104話 8月16日 リーレーズ女子修道院脱出計画
鐘の音が聞こえる。もうすぐく夕暮れか。ここ数日はリーレーズ女子修道院でじっとしているから、時間が過ぎたところで何が変わるわけでもないが。
椅子に座り、手に収まった黒い無線機を見つめるが、もう声は聞こえない。
ザカリアスに捕まったフェル……ブラックナイト氏は、フリッツと呼ばれていた男性に時折話しかけていたが、返答を得ることはなかった。捕虜と話さないようにしているのかもしれない。
「ワイヤーがサバイバルキットに入ってたよね」
「あ、はい。ええと……どうぞ」
何やら"衝撃波"の分解作業をしているローマンさんが話しかけてきた。キットの中からワイヤーの束を出して手渡す。包帯に包まれた利き手が痛々しい。これでは弓を引けないだろう。
「ありがとう――何か分かったかい?」
「ブラックナイト氏は無事のようです。けど、居場所とかは分かりません」
「ひとまず無事で何よりだね……けれど、いずれ彼も助け出さないと」
「はい」
ブラックナイト氏が捕まっている場所を特定したいが、分かったところで具体的な行動ができる状況ではなかった。
イザベルさんは肋骨を折り、ローマンさんは右腕に火傷を負った。僕もやっと歩けるようになったくらいで、元気なのはダリアさんくらいだ。
一番酷いのはディマス伯爵だろう。螺良さんとセナイダさんにより修道院まで連れてくることができた。が、無事とはいかなかった。
栄養状態が悪く、発熱している。外傷は、処刑で効率的にバラバラになるよう、四肢に大きな切り傷が付けられていた。逃走防止の目的もあるだろう。
"戦士"の魔法により身体能力を底上げし続けなければ死んでしまう。
追い込まれているのは肉体的にだけではない。精神面も――
『ヘイト様……ありがとうございます。ですが……何故』
『助けにきました。セフェリノさんに頼まれて』
『ヒルは――』
修道院で何とか合流した後、ベッドの上で発せられる掠れた質問に、皆が口ごもった。誤魔化すべきか、嘘を吐くべきか。今のディマス伯爵へ、本当のことを伝えるべきなのか。
そんな迷いが顔に出ている。
伯爵が、悪い沈黙だということを察し始める。
ここで引いてはいけない。そんな気がした。
『ヒルは死にました』
『そんな……何故……噓だろう?』
『本当です。だから僕たちがきた』
乗り越えてくれると信じ、一切の誤魔化しをせず、淡々と言う。
『ああ……!』
髑髏兜の奥の瞳が強く閉じられ、苦悶の声が漏れる。
『すまない。少しひとりにしてくれ』
優秀な男だったから、唯一の頼みの綱だったから、何より友人だったから。伯爵の思いは計り知れない。その時は、皆黙って部屋を出て行った。
今は、医療キットに入っていた鎮痛剤を飲んで眠っていて、アレホさんが付きっきりで看病している。
彼の体力が回復するまでは、夜宴の兜を脱がせることも、この都から出ることもできない。
「戻ったよ」
「あ、ダリア、イザベルさん。お帰りなさい。街の様子は?」
「衛兵がたくさんいて、頭を、こう、ローブで隠している奴に片っ端から声かけてる。修道女だって関係なし」
修道服に身を包んだ彼女はそう言いながら、痛みに眉根を寄せたイザベルさんを椅子に座らせる。ふたりには都の様子を見てもらっている。イザベルさんのことは止めたが、少し動いた方が良いと言っていた。
ふたりの話からすると、当然ながら厳戒態勢は解かれていない。ここは騒ぎのあった処刑場からそれほど離れていないこともあって、外を出歩ける状況ではない。
「何か尾行されてた気もするしなあ、気持ち悪かった。私の気のせい?」
「気のせいじゃない。親衛隊の追跡者が修道院の出入りを監視してる。私たちの居場所、目星は付けられてるね」
ダリアさんの質問に、イザベルさんが答えた。
「怪しまれている、と」
数回、修道院に衛兵が訪ねてきていたようだ。今のところは教会権力により追い払っているそうだが、いつまで保つか。
「このまま衛兵に踏み込まれて、伯爵が見つかったら」
そう呟く。
「大して抵抗もできないだろうね」
ローマンさんが作業の手を止めずに答える。
「……良い隠れ家、知ってるけど」
イザベルさんは目を瞑り、治癒の秘跡を自らに使いながら言う。
「伯爵は絶対安静だけど……どう動かすの?」
ダリアさんが訝しんだ目でイザベルさんを見て、
「私たちだけ逃げる」
「トンズラこくの?伯爵放り出して?」
ダリアさんがその意図を確かめるように聞いた。
「違う」
イザベルさんは目を開き、窓の外に見える晴れ空を見つめて、口を開く。
「私たちで、伯爵から幽霊を引っ剥がす」
ディマス騎士団のセナイダさんが、丸められた地図をテーブルに広げた。
伯爵を除く全員が部屋に集まり、綺麗に区切られた平面上の都に目線を落としている。
「王国軍は兵をばら撒いて私たちを探している。どんなのを探しているのか?それは、長身の髑髏兜をつけた男、風変わりな全身鎧を着た男、金髪に白人の女の聖騎士。あとディマス騎士団」
「伯爵、僕、イザベルさん、騎士団ですね」
処刑場を襲撃した時に、姿が割れた者たち。
「私は修道服で堂々としてればバレない。金髪の白い肌なんていくらでもいるし。だけどヘイトはダメ。昼間に都を出歩いてたら絶対バレる。その鎧脱いだら?」
「脱げないんです。僕は修道院に残りますか?」
「目を逸らすって言っただろ。お前と伯爵がいなきゃ幽霊共が付いてこない」
