9:断捨離とは、思い出を心の中に仕舞い直す作業のこと。
どうして私が生かされたのか、とたまに考えることがある。
哲学的だ。だけど、みんな一度は考えたことがあるような普遍的な内容。
こういう問題の問題点は正解がないことだろう。
基本クルクルパーな私は、もう考えることはとっくにやめていて、神様にはエリア担当があると思うことにしている。
自分の担当エリアを持つ神様は、一ヶ月間で助けられる命の数が決まっていて。
たまたまノルマに余裕があった神様が、私の居住エリア担当だったのだ――という感じ。
なんて中二的思想。封印された俺の暗黒左手が疼くぜくらいのアレ。
けれどそうでも思わないと、こんな自分が元気で社会復帰して申し訳ないと卑屈になってしまいそうな時がある。
そうでなければ、あんなに有名な人があっけなく亡くなるはずがない。
あれだけ沢山の人に必要とされていた人格者が。
特殊な技能を持つ人だったのに、重い後遺症を抱えることになるなんて。
そんな気持ちに押しつぶされそうだった日もいくらかあったりしたのだけど、神様のエリア担当説を思いついてからは、かなり楽になった。
たぶん私のエリアを担当していた神様は、もうちょっと私に猶予をやると言ってくれたのだと割り切れるようになってからは、断捨離もはかどるようになった。
私には断捨離において処分が大変だったものが二つある。
服と本だ。
まずは服についてなのだけど、私はちょっとした衣装持ちだった。
その総量、押し入れを丸ごと潰してしまうほど。
衣類にはそれぞれに、買ったとき、着た時の思い出というのがあって、なかなか捨てられない。
なのに、買う。
一番古い服は、高校の頃に着ていたパーカーとスカート。
サイズ的にまだ着れるというだけで残していたのだけど、デザインが若すぎて着れたものではない。
スカートなんて風で舞うようなちょいギャル風ヒラヒラ素材だから、今の私が着て外出しようものなら、公害レベル間違いなし。
お値段的に高かった服も捨てづらかった。
当時の私が支払った金銭に思い入れがあったのかもしれない。もったいない、という気持ちがどうしても強くて手放せなかった。
さすがにこれはマズいと断捨離を進めていくわけだが、ときめかないものを捨てる某お掃除方法は私には合わなかった。
どの服にも思い出があった。ぶっちゃけ、全部にときめいてしまった。じゃあ捨てられないじゃん、という体たらく。
渋々ながら、直近3年間で着ていない服は捨てる! というルールを作った。
あれこれ言い訳をしがちな私には、これが合っていた。
ルール外の特例を一切認めないと厳しく決めて、心を無にして捨てまくった。
そうしたら驚くことに、上下それぞれ15着足らずしか残らなかった。
そして、その結果にがっかりした。
オールシーズン30着で生きる女とか……マジか、と。
さらに言えば、直近2年に期間を狭めると、恐ろしいことに上下それぞれ10着足らずにまで減ってしまったのである。
しかもよく見れば、手元に残ったその服は、着やすいし乾きやすいけど、あんまりときめかないという代物。
人と会う時はベルトやアクセサリーを合わせればOKというシンプルなものであったけれど、言い換えれば、無個性なものでしかなかった。
……在宅で仕事をしているといえ、さすがにこれは……。
呆然とした瞬間、突然プツンと自分の中の何かが切れた。
直近二年間着なかった服を相手に、頭を悩ませるなんてアホじゃないかと。
その日のうちに私は衝動的に10着服を買いに行った。
ネット通販では15着(下着は別で、セット10着)も買い足し、まさに衝動買いの勢いだったのだけれど、あの時の私には大事なことだったのだろうと今は思う。
現在は、シーズンごとに2~3着買い足しながら、直近3年で着なかった服を処分するというスタイルで落ち着いている。
同様に、処分が大変だったもの。本である。
これはもう、本当に本当に大変だった。
結論から言うと、総計千冊にも及ぶ本を断捨離で処分するに至った。
ジャンルとしては、漫画も多かったけれど、文芸ラノベ文庫本も結構あったし、医学看護学専門書専門雑誌もおびただしい量に及んだ。
処分するきっかけとなったのは、下の子の1人部屋作りである。
ちょうど義姉の病死からの断捨離と時期がかぶり、いよいよ本の処分となった頃のことだった。
私は、本だけは絶対に手放さないと心に誓っていたほど、本に執着を持っていた。
理由は単純。本が好きだからに他ならない。
大好きな本を手放したくない。いつでも読めるように手元に置いておきたい。
そう思っていたのだけれど、私の本を置いていた夫の書斎を下の子の部屋にしようと言い出したのは、誰でもなく私だった。
それまでは夫婦の部屋に下の子の机を置いて個人的なスペースを作っていたのだけど、上の子が独立した1人部屋を持ち始めた年齢を過ぎても「自分の部屋が欲しい」と訴えてこなかったことがずっと気になっていた。
下の子は割と気使い屋で、要らん空気まで読むタイプ。石橋は壊れるまで気が済むまで叩いてから、ゆっくりと新しく自分で橋を架ける性格だったので、1人部屋を作るという大きな問題に関してはおぜん立てが必要だった。
「お姉ちゃんみたいに、自分の部屋が欲しいよね?」
