第3話:尋問
「あー、……どうも、はじめまして」
コミュニケーションは大事だ。たとえそれが身柄を拘束され、酒を飲んで暴れたと言われる男でも。むしろそう行った男にこそ、適切なコミュニケーションが必要だ。
下手を打ってトラブルなんて"死んでも"ゴメンだ。
「そうかしこまんなって。俺は何も、人を傷つけたりはしてねぇ。ただちょっと、……気分が上がって、物を壊してしまったというか、……」
頭髪を後頭部に置き去りにし無精髭を生やした男性は聞いてもいないのにしゃがれた声で事情を話し始めた。
お初にお目にかかった時は、あんなにしおらしそうにしていたのに、今ではもう口が回る。
しかし、酒か。この世界にも酒があるのか。
中々いいことを聞いた。事情の全くわからないこの世界で前の世界と共通の嗜好品があるのはとても助かる。
私自身あまり嗜んだ者ではないが、それでも文字通り孤独に身を置かれた私にとって、いずれ心の拠り所になりうるだろう。
だが、拠り所にしすぎては身の破滅になるというものだ。何と言っても"酒"なのだから。
しかし、やはりどの世界であっても酒に溺れる奴はいるようだ。気持ちはわかるが。
「誰にだってあるだろう? そう言う時も」
「ありますよ。誰しも悩みや憤り、そういった精神に針を刺す感情を忘れられる酒という楽園に足を運びたくなるものです」
「だよな!? いやぁ、話が分かる」
男は独房の中だというのに妙に上機嫌。まだ酒が残っているんじゃないか。
「いやぁ、イかれた奴ばかりの独房は退屈でよ。あんたがきてくれて助かったよ! あんた名は? 俺はゴルドーってんだ」
「野井です」
「ノイって名前か? 中々聞いたことのねえ名前だな」
「よく言われます」
「で、ノイはなんでブチ込まれたんだ?」
俺が聞きてえ。死んだら腕を切られて、気づけば檻にぶち込まれてやがる。
地獄の方が融通が利きそうなもんだ。
「怪しいからだそうです」
「ふーん、……」
そう言ってゴルドーは私の身なりを舐めるように見上げると、
「まぁ確かに、……移民にしたってそんな格好見たことねえな」
「田舎じゃこういうのが流行っとるんですよ」
「ふーん、……まぁ災難だったな。怪しいだけってんなら問題なければすぐ出れると思うぜ」
「おお、本当ですか」
助かった。こんな蝋燭一本で灯を賄う檻なんて二日といられない。
するとゴルドーは突然腰を曲げ、頭を下げつつもニヤニヤしながら、
「で、相談なんだけどよ。あんた移民ならここを出た後、雨風を防ぐ手段をあるのかい?」
「移民ではないんですけど、ありませんね」
するとゴルドーは、してやったりと言わんばかりに口角を上げニッとし、
「そうか! なら俺んとこの宿に来いよ! こう見えても宿屋やってんだ!」
と胸と声を張り言った。
「へぇ、そうなんですか」
「で、その宿屋がちょっと暗いところにあってよ、……客がなかなか来ねえんだよ。それでつい飲みすぎて」
「なるほど」
また、愚痴が始まってはたまったものではない。私は「なるほど」の4文字でパッと流れを断ち切ると、ふっとゴルドーもまた商売人の顔に戻り、
「どうだ? 独房仲間ってことで少し安くしとくぜ!」
と言った。
願っても無い話だ。
今は屋根がある状況だが、ぽんと放り出されては、夜風を肌で迎えることになるのは必至であろう。
「ではその時、お世話になります」
「言ったな!? 言質とったぞ! 絶対だからな!」
「まぁ金はないんですけどね」
「ん? まぁそこは他所で食い扶持を見つけるなり好きにしてくれ」
どうしろというんだ。文化も仕事も交流も何もわかったものではないと言うのに。
しかし、今までなんだかんだコミュニケーションはとれているのだし、何とかなるはずだ。
そう、何とかなるはず、……多分。
「おい、そこの黒いの」
声の方に視線をやると、檻の入り口前に甲冑AとBが立っていた。
先ほどの甲冑さんの声ではないように聞こえたので、別の甲冑さんだろう。
「黒いの?」
「黒いのってノイのこと言ってんじゃないか? おれ茶色だし」
「あぁ、確かに」
甲冑Aさんは檻の鍵を外しながら、
「黒いの。尋問の準備ができた、出ろ」
と言った。
