112話 めんどくさい女は問題だらけだし、昔に戻ってもやはりカミラ様はカミラ様
「なんでよ?」
カミラの口から本音がポロリ。
いきなり現れては、殺意全開で暴れた挙げ句が“コレ”だ。
流石に、事態に着いていけない。
(嗚呼、ユリウスやアメリもきっと、こんな気持ちを常々感じていたのね…………)
自分という存在が、如何にトラブルメイカーなのか実感し。
カミラは遠い目をして、記憶を喪ったシーダを見た。
彼女は不安そうにしながら立ち上がると、一目散にセーラへ駆け寄る。
然もあらん。
“最初期”のカミラの知り合いと言えば、セーラ以外に居ない。
ユリウスなんて雲の上、アメリでさえ友人の友人レベルだ。
(もはや別物ね)
カミラは文字通り過ぎ去った“過去”と、今の自身を比較してため息を一つ。
――――否、それだけではない。
その心は今、確かにざわめき始めていた。
(別…………ええ“別”、なのよ。今の私と)
嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼。
この先に待ち受ける運命など知らず、ただ普通の幸せに浸っていた日々。
(きっと、幸せだったのだわ)
純粋なカミラ・セレンディアという存在の、最後の幸せ。
もし、もしだ。
この先、彼女の記憶が戻らなかったら。
――――その居場所は、何処にあるのだろう?
(ええ、私なら。記憶を直ぐにもどせるわ)
しかしそれは、先程の戦いの続きを意味する。
故に、絶対に、してはならない。
では、では、では?
どうすれば、彼女は。
“カミラ”は幸せになれるのだろうか。
居場所のない“カミラ”は。
悲しみに、絶望と怒りに染まってしまった“カミラ”は、この先どうすればいいのだろうか。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼――――)
カミラの心は、闇に包まれる。
(――――要らなかったのよ。こんな“力”なんて)
まるで幽鬼のようにふらふらと、青ざめた顔でカミラは足を踏み出す。
違う道筋を辿ったとしても、彼女は自分だ。
苦しみに満ちた日々を思い出す前に。
悲しみと後悔に溢れた“過ち”を思い出す前に。
最悪の結末に至ってしまった、その“憎悪”を思い出す前に――――。
シーダが倒れた場所まで来たカミラは、置き去りにされた“聖剣”を手に取る。
「――――ぃっ」
『エラー。N種制限管理者ニハ、使用権限ガアリマセン。全機能、ロック』
聖剣の自己防衛機能により、握りしめた掌がシュウシュウと灼ける。
同時に響く、無機質な警告。
それらに、カミラは顔をしかめた。
聖剣は勇者の、新人類の兵器。
魔王であるカミラには適合せず、堅いだけナマクラの剣に成り果てる。
――――だが、それでもいいのだ。
平凡な少女一人、素手でも屠れる。
聖剣を使うのは、せめてもの“手向け”なのだから。
カミラは思い詰めた表情で、シーダの後ろに回った。
幸いな事に彼女は気づいていない、今が絶好の機会である。
(どうか、幸せな時のまま。死んで逝きなさい――――)
振り上げられた剣は、無慈悲に下ろされるかと思えた。
しかし。
「止めてくださいカミラ様っ!」
「止めろッ!」
シーダを庇うように、両腕を広げて割り込んだユリウスと。
横からカミラの腹に勢いよく抱きついたアメリによって、凶行は阻止された。
「どきなさいアメリっ! ユリウスっ! こいつは、私はここで終わった方が――――」
「カミラッ!」
瞬間、パァンと乾いた音が高らかに鳴った。
半狂乱のカミラの頬に、ユリウスが掌を打ち付けたのだ。
(私は、私は何を)
頬の痛みに、カミラは正気を取り戻す。
振り上げた剣を下げ、のろのろと視線を戻すと、真剣な表情をするユリウス。
そしてその後ろに、怯えた顔のシーダと、彼女を抱きしめるセーラ。
皆一様に、心配の色と共にカミラを睨みつけていた。
「いったいどうしたんだカミラ、お前らしくもない」
「――――っ」
ユリウスの柔らかな言葉にカミラは、今まで目を反らしていた“問題”を自覚した。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼)
カミラらしさ、とは何だろうか。
ユリウスへの愛、アメリへの親愛、そうではない。
「私は、私はっ!」
(私は、こんなにも――――)
赤くなった頬に、眉尻から一筋の水滴が流れた。
心の中に、絶望にも似た黒い嵐が吹き荒れる。
もう、何を言っていいのか分からない。
どんな表情を作ればいいのか分からない。
「――――ごめんなさい」
それは果たして、誰に、何のための謝罪か。
カミラはアメリをふりほどき、ユリウスの前から逃げ出した。
この場から逃げ出したその背中を、ユリウスは呆然と見送った、見送ってしまった。
(お前は、もしかして――――)
あり得るのだろうか。
計らずとも、カミラと同じ“結論”に至ったユリウスは、その“結論”に動揺する。
今までは、ただ“愛”が重いだけだと思っていた。
偏執的なまでに、ユリウスという存在を理解している事。
トーナメントの時、己の命を省みず庇われた事。
――――幸せにする、と言った事。
それら全てが“愛”故に、だと思っていた。
(それだけじゃない。お前は、俺に――――)
ユリウスは確かに感じ取っていた。
先程のカミラの行動には、後悔で満ちあふれていた。
同じ顔をした存在を、殺害しようとした程に。
「泣いて…………」
決して、痛みからではない。
贖罪、そしてきっと――――“願い”。
(それすら、お前はッ!)
