100話 接触
メルチョル男爵、レネ傭兵団と別れ、馬を乗り換えて残りの距離を半日ほどで進んだ。太陽が顔を見せたタイミングで出発したから、まだまだ日は高い。
王都を囲んでいる壁を横目に見ながら、近くの農村に入った。農村と言っても、そうは思えないほどにたくさんの建物が建ち、往来には大勢のひとがいる。
農夫のようなおじいさんから、数人の修道女、果ては貴族のようにしつらえの良い服を着た婦人まで、そのバリエーションも豊かだ。僕ら5人が混じったところで目立たないと思う。
イザベルさんが言うには、王都に入るひとたちがこの村を利用するらしい。許可を待ったり、待ち合わせをしたり、他の街から送られてくる荷物を待ったり。場合によっては数日滞在するから、この村は宿場町のようになっていったそうだ。
問題は、僕たちはそこまで時間の余裕はないという点で、
「どうやって入る?」
「衛兵に賄賂握らせれば入れるけど、入ってからのことも考えなきゃね」
適当な店に入り、軽食をつまみながら質問するダリアさんに、イザベルさんが答える。
ローマンさんが追加で聞いた。
「すぐ捕まる?」
「多分。衛兵連中は賄賂を渡してきた奴らを国会に報告してる。親衛隊からの監視がつくだろうね」
賄賂を使った身元不明者は、危険人物として国にマークされるわけか。流石イザベルさんは詳しい。
「そこは私にお任せください。今夜動くことになると思います。それまではお休みを」
修道服に着替えたアレホさんはそう言って席を立ち、同じく修道服を着たシスターたちの方へ向かった。声をかけ、そのまま真面目な表情で話を始めている。
夜まで暇。というか準備をしておけということか。
「あ、じゃあ、荷物分けませんか?」
街の皆にもらった餞別品を分けたかったのだ。僕だけ持っていても使いきれないだろうし、ここから先、はぐれることもあるかもしれない。
大きな背嚢の口を開く。目に飛び込んできたのは、色とりどりのクリスマスの飾り付け。ではなく各種手榴弾。重いわけだ。
テーブルの上に並べられる危険物を見て、ローマンさんが苦笑する。
「スモークグレネード、スタングレネード。ポケットには焼夷弾、破砕手榴弾まで……危ないね」
「これ誰が使うんでしょうね?」
スタングレネードは一回使ったが、他は分からない。使い方を知らない爆発物を無暗に使っていいのだろうか。
「ヘイトなら自爆しても死なないからいいんじゃない」
「死なないからって自爆は嫌です。ダリアさん」
「敬語禁止」
「はい……」
他には、無線機が4個。携帯食料、医療キット一式。サバイバルキット一式。パラコードひと巻き、ワイヤーソー。コンドーム……は何に使うんだ。
手紙が3通入っている。差出人は別で、1通が自警団から、もう1通はメサさん。最後がティリヤの領主であるセフェリノさんだ。宛先もそれぞれ違う。
そして、呪いを払うエストックの聖遺物、"シャナの金糸"まで入っている。
机に並べると壮観だ。
「これが全部、聖遺物ねえ……なあヘイト。私が持っておいてやろうか?」
「いえいえ皆で分けましょう」
ネコババされそうな気がした。
今いる4人で分け、アレホさんには医療キットを持ってもらおうという話をする。
「これだけの聖遺物が……相手も、アーサー・ザカリアス将軍も、王家に伝わる聖遺物を振るいます。皆様には知っておいて欲しい」
最後にブラックナイト氏から、これから敵対する相手が持つ武器の性能を詳しく聞いた。
曇りがちな月夜だ。
松明がなくても辺りは見えるが、月が雲に隠れると酷く視界が悪くなる。
「門を開けろ」
「いいのか」
「いいさ」
ふたりいる衛兵に金を渡し、学校にある防火扉を大きくしたような印象の、門に付いた小扉を開けてもらう。皆が先に入り、僕が最後に扉を通ると、
「どうせ出られやしねえよ」
淡々とした言葉を背中で聞きながら、王都へ入った。
外より一段と暗くなったような気がする。
時間帯はそうなのだが、人っ子ひとりいない。というか、ひとの気配がない。それが雰囲気の暗さを助長しているような気がする。
「急ぎましょう。彼らが親衛隊へ報告するまでに少し時間がかかります。それまでに姿を晦ませば尾行を撒けます」
アレホさんがそう言って歩き出して、すぐ街角から声をかけられた。
「アレホ、こっち」
「セナイダ!無事だったか」
修道女がふたり。白い頭巾から見える気の強そうなラテン系の顔に見覚えがある。アレホさんと同じく、ディマス騎士団に所属するセナイダさんだった。もうひとりは、
「久しぶりだね。佐々木くん」
コケティッシュな声、流れるような黒髪をオールバックポニーテールにまとめた、故郷が同じの同年代の使徒。
「螺良さん……」
憶えててくれたんだ、と、螺良杏里さんは、目を伏せて呟く。
そうか、彼女はディマス騎士団に同行することになったと、前に聞いた。会うのは2度目で、彼女の言う通り久しぶりだが、それでも分かる。前に会った時より表情が暗い。
「アレホ、他の方々は。ヒルたちは外か?」
アレホさんが村でシスターたちと話していたのは、街の中にいる彼女らと連絡を取るためだったのか。
「これで全員だ」
ほんの一瞬だったが、セナイダさん瞳に、これだけか、という色が見えた。そう思うのも仕方がない。
「事情は隠れ家で話そう。案内してくれるか?」
