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7/10

7:死ぬこと以外かすり傷と言うけど、たぶん真理

 一連の過程で、私は二回手術をした。

 一度目の手術は発症時。

 破れた動脈瘤に医療用プラチナコイルを詰めて出血を止めるという手術をした。

 このとき主治医から、「生活していくうちにコイルがずれたり変形することがある」と説明されていた。人体に異物を入れる限り、脳手術に限らず想定の範囲内のものなのだろうと思う。


 ちなみに私の動脈瘤の大きさは、25mmとのことだった。

(一般的に、5mmを超える動脈瘤が発見されたら、未破裂脳動脈瘤治療と呼ばれる手術を検討するとなっている)


「それは大きいんですか」

 と主治医に聞いたら、

「大きいです」

 と即答された上に、

「ボコボコっと3つも連なったいびつな形もしていましたしね」

 だそうで、「血流が強い場所にできていたし、遅かれ早かれいずれ必ず破裂していた」と断言された。

 のちに調べたら、大型動脈瘤は11-25mm、巨大動脈瘤は25mm以上を指すとのこと(75%以上は10mm未満というデータがあるみたい)


 破裂の経緯について、重症化もしくは死亡する方の少なくない数が「一度目の破裂を見逃している」というお話も聞いた。

 なんだかいつもと違う頭痛がするけど、我慢できないほどじゃないし…薬でも飲んでおこう。

 そんな症状が、実は一度目の破裂の可能性があるそうで、この後かなりの確率で二度目の大破裂に至り、致命的な結果を招いてしまうというお話だった。

 ある日突然、「頭が痛い!」とくも膜下出血で倒れてしまう人の中には、もしかしたら前兆と呼べる一度目の破裂があったかもしれないと思うと、結構怖い話だと思う。



 動脈瘤が破裂した瞬間の、出血方向やその量も予後に大きくかかわるらしく、それらの範囲が比較的小規模で済んだ私はただ、運が良かっただけなのだと強く思わされた。


 緊急入院後、比較的はっきり私の意識が戻ったのは、入院翌日の朝だった。

 その時点で、左手握力の低下や左下肢の麻痺、左目の視力不安定がバッチリと出ていた。

 特に視力については絶不調で、斜めに見えたり二重に見えたり、とにかく「これヤバめだったりする?」な状況だった。

 看護師さんいわく、「視神経に近い場所が出血した影響ですね」とのこと。

「まだ出血の影響が強い状況なので、リハビリをしながら様子を見ていきましょう」

 と励ましてくれたが、結果的に私の症状は後遺症として定着せず、退院前にほぼ回復するに至っている。


 積極的にリハビリに取り組む施設だったことが、とにかくありがたかった。

 入院翌日から「足首ちょっと回しますね~」という簡単なリハビリが開始され、翌々日には理学療法士の先生に掴まって部屋を歩かせてもらえた。

 これひょっとして車椅子で食事できたりしないか? と思いついて、その日の夜看護師さんにたずねると、

「いいですよ~」

 と、忙しい手を休めて車椅子移乗を手伝ってくれた。

 ちょうど夫氏が子どもたちとお見舞いに来てくれて、「ウソでしょ」ってびっくりしていたが、結局10分も座っていられてなくて、ベッドに戻ったのだけれど。

 どこぞのクララじゃないけど、「私、立ったわ!」状態の私は、本当に自分の病状が軽く済んだんだ、と実感した瞬間だった。


 こうなると俄然、一日も早い退院が目標になってくる。

 看護師さんの許可をもらって、ベッドの上で自分でできるストレッチも始めた。

 もちろん、入院生活は休息も重要だ。というか、これが仕事のようなもの。

 私の場合、頭痛と吐き気がものすごかった。

 この頭痛こそがくも膜下出血ではないか、と泣き叫びたいくらいの酷い痛みで、日中の半分以上はベッドで目を閉じて横になるしかなかった。


 それなのに、どうしてこんなにリハビリを頑張ったかと言えば、一日も早く退院したかったからに他ならない。

 せっかく軽傷で済んだからには、一日でも早く自宅に帰りたい。その思いがとにかく強かった。

 いずれにせよ、最長三ヶ月しか入院できなくなった現在の医療システムにおいて、私のように、障害者手帳の申請まで至らない患者は問答無用で自宅に帰るしかない。

 だったらなるべく早く退院して、できる家事から復帰していこう。

 そう決めて、リハビリを進めてもらった。


 入院から2週間経った頃には病院の外を散歩するリハビリが始まり、理学療法士の先生の勧めで、ドライブシミュレーターを使った自動車運転再開を目指したリハビリも組み入れられた。


 さすがに運転とか、無理過ぎでしょ。と思ったんだけど、理学療法士の先生いわく、

「運転するしないにかかわらず、運転免許はあったほうがいいですよ。こういうのもリハビリの一環だと思って、頑張ってみましょう!」

 と、あっはっは! みたいな豪快な笑いとともに励まされたら、

「まあ、ないよりあったほうがいいですよね~。リハビリの種類も沢山あったら頼もしいですしね~。ははっ」

 なんて、かなりその気になってしまって、つられ笑いしか出てこない。


 脳卒中に罹患した人は、主治医の診断書(運転可能と記入してもらう)を提出した上で、免許センターでの適性検査を受けなければ運転を再開してはいけない決まりになっている。

