99話 犬も祈れば神を見る?
街から王都へ向かう主要なルートはふたつ。
交通量が多く、道も――若干は――マシで、比較的安全であるが遠回りになる、大河沿いの東ルート。
あまり人気がなく道も狭い、小さめの川に沿って進む西ルート。僕たちはこちらを進む。
「聖職者が好むのは西だ。街の聖域に巡礼するならこっちの方が近い」
ささやかに焚かれている暖炉の火が、イザベルさんの陶器のような肌を照らしている。
商隊が森に入った時、夜はてっきりキャンプかと思っていたが、そうではなかった。
ティリヤから30㎞は離れ、鬱蒼とした森の中ではあるが、土を踏み固めた道があることには変わりがなく、ここが人間の生活圏だということを教えてくれる。今晩は、途中で見つけた修道院で過ごすことになった。
ぽつりとした印象の修道院ではあるが、旅人を泊めることはままあるようで、設備も準備も一通り揃っている。ただ、慣れた様子で出迎えてくれたが、旅人に使徒が3人も混じっているというのは予想外だったようで、大層ざわつかせてしまった。
修道院のひとたちは大慌てで客あしらいの準備を進めてくれていて、メルチョル男爵とレネ傭兵団は馬車の整備があり、僕たちは暖炉のある食堂で話をしながら待っている。
「こんな森の中で危険ですよねえ。何で巡礼するんですか?」
「そこに聖域があるから」
登山家のようなことを言う。
「ま、苦難を乗り越えて主の教えを広めた過去の聖人たちに倣っている、のかね。尊き彼らの助言が、私らの信仰の一部でもあるわけだし」
「イザベルさんも同じ理由ですか?」
自由奔放な彼女は、戒律に則って旅をする巡礼者と同じ考えを持っているのだろうか。ふっ、と笑うと、ショートのブロンドが少し揺れる。
「姉が、父の決めた相手のところへ嫁に行って、次は私だ!と察した時には教会の扉を叩いてた。修道院も肌に合わなくてね。聖騎士の巡礼に無理矢理ついて行ったのは10歳だったかな」
「イザベルさんは子供の頃からイザベルさんだったんですねえ」
結婚したくないから僧になり、旅に出るとは。一番過酷な選択肢を選んでいるように思えるが、彼女にとっては気楽な道なのかもしれない。
「馬鹿にしてない?熟練の聖騎士は、熟練の旅人でもある。一緒に行ってやるんだから感謝なさい」
彼女がこの旅に同行する理由はそういうことだ。旅慣れない僕たちを王都まで導いてくれる。旅費をケチって遠出したいだけかもしれないが。
「イザベル。そもそも聖騎士とはどのような者たちなのだ?どうにも正体が掴めん」
おずおずとブラックナイト氏が質問した。僕も聖騎士については、教会が所有する戦力としか聞いたことがない。現代的な感覚で言うと、教会と武力というのはちぐはぐしている気がする。
「ああ、分からなくてもしょうがない」
イザベルさんは腕を組み、明後日の石壁を見つめて考えをまとめると、
「まずは巡礼者たちが武装したのが始まりだ。旅に危険は付き物だし」
「獣や賊から自衛できなくてはな」
そうそう、とイザベルさんは頷く。
「次に、異教徒に奪われた聖域を取り戻そうとした聖職者たちが、そう名乗った。聖戦に赴くから聖騎士だって」
「かつての戦争か」
「ああ。で、最後に、使徒から聖遺物をもらった聖職者たちが、これはすなわち、主に叙任された聖騎士だと言い出した」
「使徒様に、聖遺物を賜った……」
「由来がみっつあるんだね」
ブラックナイト氏が下を向いて静かになったので、ローマンさんが変わりに相槌を打つ。
「そう。もっとあるかも。何せ全部"自称"だから。それでひと悶着あってね……」
「分かった。『我こそが真の"聖騎士"なり』って?」
ダリアさんが演技がかって言い、イザベルさんは、正解、と苦笑する。