尋問と聞くと、とても聞こえが悪い。ましてやこの異界。一体何があるというのだ。全く見当がつかない。しかしこの状況の打開などできるはずもない。
「では、ちょっと行ってきます」
するとゴルドーは寝転がって、後頭部で手を組み、
「うい~」
と言った。
ゴルドーから緊迫感は感じられない。少なくとも大事になることはないと、ゴルドーは思っているようだ。
私はその思いだけに希望を持ち、檻を出た。
「こっちだ」
この甲冑Aさんは気を遣うように優しく、しかし逃げられないように腕を掴み、歩き始めた。
後ろからカシャカシャと聞こえる音から察するに、もう一人の甲冑Bさんは無言で私の後ろでくっついて歩いているようだ。
「尋問室はどこにあるんですか?」
「すぐだ」
実際すぐだった。檻から離れてすぐのところに、「尋問室」と書かれた木札が壁にくっついていた。
甲冑Aさんは木製の扉をコンコンと優しく叩き、
「ダリヤさん、不審者を連れてまいりました」
と言った。
ダリヤさんか。中々強そうな名前だ。闇魔法とか使いそう。
「どうぞ」
予想とは裏腹に、扉の向こうからは中々に幼い声が聞こえた。
甲冑Aさんは扉を開けると、部屋の真ん中にぽつんと机と椅子が二つあり、ちょこんと頭まで包む黒いローブを着た女性が座っていた。
頭を包んだローブの中には十代、それも後半に差し掛かったあたりであろう程の幼顔がこちらを見ていた。声と顔は中々に一致していた。
「では、ダリヤさん。あとはお願いします。私たちは扉の前で待機しております」
「かしこまりました」
甲冑さんが頭を下げ一礼すると、ダリヤさんも頭を素早くペコッと下げた。
勢い余って頭のローブが少し後ろに外れるが、ダリヤさんはささっと戻した。幼く可愛らしい仕草に少し和む。
甲冑さん達が部屋を後にすると、妙にしんとした沈黙が部屋に流れる。
「どうも」
沈黙に耐えられず、私は適当なコミュニケーションで様子を伺う。
すると、ダリヤさんは頭のローブを外し、にっこり笑った。
「どうもはじめまして。尋問官のダリヤです。座ってください」
声は扉越しで聞いた時よりも気品を感じた。というよりとても丁寧な対応に、驚いた。
私はすでに斜めになっていた椅子に腰をかけ、まずは丁寧な対応を返す。
「や、これは失礼。野井 司です」
「ノイさんですね。よろしくお願いします。では手を前に出してください」
「手ですか?」
「拘束魔法を解除しますので」
「あぁ、なるほど」
私はくっついた親指を机に置くと、ダリヤはスッと私の手に触れ、
「ハクス・オン」
と呟くと、親指同士はふっと離れた。
「おぉ、ありがとうございます」
「いえいえ」
そういってダリヤはまたにっこりと笑い可愛らしい笑顔を私に向けた。
うーむ、やはりここは天国。天使がいるのだから。
「では次は、覚醒成分の検査を行いますので、魔法陣から外れないようにお願いします」
「魔法陣?」
「椅子の下ですよ」
そう言われ私は床に視線をやると確かに、椅子を中心に何やら物々しい円形の魔法陣が白い線で描かれていた。
「これ」
「サーチ・ドロガ」
そうダリヤさんが呟いた瞬間、
「おっ」
ぶわっと、宙に浮く感覚に襲われる。臓物を全部上に引っ張り上げられるような感覚が、一瞬私の全身を襲った。
しかし、本当に一瞬だったので、情けない声と、少しの嗚咽感が残っただけで、特に体に異常は感じられない。
「終わりました、体に覚醒成分、酒気成分等異常はないみたいですね」
「おぉ、おぉ」
慣れぬ感覚に言葉を失う。ジェットコースターで急な斜面を降りる瞬間に似ていた。
あれには随分乗っていなかったが、苦手だということを改めて認識した。もう乗ることはないのだろうが。
「お体は大丈夫ですか」
ダリヤさんは私の様子を見てなのか、優しい言葉をかけてくれた。
慈悲溢れる気遣いだ。皆がこうだったらどれだけいいか。
「少しの嗚咽感以外は、特に」
「あら、まぁ」
そう言って、ダリヤさんは口を隠すように手を当てくすくすと笑う。
この子供のような笑い声と無邪気な笑顔を見せられ自然と私の口角が上がり、雰囲気も和む。尋問中だと言うのに気が緩んでしまう。
「他は何か、検査はあるんですか?」