と訊いたら、
「私の部屋くれるの、マジで! うそーうそー! すっごく嬉しい!!」
と目をキラッキラさせた日には、本を全部処分することになってもいいや、と案外簡単に腹をくくれた。
前途多難に陥ったのは、その後である。
読み終えた本には、不思議な力が宿っていると思う。
その本を読むことで得た知識や感想が、あたかもその本自体に閉じ込められたかのような、特別な念のようなものがこめられているような気がするのだ。……本当は私の頭や心の中にあって、本そのものには一文字たりとも残されていないと分かっているにもかかわらず。
そんな謎の力を宿した本の量、一千冊。
自分が苦労して蓄えた知識や感想やら――ひいては自分の人生史すら切り捨てる思いをしながらの作業だったけれど、比較的処分しやすい医学看護学専門書から手を付けることで弾みをつけた。
仕事でも使う専門書なのだから、と取ってあったけれど、本当に使う本は数十冊程度だった。
特に看護学生時代に購入した本は、思い出こそ沢山詰まっているけれど、発行年月が古すぎてもう仕事では使えない。
もし私が現役看護師だったとしても、学生時代に使っていた古い専門書をエビデンスに持ち出す看護師のいうことなんて信用しないと思う。
看護師は科学者だと教師たちはこぞって口をそろえていた。
10年20年前の古い知識をひけらかす科学者なんて最悪だ。
だったらまた必要になった時に、その時の最新の専門書を買えばいい。というか、それが正しいはず、と結構サクッと思いきれた。
なかなか処分できなかったのは、看護学生時代の記録の山だった。
授業ノートや演習レポート、そして(本当に)涙でかすれた箇所が残る実習記録たち。
断捨離とは、思い出を心の中に仕舞い直す作業なのだろう。
ダンボール3箱もの記録物の処分ができず仕舞いだったが、つい昨年、断腸の思いでようやくお別れできた。押し入れの天袋の左半分を支配していた物たちだった。
……私が死んだら、これを始末する人は夫か子供なんだよな……と考えたら、死ぬほど拙い文章を読まれることを想像して悶絶し、処分に至れたのである。
もう、卒業証書と看護師免状があればいい。あと、担当患者さんに当てた水銀式血圧計も。
楽しかったことも辛かったことも、先生たちや指導看護師、そして同級生からもらった言葉や担当した患者さんとの会話の記録も、全部の思い出は私の心の中にちゃんと刻まれている。
だからもう、捨てても大丈夫。
何年も思い悩んで、やっとそう思いきれたのが昨年だったのだ。
同様に、漫画文芸ラノベ本の処分は本当に手こずった。
漫画を数冊処分したところで、私は蔵書整理アプリをスマホにインストールした。
思い出を手元でいつでも見られるようにしておけばいい。そう考えてのことだったが、私にはこの方法がとても合っていたみたい。
やり方としては、
・蔵書マネージャーというアプリをスマホにインスト。
・ジャンル別にフォルダを作って、処分する本を都度登録しまくる。
だけ。元来ズボラな私には本当に合っていた。
どうしても処分したくない本だってもちろんあった。
著者様のサイン本なんてまさにそれ。絶対に無理。死んでも無理。
これは本棚ではなく、防虫剤とともにコンテナ式のプラスチックケースに大切に保管し直した。
それ以外にも、何度も読み返しているような本は数十冊だけ本棚に並べたが、その他は全て処分した。
……が、いわゆるティーンズラブジャンルの本に関しては処分すると同時に電子で全て買い直している。
好きだから、という理由もあるが、現在進行形で私自身が書いているジャンルということもあった。
処分しがたい本であっても、新しく買い直すという選択が気軽にできたのが、電子書籍の利点だった。
ちなみに、漫画やラノベでも、処分して時間が経ってから電子書籍で買い直したものがかなりある(たぶん数百冊くらい)
そう言うと、「捨てなきゃ良かったのに。もったいなかったね」と言う人が居る。
正論だし、たぶん正解でもある。
だけど、実本を持つことが限られている今の自分にとっては、電子書籍が正解なのだ。
保管場所を考えず、物欲に任せて無尽蔵に増やせる満足感も計り知れないものがある。
電子書籍は関連本や「あなたが興味がありそうな本」を自動でおススメしてくれたりもするし。
セールやクーポンまであって、「ちょっと気になっていた本」もカートに入れてしまいがち。
子供の頃好きだった漫画や少女小説のシリーズものも、どれだけがっつり大人買いしたことか。
結果的に、以前より購入冊数は多いのに書籍代が減った。
本当なら実店舗で本を購入したいと思う。
けれど地元の書店は、私が引っ越して来たときは個人書店が3つもあったのに、全て潰れてしまった。
最後の一店が潰れたのが5年前。
居抜き的にチェーン書店が後釜に入ったのだけど、雑誌と新刊を除き、特に大型ラノベやラノベ文芸文庫スペースの陳列がぐちゃぐちゃで、本に興味がない店員さんばかりなのかもと思うと、すっかり足が遠のいてしまった。
そんな経緯で、電子書籍を買うのに抵抗がなくなった煩悩の塊でした。
猛暑、酷暑という言葉を経て、ついに災害級という言葉ができたこの夏。
どうか皆様、ご自愛くださいませ~。