146 そういえば、事の始まりの奥志田さんは……
よろけた富永氏に、そんなに力を入れ過ぎたかと思って顔を上げたら、富永氏が困ったように笑っていた。……おかしいな。困らせるようなことはしていないと思うけど。
富永氏は抱擁を解くとデスクのほうへと戻っていった。私もデスクに行き、グラスとペットボトルを持つと「洗ってきます」と言って、部屋を出た。
給湯室でグラスを洗い、布巾で拭いてから本部長室に戻った。富永氏のデスクに置いたファイルを片付けようとそばに行ったら……なぜか目を逸らす富永氏。ハテナと思いながらもファイルを片づけて、このあとどうするかを富永氏に聞くことにした。
「それで、どうしましょうか」
「どう……しましょうとは?」
富永氏は私と目線を合わせずに聞いてきました。
「ですから、説明は終わりましたので、2課に戻りますか? 東田さんたちも待機しているだけでは落ち着かないと思います。あと、お説教が終わって岸本さんたちも戻っているかもしれませんし」
「ああ、そうだな」
と、返事を返してくれたものの、精彩を欠く様子の富永氏に疑問が浮かぶ。本当にどうしたのだろうか。訝しく思いながら富永氏を見ていたら、ふと顔を上げて私のことを見てきた。
「そういえば、奥志田さんが2課を離れることになった経緯は聞いてなかったな」
「そうでしたね。奥志田さんの功績を鑑みて、最初は海外支店への栄転の話が出ていました。ですが、私利私欲で女性の異動をさせたことがわかったので、関西支店への転勤に変わりました。立場は上がりましたけど、すぐに閑職へと追いやられたと聞いています。それと奥様のことですが、奥志田さんには内緒で人事課長と凛香さんで話をしています」
「奥さんは奥志田さんが何をしたのか知っているのか?」
驚きに目を瞠る富永氏。
「ええ。奥様は話を聞き終えて、それから深々と頭を下げたそうです。『うちの主人がご迷惑をおかけいたしました』と。凛香さんたちは、奥様の気持ち次第では離婚の手伝いをするつもりでした。奥様はきっぱりと、『主人と別れるつもりはありません。主人がしたことはいけないことなのでしょう。それでも私には主人を責める気持ちはないのです』と言い切られたそうです」
富永氏は何か言おうと口を開きましたけど、二度開閉して口を閉じました。
「今の奥志田さんは真面目にデータ入力業務をこなしていると聞いています。もうすぐパパになるそうですし、もうバカなことはしないと思います。奥様に頭が上がらないらしいとも、聞いていますので」