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「…………どのように?」
(どのようにって……)
まだ、攻撃される気配はない。
純粋にシュクルは不思議に思っているようだった。
軽く小首を傾げながら尾を揺らす姿は、確かに人よりも獣に近い。
「たぶん、剣で刺すんじゃないかしら」
「なるほど」
「もしくは斬るのかも……?」
「お前は力が強いのだな」
「えっ、う、うん?」
(そう来る?)
殺しに来たと言っているにもかかわらず、あまり気にした様子がない。
それどころかティアリーゼに対して感心しているような素振りを見せてくる。
「私はお前になにかしただろうか」
「……あなたはしていないかもしれないけど、魔王なんでしょう?」
「質問の意味がわからない」
「ええと」
(……どうしよう)
どうも調子が狂ってしまう。
感じるのは敵意や殺意ではなく、興味だった。
そして今、ティアリーゼも同じ思いをシュクルに抱いてしまう。
「あなた……私が聞いてきた魔王と違うわ」
「……どう答えればいい? 喜ぶべきか不快に思うべきかわからない」
(もしかしてちょっと変わってる?)
人と違う――というのは身体的な特徴ばかりではないのかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、ティアリーゼは話す内容を頭の中でまとめる。
どこからどう話すべきか、なにを伝えるべきか考えながら。
「あなたは亜人たちに命令して、人の住む場所を脅かそうとしている。違う?」
「違う」
「……でも実際に亜人たちは人間を襲うわ」
「人間も私たちを襲う。違うのか」
「……そう言われると違わないわね。じゃあ、かつて人間のものだったレセントを奪って大陸を統治する権力を手に入れたっていうのは?」
「少なくとも私は知らない。まだ四百年しか生きていないから」
(よんひゃくねん)
いきなり理解を超える数字が出てきた。
平然と話すシュクルに突っ込みたかったが、今はやめておく。
「あなたの前の魔王がやったこと、とか」
「父にも関係していない話だと思う。そもそも、私たちが生きてきた土地に人間が湧いたのだと思うが」
「でも、私は私の先祖がレセントを治めていたと聞いたわ。タルツという名の人間なのだけど……。その方を称えて私の国はタルツという名になったの。知っている?」
「父の代に興った若い国だということ以外はわからない」
(四百年より昔からはあったけれど、せいぜいその程度の歴史しかない国ってこと……?)
「どういうことなの」
もう何度思ったかわからないそれが唇からこぼれ出る。
(……ああ、でもわかった気がする。……たぶん私は嘘を教えられていたんだって)
そう思ってしまった自分に嫌悪感を覚えなかったとは言えない。
それは今までの自分の人生を否定すること。自分が信じてきた人々を疑うこと。
しかし、教えられてきたことが偽りならば、仲間たちの言葉も、勇者が為すべきとされたことへの違和感も説明がつく。
「……あなたは悪い人?」
ティアリーゼの言葉は、他の誰かが聞けば間の抜けた質問だと笑っていた。
だが、シュクルは青い瞳に不思議な光を湛えて、やはり尻尾を振る。
「わからない」
「……あなた、そればっかりだわ」
「答えようのない質問ばかりされる」
「それは……まぁ、私が悪いのかもしれないけれど」
「逆に問うが、お前は『悪い人』か?」
(魔王にそんなことを聞かれる日が来るとは思わなかったわ……)
「もしかしたらあなたを殺すかもしれないし、悪い人かも。あなたの知っている歴史とは違う歴史を真実だと教えられてきたし、今もまだそれを本当だと思ってる――思いたい自分がいる。だとしたら、やっぱり勇者として魔王を殺すべきなんじゃないかって行動してもおかしくないでしょう?」
「どのように私を殺すのかわからない」
(またわからないって言った。……口癖なの?)
今やすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
殺すと言ってもまだそんなことを言う魔王に、どう警戒心を抱けというのかその方がわからない。
そう思っていたせいで、突然の接近を許してしまった。
「ひゃっ」
いきなり距離を近付けてきたシュクルが手を掴んでくる。
爬虫類だからなのか、その手はティアリーゼのものよりずっと冷たい。
「こんなに小さな手では私を殺せないと思う」
「そ、そう?」
「鱗もない」
無遠慮に手のひらや指先を撫でられる。
手の甲も引っかかれ、あまり人に触れられたことのなかったティアリーゼはわかりやすく動揺した。
(なんなの、本当に……!)
勇者という扱いでも、ティアリーゼは姫だった。そんな相手を撫でまわす人間などいるはずもなく。
それなのにシュクルはまったく気にしていない。
そもそも女性を撫でまわしていいと考えている時点でなにかがズレている。
「あなただって鱗がないじゃない」
自分の動揺を悟られないよう、強気に言い返す。
ティアリーゼは逆にシュクルの手を握り返し、同じように触れてみた。
(私よりすべすべかもしれない……)
一種の敗北感を抱きながら、トカゲらしい鱗もなにもないことを確認する。
「……あまり触れないでほしい」
「先に触ってきたのはあなたでしょう」
「それはお前が人間だからだと思う」
「答えになってないわ」
「……そうだろうか」
(……あら)
なぜかシュクルは落ち込んだようだった。
あまり表情には出ていないが、尻尾がへたっている。
(尻尾に感情が出るのかしら。……亜人ってわからない)
「あなたが触った分だけ、私にも触る権利があると思うの。尻尾に触ってみてもいい?」
「気が狂っている」
「どうしてそういうことを言うの」
思わず言い返して、つい気を許し過ぎていることに気付く。
(この人、魔王なのよ)
自分は勇者で、相手は魔王。変わらず敵であるべきなのに、どうもそう思えない。
あまりにも害がなさそうに見えるせいだろう。
「本当に魔王なのよね?」
「いかにも」
(なにかの間違いだと思う)
もっと恐ろしくて、非道で、残虐な獣なのだと思っていた。
それがふたを開けてみればこうなのだから、もうついていけない。
それほど考えることもなく、ティアリーゼは諦めることにした。
現状がこうならば、自分がどうしたって変えられるものではないのだ。
「触るわね」
「…………少しだけなら」
おずおずと尻尾を差し出される。
月光色に輝いたそれは、どう見ても人間のものではありえない。
(……きれい)
そんな感想を抱くのは間違っているような気もした。
しかし、ティアリーゼは構うことなくしゃがんで尻尾に触れる。
手触りは、シュクルの瞳の色と同様形容しがたかった。
柔らかでいながら硬質で、鱗のざらつきを感じるのにひどくなめらかだった。あまり温度を感じないのはシュクルの手に触れたときと変わらない。
「あんまりトカゲって触ったことがないんだけど、普通のトカゲもこういう感じなのかしら」
「……大胆だ」
「え?」
ティアリーゼが声の方を見ると、シュクルが自分の顔を手で覆っている。
(……照れてる? のかしら?)
その行為の意味にぽかんとするティアリーゼの手の中で、白い尾の先がぴろぴろ動いた。
「もしかして気安く触るようなものじゃなかった? ごめんなさい、だったら断っても良かったのよ」
「触れたいと言われたのは初めてだった。だから、許した」
甘えるように尻尾がすり寄ってくる。
不覚にもティアリーゼはそれをかわいらしいと思ってしまった。
「もうちょっとだけ触っていてもいい?」
「好きなようにして構わない。お前にしか許さないから」
「……うん?」
「気に入った」
「なにが?」
「お前が」
そう言うと、シュクルはちょこんとティアリーゼの前にしゃがみこんだ。
長身の割にかわいい動きをする、とまたこの魔王の憎めない部分を知ってしまう。
それはいいのだが。
「私の子を産んでほしい」
シュクルはまったく冗談に聞こえない声音で言う。
しっかりティアリーゼの手を握り、青い瞳で見つめながら。
「…………それ、私に言ってるの?」
理解の限界を超えたティアリーゼが返せたのはその言葉だけだった。