103話 ささくれたロープ
「火尖鎗はその名を呼ぶことで力を発揮する。それを知る者は限られるが、貴様なら知っていて当然か……なア、フェルナンド・イエルロ。ビトリリュア以来だったか?」
「最後に貴様と会ったのはユリニスだ。ザカリアス」
「ああ、そうだった。北の広大な丘陵地帯。貴様の戦いぶりは忘れられん」
「戦いぶりはお互い様だ。劣勢だったが、大勝に終わった」
「ああ。北方諸国は大軍を"王の宝剣"と呼ばれた貴様の部隊に差し向け、注意の向いたところを兄の率いる別働隊がア、不意を突いた。
ネグロンの軍がおらずとも勝てただろう。北方諸国の原始人共に戦争というものを教えてやった」
「別働隊を指揮していたのはホセ様だったが、先陣を切っていたのは貴様だった。
確かに攻撃の時機は最適だった。ホセ様の指揮が完璧であったのは事実だろう。だが、あの戦いの勝利は、ザカリアス、貴様等の異常とも言える士気の高さがもたらしたものだと、私は思った。
あの時だけではないのだろう、ザカリアスよ。ホセ様のものと言われている武勲のうちどれだけが、貴様が譲ったものなのだ?」
「答えるまでもオない。兄あっての吾輩。すべて兄の武勲だア」
「ホセ様……現王に、貴様ほどの男が尽くすのは何故だ?ただ兄であると言うだけか?」
「フェルナンドォ、前王を追い出したア、兄のことが気に食わんか?」
「……まあいい。ここは何処だ。王宮の使用人が住む家より、はるかに傷んだ家屋のようだが」
「ふん。居心地が悪いか?ここは吾輩の別邸だア。貴様は客人として丁重に扱うところだが、その錠と鎖は付けたままで過ごしてもらう」
「座敷牢と言うわけか……趣味の悪い……待て、では、隣の部屋で横になっているご婦人は……」
「ああ、あれは使徒だ。我々に協力ウ、したいとなア。殊勝なことだろう?」
「……体調が優れないようだが。聖職者を呼ばないのか」
「ハッ。必要ない。聖遺物を提供して頂いている。倒れるのはいつものことだ」
「才能を搾取しているのかッ!ザカリアス貴様ッ。主の御使いに何と言うことを!」
「何を怒っている、フェルナンド。神が一方的に送りつけたものだ。せいぜい有効利用させてもらおうじゃアないか」
「地獄へ堕ちるぞ――」
「地獄はア、此処だ。我々が敵と殺し合いをしている時、12年前のクーデターで街が炎に包まれた時こそオ、地獄だったではないか。あの時神が何をしてくれた。戦ったのは我々だったではないか」
「主は我々を見守っておられる」
「ハ。見ているだけか。大層な重労働だア。それで我々が幸福になれるのなら媚び諂ってやるさア」
「主は使徒様を遣わしてくださり、勇気と知識を示してくださっている。それを貴様は――ッ!」
「使徒、使徒か。フェルナンド。王への忠誠の理由を聞きたがっていたな。教えてやろう――」
「……そのロープは何だ。私を吊るすのか」
「ハッ。貴様の身体は支えられぬだろう。あれは古い。毛羽立ってささくれている。何せ、30年近くあの梁に結わえ付けられているからなア――
『あなたのお父様は主の御使い。使徒様なの。いつか迎えにきてくださるわ』」
「使徒様の……子?」
「母の口癖だ。風が吹けば倒れそうなこの家で、糧を得るためロープを編みながら、実に楽しそうに話していたことを憶えている」
「……」
「結果的に、父親とやらが迎えにくることはなかった。ある時それを悟った母は、自ら編んだロープで首を括った。あのロープだ」
「……」
「自らの命を絶つことは主への背信だア。母が自ら向かったのは天ではなく地獄だった」
「ザカリアス――」
「吾輩は強かった。まともな喧嘩になる相手はいない。盗みを働き、追ってきた衛兵も敵ではなかった。自らの強さがア、吾輩が使徒の子だと言うことを証明していた」
「事実だと言うのか、貴様は使徒様の……」
「しばらくして、男が供を連れて現れ、ホセと名乗った。あの時のことは忘れもしない。決して。
『ザカリアス。私を兄と慕ってくれ、私の力になって欲しい』と、そう、な」
「……」
「あのロープは誓いだ。毛羽立ち、ささくれようとも、何も色褪せはしないように。
祈る手があれば武器を握る。神とやらはせいぜい武器を落としてくれれば良い。ないならないで一向に構わん」
「……」
「見ているだけで何もしない神も、大して役に立たん使徒も不要だア。吾輩は吾輩の力で、兄の治めるこの国を守ってみせる。
――だからなア。フェルナンド、協力しないか。ユリニスの時のようにイ」
「前王に仕え、ディマス伯爵の味方をした。この国へ楯突いた私と手を結ぶと言うのか」
「そうだア。兄は最愛の人を喪い、息子たちはまだ幼い。王都には不穏な空気が流れている。今こそ支えなければ。
吾輩は英雄としてこの国を守る。北方諸国も、神罰教会も、王妃を殺めた逆賊も、偽りの使徒も、すべて叩き潰す。
――フェルナンド、貴様がいれば心強い。共に万難を排そう。二度と12年前のような地獄を作らせはしない。貴様の仲間も無事に王都から出すと約束する。兄には吾輩から話をしておこう」
「ザカリアス、よく分かった。貴様の信念は高潔だ。その思いは、私にも理解できる」
「で、あればア」
「だが、貴様は自分の眼が曇っていることに気付いていない」
「……」
「憎悪を捨て、信念に殉じろ、ザカリアス。でなければ私が轡を並べることはない」
「そうか……ならば、好きなだけここにいるが良い。フリッツ。入れ。世話を任せた」
「かしこまりました。ザカリアス様」
「――――――ザカリアス、貴様に説教できた立場ではないな。私は、まだ」