「みんな自分が正しくて、他は偽物だってね。浅ましい。でも笑いごとじゃ済まない軋轢になっていったから、当時の教皇がめんどくさくなって全員聖騎士とするってお触れを出したのさ」
「大事なのってそこなの?って争いね」
黒と金の長髪を耳にかけて、笑いながらダリアさんは言う。
「ホント。我々は皆、主の僕、其を守護する者は須らく聖騎士足り得る。共に教えを遍く人々へ伝えるのが使命」
失礼します、と声がかかる。用意ができたようだ。
食堂の入り口から、少年や少女たちがスープの入った木皿を運んできた。緊張の面持ちで食事を運ぶ小さな聖職者の姿に皆の注意が向く。
イザベルさんは頬杖を付き、その様子を慈しみに満ちた眼で見ていた。
「鎧を纏う。その理由を忘れなければ、大事なことを見失わないのにね」
誰に向けたようでもない滑り落ちるような独り言は、食器の音で散らされていったが、確かに耳に残った。
森の中を馬車が進む。2台すれ違えないほどに狭いが、道があるだけありがたい。
日が昇る直前に修道院を後にして、いつくかの集落を過ぎてからというもの、ひとの気配を感じない。建物があっても廃墟だ。
街と王都から遠いこの辺りには、盗賊との遭遇報告も多いと聞く。証拠に、いくつか木の枝に吊るされた衣類が見えている。
使徒として召喚された時、神と名乗った男から授けられた準才能である"基礎精神耐性"のおかげか、あれがただの枝に引っ掛けられた服ではないと知っても、気をしっかり保つことができている。
木々の隙間に何かが見えた気がした。また同じだろうか――いや。
「停めてください」
そう御者に声をかけ、馬車の上に登って木々の隙間を見つめる。
「"最適化"」と呟くと、暗い森の中が鮮明に映った。
「どうした?ヘイト」
「ローマンさん。レガロを」
「――分かった」
彼の腕から黒い枝葉が生え、まとまると、精緻な造形の大弓になる。
あれは死体じゃなくて、まだ生きている人間だ。
木の枝から吊るされたロープには輪がつくられ、白っぽい服を着たおじいさんの首にかかろうとしている。
そして周りに4人、薄汚れた装備の男が囲んでいる。まだこちらには気付いていない。
「盗賊だ。先を見てきたけど、ちょっと先に別の連中がキャンプしてる。どっちにしろぶつかるねえ」
瞬く間に偵察を終わらせたイザベルさんが傍でそう言う。
数十メートル先に4人、そして僕たちの行く先に別動隊か。先に見つけられたのは幸運だった。
「おじいさん、襲われたみたいですね。ひとりでしょうか」
「巡礼者だろうね。大して金も持ってなさそうだし、腹いせに吊るそうってとこか」
「ひどいことするな。盗賊も殺さず行けます?」
「殺した方が楽だよ。後腐れない」
聖職者~。
さらりと恐いことを言うイザベルさんだが、ここは違う世界で、そういう時代だ。道徳観も異なる。
「これから人助けに行くんですから、まあ、縁起悪いかな、と」
嘘だ。余計な罪を背負いたくないだけ。
それに僕は不死身だ。そもそも殺し合いは公平じゃない。それを味方にも強いるのは違うが、皆なら大丈夫だろう。
さて、どうするか。
「ブラックナイトさん。何かいい案ありますか?」
「……では、ヘイト様とイザベルであの方の救出をお願いいたします。私とローマン様で別動隊を叩きましょう。ダリア様とアレホは、メルチョル男爵の護衛を頼む」
「分かりました。じゃ、機先を制してきます」
コソコソせず、馬鹿みたいに、茂みを掻き分けて真っすぐ進む。
「誰だ?」
「使徒」
僕がそう言うと、盗賊たちは笑った。
「ジジイ、良かったな。お迎えだ」
「ひとりじゃ寂しかっただろ」
おじいさんの首にかかったロープは枝を通し、でかい男が握っている。引っ張れば滑車の要領で締まる。
ハゲ、歯欠け、
「良いモン着てるな。ありがてえ」
