97話 終幕と先触れ
昨日よりもひとが多い。
召喚祭が終わると夕飯前くらいになっていた。金の鹿で打ち上げを、ということで皆が集まっている。お店と言う瓶からハチミツをこぼしたかのように、広場にも客が溢れていた。
また宴会かよ、と思うが、娯楽の少ないこの世界だ。多くて文句を言う者はいないのだろう。
店内に設けられた予約席に腰を下ろす。落ち着くなり、厨房からアジア系のコックが出てきた。中年で小太り、彼が腕を振るったら何でも美味しくなりそうな風貌だ。
彼は身振り手振りを交えて緩急のある口調で言う。
「よお。あの牛のことなんだが、肉がかなり……歯ごたえがある。ああ……ローストビーフにして薄切りにしたり、それからぁ……挽肉にしてミートローフにしようか?今ならメインに間に合わせてみせるぞ」
「ミートローフが良いなあ」
「じゃ、俺はローストビーフで」
「小さめにスライスしてビーフストロガノフはできる?」
ミックさん、アントニオさん、ローマンさんがそれぞれ注文を述べ、
「私のおごりだ!全部ステーキにしてくれ!」
「いや、例えば……煮込みとかもなんとか」
「ステーキ!
お前らもそれでいいだろ」
「わ、分かったよ」
ダリアさんの圧に押されて男共はすごすごと引き下がる。悩んだ表情を浮かべたコックは厨房へと向かい、
「あ!尻尾と尻の肉はシチューにして!」
途中で声を掛けられて、任せろ、と視線を送ってきたあと、揚々と厨房へ引っ込んだ。
「ダリアちゃん。せっかく君が仕留めた牛なんだから、美味しく食べたいな。俺たち病み上がりだし」
疲労と衰弱から元気を取り戻してきたアントニオさんが最後の抵抗をした。同じ境遇のミックさんも一抹の期待を込めて見ている。
「私が殺した牛は私のものだ。料理を選ぶ権利も私にある」
「そういうものなんですか?闘牛って」
「ダリアルールだ。逆らってもいいが、ケツを刺すぞ」
「そんな強情なところも素敵だ」
くっ、とアントニオさんは奥歯を噛みしめて、ナイフとフォークを握りしめた。
木の皿に盛られたステーキが次々と各テーブルに運ばれている。
ダリアさんは、肉汁を使ったグレイビーソースを肉とマッシュポテトにかけて、塊のようなステーキを、分厚くナイフとフォークで切った。するとミディアムに火の入った、脂肪のほとんどない赤身肉が現れる。
彼女は大きく口を開けて、フォークに突き刺した肉塊を運ぶ。
笑顔でもぐもぐと噛み、飲み込んで、赤ワインを傾けた。
「固い!」
だから言ったのに、と皆から無言の声が聞こえる。
1頭700㎏が6回。
4.8tもの牛肉があるのかと、ぼーっと考える。
まあ当然、全部が全部フィレやサーロインではないし、食べられない部位もあるだろうから、そう単純にはいかないのだろうが。
闘牛によって仕留められた牡牛は、解体場へ運ばれて食肉となる。そして近隣のレストランなどに卸されるそうだ。
皆に振舞われているステーキは、日中元気に走り回っていた牡牛たちだが、こう料理になってしまうと、それはやっぱり食べ物にしか見えない。
血と砂にまみれたあの姿は、蜃気楼が見せた幻だったのじゃないかと、すでに遠い思い出のように思える。
だが確かに生きていたのだ。牡牛たちは最後まで人間に抵抗している。
アントニオさんは最初から"川の怪物"のナイフで薄く肉をスライスして食べている。
少しだけ頑張ったローマンさんは諦めていて、ついでにアントニオさんに切ってもらって、ソースと共にパンに挟んでいる。
ミックさんはステーキと格闘し続けているが、最初に比べて肉片が小さくなってきている。
皆は顎の筋肉を追い詰められつつ、それでも食器を置かない。
僕も最後まで戦うべきだった。今ばかりはこの鎧が鬱陶しく思える。
