第9話:「特殊・危険魔法について」
「特殊・危険魔法について」
あぁ、何ともおどろおどろしい響き。別の世界の人間でもこの言葉が、この項目があってはならぬものだと理解できよう。
それほどこのページは、禍々しい。黒一色に白い文字で概要が書かれているのだ。警戒せずにはいられない。
概要を簡単に説明すると、特殊・危険魔法は使い方によっては人の道を外れることになり、場合によっては人として扱われなくなるほどなんだと。
いいじゃないか。
人として扱われなくなるのはもう十二分に慣れたものだ。俺にぴったりだ。
その旨を承諾できる場合は、概要ページに利き手を乗せると使える魔法が自動記載されるんだと。
私は躊躇なく手のひらを黒いページに載せた。
すると本は突然ぱっと光った。だけだった。
この光の意図はわかったものではないのだが、本の変化はすぐに気づくことができた。
最後から数えた数十ページが、真っ黒になっている。
こうなっては胸の高鳴りはそう簡単には抑えられないだろう。私はすぐに最初の黒いページを開いた。
概要と変わらず背景は黒一色、文字は白。魔法の名前は「グリリ・ウマニ」と書いてある。
なんとも特殊魔法にしては拍子抜けな名前だ。ウマニて。
しかし効果を見て、また胸が高鳴る。胸が高鳴るどころではない。手が震える。
この呪文は「痛みを抑える」呪文だ。
魔法は本人以外にも他人にもかけることができ、痛みを抑えるレベルを調整することもできる。
1レベルで10%。1レベルごとに10%ずつ上がっていき、10レベルで痛みが100%抑えられるようだ。
何とも危ない魔法だ。これは確かに危険魔法だ。1ページ目からとんでもない魔法だ。
しかし読み進んでいくごとにまた落胆。
どうやらこの魔法は身体への自動魔法のようで、痛み抑えるたびに発動、その度魔力が必要らしい。
しかも1レベルで必要な魔力は10000ときた。10レベルで20000。
そして自動魔法を掛けるにはどのレベルであろうと百万だ。やってられん。
やってられんが、……ここに記載されているのだ。まさか私は、発動できるのか。
胸の高まりは一向に治らない。唱えて見ないことにはわからない。
確か、……10レベルはテンか。私は胸に手を当て口を開いた。
「グリリ・ウマニ・テン」
体にムカデが這うような感覚が私を一瞬襲う。本当に一瞬だった。それが故に本当に魔法がかかったのか全くわからない。
というよりやはり口に出すと、何とも情けない名前だ。しかも10レベルだからテンだと。
グリリ・ウマニ・テンつって。私もポップになったものだ。
私は魔法の効果を確かめるため、机に思い切り手をぶつける。
ドンと鳴った音は意外と大きく思わずドキッとする。
しかし、そんな音よりも引っかかったのは、奇妙な、それもとてつもなく奇妙な感覚だった。感じたことのない戦慄が私を襲った。
全く痛くない。何も感じない。
だめだ。とんでもない魔法だ。恐ろしすぎる。
こんな魔法がかかっているなんて文字通り人でなしじゃあないか。あってはならない。
あってはならない、のだが。
こんな世界だ、痛い思いをすることなんてたくさんあるだろう。それはもう地獄のような戦争だってあるのだろう。
あっても、いいんじゃあないだろうか。
説明によるともう一度魔法名だけを唱えれば解除されるそうだ。
私は一度[グリリ・ウマニ・テン]を解除し [グリリ・ウマニ・ニン]を唱え直した。
人として痛みが必要なのはわかるが、痛いのは嫌いなんだ。
まぁ少しくらいなら痛みがなくてはと思い9レベルに直した。
痛みを感じることができなかったら気づけば死んでいたなんてことになるかもしれない。
いやぁ、それにしても。
唱えられるもんだ、こんなとんでもない魔法を。それも10レベルだって唱えられてしまった。
すると私の魔力は百万以上を優に超えているということになる。これが天から与えられた贈り物というのなら、喜んで使おうではないか。
私はさらなる危険魔法を覗くため次のページに手をかける。
