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「い、痛いわ」
「本当に嫌な気分だ。……私のティアリーゼにあんな真似をすると思わなかった」
「あ……あれはなに……? 顔をこすりつけられただけじゃないの……?」
「それが問題だという話をしている」
「そんなことを言われてもわからな――」
(……あ)
こつ、とシュクルが額を押し当ててきたことですべてを悟る。
キッカのあれも、シュクルと同じく気に入った相手にする行為なのではないか、と。
「なんとなくわかったわ。でも、あなたとは違う意味だと思うの」
「……お前はどうする」
「なに?」
「私はお前になにもされない」
ひどく押し殺した声は、シュクルのものと思えなかった。
いつも淡々と抑揚のない声で話していたくせに、今ははっきりと感情が見て取れる。
(本当に嫉妬しているんだわ)
ぞくりとしたものを感じたのはなぜなのか。
ティアリーゼを見つめる瞳がやけに狂おしいからか、それとも。
「お前は私になにもしたくないのか」
シュクルは言い方を変えてティアリーゼに問う。
その様子にまたぞくりとしつつ、ティアリーゼは恥ずかしさを押し隠しながら本心を告げた。
「……手を握りたいとか、抱き締めたいと思うわよ」
「それは私だけの行為か?」
「あなたのためだけのものかと言われると……怪しいかもしれないわ」
「人間はどのようにする?」
「えっ? なにが?」
「気持ちが高ぶったとき。どのようにそれを伝えようとするのか聞いている。今、お前が言ったのとは別の方法があるだろう。唯一の存在に向けての、特別なものが」
逸らされない視線にどぎまぎする。
いつもはぽつぽつ話すシュクルが、ここまで饒舌に語るのは異常事態だった。
よほどキッカの行為に思うところがあったのだろう。
下手にごまかすのは危険だと感じ、ティアリーゼは真面目に答える。
「……キス、とか……すればいいのかしら……」
「そうするべきものならなんでもいい」
(……これって、する流れよね)
相変わらずシュクルはティアリーゼをじっと見つめている。
どんな求愛行動をされても受け止める、と態度で表しているようでもあった。
(しなきゃだめかしら……本当に……)
ティアリーゼにそんな経験があるはずなどない。
どういうものか知識としてはわかっているし、昔読んだ物語では天にも昇るような気持ちになるだとか、なんだとか書いていたのも覚えているが。
「ティアリーゼ」
急かすように名を呼ばれ、腹をくくる。
ティアリーゼはゆっくり深呼吸すると、シュクルの肩に手を添えた。
「……頑張るから、そのまま動かないでいてね」
「頑張る?」
「いいから、じっとしていて」
(まさか、こんな日が来るなんて)
自分から異性に口付けるなんてはしたないのでは――。
そんな思いを拭いきれないまま、背伸びをする。
相手はシュクルで、人間ではない。だったら変に恥ずかしがる必要もないだろうと思うのに、やはりどうしても意識してしまう。
唇と唇が触れ合う本当にぎりぎりのところまで近付いた。
あとほんの少しの距離をどうしても詰められずにいると――。
「なにをしているのかわからない」
「――っ!」
シュクルが喋ったせいで、その僅かの距離が重なってしまった。
たった一瞬、触れるだけ。
それでも確かに今、ティアリーゼはシュクルとキスをした。
「い、今終わったわ」
「なにが?」
「……キスよ」
「わからない」
「わからなくても終わったものは終わったの。……これでもういいわよね?」
「……ティアリーゼ」
熱くなる顔を見られないよう、離れようとしたのに再び名を呼ばれる。
それどころか、シュクルはティアリーゼの腰に腕を回し、抱き寄せた。
「人間はこうするものなのか」
「――っ、ん」
シュクルはまったく予想していなかった行動に出た。
ティアリーゼに唇を重ねたのだ。それも、ほんの少し触れるだけではなく、しっかりとぬくもりを感じるまで。
「んん、ん」
くぐもった声が唇の合間から漏れた。
完全に混乱したティアリーゼは、シュクルの身体を押しのけようとしたが。
「動くな」
「――んん」
より強い力で抱き締められ、唇を柔らかく食まれる。
もう、ティアリーゼにはなにが起きているのかわからなかった。
ただ理解できたのは、シュクルなりに人間の求愛行動を真似ようとした事実。そして、どうやらこの行為を気に入ったらしいということ。
「シュクル、待って……」
「これは好きだ」
「んっ、う」
こんなにもシュクルの力が強いことを今まで知らなかった。
己を求める男の姿を、はっきりとシュクルに感じる。
「っ……ふ、ぁ」
漏れた吐息をすくい取られた。
薄く開いた唇の隙間に、あろうことか舌を入れられる。
「んんーっ!?」
口の中を舐められたティアリーゼは、驚いて舌を噛みそうになってしまった。
顔を離そうとしたのに、いつの間にか後頭部を手で固定されている。
シュクルはティアリーゼの戸惑いも混乱もまったく気にしない様子で、そのまま深いキスを続けた。
舌と舌とをこすり合わされ、不意にティアリーゼの身体から力が抜ける。
「うん?」
不思議そうな声と共に、ようやくティアリーゼは未知のキスから解放された。
シュクルに身体を支えられながら、荒い息を繰り返す。
「あ、なた……なんで……こんなキス……」
「舐めたい」
「舐め……!? だめよ、そんなこと……!」
「なぜ?」
「な……なんだか変だからに決まっているじゃない!」
「だが、これは好きだ。気に入った」
「――んぅ」
長い指で顎を掴まれ、再度深く口付けられる。
これが人間の求愛行動なのだ、と教える側だったはずのティアリーゼが、すっかり主導権を奪われていた。
ちう、とときおり音を響かせながら、シュクルは落ち着かないキスを何度も重ねる。
たまに唇を甘噛みしてくるところが唯一獣らしさを見せた。だからといってティアリーゼの気持ちが落ち着くわけでもない。
「…………ティアリーゼの味がする」
「それ以上変なことを言うのはやめ――んんん」
耐えきれずにシュクルの肩を強めに叩く。
何度も叩かれるのが不快だったのか、シュクルはティアリーゼの腕を掴んだ。




