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「私……学習しないわね……」
「喋るな」
シュクルがしっかりとティアリーゼを抱き締める。
いつもはすぐに温かいと感じる腕の中が、今はいつまで経っても温かくならない。
否、ティアリーゼの身体が急速に冷えていっている。
「なぜ……なぜ、ティアリーゼを」
激しく戸惑うシュクルの声がぼんやりと聞こえる。
「なぜ? そいつもお前も憎らしいからだ」
はははと笑う声は本当に兄のものなのか、意識が朦朧としてよくわからない。
「本当に逃がしてもらえると思ったのか? 魔王を殺して――勇者になれる瞬間をどうして諦める必要がある?」
「お前は、勇者になりたかったのか」
「さぁ、どうだろうな。……どちらにせよ、魔王の絶望した顔を見られてなによりだよ」
再び狂ったように笑う声が響いたかと思うと、突如、大地を揺るがすような咆哮が空を割った。
「しゅく、る」
鼓膜が破れそうな、怒りと哀しみに満ちた咆哮をあげたのはシュクル。
――人の出せる声ではない。
「シュクル、だめ」
思わずティアリーゼはそう言っていた。
だが、言ったときにはもう、シュクルの腕の中から放り出されている。
(だめ――)
目の前にいたシュクルの身体が――溶けた。
ティアリーゼは以前にもこれを見ている。
一人は金鷹の魔王、キッカ。
もう一人はティアリーゼを運んでくれたカラスの亜人。
彼らが人の形から鳥の形へ変わるときと同じことが、今、目の前で起きていた。
(シュクル、あなた……)
シュクルが人ならざるものに成り果てる。
月光を弾く白銀の鱗。ティアリーゼの胴体よりも太い腕の先には、人間の身体などやすやすと引き裂けそうな鋭い爪があった。
ご機嫌に揺れていた尾も今は長く太く変わっている。それもまた鱗に覆われていた。
再度、シュクルは咆哮を上げる。
天を轟かせるその声を発したのは、物語でしか聞いたことのない伝説上の生き物。
「りゅ……竜……?」
誰かが震える声で呟いた。
白い鱗と紫の角を持つ竜の姿がそこにある。
(トカゲじゃ……なかったの……)
地に伏したままそう思ったティアリーゼは、巻き上がった熱風にひくりと喉を鳴らした。
先ほどまで咆哮を上げていた喉から吐き出されているのは、燃え盛る炎。シュクルを囲んでいた兵の一部が、悲鳴を上げる間もなく消し炭になった。
(待って……)
完全に獣と化したシュクルはそのまま殺戮を始める。
身動きを取れないティアリーゼの耳に、人々の悲鳴が届いた。
うっすらと視界に入ってくるのは、喜々として人間を狩る獣の姿。
その爪に切り裂かれた兵の断片が目の前にぼたりと落ちる。
「み……見掛け倒しだ! 奴は弱い! 自分でそう言っていたんだからな!」
エドワードの声が悲鳴に混じる。
虚勢を張っているように聞こえるのも無理はない。
そう言っている間にも、シュクルは人間を食い殺している。
ばり、と不穏に聞こえたのは骨が砕ける音。横たわったティアリーゼの手を、流れてきた血が汚していった。
周囲の建物ごと燃やし尽くす炎と、雨のように降り注ぐ人間の体液。鉄に似た生臭い香りが鼻孔を刺激した。
ティアリーゼが凄惨な光景を見ても嘔吐せずにいられたのは、背中の痛みのせいだろう。
意識を失いたくとも、痛みがそうさせてくれない。だが、同時にすべての感覚を麻痺させる。
(シュクル、だめ)
ティアリーゼは心の中でそう訴える。
シュクルは止まらない。タルツの繁栄を表してきた広場は、今や地獄以外のなにものでもなかった。
しかし、兵たちもただの人間ではない。
最初こそ恐怖し、逃げまどっていたが、やがて反撃に転じ始めた。
投げられた槍の先端がシュクルの胴体に突き刺さる。遠くから放たれた矢が、コウモリの羽に似た翼に穴を開けていく。
傷付けられるたび、シュクルは身悶えした。
攻撃こそ激しくとも呆気なく傷付くその姿を見て、生き残った兵たちが勢いを増していく。
自分の鱗を柔らかいと言っていたシュクルの言葉を思い出し、ティアリーゼはかすれた声で叫んだ。
「やめて……傷付けないで……!」