が、なぜかうまくめくれない。というより手がうまく使えない。
よく見ると指が折れてた。
「あ、あぁ〜」
アドレナリンが底を尽きたのか、ほんのりと痛みがやってくる。
ほんの少しだけ痛い。例えるなら指を少し強めに引っ張っているときくらい痛い。
まぁ、これほどの痛みがくらいがちょうどいいかもしれない。これくらいなら喜んで受け入れよう。
仕方なく左手でページをめくる。
次のページは、植物を急速に成長させる魔法だったのでスルー。
今私が欲しいのはこの不恰好に折れた指を治す魔法だ。
ぱらぱらと用途の分からぬページを何枚かめくると、私の求めている魔法にたどり着いた。
魔法の名前は「サン・ネロ」という口に出したくなるようなものだった。
まぁまぁかっこいい名前だ。しかしかっこいいというだけではない。
この魔法は自分の血をネロ族とかいう特殊な人種の血に総とっかえする魔法らしい。
ネロ族は血はとても特殊なもので、傷の休息治癒、血の凝固化による武器作成等、魔力が許す限り可能にするものらしい。
レベルはなく、魔法を唱えた瞬間私の血はその「ネロ族」と同じ血になるようだ。
ウッキウキで必要魔力を見る。必要魔力が一億だったので私は本を閉じた。
さすがに一億も魔力はないだろう。天もそこまで俺を甘やかさないだろう。
「……サン・ネロ」
気づけば目の前には天井があった。
「えっ」
思わず声が出る。視線が勝手に泳ぐ。私は眠っていたのか?
状況が全く理解できない。何があった? どういうことだ?
とりあえず整理しよう。
魔法は唱えた。一縷の望みを持って唱えた。口に発した。そこまでは覚えている。
そして気がついたら私は仰向けになっていて、天井を眺めていた。その間は刹那に感じたが、外の色は気持ち暗くなっている気もする。一瞬というわけではなさそうだ。
意識を失ったのだろうか。まぁ、この状況を見るにそういうことなんだろう。
「おーいノイ! そろそろ時間じゃねえのか!」
扉の向こうから、突然大きな声が聞こえた。ゴルドーだろう。
「もう14時30分だ! 遅れるぞー!」
まだ時間はたっぷりあったはずだ。私はそんなにも長い間眠っていたのか。
魔力が足りなくて失敗したのか? いや今そんなことはどうでもいい。待ち合わせに遅れてしまう。
そう思ってドアノブに手をかけようとしたそのときだった。そのドアノブに触れようとした手を見て驚愕した。
右手が治っている。折れていた指が、青く腫れ上がっていた右手がまるで何事もなかったかのように。
これは魔法が成功したと捉えていいのだろうか。
「はやくしろー! もう起こさねえぞー!」
扉はドンドンと強く向こう側から叩かれている。壊す気か。
ゴルドーは時間には厳しいお方のようだ。魔法の成功を喜ぶ暇も与えてくれない。
私は無傷の右手でドアをすっと開ける。
もう一発叩こうとしていたのか、右腕を振り上げたゴルドーがあっけにとられたような顔をしていた。
「今行きますがな」
「なんだ起きてたのかよ、……ってお前、そんな目の色だったか?」
「ん? といいますと?」
「いや、目の黒い部分が真っ赤だからよ」
なに? 私は生まれつき黒に近い茶色だ。寝すぎで充血したか。
「んなはずはありませんがな」
「鏡でも見てこい、真っ赤だぞ」
「そんな時間ありませんでしょう。とりあえず行ってきます」
「そうか、城までの道はわかるか?」
曖昧だが、なんとかなるだろう。確か大通りに出てまっすぐだったはずだ。多分。
「ま、なんとか」
「迷ったらまた戻ってきな」
私は少し歩調を早くして宿を出た。空を見上げると青は黒へと染まり始める頃合いだった。
大通りへ出ると相変わらず人が多い。私は人ごみをするする抜けるように小走りで城へと歩を進めた。
城までは10分とかからなかった。10分とかからなかったのだが、ここからが問題だ。
とても大きな城門には、門番が二人。門は開いているのでもちろんそのまま通り抜ければいい話だ。
しかし、ことはそう簡単にうまくいかない気がする。理由は私の格好だ。