ユリウスは拳をギュッと握りしめ、歯噛みした。
「………………はっ!? ユ、ユリウス様!」
「ああ、追いかけるッ! 後は任せたッ!」
今のカミラは放っておけない。
何より恋人として、放置してはならない。
ユリウスもまた、部屋から駆けだしていった。
「何だっていうのよ、もう」
ユリウスがサロンから出ていったのを見て、セーラは深いため息を着いた。
それを皮切りに、張りつめていた全体の空気が緩む。
「あの、その…………セーラちゃん? 何であの綺麗な人は私を…………。それにユリシーヌ様を、ユリウス様って」
おずおずと問いかけるシーダに、セーラは思わず天を仰ぐ。
面倒な問題は、まだ残っていた。
「ええと、わたしはアメリです。貴女の名前は? 何処まで覚えてます?」
「アメリ・アキシアさんよね。同じクラスですもの、勿論覚えてるわ。でも、ええっと。私は確か…………、誕生パーティで魔族の襲撃があって…………って、あれ? 私、死んだ筈…………え、ええっ? 何で制服なの!? っていうかここ学院!? え、あれ、あれっ!?」
あわあわと混乱するシーダを前に、セーラ達は“念話”で緊急会議。
何をどうすればいいか、まったくもって検討がつかない。
「死んだとかバカな事いってんじゃないの。アンタは魔法の暴発でちょっと気絶しただけよ。ほら、落ち着きなさい」
「ああ、うん。そうなの? …………ありがとう」
セーラはシーダを抱きしめて、その背中をぽんぽんと。
これで数分は時間を稼げる。
(ガルド! アメリ! これどうすればいいのよっ!)
(うむ、余の見る限り。この者は“まっさら”なカミラに戻っていると思う…………恐らく、多分)
(わたしも同意見です。さっきカミラ様も言ってました“最初”のカミラ様だって)
(来たときみたいに、暴れる危険性は?)
(無い筈、と思いたい)
(本当に危険なら、有無をいわさず、誰にも止める暇なく、カミラ様なら無力化している筈ですし、危険は無い…………と思いたいですねぇ)
(そこは明言してよ二人ともっ!?)