机に突っ伏している木こりの前には手付かずのデザートが置かれている。鼾をかいている彼らから、さくらんぼがたくさん乗ったチーズタルトを集めて、円形に再錬成したイザベルさんは、ダリアさんと向かい合って座った。
メサさんへ威嚇を飛ばしていたアイシャさんもいつの間にか捕まって、それからは大人しくしている。借りてきた猫のようだ。
「ねえ、こういうのはどう?自画像」
「イザベルの絵を描いてくれたってこと?」
「違う違う。男が自分の顔を2m四方くらいのキャンバスに描いてきたんだ。離れている時も君が寂しくないようにって」
「気持ち悪い。手が込んでる分だけ嫌ね」
そう言って、ダリアさんはタルトにかぶりつき、ワインを煽った。アイシャさんが空いたグラスにワインを注いでいる。
「じゃあ私の番ね。妊婦服」
「うオエェ。その男マトモなの?」
「顔は良かった。でもそれ以外はダメだったから。死体になってくれた方が害がなかったかも」
ギャッハッハ、と笑ってイザベルさんはワインを煽る。
ふたりは、これまで男性からもらった気分の悪くなるプレゼントを言い合って、吐き気がしたらワインを一気飲みするというゲームを続けていた。
「女同士の最悪の吞み~10年来の悪友篇~ってところですね」とはメサさんの談である。
個室で話すような内容を大勢いる場所で、それも大声でしゃべっている。あの席以外は通夜のようになっているのは、宴会が終わりかけという理由だけじゃない。
関わりたくない。
「じゃ、最高のプレゼントは?」
「コレかな」
イザベルさんは胸元に光る赤い宝石を摘まんだ。
ちょっと僕トイレ、と言って席を立つ。
「誰よりも速く動けるようになるし、売れば一生遊んで暮らせる」
「へえ、凄い。誰から貰ったの?」
イザベルさんは僕の方へ顎をしゃくった。反射的にビクッとする。
「おいヘイト!ちょっとこっちこい」
「僕トイレ」
「お前しないだろ!!」
まずい間に合わなかった――!
ダリアさんに手招きされる。
嫌だ。こっちのテーブルにいたい。とても行きたくない。闘牛場へ向かうより嫌だ。同じ席の男共は誰もこちらを見ない。仕方なく向かう。
「何でしょう?」
「座れ」
「押忍……」
椅子を引いて座ると爪先が何かを小突いた。ちらと机の下を見ると、ワインの空き瓶が3本転がっている。敵は臨戦態勢を整え終わっていると知った。
「おい、私にはないのか?プレゼント」
「あぁ、ええと。それはイザベルさんが、何というか勝ち取った物で、僕があげたわけじゃ……」
「君が必要だ、って耳元で囁いて、私の首にかけてくれたじゃない。あの夜に言ってくれたことは嘘だったの?」
「ッ!?ヘイト様どういうことですか。イザベルとそんな関係に……」
「アイシャさん、真実はタルト一切れ分くらいしか含まれておりません。誤解ですからね?」
「罪な男だね、ヘイトは。アイシャに、メサに、イザベル。それに私だろ。誰が好きなんだ?」
「僕は自分が嫌いです」
「そんな話してないだろ。ふざけてるとぶっ飛ばすよ」
「ヒィっ」
たすけて、と視線を送ると、ローマンさんはうなじを掻きながら明後日を向き、ミックさんは拳銃のメンテナンスを始め、アントニオさんはこちらに中指を立てている。
僕に仲間なんていないんだ。
話題を、話題を変えなければ。
「で、どうなんだ?」
「……ダリアの闘牛すごかったですね。流石はマタドール」
「大事故みたいな話題転換だな。
――まあそんなに話したくないならいいや、私はマタドーラじゃないよ」
「え?」
「まだ助手。まあ、いつか必ず、満員の観客の前で赤いムレータを振ってみせるけどね」
闘牛士にも位があるのか。彼女はメインを張れる花形ではなく、まだその助手だと。
今日の闘牛でいうと、最初に牡牛を誘っていた3騎や、僕のやっていた銛打ちが役目だ。
