいか言ったの?」
にやけ顔の男がそう言うと、勘治さんはバツが悪そうに口をつぐんでしまった。
というかカンちゃんってやっぱり勘治さんのことか。
この仁王顔にちゃん付けって、凄いなこのひと。
「ちゃんと教えないとな。先生」
別の眠そうな目をした男がからかうように言った。
それを聞いて勘治さんは、椅子にどかっと座って黙ってしまった。
「まあヘイトも座んなよ。俺はアントニオ。フィレンツェ出身だ。よろしく」
にやけ顔の男――もといアントニオさんはそう自己紹介してくれた。
今にも怒りだしそうな勘治さんを制してくれた、きちんと憶えておこう。
僕は開いている席に腰を降ろす。
「フベルトだ」
眠そうな男は、フベルトさんと言うらしい。言葉数は少ないが。手をひらひらと振って来る。気安い感じだ。
「私はローマン。ハンブルク出身だ。この席にいるのは皆使徒だ。歓迎するよ」
笑顔でやり取りを見守っていた男はそう名乗った。このひとは何というか……ものすごくイケメンだ。
「で、ここで潰れているのは、"教授"って呼ばれてる。いつもこうだから、気にしないでくれ」
"教授"はお酒の入ったコップを握ったまま机に突っ伏している。顔は見えないが、集まっている使徒たちより年嵩があるように見える。
僕は勘治さんしか知らないので分からなかったが、使徒は日本人だけではないようだ。
「佐々木竝人です。よろしくお願いします。あの、使徒はここに居る人達で全部なんですか?」
「この辺りで暮らしている使徒は私たちだけだが、街周辺全体とするともっとこの世界に来ているよ。数十人だったかな……毎月、召喚と元の世界に戻る送還とを繰り返しているから、正確な人数は教会や国会しか記録していないけどね」
と僕の質問に答えたのは顔が良いローマンさんだ。
「ヘイト、何か飲むか?」
とアントニオさんが聞いてくれる。
「いえ、あの、脱げなくて……」
親切を断るのは心苦しいが、飲食は出来ない。僕は面に手をかけてはがすジェスチャーをする。
「へぇ、その話は本当なのか。じゃあ噂は嘘じゃないんだな」
「噂ですか?」
「『召喚されし神の使徒が、初日にして呪いの鎧を纏い、突如として街中に現れた魔物を、身を挺して討伐した』って吟遊詩人たちが卵を産んだ雌鶏みたいに騒いでたよ」
「えぇ……」
アントニオさんの言葉にげんなりする。あまり悪目立ちするのは避けたいな。
「聞いたよ。魔物を倒しに行くんだろ。黒い森の侵攻作戦は、二週間後くらいかな」
おい。と口をはさんだのは、だんまりを決め込んでいた勘治さんだ。僕に向けられた言葉だったらそれで確実に怯えていただろう。しかしアントニオさんは、何?と気楽に受け止めている。
「連れていくのか?」
「ああ。そのつもりだよ。柵は直したんだろ?」
「まだガキだ」
「カンちゃんが面倒見ればいい。あの柵を木刀で月末までに直すって、始めから連れていくつもりは無くて無理言ったんでしょ。彼は不可能を可能にしたんだ。次は僕たちが無理を聞く番だよ。それに17歳はそんなに子供じゃない」
にやけ顔は引っ込んで、真面目な顔で勘治さんに反論していた。彼の言葉から察するに僕は無理難題をやらされていたようだ。確かに柵を木刀で作るなんて聞いたことが無い、自分自身ほぼ終わらせられたのが不思議なくらいだ。
確かにまだ終わっていないが、黒い森に行くという二週間後までにはやり遂げられる気がする。
アントニオさんは僕の味方をしてくれるようだ。
「鍛えてやりなよ、時間あるだろ?先生」
フベルトさんが援護射撃する。
「お、お願いします。足は引っ張りません」
勘治さんにNOと言われたら、僕では説得しきれない。このチャンスを逃すわけにはいかない。
勘治さんは深いため息をつき、そして――
「分かった。だが容赦しねえぞ」
そうして、次の日から津山勘治先生の心温まる、ご指導が始まったのである。