桃花の章 日本ってなんぞや
おじーさまがお体を悪くしたって聞いたから、お兄様たちと急いでお見舞いに行ったのだけど、どうやらただのイタズラだったみたい。弱々しいおじーさまの姿にビックリしたのに……もうっ!おじーさまも人が悪いわ!
ぷんぷんとしながら自宅に帰った私は、出迎えてくれたメイドに後で私の部屋にペルルを呼ぶように言いつけた。そのまま部屋に戻った私は、服を着替え、きれいに結われた髪をメイドに解かせる。そして少しゆったりとしたワンピースに着替えると、用意された紅茶をいただく。うん、やっぱりロイヤルミルクティーはたっぷりの砂糖を入れるのが1番美味しい!
私がゆっくり紅茶を味わっていると、部屋の扉がノックされる。
「ペルルストン、ただいま参りました。お呼びでしたでしょうか、お嬢様?」
「えぇ、今日の事であなたに話があるの。どうぞ、入って?」
「失礼いたします」
緊張した面持ちで入ってくるのは、濃い茶色の短い髪に同じく茶色の瞳の私の従者。男のクセに少しオドオドした雰囲気がなんとも情けないんだから。同い年という事で、小さい頃から一緒にいるけど、ティアハルト兄様のヒューみたいな頼れる従者じゃないのよね……まっ、いいわ。だからこそ意味があるのだけど……うふふ。
「あのね、ペルル。今日おじーさまから突然言われたのだけど、私たち兄弟は1年間日本に行くことになったの。ただ、兄弟みんなバラバラの場所で連れて行ける従者も1人って条件があってね? 私、色々考えたんだけど、ペルルを連れて行くことにするわ!」
私がにっこりと笑ってペルルに宣言すると、当の本人はポカンとした顔であまり理解できていなさそうに見える。
「えっ……と、お嬢様が1年間日本に? それに僕も一緒ですか……? 僕、まだ従者になったばかりで、お嬢様の身の回りのお世話も何もできない……です。そ、それに男なので、その、四六時中一緒というのはマズイいんじゃ……」
「あら、大丈夫よ? 私はペルルを男性として見ていないから。それに、衣食住はあちらのホテルになるそうよ。私とティアハルト兄様はまだ未成年だもの、その辺りは考えてるっておじーさまが仰ってたわ」
「だ、男性として見てない……。そ、それじゃあ、何のために僕が一緒に行くんですか?」
何だか酷く辛そうな顔をしているけど、どうしたのかしら?別にペルルのお世話なんて当てにしていないから、気にしなくていいのに……。っとと、ペルルを選んだ理由ね!ここが大事!
「もちろん、貴方が1番気心が知れていて頼りにしているからよ? 後は……」
「後は?」
「一緒に学校に通うためよ! 学校……なんて素晴らしい響きなのかしら。まさか私が学校に通える日が来るなんて思わなかったわ!」
うふふと踊り出しそうな私に、ペルルがまたポカンとした顔をしている。
「お嬢様が学校に? よく許可が出ましたね? 日本の学校はそんなにもセキュリティが高いのですか?」
「さぁ? 特には聞いていないわ。だけどおじーさまの命令で行くのだもの、ちゃんとその辺りは考えてくれているハズよ!! 私にもようやく青春の日が訪れるのね!」
まだ見ぬ日本の学校に思いを馳せながら、自分の小さい頃を思い出していた。本当は私も他の兄様たちと同じように、幼少の頃からスクールに通う予定だった。だけど、この目立つ髪色と容姿のせいで何度となく誘拐されそうになった。しかもスクールからは、『他の生徒もいる中で私だけを配慮するなんてできない』と敬遠される始末。両親は仕方なく教師を屋敷に招き、私はずーっと家の中だけで勉強していた。勉強は嫌いじゃないけど、これじゃお友達も恋人も何もできやしないわ!それに……
さっきから難しい顔をしてぶつぶつ言っているペルルを見る。ペルルなら他の教師やメイドみたいに厳しいことを言わないから、私が伸び伸びと青春を謳歌できるはず。それに理由も『学校が不安だから一緒に通える従者が良い』と言えば皆んな納得してくれるでしょ。うふふ、完ペキね!さすが私。
「よほど嬉しいんですね、お嬢様。僕も一緒に連れて行ってくださる事が嬉しいです。精一杯僕がお嬢様をお守りしますね!」
難しい顔をやめて、ふふっと微笑みながら宣言するペルルに一瞬ドキッとした。……何よ、ペルルのクセに。私を守るなんて10年早いんだから!
