生存の定義
全長にして20m以上、サイクロプスのほぼ倍である。昆虫に近い脚の付き方をした奴とは違い四足獣に似た形状で、本体前部の隙間という隙間に生やした大量の砲身はまるで角のよう。なるほど、ヘラジカという表現は的を射ている。砲はすべて100mm台だろうか、センサーポッドのある頭部付近に片側4門、計8門あるのは榴弾砲、背中には迫撃砲が見える。移動速度はかなり遅く、1km以上離れたダム上部からはほぼ止まって見える、人間のランニングより遅いだろう。ただ迫力はとんでもなく、ズン、ズン、という歩行音はここまで聞こえていた。
「被害報告!」
「人的損害無し、ダム堤体が損傷した模様」
「損傷とはどの程度のだ?」
「留意するに及ばず、ただし砲撃が継続される場合はこの限りではない」
ティーの問いに副操縦席の幼女が淡々と述べた。こちらもまったくの無表情だ、体はフェルトより小さく白髪セミロング、白い長袖ワンピースに白いケープレットを着ている。膝上にノートパソコン、高速でタイピングしつつも目線はレーダーの画面に向いていた。
「……旦那さんはどこの誰すか?」
「未婚だし、この子は私の娘じゃない」
「嘘やん、某ロボットゲームの二次創作でラスボスやってた頃のフェイに似すぎてる」
「その話を理解できる読者は現存するの……?」
すぐ背後でこんな会話をしても無反応、おそらく何言っても返答は返ってこないしそんな暇もないので、シオンはドアガンナー2人が急いで擬装ネットを取り払うヘリから離れ壁際へ、谷底の川をゆっくり遡上する砲身ハリネズミ、ヘカトンケイルをもう一度見る。
「集落の存在は感付かれたな」
「うむ、しかし正確な位置はわかっていないようだね」
ヒト科生物の絶滅、それがAI兵器の根底にある目的である。戦闘能力を持っていようがなかろうが関係無く、どちらか片方を優先しろと言われれば当然、人数が多い方を選ぶ。しかし可能性が高いと判断できても集落がどこにあるのか不明瞭な以上、ピンポイントな攻撃はできない、時間をかけて捜索するか、区域全体を焼き払わなければ。
相手は焼き払う方を選んだ訳だ、焼くというか水責めだが。
「つぅ…!」
『ダム堤体さらに損傷、決壊まで30分以内と推測される』
「いや……アレまだ照準射撃でしょ、本気で撃ち出した場合のシュミレートはできる?」
『砲身配置から発射機構はガトリングと同じだと推定。射撃速度を踏まえると1分は不要』
ヘカトンケイルからの砲弾が突き刺さる。今はなんて事ないがいつかは決定打を受けよう、そうなったら次に起こるのは洪水だ、下流にあるものは漏れなく流される。
早急に撃破しなければならない、集落というなら最低100人はいるだろう、今の世の中にその損失は痛すぎる。当然、ティーも周辺部隊に攻撃を指示、しようとした。
しようとしたのだ。
『本部からの命令を受信』
「おっと……シオン、今のうちに頭を冷しておくといい」
一瞬、「は?」と言ってしまったが、ティーがヘリに戻る頃には薄々感付いて後を追う。僅かでも予定がずれればすぐに保身に徹する本部からの命令だ、それ自体を否定する気は無いが、いつもそれで迷惑を被ってきた。しかもこのタイミング、言われる事はわかりきっている、わかってなお頭は冷えなかったが。
「ダムは放棄する。工兵を回収し撤退せよ」
「工兵とは?」
「最初に派遣した5名を指していると思われる」
ギリ、と歯を噛みしめる音がした。
それは集落を見捨てろという命令である、ヘカトンケイルもサイクロプスも無視して帰ってこいと。
「ふざけんな! 死ね! 肝臓撃たれて死ね!」
「コンクリに叩きつけられろぉ!」
「リアルタイムじゃねーから、冷やせ冷やせ」
いつの間にかやって来ていたフェルトと一緒に騒ぐ、ティーに一緒に宥められる。
やってる間にダムは2度揺れた、ヘカトンケイルも前進を続けている。決壊狙いであるのは間違いない、もうじきここは崩壊し、集落も水と土砂に沈む。その前に止めなければならないというのに上の決定はそれか、今に始まった事でもないが。
「良い方に解釈するとこうだ、あのデカブツを撃破するには装備と時間制限が厳しすぎる、今から下流に部隊展開しても決壊時の被害が増えるだけ。しかもキミらは戦える兵士で、補填が効きにくい、一気に失えば拠点自体の防衛も立ち行かなくなる。一時の感情で無茶して死んでもみろ、辛うじて保っていた防衛線すら崩れるぞ」
「人を見殺しにしていい理由には弱すぎるぞ」
「それもそう、だからこれは意思確認だ」
思わず食ってかかる、その頭上でエンジンが始動した。ティーは全員に搭乗を指示、他の皆も最初は拒否しようとしたが、彼女の顔を見るや素早く乗り込んだ。
「人類最後の砦を担っている自覚はあるか?その上で自己犠牲なんてものを行う気はあるか?」
「あぁ……ああ理屈はわかるさ、飛車を逃がすために歩を見捨てるってんでしょう? 王を捉える過程において至極当然の行いだ。でも私は木の駒じゃない、人間だ、まだ生きてる」
食ってかかった体勢そのまま早口でまくしたてる、対してティーは笑顔だ、どうせ聞かなくてもわかっている、そんな表情。
「今、見殺しにされようとしてる奴らがどういう生活をしてるかよく知ってる、ゴミを漁る野良猫そのものだ、名前もわからない雑草とか食ったことあるか? 私はそれが嫌いだった、それが嫌であそこに入った、だから銃を手に取って今ここにいる。そうすりゃあんな惨めな生活そのものを殺せるんだと思ってた、でもそうした結果がこの有様で、どのみち笑って暮らすなんてできない、ゴミ溜めの中みたいな日々が行き着く先に待ってるっていうのなら」
彼女が少しだけシオンから目線を外した、左手を上げ、上昇のジェスチャー。
「それは"生きてる"とは言えない」
それ以外特に指示も受けず、フェイが飛行を開始、少し浮いて、横滑りして谷底へ降下していく。帰還する気の感じられない機動に笑ったままのティーは何も言わず、しかし操縦席横まで行って、本部にこう返せと指示した、"直ちに部隊回収を開始する"。
「……キミたちはまだヘリに乗っていない、いいね」
そしてにやりと笑う、4人に告げる。
「回収地点を変更しよう、ダムから見て集落の先、ちょうど今ヘカトンケイルがいるあたりだ、そこまで走りたまえ。地上待機してたぶん燃料には余裕がある、1時間でも2時間でも待てるが……都合つけるのはここまでだ、次の撤収指示には絶対に従うように」
「……オーケー」
すぐに飛行終了だ、ダムの上から下に降りただけである。ガトリングガンがいくらか発砲するもすべて弾かれ曳光弾が拡散、榴弾がダム壁に突き刺されば爆音に驚いてガンナーは射撃をやめてしまう。
まもなく接地、最初と同じセリフで彼女は4人を送り出す。
「よし行ってこい!」