閑話 これは……甘えているんだよな
話し終えた彼女は言い残しがないかと考えている。彼女を見ると、どことなく疲れているように見えた。
目を合わせたらビクリとして、視線を逸らされた。気がつくと彼女が立ち上がるのに合わせて、俺も立ち上がっていた。考えるよりも早く体が動いたのだ。
彼女を捉えると壁際に体を押しつけていた。いつもの体勢になりながら、彼女の顔をよく見る。朝より目の下のクマがはっきりと見えるから、無理をさせてしまったのだろう。右手をそっと頬にあて、目の下を撫でるように指を滑らせた。
いや、違う。仕事以外でも心労を掛けるようなことをしてしまっていたと、改めて思い出した。
そっと壊れものを抱くように抱きしめた。本人は気がついていないようだが、明らかにはじめて会った頃より痩せている。この細い肩に余計なことを背負わせてしまったのだと思った。
「悪かった」
自然と口から謝罪の言葉が滑り出た。
「本当に悪かった」
もう一度、耳元に口を寄せて囁やいた。強張っていた彼女の体から力が抜けるのがわかった。
それから、額を俺に押しつけるようにしてきた。
腕を放せということかと思って少し力を入れて抱きしめた。
そうしたらまた、額を強く押しつけてきた。少し頭を動かして、グリグリという感じに。
あれ? もしかして、甘えているのか? 彼女が?
そう思いついたら、少し力が抜けて左足が下がってしまった。見上げてきた彼女がかわいい顔をしている。ああ、本当にかわいくて、仕事なんか放り投げたくなってしまう。
またも浮かんできた邪な考えを払うように、労いになっていない抱擁を解いて、彼女を解放した。彼女は少し不満そうに俺のことを見てきたが、すぐにグラスを持って部屋を出て行った。
彼女が十分離れただろうと思われるところで、詰めていた息を吐きだした。
「勘弁してくれ。忍耐力を試しすぎだろ」
俺への気持ちを自覚したからなのか、前の彼女なら絶対にしない行動をしてきた。今朝だって、二人きりだし、少しの間なら甘い時間を持ってもいいだろうと思った俺に、仕事モードの彼女は冷水を浴びせてきた。文字通り、スポイトに入れた水を俺の顔にかけてくるなどということをして、公私ははっきりと分けたいと言った彼女がだ!
あんなかわいい行動をしてくるとは思わないだろう。
おかげで今日一日は、彼女のかわいい行動を思い出してはニヤケそうになるという、まったく締まらない一日となったのだった。