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うちの娘には××癖があります  作者: 志月さら


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28.必要なもの

 熱いシャワーを浴びて身体を洗う。汚れも、不安も、全てを洗い流してしまいたい。

 予定よりも遅く帰宅したあと、夏癸に促されて茜はすぐにお風呂に入っていた。

 

(また夏癸さんに迷惑かけちゃった……)

 

 せっかくのパーティードレスを汚してしまった。夏癸は気にしなくていいと言ってくれたけれど、やはり気にしてしまう。汚れたドレスはどうするのだろう。クリーニングに出すのか、それとも処分してしまうのか。けれどレンタルのドレスにしていなくてよかったと安堵している自分もいる。もしかするとこうなる場合も見越してドレスを購入したのかもしれない。

 

「はぁ……」

 

 重いため息をついて湯船で膝を抱える。車内で粗相したあとに念のためにとコンビニのトイレを借りたにもかかわらず、帰りの車中でも再び催してしまい、家に着いたときには限界ギリギリになっていた。口をゆすいだあと、水分は少ししか摂っていないのに。

 夏癸にトイレまで連れていってもらえたので二度目のおもらしはせずに済んだが、実は少しだけ下着を汚してしまった。下着類は入浴時に手洗いしているので夏癸にバレることはないだろうが、どうしても気落ちしてしまう。

 

 それでも、ゆっくり身体を温めているうちに次第に気持ちが落ち着いてきた。

 パジャマに着替え、髪もしっかり乾かしてから居間を覗く。夏癸の姿はなかった。時計の針は二十三時近くを示している。普段なら布団に入っている時間だが眠気はない。

 ふと、台所からいい匂いが漂ってきていることに気付いた。見ると、スーツを脱いでラフな服に着替えた夏癸がコンロの前に立っていた。

 

「夏癸さん、なに作ってるんですか……?」

 

 思わず、横から鍋の中を覗き込む。大きめに切られたじゃがいも、にんじん、キャベツに玉ねぎ、そしてソーセージがぐつぐつと煮込まれていた。

 

「ポトフ?」

「ええ。本当はこんな時間に食べるのは良くないですけど。茜も食べますか?」

「……じゃあ、少しだけ」

 

 パーティーではほとんど食べられなかった上、それも吐き出してしまったので軽い空腹感を覚えていた。美味しそうなスープの香りに食欲を刺激される。

 

「なにか手伝いますか?」

「もう少しでできますから、座って待ってていいですよ」

「……見ててもいい?」

「ええ」

 

 エプロンをつけてお玉を持った夏癸の横顔と煮込まれているポトフをそっと眺める。

 ――いつもの夏癸だ、と改めて実感して安心した。

 

 

「多かったら残していいですよ」

「うん」

 

 完成したポトフを器に盛ってもらい、座卓へ持っていく。

 いただきます、と小さく手を合わせてから、スプーンでスープとじゃがいもを掬って口へ運んだ。じゃがいもがほくほくしていて美味しい。優しい味にほっとする。

 

「おいしい……」

「よかった。料理、あんまり食べられませんでした?」

「……うん。なんか緊張しちゃって。夏癸さんも?」

「ええ。挨拶回りやらで忙しかったですし。いまになってお腹が空いてしまいました」

 

 小さく笑う夏癸に釣られて、茜の頬も思わず緩んだ。

 ほんの少しのケーキとフルーツしか口にしなかったけれど、パーティーで食べたものよりも夏癸の料理のほうがよっぽど美味しく感じる。

 ぽつぽつと話しながらポトフを食べ進めているうちに、気付けば器が空っぽになっていた。少しと言いつつしっかり一人前を食べてしまった。お腹が満たされると眠くなってくる。

 

「片付けておきますから、歯磨きしておいで」

「はぁい……」

 

 うとうとしかけていると、夏癸が空いた皿を取り上げた。優しい声に促されて廊下へ出る。このまま布団に直行したくなるが、きちんと歯を磨かないと。

 眠気に耐えつつ歯磨きと寝る前のトイレも済ませてから、洗い物をしている夏癸に声をかける。

 

「夏癸さん、おやすみなさい」

「おやすみなさい。今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んでくださいね」

 

 明日は寝坊していいですよ、という彼の言葉に小さく笑ってから、茜は部屋に戻って布団に潜り込んだ。

 

 ***

 

 茜の就寝後、入浴を済ませた夏癸が自室に戻ると、置きっぱなしにしていたスマートフォンにメールが届いていることに気付いた。――随分と珍しい相手から。

 

『夏癸様 ご無沙汰しております。授賞式の様子をテレビで拝見しました。この度の直林文学賞受賞、遅ればせながらお祝い申し上げます。益々のご活躍とご多幸を心よりお祈り申し上げます。 片桐要』

 

 差出人の名前は子どもの頃世話になった人物のものだった。

 最後に連絡を取ったのは一体何年前だろう。正確には覚えていない。メールアドレスはずっと変えていなかった。

 受賞が発表された日ではなく今日メールを送ってきたことには少しだけ驚いたが、返信はせずに削除する。向こうも返事が来ないことは承知の上だろう。

 

 いまの自分の生活があるのは彼のおかげでもあるということは充分理解している。それでも、実家に関係のある人間と連絡を取るつもりはなかった。

 ――あの家にはもう何年も帰っていない。帰りたいとも思わない。

 血の繋がりだけの家族にも、莫大な財産にも、一切興味はない。

 作家という仕事と、茜という大切な存在。あとは一応、数少ない友人と呼べる存在も。

 いまの夏癸に必要なものはそれだけだ。

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