駄目だコイツら役に立たない、とセーラは頭をフル回転させる。
(暴れる可能性は無いって前提で、そんでもって、“コイツ”はアメリ曰く“最初”の。つまり繰り返す前の、何の知識もない普通の女の子として――――)
セーラは半ば自棄になりながら、ここまでのカバーストーリーを組み立てる。
全ての責任はカミラにあるのだ。
ならば、シーダに関するあれやこれやも、全てカミラに背負って貰おうではないか。
数十秒“理由”をこねくり回した後、セーラはシーダに“嘘”の説明を始めた。
(無様なものね、今更こんなことに気づくなんて)
逃げ出した矢先、寄宿舎に戻る気分でもなく。
カミラは東屋周辺を、とぼとぼと歩いていた。
「…………ここは、いつも綺麗だわ」
先のカミラの“巻き戻し”により、四季の花々が枯れず、咲き誇る庭園。
色濃い甘い匂いと、秋の終わりの冷たい風に、カミラは酷く郷愁を覚えた。
「帰りたい…………いいえ、どこに帰るというのかしら」
独り、自嘲する。
セレンディアの実家か、それとも遙か遠く記憶の彼方の町並み、前世の家だろうか。
どちらにせよそこは、今のカミラが安寧と安堵に浸れる場所ではない。
「私は、ただ。私はただ――――。嗚呼、何がしたかったのかしら」
目に映るは誰もいない東屋。
そこに指で枠を作り、前世で見たゲームの“スチル”を重ね合わせた。
(笑いあう“セーラ”と“ゼロス”。見守るように傍らに佇むユリシーヌ)
ゲームのシナリオ通りに進むこの世界ならば、ありえた筈の光景。
最初のカミラが、目映く思っていた光景。
別に、壊したかった訳ではない。
“セーラ”の場所を、奪いたかった訳ではない。
ただ、ただ、ただ――――。
「――――カミラッ!」
自身を見失いかけたカミラを呼び戻したのは、やはりユリウスだった。
(狡いわ貴男、いつも来てほしい時に来てくれるのだもの)
よほど急いで探し回ったのだろうか、彼は息を切ら
し汗だくで駆け寄り、カミラの手を握る。
離すまいと、強く、強く。
痛いほど強いが、どこか心地よい痛み。
故にカミラは、いつもの様にユリウスが好きな笑顔を張り付けた。
「…………あら、ユリウス。どうしたのそんな急いで」
「お前……ハァッ、ハァッ。お前なぁ…………」
先程見せた涙は何処へ行ったのか。
不自然なほど普段通りの態度に、ユリウスの顔は自然と険しくなる。
何も聞くな、言うなという“拒絶”。
「……ぁ」
「この、馬鹿女が――」
ユリウスは衝動的に、カミラを抱きしめた。
強く強く、離すまいと。
「ふふっ、今日は甘えんぼさんなのねユリウス。そんなにしなくても、私は何処へも行きませんわ」
「…………違うだろう」
誰もいない東屋の側で、二人ぼっち。
二人一緒ではなく、一人と一人。
こんなにも近くにいるのに、心は繋がらない。
(ああ、そうか。多分カミラも――)
自分と付き合う前は、きっとこんな気持ちだったのだ。
“事情”を隠し迫るカミラと、“事情”により拒絶したユリウス。
その時と自分達は、何一つ変わっていない。
(いいや、ある筈だッ。俺達はッ)
恋人、婚約者。
しかし、そんな言葉は何の意味も持たない。
抱く腕を、より強く。
「…………違う、だろう」
「嗚呼、嬉しいわユリウス」
「だから――――ッ」
カミラはユリウスの激情を感じながら、涙が零れないように上を向いた。
全てを、全てを話す時なのかもしれない。
秘めている“真実”を打ち明けても、ユリウスは変わらず側にいてくれるだろう。
その確信が、カミラにはあった。
だが。
(私は何故、こんなにも怖いのだろう)
打ち明けて、楽になりたいのに。
受け入れて欲しいのに。
言葉が、胸から出てこない。
「カミラ…………カミラ…………」
(言わないと、今、言わないと。私は、私――――)
カミラが躊躇いと決意を繰り返す最中、二人ぼっちの時間は唐突に破られた。
「――――カミラ様! こんな所に居ましたのねっ!」
「ネッサ!?」
「――――っ!? ヴ、ヴァネッサ様!? ご、ご機嫌よう…………」
二人は慌てて体を放すと、ヴァネッサに向き合った。
――――ユリウスは、カミラの手を放さないままだったが。
「ご機嫌ようではありません! また貴女は騒動を起こして――――、ユリウス! 貴男が側にいたのなら止めなさい、諫めなさいな!」
「――――申し訳ありませんヴァネッサ様」
「毎度毎度すまないわ、ヴァネッサ様」
そういえば、後始末を何一つせずに出てこなかった事に。
今更ながら気づいたカミラは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「それで、ええと。今回の事も、此方が全部始末しますので――」
「当たり前です。ですが、何事にも限度と言うものがありましてよカミラ様。――――わたくし、“あの事”について貴女に話があって参りましたのよ」
貴男も同席しなさい、とユリウスにも指し示し。
ヴァネッサは東屋に備え付けの席へ、二人を座らせる。
(ユリウス、ユリウス? なんかヴァネッサ様、凄く起こってない!? “あの事”って何? 私、心当たりないんだけど?)
カミラからの念話に、心当たりだらけなのでは、という言葉を飲み込みながらユリウスへ返答する。
(すまない、俺にも見当が――――あ)
(あ? 今、あって言った! 何したのよユリウス!)
