101話 RUN!
天候は曇り。
ここからは空が良く見える。
リーレーズ女子修道院の鐘塔を登り、赤い煉瓦を敷き詰めた屋根に出る。縁から下の道路を覗き込むと、大勢のひとが公開処刑場へ向かっているのが見えた。
地面をてくてく歩いて行ったのでは到底間に合わない。ひとごみに紛れたら辿り着けるかすら怪しい。
胸の辺りに取り付けた無線機から雑音交じりに、準備完了までもう少しとの報せが入ってくる。
少し風がある。赤いマントがはためいている。
踵を返し、屋根の縁から離れて、屈伸運動をする。
屋根が続き、隣の建物を捉え、その先の王宮を見据える。
重心を沈ませ、足元の煉瓦を踏み込む。
渾身の力で足を動かし、通りを見ていた屋根の縁へ向かって走りだした。
直ぐに屋根が終わる。
思い切り縁を蹴り、走り幅跳びのように隣の屋根へと跳んだ。
降り、走り、また跳んで。
3~4mの、建物と建物の隙間を何とか飛び越えながら走り続ける。失敗して地面に落ちたらひとたまりもないが、通りのように誰もいないから早く到着できる。
太い通りに差し掛かる。道幅は6mくらいか。ギリギリだ。
迷えば勢いを殺すことになる。歩幅を最大にして走り、思い切り踏み切った。
少しだけ届かない。
重力を感じなかったのはほんの一瞬で、直ぐに落下の不快な感覚に包まれた。
その瞬間、呪いの鎧、その尾てい骨のあたりから生えた尻尾が伸び、届かなかった屋根を掴む。命綱のようにピンと張られた尻尾を手繰り、何とかよじ登った。
ほっ、と緊張感が緩む。
予定していたこととはいえ、またこんな忍者みたいな真似をしなければならないとは。
だが到着した。
少し遠くには王宮が見える。ホセ王とザカリアス将軍はあそこにいるはずだ。遠くから処刑場を見ているのか。
身を低くして屋根から目線だけを出すようにすると、広場の中央に造られた処刑場が真下に見える。
平べったくした相撲会場といったところか。
広場の中央は柵で四角く区切られていて、その周りを見物人の群衆が囲い、警備にちらほらと甲冑が立っている。装備に種類があるのは、衛兵と王国親衛隊の違いだろう。
雑踏で何を言ってるのかは分からないが、集まった群衆は口々にディマス伯爵を罵っているようだ。
その様子はお祭り騒ぎのようにも見え、公開処刑に見世物の側面があることを実感する。そのなかでも、今日のイベントは極上だろう。
王都でテロを起こし、民の生活を脅かし、聡明で愛された王妃を奪った、大罪人の処刑。楽しめないのは僕たちくらいだ。
一気に群衆の熱が大きくなった。そちらに目線をやると、馬に跨った4人の騎士と死刑執行人を始めとする役人たちと共に、ひとりの男が連れられて入ってくる。
襤褸切れのような服とたどたどしい歩き方からは見る影もないが、あの髑髏を模した兜を見えれば、誰かは分かる。
この国の北方を他国から守護する髑髏公。
ディマス伯爵だ。
伯爵は処刑場の中央に置かれた台に雑に寝かせられ、抑え込まれる。そして力なくもがく四肢に縄を括り付けられ始めた。縄の先は馬に繋がっている。
情報通りだ。処刑方法は八つ裂き。
死刑執行人が合図し、馬に乗った騎士が鞭をくれれば、伯爵は四方から引っ張られバラバラになって死ぬ。
「こちらヘイト。準備完了。いつでもいけます。オーヴァー」
死刑執行人が罪状か何かを読み上げ、4人の騎士に目線を送る。死刑執行人は手を挙げ――
「≪こちらローマン。始めるよ≫」
曇天に破裂音が響き渡った。
死刑執行人は手を挙げたままで、群衆はどよめき、聞き慣れない音に反応したすべての目線が空を満たす雲を見上げる。
反対側の建物の屋上に立つローマンさんの才能、"衝撃波"が作った一瞬の隙に、
屋根から飛び降りた。
処刑場の真ん中へ降ってきた黒い鎧に、会場にいる者たちは反応できなかった。何が起きている、と視線を集めながら、魔剣を抜いてディマス伯爵の右腕と右足の縄を斬る。
2発、3発と続く破裂音に驚いた馬が驚いて前脚を上げた、不意に体勢をくずした騎士たちはたまらず落馬し、伯爵は左側に引っ張られて台から滑り落ちた。
「我が信仰を、前へ進む力に」
群衆からローブを着たひとりの女性がレイピアを抜きながら躍り出て、目にもとまらぬ速さで伯爵の左腕と左足に残った縄を斬る。
近くに立っていた衛兵の無防備な顔面に剣の柄頭を打ち付け、ミックさんから貰ったスモークグレネードのピンを次々と抜いて放る。
たちまち処刑場に白煙が満ちた。
「良し。良し。ここまでは」
うまくいった。
「"最適化"」
視界が変わった。何も見えない白煙から物体の輪郭が浮かび上がってくる。
矢継ぎ早に破裂音が聞こえる。音速を超える矢を放つ、大弓のレガロ、衝撃波を持つローマンさんが屋上から厄介な兵を狙撃してくれている。
煙のなかを悲鳴や足音が共鳴している。襲撃だと理解したのか群衆はパニックになっている。相当な人数がいたのだ、これで兵たちも簡単には動けまい。
ここからは時間との勝負だ。
王宮にいるザカリアスが到着する前に、伯爵を確保して撤退しなければならない。
「螺良さん!こっち!
