4:始めの一歩でつまづくのもお約束
私の入院生活は4週間目で終わった。
くも膜下出血にしては短いほうだろう。
私が強く退院希望を伝えたので、そうなったように思う。
脳梗塞や水頭症といった合併症のハイリスク期3週間を無事に過ぎ、点滴が外れ、次いで服薬も終わった。
リハビリも「あとは体力次第」という段階に入ってしまえば、必ずしも入院の必要はない。
幸い自宅は車で5分程度の近所にあり、頼りになる同居家族が複数いたのも私の強みだった。
「じゃあ週末、退院しちゃいましょうか」
と主治医から許可をもらえたのは、退院2日前のことだった。
「えっ。もう退院?」
夕方、見舞いに来た夫は驚いていた。
「うん、退院しちゃうの。飲み薬もないし、シャワーもひとりでできるようになったし」
「でもまだ、ひとりで散歩とか無理だろ」
心配性の夫である。
ひとりで散歩できることを当面の目標に、その先に社会復帰を見据えて退院するのだ。
上げ膳据え膳の過度な安静生活が社会復帰の妨げになりかねない時期に、私は確実に入っていた。
けれど、夫の心配もわからないでもない。
主治医から「すぐに手術しないと死にますよ」と説明を受けたあの日から、まだ一ヶ月足らずだ。
そして夫の姉は、私と同じ病気で亡くなっている。
義姉との突然の別れから三年が経っていた。
もう三年。まだ三年。
あまりうるさいことを言わない、おおらかな性格をした夫が心配性になっても仕方ない。
――リビングで寝起きしよう。
そう決めたのはこの時だった。
間取りではLDKとなる自宅リビングは、ベランダ側に余裕があった。
そこに療養環境としてベッドを設置すれば、私は移動がラクになる。家族も安心できて、いいこと尽くめに思えた。
そんなわけで、
『セルフ介護ができる断捨離』
という目標を立てた経緯だ。
夫が心配したように当時の私は、家の中を歩くこと以上の体力に自信を持てない時期だった。
だから、退院してもだいたい一ヶ月はベッド中心の生活になるかな、と先のことをざっくりと予想していた。
やたら眠いことも大いにあった。
何しろ脳をやっている。眠ってばかりいたら睡眠リズムが乱れて良くないだろうが、脳の回復に睡眠は不可欠だ。
いっそ割り切って、好きなだけゴロゴロ寝られる環境を作ろうという魂胆だった。
そんなふうに「セルフ介護」などと言い出した時点で、私はきっと、目に見えない後遺症について少しは自覚していたに違いない。
「えええええええ、マジかこれ失語症か!」
と心の中で叫んだのは、退院手続き中のこと。
「……どんだけ頭やっちゃってるの……」
そう恐る恐るしながら、セルフ介護への第一歩として掃除グッズのチェックをしたのが、退院3日後のことだった。
家族がぐっすり眠る深夜、物置部屋として使っていた6畳洋室に私は足を踏み入れた。
どうしても眠れない夜だった。
朝晩無関係に、眠い時は潔く寝るという生活を実践すれば、眠れない夜は避けられない。
そんな時は無理に寝ない。また眠くなるまで起きていようと決めていた。
最低1ヶ月は好きなように過ごすと決めたからには、深夜でも構わず、ゴソゴソと掃除グッズのチェックを開始する。
最後に大掃除をしたのは、去年の春――ちょうど1年前に遡る。
我が家の大掃除専用グッズは、ストックも含めるとちょっとした量になる。
それらは片っ端から大きめのクラフトボックスに詰め込んで、物置部屋の奥に押し込むように置いてあった。
どうにかしてクラフトボックスを引っ張り出し、中を見てびっくり仰天。
詰め替え用洗剤のパックのいくつかから、中身の溶剤が漏れ出て、箱全体がデロデロになっているではないか。
その大部分は既に固まって、埃を吸って黒ずんで、見るに堪えない惨状と化していた。
洗剤のパックが破れるなんて、普通あり得ない。
原因は放し飼いにしているウサギだった。1年前の前回の大掃除の時、ウサギがちょっとかじった跡を見逃して、そのまま仕舞ってしまったのだ。
埃の正体は、家族が自分の荷物を探索した時だろうか、クラフトボックスの蓋を閉め忘れたらしいことにあった。
もちろん、ちゃんと管理していなかった私が悪い。
そもそも、普段使いの掃除グッズと大掃除用のそれを別々に仕舞う必要からしてない。
もっと言えば1年に一度しか使わない掃除グッズであれば、ストックなんて作らず、新しく買って済ませれば良かったはず。
かくして、阿鼻叫喚な掃除グッズの掃除から始める羽目になった。
作業のかたわら、使えそうな掃除グッズを順にメモしていく。
……が、ところどころ漢字はおろか、ひらがなですら書けない文字がランダムに発生する。
失語症としては、社会復帰に支障のあるレベルかもしれない。……失語症だけでなく、見えない後遺症がまだ存在しているかも……。
漢字ひらがなカタカナが入り乱れたメモを眺めると、ますます不安になってくる。
そんな悲観的な気持ちも、「情緒不安定」という高次脳機能障害のひとつとされるから、もうどうしていいか見当もつかない。
とりあえず眠れそうにないのが確かだった私は、「掃除」という漢字が書けず、ひとまず「ソウジ」と記した字を見ながら、同音の「総司」を書いてみた。
新撰組の沖田総司だ。こっちは書けた。脳の病気って本当に不思議。
試しに知っている新撰組隊士の名前を思いつくまま書くことにしたのだけれど、誤変換したみたいに「新鮮グミ」と美味しそうな文字をしょっぱなから書いてしまったので、早々に諦めた。
代わりに「武将シリーズでいこう」と思い立つ。
織田信長は書けたが、豊臣秀吉の「秀」の字がどうしても思い出せず泣きそうになったので、「サル」って書いて飛ばしてしまう。
開き直りすぎて掃除どこいった状態だったけれど、まあ仕方ない。
明かりのない長いトンネルをさ迷い歩くが如く、暗い夜、ひとりでくよくよするよりずっとマシだ。
そうこうするうちに朝を迎える。
メモを見つけた夫に、「豊臣サル吉」って誰、と笑われたけれど、悲しい気持ちはもうなかった。
辞書を引けば「秀」の字も、ついでに「猿」も、ちゃんと書けると分かったから。
「サル吉とかウケるよね」
私は夫と一緒に笑うことができた。