「でも良かったですね、お嬢様。大旦那様もお嬢様のためにわざわざ日本の学校に行かせてくれるなんて」
「えっ? 別におじーさまは私のためじゃないわよ? 何でも跡取りを決めるために日本に行って1番好きなものを持って帰って来いって仰ってたから。単に思いついただけじゃないかしら? 私とティアハルト兄様は未成年だから学校に通いなさいって事らしいし」
「……それって一大事じゃないですか!? 学校なんてオマケみたいなものじゃないですか! お嬢様、まさか学校に行けるからって、大事な目的を忘れるつもりとか……」
「そ、そんなわけないじゃない! おじーさまも言ってたのよ? 学校にしかない青春があるって。私は存分に学生としての1番好きなものを見つけるつもりよ!」
じーっと疑わしい目で見つめてくるペルルに、私は必殺技を使うことにした。眉を寄せて少し見上げるような顔で、目をうるうるさせる。
「ペルルは私のこと信じてくれないの……?」
「うっ……、っ! わ、分かりました。信じますよ! お嬢様がちゃんと目的を持って日本に行くこと! 分かりましたから、そんな顔しないでください!」
ふっ……勝った!ちょろいわね、ペルル。私は内心ほくそ笑みながら『分かってくれて嬉しいわ』と満面の笑顔で追撃するのを忘れない。私の必殺技コンボを受けたペルルは顔を真っ赤にしながら、落ち着かない様子で佇んでいる。ふふん、これだからペルルを連れて行くのよねー。最後には絶対に言うこと聞いてくれるもの♪
機嫌が良くなった私はウキウキしながら、ペルルと日本に行くための準備について話す。
「まずは、お気に入りのティーセットは欠かせないとして、服が困るわね。あちらはどんな服なのかしら、日本といえば着物?」
「うーん、どうなんでしょうか? 僕もほとんど知らない国ですので……。よく聞くのは、侍や忍者なので女性の衣装はパッと出てきませんね』
「あっ! 私も聞いたことあるわ! サムライってカタナで悪い人を切るんでしょ? しかも自分が罪を犯したらそのカタナで自分のお腹を切るとか……随分と恐ろしい国よね」
「えぇ、特に忍者なんて闇夜に紛れて敵を暗殺するスペシャリストですからね、何でもこの2つの職業のお陰で、日本は随分と悪人が少ないとか」
「うぅーん、話を聞くとあんまり楽しそうな国じゃないけれど……何か女性が好きそうなものとかあるのかしら?」
「そういえば、日本には季節が4つあると聞いたことがあります。ちょうど同じぐらいの感覚で1年が4つに分かれているので、それぞれの季節ごとに花を愛でたり、風景を楽しむらしいですよ。後それに伴って、食べ物の種類も豊富だとか」
「あら、それは楽しみね。こちらは穏やかな気候だけど、ずっと代わり映えしない景色も退屈だもの。けど、食べ物が豊富って言っても所詮田舎の国、あまり味は期待できそうにもないわね。せめて甘いお菓子があればいいけれど」
「そこは仕方ないですよ。あまり気乗りはしないですが、日持ちのするお菓子をたくさん持っていくようにしますか?」
「!! さすが、ペルルね!! もちろん、そうしてちょうだい!」
「でも、1日に食べる量は決めますからね? もし向こうで虫歯になったら治療できる分かりませんから」
「うぅ、確かに。……ダメね、こちらで出来ることを基準に考えてしまうわ。ちゃんと本を読むなり、詳しい人に聞くなりしないと準備すら終わらなさそう」
「んーと、じゃあヒューバートさんにでも聞いてきましょうか? あの人なら何でも知ってそうですし……」
確かに彼なら何でも知ってそうだと思う。私はペルルに日本について調べるようにお願いして下がらせた。私は冷めた紅茶を入れ直しするようにメイドに言いつけ、まだ見ぬ異国の地に思いを寄せる。一体どんな国なんだろう、学校があるってことは文化はそこそこ発展してそうだし、ペルルの言う四季も楽しみだ。だけど、普段からサムライやニンジャが闊歩するような野蛮な国……安全とは言ってもこの国よりも安全なのかしら?
