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 本当にぎりぎりの瞬間でティアリーゼはシュクルの前に飛び出た。

 背後には縮こまる兄の姿があるのを感じながら、巨大な竜と相対する。


「もう、やめましょう?」


 ぐるる、とシュクルが唸る。

 その喉が大気を震わせた。


「なぜ?」


 この姿でも話ができるのかと少しだけ安堵する。

 同時にうすら寒くなった。

 やはりシュクルは冷静に――人間を殺していたのだ。


「お前は三度裏切られた。なぜ、許してやる必要がある」

「私の家族なの。たとえ、ひどい人でも」

「家族の大切さなど、私にはわからない」


 どうシュクルを諭すかが思いつかない。

 獣の意思は固かった。


「わからないなら私が教えるわ。あなたにも家族をあげる。子供だってたくさん産んであげるから」

「……いらない」


 小さな人間を前にして、竜が退いた。


「私はお前を捕らえたいわけではない」


(……ああ)


 どういう意味なのかを聞く必要はなかった。

 ティアリーゼはシュクルと何度も会話してきている。


「逆らったら殺されると思って、妻になることを承諾しているわけじゃないのよ」


 これだけの惨事を生み出しておきながら、シュクルは怯えていた。

 その証拠に長い尾がへたってしまっている。


「あなたが好きだから、言っているの」


 退いてしまう前に足を踏み出す。

 そして、ティアリーゼは血と煤にまみれたシュクルの首を抱き締めた。


「私もそろそろ倒れそうなの。その前に連れ帰ってくれる?」

「…………いいのか」

「なにが?」

「私は思っていたよりも人間を殺すのが好きだ。今、知った」

「……聞かなかったことにするわね」

「わからない」


 そう言ったシュクルの声はいつも通りに聞こえた。

 そのことにほっとして、ゆっくり息をする。


「帰りましょう」

「……お前がそれを望むなら」


 シュクルが頭を下げる。

 乗れ、と促され、ティアリーゼはこわごわその鼻先から頭の上へよじ登った。

 動くたびに背中が痛んで、歯を食いしばる。

 ぱちぱちと爆ぜる炎の中から、生き残った兵たちがティアリーゼを仰ぎ見ていた。

 その全員に向かって言い放つ。


「魔王を滅ぼしたいのなら、正々堂々と――勇者として城に来ればいい。そのときは、かつて勇者と呼ばれた私も相手をするわ」


 同じ人間だからといって手加減はしない、と言外に込める。

 そうして最後に眼下の兄を見やった。


(道は違えど、人を想う気持ちは同じなのだと思う。だから――)


 この国をよろしくと言おうとしたティアリーゼの目の前で、シュクルがふっと炎を吐いた。


(……え)


 炎が消えたとき、そこにはなにも残っていなかった。

 黒く焦げた炭がいくつか。

 最初から人間などいなかったかのように。


「今が一番、気持ちいい」

「なんてことを……!」

「殺さないとは言わなかった」

「だからって、こんな――」


(……っう)


 くらりと目の前が揺れ、一気に視界が暗くなっていく。

 衝撃が強すぎたのと、いい加減限界が来ていたのとで意識を保てなくなったのだろう。


(人間の常識が通じる相手じゃないんだわ……)


 それ以上は本当に無理だった。

 ティアリーゼは意識を失い、シュクルの頭上に倒れ込む。

 それを察したシュクルは慎重に飛び上がった。

 傷付いた翼をはためかせ、敢えて残しておいた兵に言う。


「白蜥の魔王の所業を末永く語り継ぐがいい。街を焼き、勇者を殺し――この国の姫を攫ったと」


 今度こそシュクルは飛び立つ。

 その姿はやがて遠ざかり、見えなくなっていった。

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