――伯爵、無事ですか?」
伯爵!と叫ぶ女性に向けて声をかけつつ、魔剣を鞘に納めて伯爵に近付く。
「ヘイト……様?何故、ここに」
「説明は後で。螺良さん、伯爵をお願いします」
螺良さんが僕の声を頼りに駆け寄ってくる。憔悴しきった伯爵の様子を見た彼女の顔に怒気が滲んでいた。
「アイツら……容赦しない……」
「落ち着いて。セナイダさんとダリアさんが馬を押さえて連れてくるんですよ。それまでは――」
僕の声を聞いたのか、煙から衛兵がふたり出てきた、
瞬間、螺良さんは振り向きざまに戦棍を投擲する。
ガンッガンッ、と鈍い音を立てて衛兵の頭を弾いた螺良さんのレガロ、"幻日環"は回転し、円弧を描いて、螺良さんの手に戻った。
一息で伸されたふたりは頭を抑えて悶えている。
螺良さんは振り返り、無表情をこちらへ向けた。
「セナイダがくるまでは伯爵を守らなきゃ。でしょ?佐々木くん」
「え。ええ。そうですね……」
YESとしか言えない。
煙のなかを迷いなく戻ってきた戦輪は、螺良さんの足首で1回転すると棍に形を変え、彼女の手に収まる。
どうやって投げたのか分からない棍はまたひとりの頭を弾いて、鞭に変わり衛兵の足を掬い、鉄球となって意識を刈った。
螺良さんは無重力のなかで戦っているようだ。ともすると見惚れてしまう程なのに、その足元では気絶した兵のカーペットができている。
強さにあまり執着はないが、下手したら僕より強いな。
僕もひとしきり兵を殴り倒してから伯爵が膝を付いている場所へ戻る。
「螺良さん強くないですか?」
「騎士団のみんなと訓練してたからね。部活より酷い練習があると思わなかったな。
――佐々木くんこそ、何で斬られても殴られてもピンピンしてるの。そういうの好きなの?」
「い、いや。そんなわけじゃあ」
「杏里!どこですか!?」
「あっ!セナイダ!こっち!」
大きな影が像を結んで、馬に跨った親衛隊の姿になる。声は聞いたことのある女性のものだ。セナイダさんは首尾よく興奮した馬を宥めて連れてきてくれた。あとはディマス伯爵を馬に乗せて、女子修道院まで行ってもらう。
「ダリア様とブラックナイトも馬を抑え終え、準備しています」
セナイダさん。ディマス騎士団の女性騎士。ダリアさん。ブラックナイト氏。
それぞれが同行者を乗せて4方向へ走る。あとはできるだけ、僕とイザベルさんが陽動として暴れ、ローマンさんが追手を妨害する算段だ。
伯爵にローブを被せて目立つ"夜宴の兜"を覆ったあと、何とか馬に乗せる。
ここまで10分といったところか。
あと少しだ。
「吼えろオォ!!火尖鎗オォッ!!」
全身がざわついた。
人間のものとは思えないような咆哮が轟くと共に、石を敷き詰めた地面に朱い槍が深々と突き刺さる。
煙が充満するなかで、異形の槍はキラリと煌めいて、
咄嗟にディマス伯爵へ覆いかぶさり、
槍から爆炎が放たれた。
悲鳴が消えている。
「来てくれた……」
「ああ、助かった……」
「将軍……」
その代わりにぽつぽつと名を呼ぶ民たちの声が聞こえる。
マントが少し煤けたが熱自体は大したことがない。
顔を上げて目を見張る。
煙が晴れている。
上昇気流だ。
放たれた爆炎が、僕たちを守っていた煙を空へ連れていってしまった。と言うことは、あの槍はブラックナイト氏から聞いた、王家に伝わる聖遺物のひとつ。
炎を放つ槍、"火尖鎗"。
「王国の民よ、家へ帰るが良い……」
声に質量を感じる。
想定よりずっと早い。
左腕には鉄線が絡まったような分厚いラウンドシールド。ゆっくりとした動きで臙脂色をした異形の大剣を抜く、天を衝くような大男。
「この国に仇名す逆賊はア――この、吾輩がアァ!!」
純白の羽衣を纏う黄金の全身甲冑。兜を被らず晒されている顔は黒く、荒ぶる感情を象ったように金色の長髪が逆立っている。
ぎらつく様な双眸に、地割れのような口元の笑み。
例えるなら、黄金の鎧を着た、漆黒の獅子。
「討ち取ってやろオオオオオオオオオオウウッッ!!」
アーサー・ザカリアスが立っていた。