102話 獅子奮迅
『アーサー・ザカリアスは王家に伝わる4つの聖遺物を装備しています。ひとつ目――』
「エグゾカリバー」
ザカリアスの構える臙脂色の大剣がメカニカルに変形して一回り大きくなる。中から現れた赤い宝玉が光を放った。光はザカリアスを中心にして、急速に膨らむ風船のように広がる。
スローモーションの映像を見ている。
避難する人々はゆっくりと走り、処刑場の廃材に残った火はゆらゆらと揺れ、砂埃が雲のように流れる。
赤い光に黄色い残像が捕まった。ザカリアスの延髄へ斬りかからんとしたイザベルさんの目が驚きに見開かれる。"前身の秘跡"と"18番の貴石"で高速移動しているはずのイザベルさんが、止まっている。
「良い秘跡だ。だがア――」
ザカリアスは不敵な笑みを浮かべて後ろに視線を遣り、
「っ!我が信仰を災禍を退ける力に!」
シールドバッシュがイザベルさんを直撃した。細身の身体が石畳を転がる。
「イザベルさんっ!!」
彼女は数回転がってやっと止まり、何とか上半身を起こそうとし、粘土の高い血を吐いた。直前で身体強化を使わなければ危なかったかもしれない。
持ち主以外の動きを遅くする大剣、エグゾカリバー。発動後はしばらく能力を使えず、剣としても振れないデメリットはある。しかし、それを差し引いてもザカリアスを前に動きが制限されるのはあまりに危険だ。
赤い光が消え、イザベルさんの方へ一歩踏み出したザカリアスの肩に矢が突き刺さった。貫通はしていないが、巨体は堪らず片膝を着き、直ぐあとに破裂音が聞こえる。
ローマンさんの衝撃波だ。
『ふたつ目、"神威招来"。雷を放つ盾です』
飛来した2射目、3射目をシールドで防いだザカリアスは、円形の盾の中央に埋め込まれた青い宝玉を屋根の上にいるローマンさんへ向ける。
「――――――ッ!!」
バリバリ、と世界を破いたような音が声をかき消す。
見てから回避したのではとても間に合わない。青い雷撃が放出され、建物の石材に迸りながら屋上を攫った。それから破裂音が聞こえなくなる。
溜めた分だけの雷撃を放つ盾らしく、中央の宝玉は暗い色に変わっている。溜まるまで次の雷撃は使えないが、果たしてその時まで立っていられるか。
黒く煤けた石の壁が目に入り、背筋を冷たいものが伝う。
「螺良さんは伯爵を連れて逃げて」
「私も――」
「早く!!」
反論を聞かずに言い切って走る。イザベルさんは動けず、ローマンさんもどうなったのか分からない。このままじゃ全滅するという確信が焦燥感になり、足がザカリアスへと向かう。
馬の駆ける音が後ろで聞こえた。
「逃がすかアァ」
「こっちだ!」
振り向いたザカリアスに向かって足を動かす。
抜いた斧を脳天めがけて振り下ろし、ラウンドシールドが上へ動いた瞬間に、軌道を変えて足首を狙う。
刃先は左足首の芯を捉えたが、ザカリアスの巨木のような足はびくともしなかった。
神威招来の先端が迫り、腹に入った重い衝撃が身体を浮かした。視界がサッと暗くなり、気付けば地面に倒れている。
『"守護者の鎧"は、1日に1度だけ、あらゆる傷を鎧ごと直すことができます。致命傷でも関係ありません』
ザカリアスの全身を包む金色の鎧に、ただの斧では傷もつけられないし、能力を使うまでもない、か。
『そして、ザカリアスが"使徒喰らい"と呼ばれる所以ですが――奴は使徒様を略取し、聖遺物を奪っているという噂がありました。私が知らない武具を持っている可能性がある』
ザカリアスはたったひとりで形成を逆転させた。立っていた場所を地面ごとひっくり返されたようだ。奴にはそれだけの力がある。
『可能な限り戦闘は避けるべきですが、もしもの時は全力で立ち向かってください。殺す気で戦うように。それでも、恐らく殺せません』
ブラックナイト氏は最後にそう言った。
火尖鎗。
エグゾカリバー。
神威招来。
守護者の鎧。
4つの強力な聖遺物を破壊して、やっとただの超人。
侮っていたつもりは決してなかったが、これほどか。
ずしりと重い身体を起こし前を見ると、ザカリアスはこちらを見ていなかった。その視線はローマンさんが立っていた建物の屋上、黒く煤けた煉瓦の壁に注がれている。
壁の一部が崩れて落ちた。落下する煉瓦の先、屋根の真下には男の子が立っている。身体が痙攣した。まずい。3階の高さから石が落ちたら――
「エグゾカリバー」