切ない空間とか、大事な秘密を打ち明ける空気とか、そんなのどこへやら。
降って沸いたピンチに、二人は慌てふためく。
(いや、どちらかと言うとお前の――――)
「――――二人とも、念話は禁止です」
「はい」
「あう、申し訳ないわ」
しゃきっと居住まいを正した二人に、――特にカミラを睨みつけ、ヴァネッサは口を開いた。
「先日、聞きましたのよわたくし。そこのユリウスから、カミラ様、貴女のした“所行”の事を」
心当たりがありすぎる故に、しかしてユリウスに今問いただす事も出来ずに、カミラは沈黙を守る。
「長い時間。一緒にいながら、事情を見抜けなかった事、親友として慚愧に耐えません――――でも、そこはいいのです。わたくしの問題ですから」
ヴァネッサは、いっそう眼光を強めてカミラをにらむ。
「王国の政治的安定の為にも、わたくしに話して貰えなかったのは、ええ、気にしてませんもの。匂わすくらいして欲しかったとか、全然気にしてませんわ」
凄く気にしてるじゃない、とツッコミを我慢して、カミラは沈黙を守った。
秘密の守秘において、知る者は少ない方が良いのは心理であるが、感情として納得出来ないのは十二分に理解できる。
そも、ユリシーヌがユリウスに戻れたのは、カミラ自身の功績、権力と武力、そして恋心が何故か国王にクリティカルヒットを及ぼした、奇跡の産物だ。
もしかすると、ヴァネッサは一生、真実を得る機会が無かったかもしれない。
そう考えると、カミラに詰め寄るのは――――。
(あら? でも、そこに怒っている訳ではないわよね。ではいったい?)
今一つ、理解が及ばないカミラの様子に気づいたのか、ヴァネッサは苛立ちを隠さず口調を荒げる。
「しかし、しかしですよ! わたしは一個人として! 幼馴染みとして! 親友として! ユリウスが良しとしても糾弾せねばなりません!」
バシンと備え付けのテーブルを叩き、ヴァネッサは立ち上がる。
「何故、脅迫したのですか!」
「それ、は――――」
カミラは虚を突かれ、唖然とした。
次いで、心身に染み渡ったヴァネッサの“怒り”に、浮ついた気持ちも、困惑も、その全ての熱が引いて行く。
そう。
ヴァネッサはカミラの理由を知らない、経た道々を知らない。
だからこその、正しい“怒り”。
(嗚呼、嗚呼…………今日は、厄日ね……)
或いは審判の日だろうか、とカミラは自嘲した。
カミラという存在は、“正道”を取れなかった。
間違えた道しか取れなかったその罪の、因果を問われる時がきたのだ。
(もし、この世に神がいるのなら、これはきっと。懺悔の時)
「嗚呼、そうね。――――貴女の、言う通りだわ」
か細く、だが確かな声でカミラは答えた。
同時に、ヴァネッサに人の上に立つ者の、人の光を見る一方。
思わず、普通に恋をし結ばれる道筋を幻想してしまう。
(それは、何より幸せな事だったでしょうね)
脅迫という手段をとらずに、恋が成就した別のカミラがいたかもしれない、だがカミラは今の道を選んだのだ。
「――――申し開きは、しませんのね」
固い言葉が胸に突き刺さる。
庇おうとする仕草を見せたユリウスに向かって、カミラは首を横に振り、心からの声をだした。
今この場で必要なのは、物理的な力ではない。
必要なのは、愛と誠意。
「そんなもの、存在する筈がありませんわ。――――だって、私は自分の行いを一つも間違っているとは思っていません」
「カミラッ!?」
「――――ぃ!? で、ではっ! 脅迫の事実を認めるというのですね!」
目を丸くして驚くユリウス。
目をつり上げ怒気を上げるヴァネッサ。
カミラはそれらを受け止め、静かに続けた。
「多分、脅迫という手段を用いず。長い目でみた、穏便で“普通”の手段があったのでしょう」
(嗚呼、そうね。光を与え、光を求めるなら、そうであるべきだった)
シナリオなど、とうに崩壊させているし。
気をつけるの、はセーラと魔族のみだったのだから、それが出来た筈だ。
「ええ、でも。私は――――我慢、出来なかったのです。例えどのような手管を使っても、ユリシーヌをユリウスの全てを私だけのモノにしたかった」
全ては自身の欲望の為だ。
ユリウスという存在に恋い焦がれて、深い海に溺れている自分の。
「今一度宣言するわ。私は脅迫という手段を使ったこと、間違ったとも、後悔ともしていない――――」
カミラの中に、狂おしい程の愛と憎悪が吹き荒れる。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼っ! どうすれば良かったのよっ!)
