106話 8月19日 実家へ帰らせていただきます
「父上!父上はおられるか!」
イザベルさんはドアノッカーをガンガンと叩き、少しだけ開いた扉に爪先を突っ込んで、押し込み強盗のようにお屋敷へ入り、驚きで固まるメイドに一瞥をくれたあと、そう宣った。
「どちら様でしょうか」
すぐに正装を身に纏った初老の男性が話しかけてくる。後ろには帯剣した男がふたりいて、柄を握りながら射るような視線を向けてきている。
早朝にローブ姿が貴族の屋敷に不法侵入していて、その上、女のひとりは家長を父だと、この家の娘だと喚いている。
そんな小汚い6人の男女への歓迎として充分礼儀正しい応対だろう。張本人の僕だって居心地の悪さにハラハラドキドキしているのに。周りで立ち尽くしている使用人たちの視線が痛い。
イザベルさんは最初に話しかけてきた男性の方を向いて、
「久しいな、セバスティアーノ。私の顔を忘れたか?歓迎しなさい」
「お嬢様を騙る不届き者でないと、どうして言えますか?」
イザベルさんは腕を組み、エントランスに飾られた大きな絵画を見た。釣られて視線を向けると、金髪に白い肌の美しい少女が、一糸まとわぬ姿でベッドに横になり、まどろんでいる油絵が見える。
裸婦画というより児童ポルノという言葉が頭をよぎって、下へ目を逸らす。
……あの絵の女の子、どこかで見たような。
「『社交界の馬鹿共は何も分かってない。ロザリー、君の胸のなかで眠らせておくれ』。『もう、しょうがないわねえ』。『ああ、君はまるで雪の精霊だ……』」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
イザベルさんの小馬鹿にしたような演技を遮るように、大きな声で執事は挨拶した。護衛のふたりは目を合わせて、剣の柄から手を下ろす。
「父上は未だに、母上が添い寝をしないと寝れないのか」
「本物のようで」
「分かってくれたか」
「ええ。交渉材料にまったくならない家の恥を高らかに叫ぶのはこの家の者しかおりません」
イザベルさんはニカッと笑って、面倒くさそうな表情を隠そうともしないセバスティアーノさんを見る。
「あれ、まだ飾ってたのか」
「『捨てるわけはないだろう。使徒様に描いていただいたのだ。あれこそまさに聖遺物』。私がこっそり捨てようとした折に、旦那様は大層お怒りになられました。
――それより、お嬢様、ご壮健のようで残念です」
「お前こそコインハゲが増えている。父上も相変わらずのようだ」
「はい……只今旦那様を呼んで参ります。ため息吐かせていただいても?」
「ひとつだけな」
「ありがとうございます。ハア~」
初老の執事は壮大なため息を吐くと、階段を登っていった。どうやらこの屋敷から追い出されたりはしないようで、ほっと胸をなでおろす。
「あれイザベルに似てない?」
ダリアさんが絵を指をさして言い、
「ああ。私だ。良く描けてるだろ?成長途中の、過ぎ去っていく美しさが伝わってくる」
当然のようにイザベルさんはそう答えた。娘が幼い頃の裸婦画をエントランスにでかでかと飾り、描かれたモデル本人は冷静に寸評している。
この家はヤバいのかもしれない。
メイドに高価そうな調度に囲まれた客室まで案内される。いつもの自分なら落ち着かないだろうが、今は追跡者の恐怖から解放されたから、遠慮せず椅子に体重を預けてしまった。
緊張を解いて始めて、ずっと張り詰めるように緊張していたことに気が付く。
「凄い家だねえ。ヒメネス侯爵って悪徳貴族?」
ダリアさんは出された茶菓子をボリボリと食べながらイザベルさんに聞いた。
「違う。違わないかな?
ヒメネス家は代々天才的な芸術家を輩出して、国内外の芸術家たちを鹵獲……じゃなかった。庇護してきた。
当代ドロテオ・なんたらかんたら・ヒメネス――父上も優秀な劇作家で、幾つもの劇場、劇団を持ってる」
「国の芸術面で強いんだね」
お茶を一杯飲み終わったローマンさんは、応接室に飾ってある絵画や陶芸品を眺めている。
「文化の独占だ。今やおじい様や父上の作品を嗜んでいることが社会的地位の象徴と言うか、貴族の義務教育になってる」
ディマス騎士団の女性騎士である、セナイダさんが眉を八の字にして感想を述べた。
「最強ですよ。劇場は社交や外交の場でもありますし。ディマス様はそういうのに疎いので、話を合わせるのが大変そうでした。イザベルが何でこんな良い家を出たのか分からない」
「それは――」
イザベルさんが答えかけた時、観音開きの扉が弾かれるように開かれる。同時に良く通るバリトンボイスが響き渡った。
「イザベルッ!!帰ったかッ!!」
「ああ、父上、お久しぶりです」
堂々と部屋に入ってきた立派な服装の大柄な貴族と、十数年前に家出した娘は立ち上がり、何のわだかまりもなく抱擁を交わした。
「父上、そんな力強くしないでください。私は肋骨が折れております」
「それは大変だッ!!感想はッ!?」
「痛いです」
「どう痛いのだッ!?もっと詳しくッ!!」
登場からずっと大声のドロテオさんは、イザベルさんとよく似ていると思う。ふくよかな男性とすらりとした女性という違いはあるが、同じ白い色調の肌を持ち、面影が重なる。
「父上、皆様にご挨拶を。ローマン様、ダリア様、ヘイト様は使徒であらせられます」
「うむ!お初にお目にかかります。私はドロテオ・デシ・デ・ヒメネスと申します――――」
この家の主人であるドロテオさんと一通りの挨拶をして、僕たちは正式に客人としてもてなされることになった。好きなだけ滞在していいとのことだ。
「父上、ディマス伯爵は知ってるか?」
「無論。大罪人だ。処刑場が襲われ、行方知れずと聞いている」
「私たちがやった。今は匿ってる。伯爵は冤罪だってさ」
「ちょっとイザベルさん!」
「なんとッ!素晴らしいッ!」
突然すべてバラしてしまったイザベルさんに驚いたが、ドロテオさんの反応はそれ以上に予想外のものだった。
「つまり、あの魔獣の出現はディマス伯爵の手によるものではなかった。使徒の皆様は、冤罪により処刑されかけた髑髏公を救い出し、身を隠して敵の目を欺き――!