 この申請を怠ったり偽りの申請をして、万が一事故にあった場合、重い罰則が科せられる。

 理学療法士の先生がおっしゃるには、無申請でバイクや車を運転している人が結構いるとのことで、「こわっ!」と思ってしまった。


 結論から言えば私は何の問題もなく、免許証の裏に「運転許可」的なゴム印を押してもらえたのだけど、実態はとてもじゃないが運転なんか考えられる状況にすらなかった。


 まず、最寄の免許センターまで自力で行けなかった。

 自宅から最寄り駅までの徒歩、そして電車とバスの乗り換えも、すぐに息が上がってよろよろと足もとが覚束ない私には難しくて、夫の運転で免許センターに向かった。

 適性検査までの待ち時間も頭がくらくらして、夫に寄りかからせてもらったし、歩いて移動するのも辛くて、夫に手を引いてもらうていたらく。


 ヘルプマーク(赤地に白色抜きの十字とハート)をバッグにつけようと本気で検討していた頃だった。杖の購入にも前向きで、ネットで色々見たりもしていた。

 そんな状態だったけれど、ドライブシュミレーターを使った適正検査はリハビリという名の事前学習が功を奏し、難なくパスしてしまった。

「ここに倒れている小型バイクを起こしてください」

 という指示にも、「よっこらしょ!」で無事合格。


 面接みたいな口頭試問で、「心配も多いから運転するつもりはない」と断言したけど、運転許可はおりた、という流れだった。


 そんな状態だったというのに、あろうことか私は3週間強というスピードで入院生活を終えている。

 いくら軽症だったとはいえ、普通はこうはいかない。

 できるだけすぐに退院したいと訴える私に、もちろん主治医も「うーん」と少しだけ渋り気味だったのだけれど、自宅が病院の近所にあったこと、私自身が医療職であったこと、入院生活やリハビリを問題なくこなしていたこと、合併症の心配や治療中の疾患を持っていなかったことや、毎日夫が見舞いに訪れてくれるなど家族の親身な協力が見込めることも加味されて、脳卒中集中治療室から一般病棟に移ってわずか三日で退院がかなった。


 自主的な療養生活を送ってください、ということだ。

 本来であれば軽症なりに慎重にリハビリを重ねて、後遺症や病状の観察も行った上で、自宅の状態や家族の受け入れ状況を確認して退院とあいなる。


 そのプロセスを駆け足で過ごした私は、当然ながら退院に向けた準備を怠らなかった。

 主治医や病院スタッフの信用あっての退院だったから、そこはしっかりやった。

 退院前に家族に頼んで、ベッドを寝室からリビングに移したり、掴まりながら歩けるように家具を適度に移動したりと急ごしらえで準備をしてもらった。


 我が家のリビングは食卓を兼ねている。

 そんな場所にそれなりの大きさがあるベッドを置くと、かなり無茶苦茶な環境になるのだけど、しばらく静養状態になるだろうという予感があり、そうさせてもらった。

 その予感は当たって、退院後、夕食を作る以外はベッドでほぼ寝たきりで過ごすようになる。


 そんな体調なのに運転許可が下りるとか、今思い返しても本当にビックリだ。

 あれにそっくりだな、と思い出したのは、他人の前でだけ痴呆じゃなくなる高齢者あるある。

 痴呆のチェックをするために医師や介護スタッフがあれこれ質問をすると、その人たちの前でのみ限定的にシャキッと返事ができてしまう、というもの。

 要介護認定が軽めに判定されて家族が困っている、というあるある話なんだけど、私もまさにこれだった。


 極めて短時間なら頑張ることができた。でも、24時間続く日常生活を頑張り続けることは難しい

 運転許可にしても、能力的には問題ないとして主治医も診断書を書いてくれたが、いくつもの小さい問題が積み重なれば、ハンドルを握ろうなんてつゆほども思えない。


 半年後の再手術で劇的に改善して、慣れた近所なら運転だってできるようになって今に至っているのだけど、少しでもいい療養生活を送るために断捨離を進めなければ、と考え始めたのは、そんな事情があった。

 思うように身体を動かせなくなった私は、生活感溢れすぎな以前の家では住みづらくなっていたのだった。

免許センターに行く前に、最寄りの警察署に電話をして手順の確認をしたところ、事前に免許センターに話を通してもらえました(そうしておくといいよ!と理学療法士さんに教わっていた)

その上で主治医から診断書をもらい、免許センターに入りました。

去年、最寄りの警察署で免許更新しましたが、持って行く持ち物に特別なものは必要ありませんでした。

受付の警察官さんに「このゴム印はなんですか」と聞かれたので、「くも膜下出血をしました」と答えたところ、「少々お待ちください」と、警察官さんはどこかに電話を掛けていました。

その後は何の問題もなく、普通に更新手続きができました。

色々な手続きを通して、世の中の仕組みみたいなものの勉強になったな~、と今は思います。知らなかったことばかりで、しかも全部が結構大事なことで、むしろ知らなかったことが恥ずかしいみたいな状態でした。えへへ。

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