忌々しい事に。入学するまでカミラは、世界に、“世界樹”によってユリウスに接触できなかった。
しかし邪魔だといって、それを壊してしまえば、世界は今頃戦乱のまっただ中だった“かも”しれない。
王国の闇の一員であるユリウスが、命を落とす危険性が存在した“かも”しれない。
――――絶対に、許せる事ではない。
千年以上の時をかけて、最後の一回だったのだ。
数える事がバカらしくなるくらいの“死”の先に、漸くたどり着いた生存の道だったのだ。
入学し、出会う迄のの十五年。
カミラはもう存分に待った、待ったのだ。
不確定になりつつある世界の中で、一歩たりとも足踏みなんてしていられない。
「私は、ユリウスを幸せにするならば、これ迄も、これからも。手段や方法など選ばない」
鋭すぎる眼光と共に、重々しく出された言葉。
その激情と美しい狂気の輝きに、ヴァネッサとユリウスは圧倒された。
(嗚呼、でも。嗚呼、幸せってなにかしら? こんなに歪な私に、ユリウスと共にある幸せを享受する資格なんてあるの?)
カミラにはユリウスを求める事しか出来ないのに、けれど疑問は限りなく溢れ出て。
それでも、手を伸ばさずにはいられない。
理性と激情が混在する危ういカミラの心を、ヴァネッサはたった今感づいた。
ユリウスより、アメリ達より一歩引いた関係であるからこそ。
なにより同じ、恋する女として――――。
「――――平行線ですわね。故に、認められませんわ」
「認められなければ、それでどうするというの?」
「お、おい、二人ともッ。ここは穏便にだな――――」
「――――ユリウスは黙っててっ!」
「――――ユリウスは黙りなさいっ!」
毅然としたヴァネッサの台詞に、カミラは憎悪すら混じり始めた挑戦的な笑みを浮かべた。
言葉を遮られたユリウスは、おろおろとするばかりだ。
ゴゴゴと聞こえてきそうなプレッシャーの中、割ってはいる勇者、もとい将来の王の声が一つ。
「話は聞かせて貰った――――俺にいい提案がある!」
「ゼロス!?」
「殿下!?」
「…………危機は去ったのか?」
こっそりヴァネッサの後を追い、全てを聞き及んでいたゼロス王子は、全てが手遅れになる前に先手を打った。
ヴァネッサは個人の話としたい様だったが、こと騒ぎが広まれば大人達も交えて政戦待った無しである。
ならば――――。
「聞き耳を立てていたのはすまない、だが、両者ともに譲る気がないのなら、何らかの方法で決着を付けるしかあるまい?」
「それは…………」
「私は、別に」
言いよどんだヴァネッサは兎も角、話に乗り気にないカミラに。
ゼロスは冷や汗をかきながら、“とある話”を持ちかける。
「カミラ嬢、お前にミスコンの誘いが来ているのは聞いているな?」
「ええ、アメリから聞いているわ。それで? その舞台で決着を付けろとでも?」
不機嫌を通り越して、地獄を這いずる様な迫力の言葉に。
ゼロスは、ユリウスに必死のアイコンタクトを送りながら続ける。
届け、王子の想い――――。
「この勝負。カミラ嬢が負ければ――――“ユリシーヌ”は俺の“妾”とする!」
瞬間、全員の時が止まった。
女性二人は驚愕に言葉を失い、ユリウスはその“意図”について検討を巡らせていたからだ。
数秒の空白の後、最初に発言したのはユリウスだった。
「――――その提案、お受けします殿下。カミラが負けたのなら、俺、いや私は殿下の妾としてお側に侍りましょう」
「ちょっ!? ユリウスっ!?」
「殿下!? 本気ですの!? わたくしが何の為に――――!」
ばびゅんと詰め寄るヴァネッサを、ゼロスはその手を優しく握る事で制し。
ユリウスは即座に、カミラの説得へあたる。
「カミラ。この問題は俺達にとって、避けては通れない。だから、白黒はっきり付けるためには――――」
「その身を、殿下に捧げる事も厭わない、と!?」
信じられないっ! と悲鳴混じりの言葉を叫ぶカミラを前に、ユリウスにはゼロスとはまた別の思惑があった。
(ゼロスの事だ。勝敗に関係なく、妾の事は有耶無耶にするつもりだろうが、これは――――いい機会だ)
知らなければならない。
カミラの過去だけではない、その心の“問題”を。
確かめなければならない、先に思い浮かべたその“答え”を。
ユリウスがじっと見つめる中、カミラの心は困惑に満ちあふれていた。
(何を、何を考えているのユリウス…………貴男が、解らない…………)