「イザベル……その……"幽霊"って?」
ダリアさんが僕も疑問だったことを聞いた。きっとそのままの意味ではない。
「政治犯とか凶悪犯罪者を狩りだすための非公式な特殊部隊だ。親衛隊の一部だけど、存在は一握りの人間しか知らない。その通称が、"幽霊"」
「よく知ってる」
「昔、捕まってね」
何をしでかしたんだろう。
どうせろくでもないことなので細かいことは聞かないが、イザベルさんを捕まえられる部隊か。掛け値なしに強敵だ。
「そんな連中に伯爵とヘイトの姿を見せるわけ?あっという間に捕まりそうだけど」
「だからこそやる意味がある。修道院から出る瞬間を見せて、怪しませて、次の目的地に到着するまでに追手を撒く。幽霊には隠れ家を変えたと思い込ませる」
「なるほどね。伯爵が移動したと偽装するわけか」
イザベルさんの作戦をいち早く察したローマンさんが、一言でまとめた。
「そういうこと……時間稼ぎにしかならないかもしれないけど、ここで私たちがたむろしているよりは良い」
「ふむ。それで、目的地は?」
ローマンさんの質問に対し、イザベルさんは地図の上に指を置いて答えた。リーレーズ女子修道院から北へ9km程度、処刑場から離れるが、都のなかだ。北の門から目と鼻の先の場所で、歩いて2時間くらいだろうか。
「ここに何があるんです?」
「まだ内緒」
イザベルさんが僕を見た。意味ありげな視線に、ザカリアスと対峙した時のことを思い出す。
――殴り合いが好みか、使徒擬きィ――
僕の姿は変な鎧に覆われている不審者というだけだったはずだ。才能も見た目で分かるように使っていなかったはずなのに、ザカリアスは僕を「使徒」と言い当てた。
ディマス騎士団もそうだ。彼らが王都へ入ったタイミングで狙いすましたようにテロが起き、騎士団は動きが読まれたように捕まっていった。
王国親衛隊の諜報能力が高い、というのも十分あるだろう。しかし、多分。
こちら側の情報を敵に流している者がいる。それも思っているよりも近くに。
「何時やりますか?」
イザベルさんはスパイの存在について、何か勘づいているのかもしれない。目的地について詳細を伏せるという不自然な脱出計画だが、無視して話を進める。
どちらにせよ、あまりもたもたしていられない。
「今じゃない。好機を待つ。何時でも出られるように、準備だけはしといて」
そして数日は、情報の収集と整理をして過ごした。
「暗いな」
日中から暗さを感じるほどに雲が厚かった。夜になった今、ちらと見た外は塗り込められたような黒で、ちらほらと火の灯りが見える。衛兵の焚く篝火、それと松明だろうか。
「行くよ。野郎共」
僕、ローマンさん、アレホさんでリラックスしながら無駄話をしていると、イザベルさんが扉を開けて入ってきた。"光の鎧"を身に纏ったダリアさんと、反対に鎧を着ずに普段着のセナイダさんも一緒だ。
「行くよ、って言ってもね。外は真っ暗だよ」
ベッドから起き上がりつつローマンさんが答える。
「幽霊も元は人間だ。真っ暗闇で見えないのは私たちと同じ。追跡は格段に難しくなる」
元は、というのは例えだろう。相手が同じ人間であれば、視界の通らない夜に追いかけっこができないのは確かにそうなのだが。
「僕たちも見えないと逃げるどころじゃないですよね?灯りを点けたら目立ちますし」
「灯りは点けない」
イザベルさんは片頬を吊り上げながらこちらを見る。
「あっちが幽霊の力を使うなら、我らは使徒様に導いていただきましょう」
「"最適化"」
呟くと、本当に黒一色だった景色から建物の輪郭が浮かび上がってくる。これだけ暗いと大した違いはないが、物の有る無し、それとひとの居る居ない、くらいは感じられる。
「急ぐよ」
イザベルさんの囁き声が耳元で聞こえた。彼女の後ろにセナイダさんとアレホさん、そしてダリアさんとローマンさんが鎧の尻尾を掴んで付いてくる。皆の眼はまったく効かなくなっているから、尻尾の動きが頼りであり、命綱だ。
修道院に残る伯爵と螺良さんが心配で後ろ髪を引かれるが、ふたりから危険を遠ざけるためだ。闇に向かって、北の方へ歩き始める。
静寂に包まれた夜だからか、集中しているからか、足音が大きく聞こえる。
ここ数日で地図を頭に叩き込んだ。衛兵が篝火を焚いている場所、巡回ルートを避けるように移動する。
主要道路は衛兵が巡回している。数は多いが、松明を持っているからこちらからは丸見えだ。細い路地を進んで行けば、避けるのは容易い。
だが――
過敏になった神経が、物音を捉えた。
鎧の尻尾を下へ動かすと、皆がそれに従って姿勢を低くするのを、感触として捉える。
ずるり。
一本向こうの路地から、数体の影が出てきている。
3股の燭台。その両側だけに火を点けている。黒く艶消しされた鎧の手甲。闇を纏っているような黒いローブ。
「――っ!」
幽霊のひとりがこちらを見、背筋が凍った。
永遠に見られているような気がしたが、実際には1秒くらいだったのだろう。幽霊は顔を背け、何かを探す素振りを見せながら、滑るように消えていった。こちらの姿は見えていない。それなのに。
「何でこの暗闇で動けるんだ?」
「訓練してるんだよ。目を瞑ってでも都を歩けるようにね」
ダリアさんとイザベルさんの会話を、頭の後ろで聞く。
細い路地には幽霊が徘徊している。
皆が憑り殺されるかどうか。
それは僕にかかっている。