紅蓮の章 優秀な秘書は外堀を埋める
「ふぅ、全くとんだ無駄足だった。お祖父様にも困ったものだ」
私はお祖父様の屋敷を出た後、そのまま仕事が残っていたため自身のオフィスに戻った。
「あら、レイナード様。本日はこちらにお戻り予定は無かったはずですが……」
声を掛けてきたのは、長年私の仕事の補佐役として重宝している秘書のクレアだ。私が戻らないと言ったためか、いつもはきっちり纏めている金色の髪をゆったりと背中になびかせている。
「あぁ、その予定だったんだが……お祖父様の病気のせいで、急遽片付けなければならない仕事が増えたんだ。すまないが、クレアにも色々と手伝って欲しい」
「それは構いませんが……何かありましたか? お顔が優れませんよ?」
心配そうに見つめてくるクレアに私は苦笑いをしながら、先ほど屋敷であった出来事を話した。
「……というわけで、出発までに例の役員会の日程を早めて、後は次シーズンに合せた製品の見積もりと、あぁ私が向こうから参加できる定例会の発足も必要だな。こちらでの割り振りはクレアに一任するとして……向こうでは適任者がいるのだろうか?」
「少々お待ちください、レイナード様。こちらのことは私に一任するということは、私は共に日本に連れて行ってくださらないのですか?」
先ほどよりもさらに顔を歪めた彼女を見るのは珍しい。いつも美しい顔を微動だにせず、淡々と物事を取り仕切る姿ばかりだったからな。流石に1人で取り仕切る事が不安なのだろう、ここは安心させなければな。
「すまない、クレア。私が日本に行っている間、君のような優秀な人間がこちらで取り仕切ってくれないと、様々な部分で仕事が滞ってしまうのだ。大丈夫。君は私が1番信頼のおける部下だ、きっとやり遂げてくれると信じている」
ポンと彼女の肩を叩くと、何やら怨みがましい目が向けられた気がしたが、すぐにいつもの無表情に戻る。どうやら分かってくれた様だ。
「……仕事の件は承知いたしました。因みに先ほどの話では従者を1人連れていくとの事ですが、一体どなたをお連れするおつもりですか?」
「あぁ、特に考えてはいなかったな。基本的な事は自分でできるので、適当に世話ができる人物であればそれで良いのだが……今のメイド達から選ぼうと思う。家事全般を行なってくれれば助かるからな」
「!!! それは、行けません! 知らぬ国で男女2人なんて、いくらメイドと言えど醜聞のもとです! せめて男性がよろしいかと」
今度は怒ったような顔で珍しく慌てて話すクレアを見て納得する。確かにそうだ、遠く離れた国とは言え下手な醜聞は避けたい。流石は優秀な秘書だ、女にしておくのが惜しい。
「クレアのいう通りだな、連れていくのは男性にしよう。まぁ特にそこは気にしなくて良い。セバスにでも頼んで適当な人物を見繕ってもらうさ」
「くれぐれも、くれぐれも醜聞にはお気をつけください。あちらの女性は成人しても随分若々しくて、奥ゆかしく、人を惹きつけるのだとか……。最近では歳を重ねても見た目が衰えない『美魔女』という言葉も聞き及んでおりますから……それに」
何やら随分日本について詳しく語る彼女に驚くが、やはり女性というものは国内外問わず、美というものを追求するのだろうか?様々な日本についての注意事項を受けて、思わず感心してしまう。なるほど、これは商機になりうるな。
「ありがとうクレア。君のおかげで日本についてよく分かった。それほどまでに女性が素晴らしいのであれば、おそらくその秘訣を調べれば我々の商売にも一役買ってくれるだろう! よし、向こうに着いたら早速その『美魔女』とやらに会ってみよう」
「っち、ちが! いえ、そうではなくて……!」
