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⇒【連載再開ここから】5:番外②お金の話

再開しますm(__)m

 再開にあたって、ざっくりと読み直してビックリした。

 私、ホントに症状がよくなかったんだなあって。

 病後だった当時は、色んな物事に対して、ものすごく深刻に構えていたんだなー、と。


 最後の更新から三年が経過して、思うこと。

 生きていてよかったな~、と。しみじみとしてしまう毎日でした。

 今も、そう。

 生きていたからこそ、「どのツラさげて状態」なのにノコノコと出てきて更新できているわけで。

 死ぬこと以外はかすり傷、なんて言うけれど、ホントそれですね。

 恥はかき捨てみたく、開き直りは絶対ダメだと思うけど、反面では、死ぬことに比べたら……という思いがあります。

 やり直せること。最強ですね。




 前置きが長くなりましたが、そんなわけで再開します。

 再開にあたって、医療費の領収書とか当時のメモとかを確認してみて、まずはこれを客観的に残してみようと思います。

 掃除とか断捨離とかないので、番外扱いです。


 あれから三年が経って、「人生なるようにしかならんわ」を格言(?)に、超絶楽観主義になりまして。

 泣き暮らすより笑っていたほうが気持ちがすぐ上向きますし。

 文章から雰囲気までガラっと変わっているかもしれませんが、改めまして、どうぞよろしくお願いします!






 ……というわけで、いきなりですがズバリ医療費の内訳です。


-----


・入院1回目●2019春:発症、入院(コイル塞栓術)

 ①310,571点

 ②120,395点

 ※いわゆる月またぎ入院で各月での請求が発生。二ヶ月分を退院時にまとめて支払いました。

 ※①②で約2.5倍も請求に差がありますが、健康保険(3割)・高額療養費制度適用後はほぼ同額請求になりました。

・入院2回目●2019秋:検査入院、異常発見:15,780点

・入院3回目●2020冬:再手術(コイル塞栓・ステント留置):279,674点

・入院4回目●2020秋:検査入院:17,409点

 合計:743,829点


-----


 各数値は、保険適応前の診療報酬点数です。

(1点=10円:医療行為の値段は、医療行為ごとに定められた点数をもとに「1点=10円」として計算されている)


 例えば、発症時入院の最初の一ヶ月目である、

①310,571点

 は、健康保険適応前の段階で、310万円もの医療費が私の治療にかかったということです。


 実際は社会保険に加入しているので、

・3割負担

 になった上で、

・高額療養費制度

 を入院してすぐ、夫氏が手続きしてくれたので、自己負担額は上限いっぱいで済んでいます。

(給食費やレンタルタオル・パジャマ代、差額ベッド代といった自己負担は別請求になります)




 入院だけで、総額およそ750万円もの医療費が私の治療に使われました。

 健康保険のおかげで3割で済みましたし、さらに高額療養費制度のおかげで上限以上の医療費を支払わずに済みましたが、つくづくも日本の医療費制度に感謝です。

 もちろん、医療費にはあらわれない、医師先生の手技や治療、看護師さんやリハビリの先生を始めとしたスタッフのみなさんの優しさや強さ、献身に命を救ってもらいました。

 今思い出しても涙が出てくるような、尊く得難い経験でした。


 こういうことは、いざ自分が困った立場にならなければわからないことなのかもしれません。自分の場合はそうでした。

 入院するたびに魂を洗われるようだったのに、もう薄汚れた感が否めない私の低俗さときたら(遠い目)




 ちなみに、差額ベッド代は私の場合ゼロで済みました。

 発症時、ものすごく立派で広い間取りの一人部屋をあてがわれたのですが、治療上必要なものとみなされたようです。


 入院当時、自分が一人部屋にいると気づいて、夫氏に「この部屋、ヤバくない?」と恐る恐る聞いて、「差額ベッド代50,000円の部屋だって」と返答があった時は衝撃を受けたものでした。

 夫いわく、「クモ膜下出血を起こした超急性期の患者さんは、最低3週間、必ずこの部屋に入るから仕方ないみたい」だったのだそう。

 じゃあ、5万円×21日間……? 自費支払いで……? みたいな衝撃。


 超急性期のクモ膜下出血は、合併症が起こりやすく、分単位の観察と急変対応が必要とされる関係で個室なんです、とは、看護師さんのお話。

 ……あとで思えば、あの広々としたお部屋は看取りにも向いていた部屋でした。

 クモ膜下出血は、発症してすぐ亡くなるイメージを持たれる方が多いようなんですが、実際は数週間後に亡くなることも少なくなく。

 その間に、お別れ名目のお見舞いがたくさんあっても対応できるお部屋だったのかも、と個人的に感じました。


 静かなことが何より苦手な私としては、大部屋のほうがよかったというのが本音だったりしたんですが、治療上必要と言われれば「差額ベッド代が恐ろしいことになりそうだけど、仕方ない」と受け入れるしかありませんでした。

 ちゃんと訊けばよかったのですが、結局できず。

 不眠不休で治療看護にあたってくださっている中で訊く度胸がなかったのです。

 訊けば嫌な顔をせず教えてくれるはずとわかっていても、患者の立場になってみれば、できないものだなあとしみじみしました……。


 なので、いざ退院の時、差額ベッド代が請求されていなかったのを見て、「治療に必要だったからゼロ請求だった!」と、ものすごくホッとしました。

 命の話にお金を絡めるのは下劣なことかもしれないんですが、お金の話って大事だと思うんです。

 まして入院中なんて、働くことはおろか、節約だってままなりませんから。




 発症から再手術までの期間、ありがたいと感じたもののひとつに、生命保険もありました。

 ウソみたいな本当の話なんですが、私には、「ある年齢になったら、必ずクモ膜下出血をやる」という予感が子どもの頃からありました。

 クモ膜下出血は遺伝要素がほとんどなのだそうですが、それとは無関係に、自己予言みたいなものだったというか。


 そんなわけで私は生命保険に女性特約を削って、「成人病特約」を比較的手厚くつけていました。

 医療保険の部分もそこそこの額面だったので、入院費の支払いは全額カバーできたどころか、お釣りがきてしまったというオチです。

 通院費も特約がついていたので、病気をしたことでお財布的にはもうけてしまった状態でした。

(主に家事を担っていた私が戦力外になったことで、家計費が全体的に2~3割アップしていたそうですが)


 トータルでプラス勘定になってしまったなんて、不謹慎なことだったな、と我ながら思うのですが。

 夫氏を始めとした家族には泣くほど心配をかけてしまったし(下の子なんて「ママが死んじゃう」とボロ泣きだったそう)、当たり前のことだけど病気なんかしないほうが絶対いいです。

 自分の努力ではどうにもならないこと、病気。あんな辛い思い、二度としたくないです、本当に。






 健康はお金では買えないというけれど、お金は大事、という番外でした。

 春になると毎年、クモ膜下出血をやった当時のことがフラッシュバックして、どっと冷や汗が出てくることがあります。

 あれからいくらか時間が経って、色々区切りをつけたくなった最近です。

 長らく放置状態でしたが、これからは月一くらいで更新していこうと思います。

 のんびりまったりと。秋くらいに完結予定で。

 下の子のお受験がある年なのでバタバタしそうですが、息抜き気分で更新していこうと思います。


 読んでいただいてありがとうございました。

 改めまして、どうぞよろしくお願いします~。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おかえりなさい。のんびり待ってます。
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