或る攻防
「今日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます。本日お話を聞かせていただく洋倫館の西村紗良です。どうぞよろしくお願いします」
私はICレコーダーのスイッチが入っているのを確認して話し始めた。
「いつもPCの画面に向き合ってるわけじゃないから」
こちらを見もせずに返ってきた答えは端的なものだ。しかもタメ口。
私はノートをペン先で軽く叩いて、向かいに座る男を観察した。男は砂糖を3本も入れた見るからに甘ったるそうなコーヒーをすすって、天井のシャンデリアを眺めている。
寝癖のついたぼさぼさの黒髪に黒縁眼鏡。ジーンズによれよれのパーカーというおよそラグジュアリーホテルのラウンジにそぐわない出で立ちである。こっちは気合を入れてクリーニングからおろしたてのスーツでびしっと決めてきたというのに。
その辺の喫茶店にすればよかった、と私は早くも後悔し始めていた。担当編集者に「気難しい人だから、くれぐれも機嫌を損ねないように」と釘を刺されたのを曲解しすぎたらしい。
男の名前は明石重悟。
重厚な名前だが本人は風が吹けば吹き飛んでしまいそうなほっそりとした体躯をしている。
新進気鋭のミステリ作家、というのが世間が彼を評するのに使う言葉だ。32歳という遅咲きながらも、ミステリ小説の登竜門である黄昏賞の大賞を審査員の満場一致でかっさらいデビュー。
デビュー後も精力的に作品の発表を続け、デビューから3年経った今はミステリ作家として確固たる地位を築きつつある。来月、上下巻での大作ミステリが私の勤める出版社から出るため、社を挙げて宣伝をするというわけだ。
今日のインタビューもその一環でファッション誌に載せるものである。
予習として作品は何冊か読んできたものの、作品から想像していた作者のイメージと本人にギャップがあり、私はとりあえず当たり障りのない質問から攻めていくことにした。
「デビューからもうすぐ4年になりますが、今の心境はどうですか?」
「あっという間だったかな」
しばらく待ったがそれ以上言葉は続かなかった。仕方ないのでこちらから水を向けてやる。
「あっという間というのはどの辺で感じられたのでしょう?」
「短調な生活に少し色がついたから。生活にリズムが生まれたところとか」
少し文学的な表現が出てきた。
「やはりデビューされてから周囲の目もがらりと変わられましたか」
「それは、別に。むしろ俺の周囲を見る目が変わった」
「僕」じゃなくて「俺」と来た。
男性の一人称の使い方はこちらが相手にどこまで踏み込んでいいかを推し量る際の重要な判断材料となる。
「明石先生の周囲を見る目が変わった?」
今まで目線を合わせようとしなかった明石の目が初めてこちらを見た。
「色んな人間がいるなと肌で実感できた。面白かったよ」
さもありなん、売れた途端にハイエナのように色んな人間が群がってくるというのはよくある話だ。
この僅かな応酬で、明石はどちらかというとシニカル寄りのタイプかなと評価を加える。私はこの話題にはそれ以上は突っ込まず別の質問を投げることにした。
「世間では新進気鋭のミステリ作家と評されています。そのことについてはご自分でどう思われますか?」
「新進気鋭の有効期限っていつまでなのかなと思うことはあるよ」
そういうことを聞きたいんじゃない。
私の心の中でのつっこみを聞き取ったかのように、明石は言葉を続けた。
「書いたものが評価されることは感謝してる。読者に受け入れられなけりゃいくら書いても意味ないからな」
「売れることは大事なポイントということですか」
ちょっと下世話すぎたかなと思ったが、明石はすんなりと答えてくれた。
「売れなきゃ生活できないだろ。書きたいものだけ書き散らかしてればいいってのはプロの仕事じゃない」
ファッション誌的にはもう少し夢のある言葉を、と思わないでもないが、個人的には好感が持てた。特にプロの仕事じゃないのくだり。
「小説について伺います。デビュー作では、大学生の男女がコンビで事件を解決していくわけですがある種の青春小説、恋愛小説と読むことも出来ます。あえてミステリというジャンルを選んだ理由はなんなのでしょう」
「──人が好きで、同じくらい嫌いだから」
「え?」
明石は小さく笑った。
「言葉が足りないか。個人的にはミステリほど人を書けるものはないと思っている。人の心は多面的で、色んな角度から光を当てれば、返ってくる光は様々な色になる。ミステリは謎と解が必ずあって、その時だけは人の心が向かう先もある一点に絞られている」
抽象的すぎて、さっぱりわからない。
「よく、わかりません。犯人の動機という意味ですか?」
「それだけに限定されるわけじゃない。謎と解。そこに繋がる瞬間は、人の心にも答えが生まれる。文学はふわふわしててもいいかもしれないけど、ミステリでそれやると成り立たないからね」
「因果関係の話ですか。原因があって、結果があるという」
「あんた、なかなか頭いいね。そう。謎という仕掛けを使って多面的な人間の、ある一面に迫るのがミステリ。それが面白い」
「そこから、人が好きで、嫌い。というのにはどう繋がってくるんですか」