そして、デブが戦棍を抜きながら歩いてくる。デブは間合いに入ると、バッターボックスに立ったように武器を振りかぶり、僕の頭に向かってフルスイングした。
金属の衝突する不快な音が響く。
首が少し動いたが、姿勢は崩れなかった。ゴキ、と首を鳴らし、盗賊の胸倉を掴む。合った眼は驚きに見開かれていて――
「ごめんなさいね」
呪いの鎧の面を、思い切り相手の鼻梁に叩きつけた。ぐしゃ、と音がする。
声も上げずデブは倒れ、ハゲは槍を構える。笛を吹いた歯欠けに近づき、両手を首へ振り下ろすモンゴリアン・チョップを放つ。
ハゲの放った槍の穂が、脇の下に突き刺さった。装甲のない、布だけの部分だ。狙いは良い。
だが効かない。
ホルスターから斧を抜き、槍を叩き割る。
足払いをかけ、仰向けに転んだ頭に向かって刃先を振り下ろした。斧はつるりとした頭皮に傷を付けず、地面に深々と突き刺さっている。ハゲは気を失った。
「やめろッ」
でかいのは縄を握ったまま、こちらを怯えた表情で見ている。これ以上動けば引っ張られて、おじいさんが吊るされてしまう。
「消えろ。こいつを殺すぞ」
「人質にはなりませんよ」
「何をッーー」
ふっ、と現れたレイピアが、縄を斬っている。でかいのが後ろを振り向いた時には、おじいさんを確保したイザベルさんは距離を取っていた。
中途半端な長さになったロープを手放すでかいのに近付く。引き抜かれた山刀を両手で掴み。
刀身を折った。
そのまま夜になった。今日はキャンプだ。
行程は想定内の遅れ。まだ取り戻せるらしい。
「夜が明けたら貴方方の処遇を決めます。それまで大人しくしていてください」
ひとつの馬車に詰め込んだ10人の盗賊にそう言って、焚火へ向かう。
「で、じいさんは、何でこんなとこにいたの?」
そうダリアさんが聞き、巡礼です、とおじいさんは答えた。汚れた白い服は修道服で、やはり聖職者だったようだ。
「若い頃はこうして巡礼をしていたものですが、王都に引きこもるようになって、衰えていたようです。重ね重ね、御礼を申し上げます」
70代くらいのおじいさんはゆっくりと言って、座ったまま深々と頭を下げる。
「失礼ですが、盗賊共に治癒の秘跡を執り行っていましたね。高徳の聖職者だとお見受けいたしますが、供は連れておられないのですか?」
ブラックナイト氏がそう聞く。丁寧な言葉遣いの裏に、不信感が混じっていた。
「主の遣わした使徒様が闘牛をされたと聞き、世を去る前に一目見ねばと。居ても立ってもおれず、単身飛び出しました。
『欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生む』とは正にこのこと。主に奉仕する者の端くれとは言え、お恥ずかしい限りです」
おじいさんはまた深々と礼をする。ダリアさんが召喚されたのはついこの間なのに、情報が早いな。
「ふぅん。やろう、闘牛」
言いながら立ち上がったダリアさんは、レガロを発現させる。
「牛がいませんが」
「もちろんヘイトが牛役だ」
彼女の長身から枝葉が伸び、装飾的な鎧を形作っていく。ダリアさんのレガロ、"光の鎧"だ。
「どうすればいいですか?」
「私を捕まえられたら何でも言うこと聞いてやる。本気でこい」
闘牛をする使徒とはこのダリアさんで、僕らと王都へ向かう。このおじいさんとは完全にすれ違いになってしまう。死ぬような目にあったのに、ティリヤへ行っても望みのものは見られない。
しょうがない。やるか。すでにやる気まんまんで赤い布を振っているし。
「いきますよ」
牛の真似をして両手の人差し指を立てて額につけ、ダリアさんに向かって地面を蹴る。