こんな事は初めてだった。
ゼロスの話に乗ったのは、ヴァネッサとの蟠りを解消する為だろう。
そこまではいい。
(解らない、解らないわ。貴男が何を“感じている”のか――――)
普段のユリウスなら、こんな馬鹿げた提案に乗らないだろう。
妥協案を出すか、逆に新たな提案をするだろう。
では何故、何故。
カミラはこの場で縋りつき、詰め寄って問いつめたい衝動を必死で堪えた。
それはカミラに残された、女としての矜持が許さなかったからだ。
(どうすればいいの? ユリウスの目は本気を語っているわ。もし負けたら)
ゼロスと親しいが、長い付き合いでもないカミラは。
混沌とした精神状態もあって、その提案の裏も読まずに信じてしまう。
無論、ミスコンで優勝する自身はある。
しかし、――――世の中に絶対は無い。
幾度と無くその苦さを味わったカミラは、失う事への恐怖に身を震わせた。
「私は、私は…………」
「何を躊躇う事があるんだ。お前は俺を夢中にさせる程、素敵な女性だ。ネッサには悪いが、負ける筈がないよ」
「でも、私は」
カミラは遂に、俯いた。
これまでの自信を全てどこかに追いやって、目を伏せた。
しかし、力なく握られたその手に。
そっと、暖かな温もりが添えられる。
「大丈夫だ。――――俺を信じて」
「…………ユリ、ウス」
怖々と顔を上げると、そこには優しく微笑む愛する者の姿が。
(嗚呼、嗚呼。きっと、“そう”なのね――――)
カミラはユリウスの手を、確かに握り返した。
相手の考えが理解できなくとも、今まで培われた“信頼”は確かにここに。
(私はきっと、向き合わなければならない)
今まで辿った道と、二人のこれからに。
ヴァネッサとの勝負に勝った所で、カミラの“心の問題”は解決しないだろう。
でも今は、逃げ出す時ではない。
目を、反らしてはいけない。
カミラはユリウスの手を握りしめ、ヴァネッサ達に向き合った。
静謐を携えた瞳で、力強く宣言する。
「――――ヴァネッサ様、ゼロス殿下。先程の提案、お受けいたしますわ」
「うむ、承知した」
「わたくし、負けませんわ」
ヴァネッサは、穏やかなカミラの態度に驚きながら。
ゼロスは内心、安堵に塗れながら頷き。
二人仲良く、この場から去る。
そしてカミラ達がら大分離れた後、ヴァネッサはぽつりと漏らした。
「…………ねぇゼロス。わたくし、いらぬお節介を焼いてしまったかしら?」
「そんな事は無いさ。幾ら知恵を持ち、魔法の腕に優れようとも、カミラ嬢は、二人は俺達と同じ大人と子供の狭間。――――きっと、良い方向に転がる」
「そうね、最後のカミラ様。善いお顔をしてらしたもの。きっと――――」
どんな問題を抱えていても、あの二人ならば乗り越えられるだろう、とヴァネッサとゼロスは微笑んだ。
ところで一方、残されたユリウスとカミラは、少しギクシャクとした時間を味わっていた。
一難去る前に、また一難。
さりとて、以前の様に秘密を打ち明ける空気でもなく、甘くベタつくには熱情が少し。
ほんの少しだけ――――足りない。
繋いだ手はそのままに。
お互いに言葉を探しながら、視線を彷徨わせる。
はて、どうしたものか。
(嗚呼、でも。こんな時間も――――)
悪くはない、とカミラがそう思い始めた時、妙に聞き慣れない、さりとて馴染みのあり過ぎる声が一つ。
「お゛、お゛ね゛え゛さ゛ま゛~~~~っ!」
「ひゃういっ!?」
「だ、誰だッ!?」
「わ゛た゛し゛で゛す゛お゛ね゛え゛さ゛ま゛ぁ゛! わ゛た゛し゛、わ゛た゛し゛ぃ゛~~!」
ガサゴソと、斜め後ろの生け垣からシーダが現れ、涙と鼻水だらけでカミラに抱きつく。
「ちょっとっ!? いきなり抱きつかないでっ!? っていうか――――」
「――――話は聞かせて貰った! パートツー!」
「いやすまない、余は止めたのだがな…………」
「申し訳ありませんカミラ様。わたしでは止められませんでした…………ええ、この行動力は変わらないんですねぇ…………」
続いて登場したのは、何故かドヤ顔のセーラ。
そして、どこか疲れた顔のガルドとセーラだった。
カミラはハンカチを取り出し、シーダの顔を拭きながら彼女以外に“念話”をする。
これはいったい、何が起こっているのだろうか。
(聞いてたって、貴方達いったい何時から――)
(いや、それよりもだ。何故彼女がカミラの事をお姉様、と?)