「はは、分かっているさ。クレアもその秘訣が知りたいのだろう? 案ずるな、その秘訣が分かれば1番に伝えるのは君だ。その時は手配や書類の作成云々を頼むぞ」
目に見えた商機に少し気分が高揚し、残っていた仕事に取り掛かる。クレアは何やらブツブツと呟いていたが、ハッと顔をあげたかと思うとカタカタとパソコンに向かった。どうやら私の言葉に納得してくれたようで何よりだ。
そこから数日間、私はとにかく仕事に支障を出さないよう、ありとあらゆる想定を行い、様々なことを行なった。どうやらその間、我が弟達は揃って日本について勉強しているらしく、たまの食事で顔を合わすと日本特有の挨拶や言葉を披露する姿が微笑ましかった。
「そういえば、レイナード兄様はどなたを日本に連れて行かれるの? やっぱりクレアかしら?」
私に勉強した成果を見せてご機嫌な妹がワクワクした顔で聞いてくる。あぁ、我が妹ながら何て可愛いのだろうか……。
「いや、彼女はこちらで私の代わりに指揮を取ってもらうよう頼んだ。まだ決めてはいないのだが、セバスに見繕うよう頼んでいる」
「えっ!? 兄様まだお決めになってないの? もう出発まで日がないのに……私、てっきりクレアが一緒だと思っていたわ」
あぁ、驚いた顔も何と可愛いのだろうか。この愛らしい天使としばし別れる事が辛い。私が『まぁ、そのうち決まるだろう』と言いながらローゼの髪を撫でていると、横からティアハルトが心配そうに声を掛けてきた。
「兄上、本当に大丈夫ですか? クレアを1人にして……」
「なに、彼女なら心配いらない。あれだけ優秀であれば私がいなくとも滞りなく進めてくれるさ」
はははを笑う私に『そういう意味ではないのですが』と言いにくそうにする弟。確かに心配する気持ちも分かるが、その為に今も様々な仕事を引き継いでいるのだからな。本当に気の優しい弟だ、あぁ、こうやって食事ができるのも後数日か。それだけが辛い、この天使達に1年間も会えなくなるなんて……。
思わず私の目からツゥーっと涙が流れ、それを見た弟妹達がぎょっとした様子で慌てて駆け寄ってきた。
「兄様! どうしたの、どこか痛いの? やっぱりクレアと離れるのが辛いんじゃ?」
「兄上、無理なさらずに今からでもクレアを連れていくようにセバスに相談なさっては?」
弟妹達が思い思いに心配してくれる。本当にどうしてお前達はこんなにも優しく愛おしいのだろうか、ただ何故かクレアの名前が出てくるのが不思議だが……セバスに相談か……そうか!相談だ!!!
ガタッと立ち上がった私は弟妹達に『セバスと相談してくる!』と言って足早に食事の席を後にした。その様子を見た弟妹達が嬉しそうに手を取り合ってる姿を見てなど気づきもしなかったのである。
「セバス! セバスはいるか!」
「はいはい、坊っちゃま。下におりますよ」
いつも父の執務室で散らかり放題の部屋を片付けているセバスは、何故かソファの影から這うように出てきた。
「……何をしている?」
「いえ、旦那様が今フィーバー中との事で、毎晩遅くまで執筆されいるようなのです。その内の一枚がほらここに」
どうやら父が書き殴っているらしい書類が、言葉の通り部屋に散乱しているそうだ。自分で書いているくせに書いた紙を無くしてセバスに探させるとは……何と情けない事か。セバスが腰を少し痛そうに支えながら立ち上がるのを見て、さらに胸が痛む。
「父上が迷惑をかけてすまない。その、腰の具合は大丈夫か?」
「えぇ、ご心配なく。この老いぼれは大旦那様と一緒に培ってきた、強靭な足腰がございますから。ほら、この通り!」
勢いよく背を伸ばすセバスだが、『はぅ!!!』と言って腰を押さえ直す。
「無理するな、ほら少しソファに座った方がいいぞ?」