存外にあっさりと入ることができた。しかし――
街は曲がりくねった道が多く、木々が根を伸ばすように広がったような印象を受けたが、この王都は賽の目に区画整理された道に沿って、背の高い石造りの建物が並んでいる。
この見通すような大通りに立っていると、巨大な監獄にいるような、どこか監視されているような気がして、さっき衛兵が言っていた言葉が実体を持って後ろからついてくるような感覚がする。
「ここです」
「王宮のある方だと思ったら、なるほどね」
「ええ。私たちはここ――リーレーズ女子修道院に匿ってもらってる」
「このまま公開処刑場に連れてかれるのかと思ったよ」
「まさか」
イザベルさんが聞いて、セナイダさんが答えた。立派な建物だ。他の建築物と違って、宗教的な思想が感じられる造りになっている。
通用口から入ると、燭台を持ったふたりのシスターに迎えられる。年若い彼女らも聖職者の恰好をしているが、ディマス騎士団に所属する騎士だと紹介された。
「だ、男子禁制のようですけど、入っちゃって良いんですか?」
僕の質問に、足下に気をつけながら歩く螺良さんが答えた。
「事情を話したら、端っこの部屋なら使って良いって言ってくれた。でもあんまり動き回らないで欲しいって。貴族の令嬢なんかもいるから」
「はあ、なるほど」
ろうそくの仄かな灯りに照らされるのは、数々の絵画や美術品だ。光量が少ないから、細部は見えない。どことなく居心地が悪い。
ローマンさんが優しい口調で聞く。
「騎士団で残っているのは、君たち4人で全員?」
「セナイダ」
「はい。多数が捕まり、はぐれました。他の団員とは連絡も取れません」
僕たち5人に、ディマス騎士団が4人。合わせても9人か。
「……伯爵は?」
ローマンさんは淡々と核心を聞いた。もしかしたら、手遅れだったかもしれないから。
「伯爵は……ディマス様は我々を逃がし、ザカリアスに捕まりました。ディマス様が収監された監獄への侵入も試みましたが、守りは固く、失敗に終わり……」
「生きているってことですね。だったらまだ可能性はあります」
暗い雰囲気が吹き飛ぶわけがないとは思ったが、敢えて口に出す。
「ヘイト様の仰る通りです。まだきっと打てる手はある。教会の助けは?」
こういう時、ブラックナイト氏の揺らがぬ口調は頼りになる。螺良さんがぽつぽつと話した。
「私が使徒だと知って、教会のひとたちが匿ってくれてるけど、あくまで使徒である私を守るためだから……それだけでも危ない橋だし、ありがたいけど……」
「伯爵の救出まではしてくれませんか。教会の上層部から国会へ、身柄の引き渡し要求は?時間稼ぎにはなるかもしれません」
「やってくれたみたいだけど、ダメだった。教会でもトラブルが起きて、上層部が慌ててるみたい。その隙があるから、私たちも隠れられるんだけど」
長い沈黙があって空き部屋に到着した。そこそこに広さはあるが、荷物置き場になっているようだ。僕、ブラックナイト氏、ローマンさん、アレホさんはここで過ごす。
荷物を置いて、彼からもらった木の箱に触れた。
――ヘイトは王都へ行くなよ、まだいるから――
「セナイダさん。変なこと聞きますけど。何かおかしなことはありませんでしたか?」
「と、言いますと……」
「うぅん。嵌められている、のは実際そうなんでしょうけど。何というか、動きを読まれている気がするとか」
「そう言われてみると、確かに。隠れ家を何度か変えましたが、直ぐに追手が現れました。それで徐々に仲間が減っていって。親衛隊に尾行されていると思っておりました」
「親衛隊の諜報能力は侮れない、と」
今はそういうことにしておこう。杞憂ならそれで良い。多分、あいつの手の内を知っているのは僕だけだ。
――ムカついて黒い馬のところへ行った。あいつは心底楽しそうに笑ってたよ。ぶっ殺そうとしたが、あと一歩足りなかった――
権力同士の正攻法は頼れない。
監獄の守りは固く、そこからの救出は不可能。
増援は少なく。
残った人数も少ない。
万事休す。
伯爵はもう助からない。
「どうしよう」
震えた言葉に少し驚いて、声の主を見ると、螺良さんが目元を拭っている。
白い頬に雫が伝っている。
「ぶっ潰しましょう。処刑」
「そうこなくちゃ」
「楽しくなってきた」
つい口走ってしまったが、ダリアさんとイザベルさんはニヤリと笑う。セナイダさんと螺良さんが驚いた顔でこちらを見た。
「ヘイト様、それはっ」
「当日、伯爵は監獄から出て、公開処刑場に向かいますよね」
「それはそうですが、集まる衛兵や親衛隊の数は監獄の比じゃありません。民も大勢見にきます」
「でも檻はないでしょう?」
「危険すぎる。王都に住む10万人全員が敵になります」
「分かってるつもりです」
「何故そこまで――」
するのか、が続く言葉だろうか。セナイダさんは言い切る前に言葉を失い、下を向いた。
動機。
王都に住む10万人と、親衛隊、そしてアーサー・ザカリアス将軍を相手に、戦う理由か。
彼からもらった木箱を開けると、1枚の仮面が入っている。
特徴のない、無機質な仮面の表面には、"これで公平"と文字が書かれている。
"代行者の仮面"に空いたふたつの穴が、目が、こちらを見ている。
きっと、彼なら迷わなかったから。
「処刑場を襲撃して、ディマス伯爵を助け出します」