(嗚呼、それもあったわっ!? 昔の自分にお姉様呼ばわりなんて、気持ち悪いんですけどぉ!?)
後輩に優しく接する姿を崩さぬまま、困惑の声を出すカミラに。
セーラはキシシと、意地の悪い笑い声を出しながら告げた。
(あの子、全部忘れてるみたいだったから――――アンタの事、“生き別れの姉”って事にしといたわ、ザマァ)
(――――成る程、奇策だが良い手だな)
(ユリウス!?)
(ちゃんとカバーストーリーも考えてますよカミラ様!。幼い頃、誘拐されて地方の貴族に売り飛ばされたカミラ様ですが、学園を入学を期に再会。本当のご両親と再会し、以後仲睦まじい姉妹として暮らしていた、という事になってます)
(浚われたの私になってるぅ!?)
麗しい淑女の相貌はそのままに、器用にもガビーンと途方にくれるカミラ。
ガルドは気まずそうに、後を引き継ぐ。
(すまない、余も止めたのだが…………、ああ、今回の事は、カミラの新作魔法の実験に失敗、爆発により記憶が一時戻っている、という設定にしておいた)
(全っ然っ! 反対してないじゃない!? というか、何でもかんでも私の所為にしないでよっ!?)
(諦めろカミラ。日頃の行いの結果だこれは)
(ユリウスっ! 貴男まで笑ってるんじゃないわよぅっ!?)
味方がいない、と思わず天を仰ぐカミラに、泣きやんだシーダが首を傾げる。
「どうかしましたか? カミィお姉様?」
「カ、カミィおね――」
(同じ名前は紛らわしいでしょ? だからアンタの事をカミィ、この子の方をミラって呼んであげてね)(こん畜生めぇ!)
「――――い、いえ、可愛いミラ。何でもないのよ、ただ空がきれいだなぁって」
顔を引き攣らせながら必死に笑顔を取り繕うカミラに、無責任に外野はコメント。
(聞いた? コイツいけしゃあしゃあと、昔の自分に可愛いって言ったわよ?)
(いやー、流石にそれは無いですよカミラ様。ナルシスト的な所があるのは承知してましたが、真逆…………ねぇ?)
(余は…………止めたのだぞ)
(今のどこに、貴男が止める所があったのよガルドっ!? というか辛口過ぎない貴女達ぃ!)
(どうどう、カミラ、どうどう)
(馬扱いしないでよユリウスううううううううううううう!)
混沌とする念話とは裏腹に、お姉様、やっぱり…………と涙ぐむミラに、新造お姉様もといカミラはよしよしと再びあやす。
「泣かないで、み、ミラ? 私達姉妹? でしょう? このカミお姉様になんでもお話なさい?」
「ご自分が大変なときに、私の心配なんて……カミィお姉様は、本当に私のお姉様なんですねっ!」
無垢な目をキラキラ輝かせるミラに、カミラはうぐぅと大ダメージを受ける。
同じ存在とはいえ、経験値が違う。
当然、ミラはカミィの心中なの察せずに続けた。
「ごめんなさい、カミィお姉様。私、聞いてしまいました。その、ユリシーヌ様と禁断の中で、けれどゼロス殿下達の反対にあってるって、今度のミスコンでヴァネッサ様に勝たなければ、離ればなれになってしまうって…………」
ぐすん、と鼻をすするミラに、カミラは踞りたい衝動を切に堪えながら念話を飛ばす。
(ちょっとちょっとちょっとぉっ!? コイツに私達の事どんな説明したのよ!?)