「俺も、多面的だから。人に嫌気がさすこともある。むしろ、そっちのが多いかな。だが、同時に興味深くも思う。人の内面を、奥底を暴きたい欲求に駆られる。だからこそ、こんな職業が向いているんだろうな」
物騒なことを何でもないことのように話す明石が私は少し怖くなった。
確かにこの人は普通ではない。私が今まで出会ったことのない人種だ。
「あんたのことも興味深く思うよ」
私は、ぎょっとした。
一見、愛の告白のようだが、そうでないことは明白だ。みすみす心の中を踏み荒らされるわけにはいかないので私は強引に話を切り上げることにした。
とっととこのインタビューの本丸に入ってしまおう。
「来月出版される本は今までの作品とは違う趣向を凝らしていると聞きますが、少し内容についてお話いただけますか」
明石はここでコーヒーのお代わりを頼んだ。砂糖も三本要求する。
この人、いつか絶対糖尿病になるな。
「……単純に言えば、今まで現代を舞台に書いてたけど今度のは近未来が舞台だ。未来ならではの都市像と独特の社会システムが構築されている。完璧な秩序だった社会。そこにも殺人事件はある、そんな話だ」
「ありがとうございます。執筆にあたって苦労した点はありますか?」
「近未来ってことで、世界観を一から作り上げるのが大変だった。現代が舞台ならあるものを引っ張ってくればいいけど、今回はそういうわけにはいかないし」
「ミステリはただでさえ緻密な構成が必要だと思うので更に大変な苦労をされたというわけですね」
「まあ、そんなところかな。なあ、甘い物も頼んでいい? どうせ経費で落ちるんだろ?」
突っぱねてやろうかと思ったが「機嫌を損ねないように」という一言が脳内によぎり、私は笑顔を浮かべて明石にメニューを差し出した。
***
明石ひとりに食べさせておくのは悔しいので一緒に注文したフルーツタルトが来たところで第2ラウンドの開始だ。
明石はチョコケーキをつつきながら、不躾なくらいに周囲をじろじろと眺めている。ホテルのラウンジだけあって高そうなイタリア製スーツを着たサラリーマンが商談をしていたり、アフタヌーンティーを楽しむマダムたちの姿が見える。あいにくスーツ姿の女とジーパン、パーカーの男という異色の組み合わせは他には見当たらない。
「あの、明石先生。あまり見ると失礼になりますよ」
私の方が明石の視線に耐えかねて、小声で窘める。
ようやく視線をケーキに戻した明石は何やら楽しげに笑った。まるで新しいおもちゃをもらった子どもみたいに。
「こんなところ初めて来たから、新鮮だな。小説のいいネタになりそうだ」
「ネタにするんですか?」
「するだろ。生きてる間はなんでもネタになる」
こっちも記事のいいネタになるかも、ということでもう少し掘り下げて聞いてみることにする。
「作品の構想はどこから得るんですか?」
明石はフォークを天井に向けてくるりと回した。
「最初は、降ってくる」
「降る?」
「まあ、表現の仕方はなんだっていいんだけどな。何かしらのきっかけがある。これ使えそう、とか、これ面白くないか? とか。それをこねくり回す。うんうん唸りながら書いているうちに気づいたら一本出来上がってる。小説なんか誰でも書けるさ」
「ずいぶん暴論なようにも聞こえますけど。私が書けたとしても絶対売れませんよ」
「別に売れなくてもいいだろ」
「なんか、さっきと言ってること違いません?」
「それで食うつもりじゃなければ売れなくたって問題ない。好きだからって理由で書いてる奴らだってごまんといる」
「なるほど」
そう言われてみればそうかもしれない。でも自分が書いたものをたくさんの人に読んでもらいたいと思うのも普通の心理だろう。
明石はじいっと私の顔を見てたかと思うと、
「あんたは現実に生きるタイプみたいだな。ちょっと違うか。現実を忘れられないタイプだ。映画とか小説を読んで違う世界を見ても、冷静に現実を思い出すんじゃないか?」
おそらく今の私は間抜け面を晒しているに違いない。
どうしてわかったのだろう。
確かに私は文学や芸術に触れても、現実と切り離したものと考えてしまいその世界に浸ることができない。私が生きてる世界とは別のところにある何か。それ以上でもそれ以下でもない、と脳が割り切ってしまうのだ。
映画のなんとかのキャラが私の理想の男性よ! と友人に嬉しそうに語られてもいまいちピンとこない。だから、私は昔からフィクションが苦手だった。
「どうしてそう思うんですか」
「興味なさげだったから。仕事で仕方なく来たんだろうなと思ってたけど話しているうちに興味ないんじゃなくて、よくわからないんだなっていうのがわかった。質問もテンプレだったし、俺の話もそういうもんなのかって感じで聞いてたみたいだったしな」
やばい。怒らせてしまっただろうか。
だが弁解しようにも明石のいうことは当たっていたので、 フォローしようとしても嘘を並び立てることになってしまう。
「俺の本読んだ?」
「え、あ、はい。全部、ではないですけど」
気の利いたことを言おうと脳みそをフル回転させていた時に斜め上を行く質問が飛んできて、答えるのが一瞬遅れた。
「読んで、どう思った?」
どう? どうとは?
