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ティアリーゼは、城下町の広場に引きずり出された。
外は夜だったらしく、満月が煌々と辺りを照らしている。
その柔らかい光の下にたたずむ一人の影を見た。
(……シュクル)
懐かしいとさえ思えるほど共に過ごした魔王は、ティアリーゼが予想した通りに来てしまった。
「本当に来たな」
「いかにも」
周囲を数えきれないくらいの武装した人間に囲まれても、シュクルは平然としていた。
ひとたび命令が出れば、兵たちは容赦しないだろう。
たった一人で来た優しい魔王を、血で染め上げてしまう。
「やめて、お兄様……」
「黙れ」
「っ、く」
強い痛みを頬に感じた。口の中に鉄臭い味がにじむ。
叩かれたティアリーゼを見たシュクルが、ゆらりと振っていた尾の動きを止めた。
表情は、変わらない。
「私はお前の望む通りにした。なぜ、ティアリーゼを傷付ける?」
「こいつを傷付けられるのが嫌なのか?」
「なぜ、嫌ではないと思うのかわからない」
シュクルはその場を動かなかった。
エドワードを見ているのか、ティアリーゼを見ているのか――それすらわからなかった。
「私は、私以外のものにティアリーゼを許したくない」
「はっ、結婚なんて馬鹿げたことを考えるだけあって、ずいぶんご執心だな」
「これ以上、傷付けないでくれ」
(シュクル……あなた……)
シュクルとティアリーゼの間には距離がある。
それでも、悲しいと感じているのが伝わってきた。
「ティアリーゼ」
シュクルはエドワードではなく、ティアリーゼに向かって呼びかける。
「お前は二度も裏切られた。今度こそ、滅ぼしても構わないか」
「それは――」
「できもしないことを言うな」
鼻で笑ったエドワードがティアリーゼの言葉を遮る。
それをシュクルは不快に思ったらしかった。
眉間に軽く皺が寄る。
「お前にそんな力はないんだろう? この女に付けた『虫』で聞かせてもらったぞ」
「…………虫?」
「あなたの話を盗聴していたの!」
「…………なるほど?」
シュクルが考え込んだ素振りを見せる。
ティアリーゼはシュクルから兄に視線を移した。
「力がないと蔑むなら、このまま放っておいて……!」
「どうして殺せるのにわざわざ逃がしてやらなきゃならない?」
エドワードの言葉には笑い声が含まれていた。
そのことにぞっとする。
「昔は魔王を殺そうとしていたくせに。いつからそこまで、亜人の肩を持つようになったんだ?」
「決まっています。シュクルに出会ったそのときから、です」
また殴られる恐れはあったが、ティアリーゼは兄をまっすぐ見つめ続けた。
自分の気持ちが少しでも伝わればいいと願いながら。
「私はあの人が好き。だから敵対していると誤解され続けるのが嫌なの。誰にも触れてもらえなかったなんてもう言わせたくない。そんな世の中を変えたいから、人間と共存できるようにしたかったのよ……!」
血を吐くような叫びはまぎれもなく本心からのもの。
エドワードも周囲の兵たちも黙り込んだ中、言葉を引き継いだのは意外にもシュクルだった。
「私もティアリーゼが好きだ」
春の日差しを思わせる、柔らかく優しい声がしんと静まり返った空気を震わせる。
「誰も必要としていなかった私に触れてくれた。……本当に温かい手だった」
そのときのことを思い出したのか、ゆらりと白い尻尾が動く。
「なにも知らない私に多くを教えてくれた。こんな私でも、誰かを大切に……愛おしく思う気持ちがあるのだと」
「シュクル……」
自分の気持ちをこんなにもはっきり語れていることが、なにも知らなかったというシュクルの成長だった。
しかし、言葉以上にその顔が語っている。
――シュクルは、笑っていた。
「お前たちはティアリーゼを必要としていないのだろう。一度目は供物として、二度目は囮として扱ったのだから。……ならば、私にくれないか。白蜥の魔王の名にかけて大切にする」
ゆっくりとシュクルが頭を下げる。
魔王たる存在が人間にそうした仕草を見せたことが、兵たちの動揺を生んだ。
どれほどティアリーゼを大切に思っているか、シュクルのなにもかもが訴えてくる。
やがて、エドワードが大きく息を吐いた。
ざわつく兵たちを抑え、ティアリーゼに目を向ける。
「愛されているんだな」
「…………はい」
「ここまでとは思わなかった」
おい、とエドワードは兵の一人に声をかけた。
「解放してやれ」
「お兄様……!」
すぐにティアリーゼの鎖が解かれる。
手も足も自由になったティアリーゼに向かって、エドワードは顎をしゃくった。
「魔王がお前を待っている」
「……っ、ありがとうございます」
ここまで助けに来てくれたシュクルのもとへ、一目散に駆け寄る。
ティアリーゼへの想いを行動と言葉で示してくれたシュクルは、軽く手を広げてまた微笑した。
その腕の中に飛び込もうとした瞬間――。
「――っ、あ」
背中が、急に熱くなる。
「ティアリーゼ!」
シュクルが初めて声を荒げた。
足がもつれ、その場に転んでしまう。
その前にシュクルが支えてくれたが、その頃には背中の熱がじくじくと痛みに変わっていた。
(ああ、また……)
ティアリーゼは振り返る。
霞んだ視界に映ったのは、弓を構える兵の姿。




