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 ――シュクルはいつも通り表情を変えなかった。

 ティアリーゼの命が惜しければ魔王一人でタルツまで来いという手紙を、なんの感情も浮かべない瞳で見つめる。


「人間などの言葉に従う必要はありません」

「ならば、ティアリーゼを見捨てろと」


 手紙を届けたトトが息を呑む。

 普段と変わりなく見えても、シュクルは明らかに激情を抱いていた。


「……御身は他に代えられないものです」

「ティアリーゼも一人しかいない」

「人間は――ほんの百年も生きられない生き物なのですよ」

「だからどうした」


 大きな物音がした。

 シュクルが力を込めたせいで、机がひしゃげている。


「そのたった百年を、共に生きたいと思うのは許されないことか?」

「ですが、王」

「どうして放っておいてくれない」


 静かな口調だからこそ、トトは震えあがる。

 彼もまた、シュクルを少々変わり者の魔王だと思っていた。ときおり幼い言動をする、雛のような存在だと。だから自分が補佐として手を貸していこうと――。


「シュシュ!」


 羽音が聞こえたかと思うと、バルコニーからキッカが勝手に入ってくる。

 それを見てトトがほっとしたように息を吐いた。


「俺に連絡してくれてよかったよ。あとは任せな」

「申し訳ございません……」

「いいから」


 キッカの表情は硬い。

 トトがその場を立ち去ると、シュクルにつかつかと近付いた。


「全部聞いたぞ」

「……よく、この短時間で西から飛んでこられたものだ」

「うちの連絡係は優秀だからな」


 いつもは軽口ばかりのキッカが、まったくそうした様子を見せない。

 ひどく、緊迫した空気が漂っていた。


「お前、あいつに言ったのか? 自分が獣人として、魔王として不完全だってこと」

「それが?」

「だから人間なんか信用しなきゃよかったんだ! 余計なこと言ったせいで、お前の秘密が漏れちまったんだろ!」

「わからない」

「わかれよ! お前の秘密を知ったんじゃなきゃ、魔王相手に一人で来いなんて言えるわけねぇじゃん! あの女は最初からこのつもりで――」

「――それ以上は私が許さない」


 かすれた低いうなり声を聞いて、キッカは本能的に飛び退った。

 五人の魔王が治める大陸のうち、最も広大で過酷な地を治める金鷹の魔王が、弱く幼い一匹の獣に恐怖する。


「やめろよ、シュシュ。早まるな」

「もう、お前の言うことは聞けない」


 雛が巣立つときが来たのだ――と、キッカは感じ取った。

 いつもキッカにくっついて、ぽつぽつ話していたシュクルはどこにもいない。

 今まで、シュクルは頑固なところはあっても話を聞く姿勢はあった。

 だが、今は違う。

 一切キッカの言葉を聞こうとしないその態度に焦りが生じた。


「ティアリーゼは私を裏切らない。……裏切られる悲しさをよく知る人だから」

「たとえそうだとしても、お前が行く必要なんかねぇ。あの人間はお前より早く死ぬんだぞ」

「それがどうした」


 また、キッカが一歩退く。

 かつて得体の知れない生き物だと恐れ、触れられなかったように、今のシュクルに近付くことができなかった。

 シュクルはそれを気にした様子なく、虚空を見つめて淡々と告げる。


「ティアリーゼはいずれ死ぬ。だが、今ではない」

「だからって――」

「刹那しか共に生きられなくても構わない。私にとってはその一瞬が永遠だ」


 キッカの真横をシュクルが通り抜ける。

 向かうは開け放たれたバルコニーの向こう側。


「クゥクゥ、頼みがある」

「……なんだよ」

「私が戻らなかった場合、レセントの地は任せた」

「…………ったく」


 キッカは再び退きそうになった自分を奮い立たせ、友人に向かって踏み出した。

 触れられるようになってからそうしてきたように、軽く小突く。


「俺、どっか縛られんの嫌いなんだよ。ほんとは魔王業だって向いてねぇ。だからさ、面倒見てやらなきゃならねぇ場所が増えんのはたまったもんじゃねぇんだ」

「クゥクゥ」

「だから、帰ってこいよ」


 空を見上げていたシュクルがキッカを見下ろす。

 その青い瞳と、キッカの仮面の奥にある瞳が確かに重なった。


「俺は絶対、お前みたいな恋なんかしねぇぞ」

「クゥクゥには無理だ。……私の恋は、私だけのものだから」


 微かに笑ったシュクルが、再び空へ目を向けた。

 その瞬間、ごお、と強い風が吹き抜ける。

 どんな強風の中も自在に待ってきたキッカが、腕で顔を覆い、歯を食いしばった。


「――シュシュ!」


 もう、シュクルはその呼びかけに答えない。

 抜けるような青空を翔ける姿は、トカゲなどというかわいらしいものではなく――。

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