この流れで一体何をどう答えればいいのかわからず、脳みそがショートしそうだ。
「よく、わかりませんでした。いや、トリックは理解出来たんですが、ストーリーがいまいち入ってこなくて……」
だんだんと声が尻すぼみになる。自分でも扱き下ろしてるようにしか聞こえなかったからだ。
「ふーん」
怒ってるのかいないのか何とも判別しがたい反応が返ってきた。
「……すみません」
「何が?」
とりあえず謝ったら間髪入れずに追及された。
「嫌な読者だな、と思って」
「別に、思ってないけど」
私はがっくりと肩を落とした。この人が何を考えているのか全然わからない。やっぱり小説家なんて変な人が多いんだろうか。今までも色んな人に取材をしてきたけど、こうも読めない人はいなかった。
「熱烈な読者だけじゃない方が健全だし、俺はどちらかと言えばあんたみたいな少数派の思考に興味がある。何を考えているのか、どうすれば歩み寄れるのか」
「明石さん、変人って言われませんか?」
「言われるな。でも、たぶん作家なんてどこかしら変なやつばっかりだぞ」
そう言って明石は低い声で笑った。変人でもなんでも作品が面白ければ関係ない。出版社にとって売れる作家は大切に扱わなきゃいけない。
さて、そろそろ明石から与えられた時間に迫っている。インタビューを畳みにかかろう。
「来月の作品、楽しみにしています。発売されたらすぐ買って読みますね」
「どっちでもいいよ。あんたの場合、読んでもわからないだろうし」
「そんな、ちゃんと読みますよ! あ、それと次の作品も是非うちでお願いしますね」
冗談交じりにそう言えば少し間が空いた。
「今回の記事次第かな。俺が気に入るような内容だったら、あんたのとこで次書くことも考えておく」
「本当ですか!? 頑張ります!!」
思いがけず色の良い返事が返ってきて私の声のトーンが上がる。
明石はふふっと何やら満足気に笑うと、伝票を手に取った。
「あ、それは」
「今日は俺の奢りってことにしといて」
ひらひらと伝票を持った手を振って立ち去ってしまう。
一体なんだったんだとぽかんとしながら明石の背を見送っていると、携帯のメールの着信音が鳴った。明石の担当編集者からだ。
「上手くいきましたか?」と。
どうやら心配させていたらしい。
「ひとまず終わりました」と送ったら、「遊ばれませんでしたか?」と続けてメール。
何を言ってんだ、そんなタイプじゃないだろうと思って「大丈夫です」と返信する。
貧乏性を発揮して、冷えきった残り少ないコーヒーを大事にすすりながらフルーツタルトをつつく。
もしかして意外に女遊びが激しかったりするのか? とさっきのメールの内容について考えていると、明石の帰り際の意味深な笑みが思い浮かんだ。あれは何に対しての笑みだったのだろう。
直前の会話?
特に不自然なところはなかったはずだ。私が言葉を発した後に少し間が会いたくらいで……。
「あっ」
私は声を上げた。
脳内に会話を再生していた私はとんでもないことに気づいてしまった。
──静寂教授、次の作品も是非うちで。期待してますね。
── 今回の記事次第だね。僕が気に入るように書いておくれよ。そうすれば、君のところで次書くとことも考えておく。
──本当ですか! がんばりますね。
これは明石が書いているシリーズの一つで心理学部の大学教授が探偵役になるものだ。
あの会話は、そこにあった場面とまるっきり同じではないか!
偶然なのか、狙ってやったのか、恐らく後者だろう。
私が嬉しそうにしているのを明石はどんな気持ちで眺めてたのやら。
遊ばれるってこういうことか……!
「人の内面を、奥底を暴きたい欲求に駆られる」
やっぱり小説家という人種は恐ろしい。