「いえ、もう魔法による検査はありませんよ。あとはいくつか質問に答えていただければ大丈夫です」
「そうですか」
「すぐに終わりますので、安心してください」
どれだけでも時間がかかっても構いませんよ、なんて言ってみたかったが、脳のフィルターに引っかかったので奥底にしまう。流石に気障ったらしい。
「ではノイさん、あなたはどこからいらしたのですか?」
「地獄からきました」
「魔人でしたか! じゃあ退治しなきゃ」
ダリヤさんはどこから出したのか、右手に15cm程の杖のようなものを持っていた。
ダリヤさんは笑顔のまま、まるで指揮者のように杖を軽く横に振っていた。
魔法のある世界ではあれも一つの武器なのだろう。ということは凶器をちらつかせていることになるのか。
「冗談冗談」
「わかってますよ」
ダリヤさんにっこりしたまま優しく言った。しかしまだ杖は手に持ったままだった。
この軽口は中々この世界に適さない。しかしそう言った性分なのだから仕方がない。
いや、仕方ないでは済まないか。このままではこっちでも早々に死んでしまうだろう。
しかし困った。本当に地獄のような場所から来たんだ。間違った回答ではないのだが、どうやら通用しないようだ。
「それで、本当のところは?」
と言われても、……前の世界から転生してきたとしか言えない。
しかし、この世界は魔法がある程度にはファンタジーだ。転生くらいの一つや二つ、ざらにあるのではないだろうか。
「実は、転生しまして」
「拘束時間が伸びちゃいますよ?」
ざらにないらしい。しょうがない。
「すいません。本当は片田舎から流れ着きました」
このまま続けたところで私がこの世界に来た原因、理由はわかるどころかヒントすら出てこなさそうなので、私はありきたりな事情を述べた。必要な嘘という奴だ。
「そうなんですね、田舎というのはどこのことですか?」
不味い。ここの田舎なんて知るはずがない。しかし、言わねば今度こそ不審者だ。冗談の数を控えておくべきだった。
「え、と……デ、デネブですね」
咄嗟に出た自分が思う横文字の田舎は何故か星の名前だった。田舎どころか、宇宙の外れすぎる。流石に際どいか?
「デネブですか、……存じ上げませんね。方角はどちらの方ですか?」
「東の方ですね、それもだいぶ遠くの」
「そう、ですか。……また調べておきます」
デネブ通った。デネブ イズ ゴッド。
もう見ることがないであろう星に大いなる感謝。
「では、何故帝国にいらしたんですか?」
俺が聞きてえ。が、もういいかこの問答は。
「田舎の情勢が悪く、落ち着いた生活を送るためです」
「なるほど、まぁ今はどこも不安定ですから……」
うまく切り抜けられいるようだ、この流れを絶たないようにしなくては。
「それで、これからどうするおつもりですか?」
そう、それだ。
俺はこれから、どうすればいい。何をすればいい。
何の因果か知らんが、この世界に生を受けた私は、何に向かって生きよう。
また人のために生きるなんて、馬鹿馬鹿しい。かといって自分のために、どう生きる。
「考えていませんでしたね」
「そうですか。因みに今手持ちはいくら程あるのですか?」
「無一文です」
すると、ダリヤさんは杖を机に置き、呆れたと言わんばかりの顔つきで、
「それでは、どう生きていくおつもりですか?」
とため息混じりに言った。
「それは、……」
何もない。あるわけがない。ほんの数時間前にこの世界に来たんだ。コネの一つもありはしない。
あるはずが、……待った。
ある、か。ゴルドーさんの宿屋は一応一つのコネになりうるか。
「知り合いの宿屋に世話になろうかと」
「あら、ちゃんと計画あるじゃないですか。安心しました」
「因みにない場合はどうなるはずだったんです?」
「窃盗や空き巣で生計を立てられかねませんので、更生のために拘束期間が大幅に伸びます」
あの檻で長く生活するなら死んだほうがマシだ。適切な回答ができてよかった。
「まぁ、覚醒成分もないことですし、……大丈夫でしょう」
「と、言いますと?」
「出口までご案内します」
「おお」
どうやら、不審者から一般人にランクアップしたようだ。
不安は変わらずあるが、少しの希望を獲得した。