けっこう本気でやったのだが、ムレータを舞い踊らせるだけで、彼女のしなやかな肢体には掠りすらしなかった。しかし闘牛ごっこは、場を盛り上げることはできたようだ。
おじいさんは最初呆けて、そのあとは笑顔を見せていた。
「で、こいつらどうするんだ?」
太陽が顔を出して、出発の準備をしている。捕縛された盗賊たちを見下ろしてイザベルさんが言った。
「殺しましょう」
冷えた口調で答えるブラックナイト氏の言葉に、盗賊たちはビクッと震える。
「これまでも同じ罪を犯してきた連中です。解放すれば次の犠牲者が出るでしょう。私が手を下します」
巨大な黒甲冑が、戦斧を構える、処刑人のような姿を見られる者はおらず、自分の両膝に視線を落としている。
自由を奪われ、馬車に詰められ、生きるか死ぬかも宙ぶらりんで一晩放置された彼らは、声も出せずに青い顔をしていた。
「待ってください」
ブラックナイト氏の言うことはもっともだろうが、僕の気持ちは決まっている。生け捕りにしたのは、殺すためではない。
しゃがんで、盗賊のリーダー格の顔を覗き込む。
「他に仲間は?」
「い、いない」
「本当に?」
「あ、ああ」
ふむ。
「――木こりはいつでも人手不足です」
「は……?木こり?」
「おじいさんを護衛してティリヤへ行ってください。この聖遺物を持っていけば、マイケル・アーリマンという使徒が話を聞いてくれます」
「せ、聖遺物って……」
マイケルさんから預かったサバイバルナイフで縄を斬り、柄を盗賊に握らせて、おじいさんの方を向く。
「良いですか?」
貴方を殺そうとした連中と一緒ですが、とは言葉にしない。おじいさんはゆっくりと頷いて、
「構いません。
力の限り人々を救うと信念を抱いていたはずが、いつしか権力闘争に明け暮れ、少なからぬ人々を不幸にいたしました。それが主の命だと信じ。
首に縄がかかったとき、これは罰なのだろうと」
話が決まったことを察した皆は、ため息を吐きながら盗賊の縄を解いていく。我がままを言って申し訳ない。
「私もこの者たちも同じ罪人。何を厭いましょうや」
当の盗賊たちは解放されて呆気に取られている。殺されると思っていたのが、殺そうとした人間を護衛して街へ向かえと言われたから、当然の反応だろうか。
「さっさと行こう」
イザベルさんに声をかけられ、踵を返すと旅支度を終えたおじいさん一行に声をかけられた。
「使徒様、お名前をお聞きしてもよろしいですか」
「ああ、ヘイトって言います」
「ヘイト様、この度の奇跡、夢を見ているようでございました。私のような者を救って頂き、感謝の念に堪えません」
「奇跡って、大袈裟ですよ」
そう言うと、おじいさんは顔をほころばせる。
「何もお返しできませんが、せめて祈らせてください。ヘイト様には無用でありましょうが」
「いえいえそんな、ありがとうございます」
おじいさんは慣れた様子で、しかし心の籠った十字を切る。
「我が信仰を旅人の靴に、衣に、杖に。主のご加護がありますように」
通れ、と関所に立つ衛兵が言った。
車列はゆっくりと動き出す。メルチョル男爵の護衛という名目で、問題なく通過することができた。
近い集落へ入って、宿を取り、メルチョル男爵と詳細を詰めた。
ここはもう王都の領地、ティリヤの権力が届かない、現王と将軍の勢力圏だ。
「心苦しい限りですが、同行できるのはここまでです。ですが、脱出の際は可能な限り手助けをするようにと、セフェリノ様から仰せつかっております」
「ありがとうございました。でも、ご無理はなさらず」
都まではもう30㎞ほどだ。時間短縮のため、ここからは男爵たちと別れ、馬を乗り換える。
「ローマン様、ヘイト様、ダリア様、ご無事を祈っております。アレホ、イザベル、ブラックナイト、皆様の護衛をよろしく頼むぞ」
明日には王都へ到着してしまうだろう。