そして、このヒメネス家で"王都脱出計画"の準備を整えるッ!!」
「さすが父上察しが良い」
イザベルさんは余裕綽々といった体だ。だが、今の状況がほとんど貴族バレてしまった。絶体絶命か。目線が、出口と立っているセバスティアーノさんに移り、その彼と目が合う。
「ヘイト様。そうご心配なさらなくても、旦那様は通報などなさいません」
淡々と言う執事に、ドロテオさんが訝しむ。
「通報ですか?私が?――何故?」
「えっと、処刑場を襲撃して、るんですけど……」
「それが何か?」
「一応、僕たち犯罪者でして……この都の人間としては、衛兵に突き出すのが妥当と言うか……」
「ヘイト様、私が自らネタ……じゃなかった、主の遣いである使徒様方を、名誉やはした金で追い出すような裏切り者にお見えですか?」
「えぇ……」
このひと大丈夫だろうか。
「ご安心を。その代わりと言っては恐縮でございますが、これまでの旅のことをお聞かせください。その話で一本上げます。そうだ!オペラにして上映しましょう!明日ッ!!」
「それは隠れてる場所バレるのでは……」
逃走中の凶悪犯罪者の話がタイムリーに舞台になっていたら、情報源がどこだか想像がつくだろう。何でこんなに詳しく知ってるんだろう、と。
「おい父上。私は誰が演じるんだ。クソみたいな女優使ったら許さないよ」
「なるほど。ではイザベルが出れば良い。使徒様方も見眼麗しい、ご出演されませんか?」
「だからバレるんだってば」
するはずのない頭痛がする。
夕飯をいただいたが、まだ夕方だ。
ドロテオさんと1日中話をして、奇矯な御方だが信頼できると判断した。多分、彼は逮捕されようが神に叱られようが反省しない、というか主張を変えない。
イザベルさんが実家に身を隠そうと考えたのも、ここなら安心できると踏んだからだ。僕たちを匿うと決めたからには、裏で衛兵と取引するようなことはしないだろう、と思う。
「矢を拾いに行けなかったなあ」
100回くらい舞台に上がらないかと誘われていたローマンさんが、しまった、という表情で呟く。
「セバスティアーノに行かせたから大丈夫」
イザベルさんがそう答えた。そして、
「ヘイトの荷物に手紙があっただろ。あれもセバスティアーノに渡しておけば?然るべきところに届けてくれる」
「ああ、はい」
確かに、街を出るときに3通の手紙を預かってきている。赤いポストなどないから、どこに出したらいいのか困っていた。明日になったら頼んでみよう。
「これからどうしますか?」
セナイダさんがおずおずと聞いてくる。ローマンさんが答えた。
「直ぐにでも王都を離れたいところだけど、私たちには時間が必要だ。少なくとも、伯爵が歩けるようになるまでは。それまではやれることを進める。物陰に隠れながらね」
「できれば、伯爵の兜を脱がしたいね。アレ目立つし」
ダリアさんが言う。ディマス伯爵の"夜宴の兜"は、魔法をひとつノーリスクで使用することができるが、一度着用すれば簡単に脱ぐことができない。
呪いの装備の解呪は必須ではないが、彼の象徴のようなあの兜を外すことができれば、王都脱出の難易度を下げられる。
「フェルナンドと、ディマス騎士団の他の連中も見つけないとなあ」
そうイザベルさんが言った。ザカリアスに捕まったフェルナンドさん、それにどこかで捕まっているであろう騎士団のメンバーも、助けないと。
「ローマン様、ヘイト様、イザベルのお怪我も治っていません」
アレホさんがそう言って、皆が無言で肯定する。兎にも角にも、何をするにも時間が必要、か。
それに、
「最終的に脱出する手段を見付けないと」
僕がそう言うと、集まった皆は小さく頷く。
王都に入るときは簡単だった。だが、壁と門に囲まれ、衛兵と幽霊が闊歩するこの都から出る方法を、まだ見出せていない。
前途多難だ。
緊張が解け心身が少し休まると、先のことを考えてしまって憂鬱としてくる。幽霊から逃げていた時はこんなことはなかったのに。ままならないな。
「寝るには少し早いねえ」
空は昨日より雲が少なく、オレンジ色に染まっている。ダリアさんがテーブルの上のブランデーを開けて人数分のコップに注いだ。
「イザベルさあ、セナイダの質問に答えてないでしょ」
「何だっけ?」
「何で家出したのかって。ほら、痛み止め」
「ああ」
イザベルさんは琥珀色の液体が注がれたコップを受け取り、少し口に含むと、椅子に座って深く息をした。
「話もこんがらがってきた。一休みがてら無駄話をしようか。なに、大した話じゃない」
そうして、イザベルさんはとある少女と画家の話をし始めた。