私は期待と不安を入り混ぜながら、ペルルからの報告を待つことにした。
そして翌日、少し顔色の悪いヒューがニコニコしながらペルルと一緒に大量の本を抱えて来た。よく見ると若干ペルルもげっそりとしている。
「ローゼお嬢様が日本のことを知りたいとペルルストンから伺いまして、僭越ながら私からご説明しようとはせ参じました」
「あら、別にペルルに話してくれるだけで良かったのに。ヒューはティアハルト兄様の準備を手伝うのではなくて?」
「お気遣いいただき恐縮です。そちらに関しましては既に完了しておりますのでご心配なく。ペルルストンの話を聞き、どうしてもこのままローゼお嬢様の現状を見過ごす事が出来ませんでしたので……私の勝手な配慮をどうかお許しいただけませんか?」
許していただけないかと言いながら、向ける笑顔が怖い。よくメイドたちがヒューの事を恥じらいながらチラチラと見ているけど、顔が良くともこの笑顔の裏は毒を振りまく似非執事であることを、どうして気づかないか不思議で仕方ないのだけど。しかもこの雰囲気は間違いなく怒ってる。ペルル、あなた、何を言ったの!?
「ええっと、許すも何もそこまでヒューにしてもらわなくとも、ペルルに説明してくればそれで良いのよ? 後はペルルと2人で準備するから」
(さぁ! ここで必殺スマイル!!)
うふっと笑う私に、ヒューもニコッと笑いながら眼鏡をクイッと上げる。
「そうですか、ローゼお嬢様にもぜひ聞いていただきたかったのですが……。仕方ありません、ペルルストンに今からみっっっちりと日本の魅力をお伝えすることにしましょう。良いですね? ペルルストン。貴方が理解できるまで食事も睡眠も取らせませんよ」
「ひっ!……お、お嬢様ぁ」
私の必殺技は効かなかったらしく、怒りの矛先をペルルに向けるヒュー。今にも泣き出しそうな目で助けを求めるようにこちらを見てくるペルル。……だから嫌いなのよ!この似非執事!私が見捨てないの分かって、ペルルを人質に取るんだから。私がぐぬぬと降参宣言をしようとした瞬間
「そこまでだ、ヒュー! 君は本当に何してるの? ごめんね、ローゼ。ペルル。ちょっと色々あって、今の彼は普通じゃないんだ」
バンッと扉をノックも無しにティアハルト兄様が入ってきた。私がきょとんとしている横で2人が言い合い争っている。
「坊っちゃま、ノックも無しにご兄弟とはいえ女性の部屋に入ってはいけません」
「それはそうだけど、それどころじゃなかったでしょ! 全く、ペルルが『日本の侍の強さはどれぐらいですか?お嬢様を守れますか?』とか聞いてくるや否や、そのままペルルを引き連れて行って……というか、僕を置き去りにしたよね?」
「坊っちゃまの準備は昨晩で済んでおりますのでもう良いかと。それよりもこの無知な従者とお嬢様に、早く日本のことを教えないといけないと危機感を覚えまして」
「うん、だからって僕の食事の給仕をやめる必要ないよね。終わってからで良かったんじゃないのかな?」
「いえ、早く動きませんとお嬢様の本日の予定をキャンセルできませんし。それに給仕しなくとも自分でできるようになることも日本では必須となりますし」
「えっ!? ヒュー、あなた私の今日の予定キャンセルしたの? 今日は乗馬で久しぶりに遠乗りする予定だったのに」
2人の会話に思わず口を挟んでしまったけど、仕方ないわ。どうしてヒューに私の予定をキャンセルされなきゃならないの?私が睨みつけるようにヒューを見ると、少し困った顔のヒューが私に向き合う。