「怒れる牡牛の前に出て、恐くはないのですか?」
アイシャさんが純朴に質問をしたので、ダリアさんの注意がそちらへ行く。
「ん?そうだねえ。私が牛に感じているのは、尊敬と、感謝だけかな」
ダリアさんは目を瞑り、ワインを少し含んで、
「危険なのは分かってる。牛には闘牛士を殺す権利があるからね。殺されてやるもんか、ぶっ殺してやるって思ってるに違いない。もしもの時は助けが入るけど、普通に死は走ってくる」
「じゃあ何で闘牛場に立つの?」
イザベルさんが微笑を浮かべながら聞く。
「ううん……ああいった場所がなくなる方が恐いからかな。人間の残酷さが露わになる場所がさ。いつか、人間が動物を、他の命を殺さないと生きていけないってことを忘れそうで」
彼女は視線を机の上に落とし、食べかけのタルトをフォークでつつく。
「家畜は生まれて、給餌されて、絞められて、食卓に並ぶ。眼の前に出てくるのはキレイになった肉。そう思った時、私は肉が喰えなくなった。気持ち悪くてさ」
「残酷さが抜けていることに、気分を害されたのですか?」
「そう、そうなんだよ。アイシャの言う通り。
汚いことに対する憎しみが残酷さを一掃しようとしてる。でもそれは蓋をして、覆い隠そうとしているだけ。人間が持ってる殺し屋の気質は無くせないし」
闘牛の話を始めてから、彼女の目はしっかりと焦点を結んでいる。伊達や酔狂ではないのだろう。
「自分の身を晒しながら牛を仕留めるようになって、また肉が喰えるようになった。命に対して、尊敬と、感謝と、公平さを取り戻せた気がしたから――――
私はそんなマタドーラでありたいと思うようになった。他の命を奪うことを、覆い隠していたくはない。
だから堂々と、光の衣装を纏って戦う。牛の憎悪を受け止めて殺す。
自分の存在に嘘を吐くことは御免だね」
ダリアは目線を上げ、微笑みを浮かべ、真摯な瞳でこちらを見た。
ほんの一瞬そうしたあと、ふっと雰囲気を緩める。
「って、まあそれで大怪我して、気付いたらカミサマの前に居て、そんで魔物と闘牛さ。ねえ聞いてよヘイトぉ。固いツノがね、柔らかい私のナカにさあ」
「やめてくださいやめてくださいお腹とか肺とかに刺さったんでしょ。想像するだけで痛い話はやめてください」
笑い声と共に、夜は更けていく。
僕とは何もかも正反対な彼女は、これから頼れる仲間になると、そう思った。
数日後、この街の領主から使者がきた。
呼び出しだ。
なんだろう。怒られる。思い当たる節が……
多すぎる。
街の中央、領主館の一室へ向かう。
「あ、アレホさん。お久しぶりですね……」
いつか会った騎士だ。しかし再開を喜ぶような雰囲気ではないと感じ、言葉尻がしぼむ。
アレホさんも緊張しているような、いや、これは、不安か。
セフェリノさんの表情も固い。
「ヘイト様、ご足労をおかけして申し訳ありません。ご相談がございます。ディマス伯爵のことを、憶えていらっしゃいますか」
「ええ、それは」
3月ごろだっただろうか、髑髏公、と呼ばれ、騎士団を率いるディマス伯爵と共に大規模侵攻作戦を戦った。そういえば来月にもまた、大規模侵攻が始まる。
「実は、そのディマス伯爵が王都で足止めをされています。ヘイト様には、伯爵を王都から出す手助けをしていただきたい」
「すみません。話が見えないのですが……」
アレホ、とセフェリノさんに呼ばれたアレホさんは、僕に紙を渡してきた。メモのような、短い手紙だ。書きなぐったような文字と、ディマス伯爵のサインがある。
君に出す手紙がこのような形になってしまい、残念に思う。
騎士団は王都で嫌疑をかけられ、捕らえられた。
遠からず処刑台に並べられることになる。
我が騎士団を助けて欲しい。
恥を忍んで、君に頼む。
ヒル。