デジタル戦争開戦
午前4時40分、地下への入口は閉じたままだった。
『そも開いた事があるのか?』
「ないよ」
どこからともなくヘッドギアに届く女性の声にメルは答える。
直径20mはある円形の鉄の扉だ、それが地面に埋まっている。万が一に備えていつでも開けられるよう定期的に蓋と枠の隙間を清掃しているが、表面は風化してツルッツル、開閉装置は外側には無いため実際問題これが健在なのかは誰にもわからない。
かつての核シェルターである、拠点内に他の地下施設はいくつもあるがこの扉の先と繋がっているものは無い。元のシェルターから拡張しまくった結果アーコロジーという、内部のみで資源の循環が完結する環境を手に入れており、AIの反乱と、それに続く核戦争が起きた当時からの人間がこの中で未だ生存していて、月に一度、今もメッセージを発信している。
と、本部は言っていた、少なくとも。
『何故出てこない?』
「さぁねぇ、私達の間では"旧種"なんて呼ばれてる人達だ、今の地球環境じゃ生きられないとか。放射線量、空気中の成分、例えを上げればキリがない」
言いながらメルはその場を離れた、近くに来たから寄ってみただけで、本来の目的は別にある。
"扉"のすぐ隣にあるのが本部施設、さらにそれに隣接するのがデータセンターで、拠点内のみならず周辺の通信インフラを支える中枢だ。世界中が電子の網に包まれていた頃と比べたら非常に非常に貧弱な通信網であるが、ここが止まると色々困る。外部との有線通信は全滅し、内部も機械制御が致命傷を受けよう。
「あ」
「うん?」
データセンター正面には何故かフェイがいた、服装はいつものタンクトップとダボダボシャツ、スカートと黒タイツだったが、ダークブルーの長髪は明らかに起き抜けで、メルが現れる直前まで大きなあくびをしていた。しかしこちらを視認するや急に覚醒、メルの腕を引っ掴む。
「確保」
「おお?」
「こっち」
「おぅおぅ……フェイちゃん、説明、説明欲しいなー?」
分厚いコンクリート壁の建物内へ引っ張られていくと、そこは黒い箱が立ち並ぶ場所だった。LEDランプが点滅し、耳をすませばカリカリ鳴っている箱だ、フェイの家の4倍くらいある屋内に限界まで並べられ、冷却のためエアコンがガン着けされている。中央に3セットだけあるディスプレイとキーボードはそれぞれ背中合わせに三角形を形成、うち一台は白髪幼女が使用中だ、やはりまったくの無表情でキーを叩きまくっていた。
「侵入があった、物理的にも電子的にも。今スパイウェアを排除してる」
「それで娘さんの付き添い」
「だからあの子が私の娘だとしたら私は一体何歳で結婚して子供産んでるの」
ヘリのサブパイロット、というかサポーターである、フェイと同じく髪が起き抜け、ケープレット付きのワンピースもよく見ればボタンの留め違いがある。スパイウェア、サーバーに潜伏しデータを密かに送信するウイルス的なものを削除しているらしい。削除というか、疑わしい部分を隔離しつつバックアップデータと差し替えているようだが。
「誰がやったの?」
「それが知りたくてあなたを捕まえた」
「あ、はいはーい」
言われてすぐ、メルはタブレットを取り出した。適当なサーバーを見繕い、タブレットにコードを接続、反対側をサーバーのポートへ。
「待った」
挿す、前にフェイに腕を掴まれた。
「それはしまって、そこの端末使って」
「こっちのが手っ取り早い」
「バックドア仕込む気でしょ」
「( ´_ゝ`)」
バックドアとは、文字通り裏口である、ネット業界においては外部からの侵入口を意味する。サーバーの正門とはIDとパスワードを入力し正しい手順でアクセスする事で、通常、これ以外に中へ入る手段は無い。
だから今のうちに塀に穴開けとこう
と、メルは今考えていた訳だ。
「はぁ……」
来た意味ねぇ、思いつつタブレットをしまって幼女の左に腰掛ける。まぁ簡単な話だ、彼女が隔離した部分を解剖して送信先を突き止めればいい。
「……お名前は?」
「アリソン」
「歳いくつ?」
「11」
「なんで情報処理学んだの?」
「言われて」
会話が続かん。
ようやく名前を知ったアリソンなる幼女はヘリ搭乗時と同じく必要以上の言葉を発しようとしない、ただ黙々とシステムを修復していく。
とりあえずメルもスパイウェアを見てみよう、なんてことはない、ごく普通のデータ送信システムだ。30秒もすれば送信先は割り出したが、まさか犯人のパソコンに直結している筈もあるまい。中継点を挟むのが普通である、あっちこっちと迂回して追跡を撒くのだ、そして追跡者が苦労して大元のパソコンを割り出しても行き着いた先がネットカフェだったりもする。
かくして判明したIPアドレスはシオンが入院している病院だった。ここからのこれ以上の追跡は不可能である。
「フェイ」
「何?」
やれる事はもう無し、メルがイスの背もたれにのしかかった直後、アリソンは急にタイピングを止める。眉ひとつ動かさなかったが、フェイを呼んで、さらなる異常を報告。
「データベースが書き換えられた可能性がある」
データベース、帳簿みたいなものだ、今修復していたシステム本体が図書館の司書だとすればデータベースは収蔵されている本となる、これにバックアップは無く、昨日と変わっていても気付けない。履歴は残るだろと思うかもしれないが、相手は手練れだ、履歴もいじっている。
「どうして気付けた?」
「ティーが過去に物資の横流しをした証拠になり得るデータが散見される、彼女の記録はダムの時に確認したばかり」
「……そんなの見てるの?」
「ヘリの搭乗者は必ず」
怖っ、と、呟きながら一度流してしまった。しかしすぐ思い直す、これ冗談ですまないやつじゃない?
「スパイウェアは囮、バックドアがどこかにある」
こちらがぽかんとしている間にアリソンはタイピングを再開する。
猛然と、超高速で。
「これは戦線布告と判断する」