大剣から放射された赤い光が煉瓦を包むと、綿毛のように遅くなった。ザカリアスは神威招来を投擲する。フリスビーのように飛んだラウンドシールドは建物に突き刺さり、男の子の傘になる。
お母さんと思われる女性が、驚いた表情の男の子をひったくるように抱いて逃げていった。
「失礼したア!ご婦人!――皆もさっさと逃げるが良いッ!」
広場中に轟くような大声を張り上げている。
ザカリアスは僕たちを見ていない。
エグゾカリバーを使った直後。
神威招来を手放した後。
今しかない。
身体に気合いを入れて駆け出す。巨体の真後ろから飛びついて両腕を組むように首を絞め、両足で相手の胴をホールドする。伸びた尻尾はザカリアスの四肢に鎖のように巻き付く。
裸締めが完全に極まった。
尻尾の拘束をものともせずザカリアスの両手が僕の右腕にかかる。暴れ狂う馬に乗ったかのように振りほどかされそうだ。
「落ちろ……ッ!」
外させるものか。両腕に渾身の力を籠めてしがみつく。これで可能な限り時間を稼ぐ。
「なかなか、の、腕力じゃァないかア……!やむを得ん……!」
ザカリアスは仰け反ると同時に何かを呷る。オレンジ色の液体が底に残る小瓶が、地面に落ちて砕け散った。
瞬間――
宙に浮く。
背負い投げのように強引に引っぺがされた、と気付いて何とか着地し、前屈みになったザカリアスの頬に拳を叩きこむ。
拳は確かに奴の左頬を捉えている。だが、微動だにしていない。ザカリアスの黒い顔が、血管が、漆黒に染まっていく。
「殴り合いが好みか、使徒擬きィ」
「何だそれ……」
皮膚の下で黒い枝葉が伸びていくさまは、まるで、使徒の使う才能のようだ。
「受けて立とうじゃないかア……」
殴られ、倒れた。意識が飛びかける。
何とか仰向けの姿勢から顔面を蹴り上げるが、ザカリアスは意に介さず伸びた足を掴んで、ひとりの人間を軽々と投げる。
遠心力と慣性を身をもって感じて――
投げ出された身体は建物にぶつかった。地面に倒れた。
衝撃が呪いの鎧の中をのたうっている。耳鳴りが脳に反響し、視界の半分が真っ暗になっている。
大剣を拾い上げた大きな影がこちらへ歩いてくるのが見える。立ち上がろうにも力が入らず、何とか身体を起こすが、座り込む形になった。
頭が重く、首が下がる。目線だけで上を見ると、臙脂色の大剣を高く構えたザカリアスが見えた。
処刑されるのは僕か、呪いの鎧で死なないとしても。
呆けた視界で笑みを引っ込めた英雄を見る。処刑人のようなザカリアスは両腕に力を籠め――馬に乗った黒い騎士がザカリアスへと斬りかかった。
馬の勢いと振るわれた戦斧の重量に、ザカリアスが揺らぐ。黒い騎士は素早く馬から降りると、体勢を立て直す前のザカリアスへ果敢に連撃を叩き込み始めた。
「ブラックナイトさん?」
間違いない。割って入ったのは追手を撒くために移動しているはずのブラックナイト氏だ。彼は棒の先に肉厚の刃がついた戦斧を軽々と振るい、エグゾカリバーより長いリーチを活かして打ち込む。
ザカリアスの重心は崩れたままだが、それでも大剣で巧みに斧をいなし、ブラックナイト氏に有効打を与えない。
ブラックナイト氏の大振りを捌いたザカリアスは、数歩後ろへ下がって距離を取った。
「貴様のような戦士がいるとはなア!!」
どこか嬉々とした口ぶりで、ザカリアスは叫ぶ。
「だが終わりだ」
気付けば無数の親衛隊と衛兵に囲まれている。隙間はなく、じりじりと並んだ槍の穂が迫ってきている。敗北の二文字が明確に見えた。
ブラックナイト氏は数歩動くと、地面から無造作に朱い槍を引き抜く。あれは、ザカリアスが最初に使った聖遺物。
「逃げて!」
こちらを見ずに、こちらへ向けて叫んだ。
「それは使えんぞォ」
「どうかな。吼えろ……火尖鎗!!」
「ほぉう……!」
火尖鎗がキラリと煌めき、白炎を纏う。ザカリアスの目に驚きと感心が混じる。
ブラックナイト氏は重心を落とし、堂に入った姿勢を見せた後、ザカリアスへ真っすぐに突貫した。
ザカリアスは親衛隊を押しのけるように前へ出、エグゾカリバーを構える。
黒い騎士の強烈な踏み込みを、金色の英雄が真正面から迎え撃つ。
槍と剣が衝突する。白い糸のような閃光が。
視界が埋まるような爆炎が巻き起こった。
動かない身体を必死に動かして、尻尾を頼りに建物を登り、屋根の上で力尽き、仰向けなる。
ブラックナイト氏はどうなった。
ディマス伯爵は無事逃げられたのか。
ローマンさんは、イザベルさんは。
皆は。
甘かったか。
声が滲む。
「畜生ッ……」