「えぇ、キャンセルいたしました。残念ながらお嬢様がこのまま日本に行くと大変危険ですので、どうかご了承ください」
私はゴクリと喉を鳴らす。そんなに危険ということは日本って恐ろしい国なのかしら?ヒューがここまで私のために言ってくるんだものね。……でも、どうやっても私が納得するように先手を打つところが気に食わないわ。
「ヒュー、あんまりローゼを怖がらせるなよ。ローゼ、確かにちょっと知らない部分は多いだろうけど、そんなに気にする必要は……」
「甘い! だから坊っちゃまはモケモンすらも私に勝てないのです! 何度も言っていますように、事前の準備を怠っては勝てるものも勝てません!」
「ちょっ! やめて! 妹の前ではそういうのは困るからっ! 分かった、2人に説明しても良いから、せめて一般的な部分だけにして? くれぐれもコッチ側の話はしないで?」
珍しくキラキラした笑顔じゃない焦った兄様を見た気がする。というか、神童と呼ばれる兄様でもこの似非執事には勝てないのか……。ちょっとショックだわ。私が驚いている間にテキパキとヒューが勉強するためのセッティングをする。私とペルルが黙ってその様子を見ていると、お兄様がため息を吐きながら頭を撫でてくれた。
「ごめんね、ローゼ。だけどヒューが言ってることは正しいところも多いから、少し我慢して付き合ってあげて欲しいんだ。ほら、ヒューが厳しくなりすぎないように僕も一緒にいるよ」
「えっ? ティアハルト兄様も一緒にいてくれるの?」
「うん、そうだよ。ヒューがあまり行きすぎた部分を喋らないように、目を光らせないとね……」
「?」
「さぁ、準備が整いました。お嬢様、ペルルストン。どうぞこちらに。まずは日本の建国の歴史から……」
「いや、そういうのは向こうの学校とかで習うだろうから。ほら、観光のガイドブックとかで良いんじゃない? これならローゼ達も楽しく話が聞けるでしょ?」
そう言って兄様が見せてくれた色とりどりの写真が載ったガイドブック。これがとても面白くて、綺麗ですごく驚いた。ペルルと『田舎の国』って話をしてたけど全く違う……うん、これじゃヒューが怒っても仕方ないかも。
「仕方ありませんね。ではせめて日本語を覚えましょう。向こうでは私たちの言葉を理解できる住民は皆無です。英語も簡単なやりとりしかできません」
「えっ? 英語も通じないの? 写真を見る限りじゃ都会なのに、不便な国ね」
「お嬢様、それは彼らに失礼ですよ。彼らの母国語は日本語、私たちは彼らの国に訪問する立場です。訪問する側が相手に要求するのはおかしいでしょう? 英語は便利ですがそれは幅広い国で公用語とされているだけ。日本は多国語がほとんど混らない国なのです。まずはそのあたりから理解していきましょうか」
そうして始まったヒューの日本講座は意外に面白かった。途中で兄様が慌てる場面もあったけど、ペルルと2人で色々と質問したり、お互いでお辞儀の練習をしたり、最初とは予定が違ったけどヒューから教えてもらって良かったと思う。……一応感謝しておくわ。
なんだかんだで私たちは出発する前日までヒューに日本について教わることになった。
1番心配の2人組の登場です。子供同士で何の知識もない日本に行くことに周囲はヒヤヒヤしています。
相変わらずティア&ヒューのコンビはアクが強いですが、これも大事な妹のため。
なんだかんだで仲のいい兄弟と従者達です。