「坊っちゃま……。ありがとうございます、では失礼ながら掛けさせていただきますね。よっ、と……。そう言えば私を探しておられましたが、例の従者の件でしょうか?」
「あぁ、それもあるが……それよりも、やはり1年もの間愛しい弟妹達と離れるのは辛すぎる! せめて一ヶ月に一度ぐらいは定期的に会う方法はないか?」
やれやれと座るセバスは私の提案をふむ、と頷いている。そしていつものように笑顔を見せる。
「坊っちゃまのご兄弟の執着は相変わらずですな、そんな事では婚期を逃しますぞ」
「……相変わらず毒は健在だなセバス。その毒をもう少しお祖父様に与えてやってほしいものだが」
私が苦笑いで肩を竦めると、『大旦那様に毒は聞きませんからぁ』ととぼけたフリをする。全く、あちらが狸ならこちらは狐だろうか。
「それで、定期的にご兄弟にお会いになるという事ですが、可能です。というより、大旦那様から伝言を預かっておりますので、こちらをご覧いただければ納得されるかと思いますぞ」
セバスが伝言ですと言って懐から白い紙を取り出した。私はその紙を受け取り思わず『あんの狸じじい!』と呟いてしまう。
▲▲▲
我が孫レイナードへ
言い忘れておったんじゃがの、ほれお前の仕事はどこでもできるじゃろ?
だからお前は日本各地を巡りながら好きなものを見つけるのじゃ。
ほれ、他の孫たちみたいに学校には行けない分、お前にはサービスして色んなところを巡れるようにしてやろう。どうじゃ?嬉しいじゃろ?ふぉふぉふぉ
ついでに、従者に迷っとるお前にワシの腹心セバスを貸してやるぞい。ヤツなら日本に詳しいからの、色々と各地の名物を案内してくれるじゃろて。良かったのぉ。
仕事を頑張る孫へのごほーびじゃ。
P.S.
向こうに行ったらクレアに定期的に連絡した方が良いぞ。贈り物とかで機嫌をとるのじゃ。いいか、絶対じゃ。
▲▲▲
何が『嬉しいじゃろ』だ。全く、またしても予期していない事を言い出すのだからあの人は!ムカムカと苛立つ自分を抑え、ふともう一度紙に目を通す。
「セバス、お前が私と一緒にくるのか? それに日本に詳しいとあるが……」
「えぇ、坊っちゃま。私は日本人ですから。大旦那様にお会いする前はずっと日本で暮らしておりました」
衝撃の事実に思わずセバスを凝視する。お祖父様と比べると随分小柄だと思っていたが、よく考えれば一般的なこの辺りの老人よりも小柄かもしれない。歳をとった姿しか知らぬから、元の顔立ちが想像できない。
「それでですね、先ほどの坊っちゃまのご要望ですが、大旦那様の言う通り各地を巡るついでに、定期的にご兄弟のお住まいの地域へ行けば、お会いになることが可能かと存じます」
「おぉ! なるほど! 確かにそうだ! すまない、セバス。別の事に気を取られていた。そう言う話なら、お祖父様の提案もやぶさかでは無いな」
ふむ、悪く無い。移動は少々面倒だが、現地に詳しいセバスと何より弟妹たちに会える楽しみがあるのにホッとした。
「そう言えば、最後にクレアのことが書いてあるが……。お祖父様まで仕事の心配なのか? そもそも心配ならこのような提案をしなけれ良いだろうに」
全く持って迷惑だと憤る私に、セバスはやれやれと首を振る。
「どうやら坊っちゃまが春を知るのは随分先のご様子ですな」
レイナードは超シス・ブラコンです。そして自分しっかりしてる系のド天然です。とにかく弟妹以外に興味がないので、色々と残念すぎる彼です。そんな彼の従者はセバス、何と日本人というまさかの事実でした。
ド天然兄様と毒狐セバス。まぁ大人なのでそれほど心配はいらなさそうですね。
それぞれの日本行きパートナーが出揃いましたね。よく考えたら女性がいない……ですが、まぁローゼがいるのでその辺りで補充してください。