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「……砕けたらどうする?」

「そうなる前に痛いって言うわ。それに、ずいぶん心配してくれているようだけど、そこまで気にしなくていいのよ」


 わざと明るく言い、シュクルの手を握る。


「これでも人間の中では丈夫な方なの。勇者って呼ばれていたこと、知っているでしょう?」

「……知っている」


 こく、と頷いたシュクルがティアリーゼの背中に腕を回す。

 長い髪がティアリーゼの輪郭を撫でるように滑っていった。

 よほど緊張しているのか、抱き締めているのに距離がある。

 身体をこわばらせたシュクルを少し笑って、ティアリーゼは優しく抱き締め返した。


「もう少し力を入れても平気。あなたがそうしたいなら、だけど」

「試してみよう」


 少しずつ、本当に少しずつ距離が縮まっていく。

 寄りかかったり甘えてきたり、それとは違う距離の縮め方だった。

 なにとなしに呼吸して、ふとティアリーゼは気付いてしまう。


(……シュクルの匂いがする)


 獣でありながら、そういった匂いは一切ない。

 肌はティアリーゼより冷たいが、感じるのは――異性を思わせる香り。

 どき、とティアリーゼの心臓が音を立てる。

 耳元で響く低い声と、女性のものではありえない広い胸。触れた腕から感じる骨格は、見た目の華奢さからは想像もできないほどしっかりしていた。


(あ……)


 顔を上げて、ようやく理解する。

 目の前にいるのは、立派な成人男性なのだ、と。


「ちょ……ちょっと待って」

「うん?」


 シュクルが傷付かないよう、あくまでやんわり胸を押しのける。


(私、とんでもないことをした気がするわ……!)


 未婚の女が自ら男に身をゆだねるというのはさすがにおかしい。たとえ相手が生粋の人間でなく、子供のような言動をする人だとしても、だ。

 シュクルは混乱状態に陥ったティアリーゼの様子にすぐ気付いた。

 更に離れようとするその腰を抱き寄せ、真っ赤になっている顔を覗き込む。


「どうした?」

「お願い、待って……」

「なにを?」

「こ、心の準備……かしら……」

「わからない」


(どうしよう、どうしよう……)


 以前、シュクルを意識したときとは違う感情がせり上がる。

 愛玩動物みたいなかわいい人でしかなかったのに、今は――。


「ティアリーゼ」


 名を囁かれた瞬間、ふつりとティアリーゼの中でなにかの糸が切れた。


「私の子を産んでほしい」


 初めて言われたときとは違う甘い響きに眩暈さえ感じる。

 もう、シュクルから目を逸らせなかった。

 見つめ合ったまま、なにも考えられずに沈黙する。


「今、とてもそんな気持ちになっている。発情期だろうか」

「は……発情期だなんて口にしないで」

「なぜ?」

「それは、その……」


(人間とじゃ考え方が違うっていう以前に、そもそもシュクルがちょっとズレているのよね……!)


 悩みに悩んだ末、ティアリーゼは説明を諦めた。

 だが、頭を働かせたおかげでいつもの調子が戻ってくる。


「あ、あのね、シュクル」

「なんだ」

「私……あなたの子供なら……その、産めるかも……しれないけど……」

「今?」

「いいい今じゃないわ! いつかの話!」

「残念だ」


 あまりそうは思っていない口調で言うと、シュクルはすっと引いてしまった。

 相変わらず引くときは早いらしい、と思いながら、ティアリーゼは離れていくシュクルの手を掴む。


「あなたのことは嫌いじゃないの。抱き締めてあげたいって思うし、喜ばせてあげたいって思う。でも、それだけじゃ子供は作れないのよ」

「知っている。子を為すためになにをするべきかは本能が教えてくれる」

「…………そういう意味で言ってるんじゃなくて」


 シュクルがシュクルであるおかげで、どんどん冷静になれている。

 まだ顔の火照りも胸の高鳴りも治まっていないが、とりあえず顔を見て話をできる程度には落ち着いた。

 一応、深呼吸だけしておく。

 そんなティアリーゼの側で白い尻尾がぱたぱたと揺れた。


「人間は誰かと一緒になりたいと思ったら、まず恋人同士になるものなの」

「なんのために?」

「……その方が幸せだからだと思うわ」

「わからない。恋人はなにをする?」

「私にもいたことがないからわからないけれど、一緒にご飯を食べたりするんじゃないかしら?」

「難しくはないが、なんの意味がある?」

「一緒にご飯を食べたくないなって思う相手かどうか、子供を作る前にわかるわ」

「いてくれればそれでいい」

「……あなたはそういう人だったわね」


 手を伸ばし、嬉しそうに揺れる尻尾を優しく撫でる。


「まずは恋人から始めたいわ。私もあなたが好きだもの」

「構わない」


(……あ)


 初めてシュクルが笑みを浮かべる。

 ぎこちないながらも、温かくて穏やかな笑みだった。

 また、ティアリーゼはシュクルの好きなところをひとつ見つけてしまう。


(思っていたよりずっと、この人のことが好きなのかもしれない……)


 気付いてしまえばもう後は早い。

 なにも難しいことを考える必要などなかったのだ。

 魔王だ勇者だの、人間と亜人の繋がりだの、そんな義務感からシュクルの側にいなくてもいい。

 ――好きだから。

 たったひとつの思いがティアリーゼの背中を押してくれる。


「したいことがある」


 呟くように言ったシュクルがティアリーゼに顔を寄せた。


「なに?」

「うまく言えない」


 近付いてくる端正な顔を、ティアリーゼは最後まで直視できなかった。

 小さな期待を抱きながら目を閉じて――。

 ――以前にもこんなことがなかったか、とはっとする。


「――いたたたたた」


 気付いたときにはもう遅かった。

 シュクルはご機嫌でティアリーゼの額に自分の額――正確にはそこにある角を押し付けており、鈍い痛みが頭いっぱいに広がっていく。


「いたっ、いたた……!」

「…………難しい」


 肩を叩かれてしょんぼりしたシュクルが引く。

 ティアリーゼはえぐられかけた額を押さえながら、慰めるようにシュクルを撫でた。


「あなたの求愛行動がそれだってこと、すっかり忘れてたわ……」

「…………もうしない」

「違うの、今のは私が勘違いしてただけだから……」


 うなだれたシュクルに言って、改めてティアリーゼから額を重ねる。

 以前したときよりも、もっと心の距離が近い。


「先に言わせてね。私以外の人に撫でられてもついていっちゃだめよ」

「しない。……私はお前がいい」


 恋人としての初めての触れ合いは、ティアリーゼの思っていたようにならなかった。

 人間ではない人との恋は前途多難らしい、と思いながらも、これからまた互いを知っていけばいいと前向きに考える――。

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