見慣れぬ格好。ここにきてから私と似たような服装をしている人間は一人としていない。いや厳密に言えば一人二人いたのだが、それも裏通りの話。
それに見慣れぬ顔。門番が警戒するに違いない。
「おい、そこのお前。軍に何か用か」
門番の一人は私がじっと見ているからか声をかけてきた。声色には警戒が宿っているような気がした。
「あぁいえね、これからここに用になるもので、案内をと思いまして」
甲冑で顔の見えぬ門番は、私をじっと見ている。甲冑で顔は見えないのだが視線は感じる。ついでにもう一人の門番からも感じる。
門番さんたちは顔を見合わせ、少し時間を置くと腰にかかった剣に手をてながら、
「知らんな。そんな報告も受けてない」
「ミラさんに案内してもらう予定があるんですねよ」
「あぁ、お前がノイか」
すると門番さんは剣から手を下ろし、
「失礼したな、少佐は門を抜けてまっすぐ進んだ広場にいる」
「こりゃどうも」
軍からのVIP待遇は中々に優越感。私は肩で風を切りながら舗装された道を進んだ。
少し進んで、一度見た景色にたどり着く。ゴルドーと待ち合わした英雄の銅像がある広場だ。
辺りを見渡し、赤髪を探すが見当たらない。門番が言うにはここで待っているらしいのだが。
視線を右往左往させていると後ろから肩をポンと叩かれる。
「やぁノイ」
聞き慣れた声を鼓膜に感じ私は振り返る。
「あぁ、ミラさんお待たせしました」
「そこまで待ってないよ、……ノイ、お前」
振り返った私の顔を見るや、すっとミラさんの顔色は怪訝になる。
「そんな目の色だったか?」
「ん? えぇ、そうですよ」
違いましたよ、と言って警戒されるのも面倒だ。私は普段通りの声色で陳腐な嘘をついた。
それにしても、やはり目の色が変わっているのは確かなようだ。門番が最初に警戒していたのもこの目の色のせいなのだろうか。
「そうだったか、……まぁいい、城を案内しよう」
「お世話になります」
「しかし、まずはこの広場からだな」
「この銅像についてですか?」
「まぁそんなところだ」
ちょうどいい。前の世界のタバコを持っていた英雄が気になっていたところだ。
「この場所は、……確か今から75年前の魔法大戦争で活躍した英雄の最後の場所だ」
「ほぉ、最後というと、ここで亡くなったんですか」
「歴史書にはそのように書かれている」
「英雄っていうくらいですから、もうエグいくらい英雄だったんですか?」
「それはもうエグいくらい、……おほん」
ミラさんは口に拳を当てわざとらしく咳払いをし、
「端的に説明すると、英雄一人で国を一つ落とせるほどの戦力だそうだ」
英雄というよりは物の怪じゃないか。一人で国を落とせたらそれはもはや人ではなく災害そのものだ。
しかしお国柄というものか。そんな物の怪でもこの世界では銅像一つ建つらしい。
「そりゃすごい。しかし、ここが最後となると英雄さんは戦死したんです?」
「いや、戦死はしていない」
「というと?」
「自殺したそうだ」
なるほど、きな臭くなってきた。戦争の英雄が自殺か。一つの映画になりそうなエピソードがありそうじゃないか。
やはり戦争というのはどんな世界であっても裏が、それも海よりも深い裏があるらしい。単純ではなさそうだ。
「それはまた難儀な。して英雄の名前は?」
「本名は不明だが、その英雄はヤマダとよばれていたらしい」
「……へぇ」
ヤマダ。ヤマダねぇ。何故俺がこの世界に飛ばされてきたのかは、この世界の英雄が一つの糸口になるらしい。
この人間について調べる必要は十二分にあるようだ。
「この人について、なにか詳しく書かれた本はあります?」
「ほう、英雄に興味があるのか。珍しい」
あら、英雄に興味を持つことは珍しいのか。
まぁこの街の情勢を見るに平和は長いこと続いているのだろう。英雄への感謝も人々にはとっくに無いものか。
「まぁ、まぁ。一つの勉強としてですよ」
「英雄についての書籍は軍にあるはずだ、そこもあとで紹介しよう」
「ありがたい」
「では次は、軍人学校に案内しよう」
「えっ」
まいったな。学校は嫌いなんだ。