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その頃、ティアリーゼは懐かしの地に降り立っていた。
何時間か振りに地面を踏みしめ、後ろを振り返る。
「ここまで運んでくれてどうもありがとう」
「いいえ、お気になさらず!」
笑顔で答えたのはカラスの亜人。
どうやら鳥の亜人にとって素顔を晒すのは恥らしく、くちばしのついた面をかぶっている。そのせいで表情は見えないが、よく喋り、よく笑う賑やかな男だった。
「帰りはこの笛を鳴らせばいいのよね?」
「ええ、ええ。そうしたらすぐぴゅーっと飛んできますんで。そう時間もかからないでしょうし、この辺を遊んでますよ。久々に観光でもしていこうかなあ。あ、そうだ。姫さんはこの国の出身なんですよね? なんか面白いもんとか知ってます?」
(本当によく喋る人だわ……)
「ええと、それなら城壁近くの市場はどうかしら。今は果物がよく採れる時期なの。いいものが並んでいるかもしれないわ」
「おお、じゃあ見に行ってみます! そんじゃ!」
ほんの数秒前まで人間の姿をしていたのに、ふわりと風をまとった瞬間、大きなカラスの姿に変わっている。
人間と同じ大きさのカラス、と聞くとやや恐ろしさはあるが、こうして話した後だと不思議と親近感しか覚えない。
ティアリーゼは、自分の感じたそれを、他の人間たちはあまり知らないのだろうと思った。彼らのことを知らないからこそ、亜人は人間を襲うもので、親しめるはずのない敵だと噂するのだ。
カラスの亜人を見送り、改めて城門を見上げる。
かつては家の扉でしかなかった。今はティアリーゼを拒むように見える。
それは恐らく、ここを出るときと今とで気持ちが変わっているからなのだろう。
(今日まで私はシュクルのもとで過ごしてきた。……ここに帰ってくるのが怖くて、帰りたいとも帰るべきだとも言い出せなかったから。だけど、本当はどうしたかったんだろう。私はここへ帰ってきたかった?)
ぎぎ、と重い音を立てて門が開く。
高台から門番がティアリーゼに向かって頭を下げた。
ティアリーゼもまた頭を下げ、招き入れるように開かれた門の奥へと足を踏み入れる。
帰国したティアリーゼを迎えたのは、驚いたことに兄のエドワードだった。
案内されたのが客室であることに一抹の寂しさは感じたが、それも久し振りに家族の顔を見たことで霧散する。
「お久し振りです、お兄様。ひと月振り……いえ、もう少しでしょうか」
「……戻ってきて言うことがそれか?」
兄の声に苦いものが混ざる。
「てっきり罵られるのかと思っていた」
「……やっぱりお兄様も知っていたのですね。『勇者』の真実を」
「当たり前だ」
(……そう。当たり前なのね)
兄は知っていて、妹は教えられなかった。
本当に必要とされてきたのがどちらなのか、改めて思い知る。
勇者ではないからと言われていたとき、兄はどんな思いをしていたのだろうと思っていた。だが、本当に周りから同情の視線を受けていたのはティアリーゼの方。
それが明らかになったからか、エドワードの眼差しは穏やかだった。優しいとまで言える。
「私に教えてください。どうして私だったのか。なぜ、こんな手の込んだ真似をしたのか。……供物とはどういう意味だったのか」
「簡潔に答えよう。まず、これは魔王に捧げる供物ありきの話だった。となれば、国にとって重要な人物でなければ意味がない。その辺りの平民を送り付けたところで交渉の材料にならないからな」
「……ええ、そうですね。だから王女である私が?」
「そうだ。……お前は俺の本当の妹ではないし」
「えっ」
「母親が違う。お前の母は、父が気まぐれに手を付けたメイドだ」
(……嘘でしょう)
眩暈さえ感じて額に手を当てる。
こんなところで自分の生まれを知ることになるとは思いもしていなかった。
「……だから、ですか。一人しかいない王女を送り出せたのは」
(せめて、政略結婚の道具にでもするのが普通というものでしょう。妾腹の王女にはその価値すらなかったと……)
「ティアリーゼ?」
「……大丈夫です、お兄様。続けてください」
「どこまで言ったか……。ああ、なぜ手の込んだ真似をしたか、だったな」
「はい」
「お前を使っての目的が、魔王を倒すことと魔王に媚びることの二点だったからだ」
「それは……矛盾していませんか?」
「あわよくば、という程度の狙いだな。実際に送り付けた先でどうするかは部下たちの判断に任せていた」
「……すぐ魔王の前に跪きましたわ。そもそも戦う素振りなど欠片も見せなかったかと」
「それは連中に聞いている。人の形をしておきながら、人とは思えない空気をまとった男だったそうだな。得体の知れない危うさを感じたと言っていたが」
(……確かに獣っぽいし、得体が知れない……というか……不思議なところはあるかも……?)
衝撃の事実に麻痺していた心が、シュクルを思い出すことで温かさを取り戻す。
ティアリーゼが生粋の姫ではなかったと聞いても、どうしてわざわざそんなことを報告してきたのかわからない――と言いそうだった。
薄く笑みを浮かべたティアリーゼを不審に思ったのか、エドワードは再び口を閉ざす。
「お前は供物として、魔王に食らわれるために育てられてきた。レセントにあるどの国よりも、このタルツが繁栄するように」
「……そうですか」
こんなに凪いだ気持ちで聞けるとはティアリーゼ自身思ってもいなかった。
食らわれると聞いたところで、シュクルがそうするとは思えないのを知っているからかもしれない。食事をしている姿は見たことがないが、人間の肉よりも果物や甘い菓子を好みそうに見えた。
あちらへ戻ったら、タルツに伝わる菓子を作ってみようと思い立つ。シュクルはきっと喜ぶだろう。白銀の尻尾をぱたぱたと振って。
手ずから食べさせるところまで想像してから、ふとティアリーゼは現実に戻ってきた。
兄の訝しげな目を見て、ごまかすように咳をする。
「それで、お兄様はどうしたいのでしょう。わざわざその話をするためだけに私を呼び出したとは思えませんが」
「わかっているなら話は早い」
そう言った兄と目が合う。
その瞬間、ティアリーゼはぞくりとしたものを感じていた。
「当初の目的通り、魔王を殺してこい」