(ゴッメーン。その辺なんも説明してないわ)
(あー、だからユリウス様が男だって事、知らないんですね)
(成る程、カミラも最初から俺の全てを知っていた訳ではないのか…………)
役に立たないっ! とカミラは叫びたいのを我慢して、プルプル震えながらミラの誤解を解き始める。
「ええと、その。ミラ? 何か誤解があるようね」
「誤解ですかお姉様?」
「ユリウス――――ユリシーヌ様の事ですけれど、実は男ですのよ」
「男!? ふふっ、冗談がお上手ですねカミィお姉様。こんな綺麗なヒトが男の方の筈ないじゃないですか。もし本当だとしたら、変態ですよ変態」
「へ、変態…………」
「ぬおぉ! しっかり、傷は深いぞユリウス――――!?」
「お気を確かにユリウス様! 端から見れば間違ってないですから、しかたありませんよぅ!」
「げっふあぁッ!」
「お、落ち込むなユリウス! 余はそなたが、男子生徒が選ぶ理想のお嫁さん一位の座を、男になった今でも保っている事をしっているが、その通りだと思っているぞ!」
「ごっふぁッ!」
「いや、アンタら止め刺してるからソレ」
見事な失意体前屈から、ごろごろと転げ回るユリウスと、慌てるアメリとガルド。
その光景を見て、ミラはきょとんと瞬きをする。
「――――ええと、お姉様? ま、真逆?」
「ミラは忘れてしまっているのでしょうけど、実はユリシーヌ様は幼少期に魔族によって男に変えられていたのよ。それを私が、皆の前で解呪したの」
「そ、そんな事情が…………、申し訳ありませんユリシーヌ様っ! 私、カミィお姉様の大切な恋人に、なんて事を――――」
カミラの棒読みの説明に納得がいったのか、現状を理解したミラは、顔を青くしてペコペコ頭を下げる。
ユリウスはウイッグを取り、胸元を開きブラを速攻で外して仕舞い、殊更に男性である事を強調してから口を開いた。
「いや、解って貰えればそれでいいんだ。俺の事はユリウスと呼んでくれ、それが本名だ。男子生徒の制服姿も、明日見せよう…………うう」
「本当にごめんなさ――――あれ? でもさっき、ゼロス殿下はユリウス様の事を妾にするって…………あれ? でもカミィお姉様は全校生徒の前で男に戻したって…………あれぇ?」
不味い、変な方向に思考が、とカミラが口を挟むより早く、ミラは新たな誤解を。
「真逆、殿下は男の人もイケる――――」
「ストップっ! ストップよミラ! そこは深い事情があるんだからっ! 違うからねっ! ゼロス殿下はヴァネッサ様一筋だから」
記憶を喪っている筈のミラならば、今の狼のようなゼロスではなく、子犬と称される線の細いゼロスをゼロスと認識するのが妥当だが。
――――何故、“今”のゼロスをゼロスだと認識出来たのか。
カミラは浮かんだ疑問を、それどころではないと頭の隅に追いやって、ミラの不敬な考えを止める。
いや、マジでそれどころではない。
周囲に自分たちしかいないから良かったが、ゼロス殿下達がいたら、最低でもヴァネッサがブチキレ確定だろう。
「ね、良い子だから本当にやめて。ゼロス殿下はノーマルでヴァネッサ様一筋だから、深い理由あっての事だから、ね、ね?」
「あうう。ごめんなさいぃ…………。浅慮でした、浅はかでした…………」
「…………素直だ」
「どうしてコレが、“こう”なるのやら」
「はやぁ~~。新鮮です」
「お、落ち込むなカミラ。権力など物ともしない普段のお前が俺は好きだぞ、…………好きだぞ?」
「そこは断言してユリウスぅ…………」
仮にも妹、ましては昔の自分の前でみっともない真似はできないと。
カミラは気丈にも、涙目になるだけで踏みとどまった。
「本当ごめんなさい、ユリウス義お兄様、カミィお姉様。お詫びと言っては何ですが――――この勝負、私がお姉様を優勝に導いてみせますわっ! このカミラ・セレンディア、全身全霊を尽くしますっ!」
しゅんとした態度が一転、ぐぐぐ、と拳を握り燃え上がるミラに、カミラはとうとう頭を抱え。
残る三人は、生暖かな視線を送る。
どうしてこうなった。
「さ、カミィお姉様っ! そうとなったら行動開始ですわっ! 先ずは対策会議と致しましょう! この愛の試練、お姉様達の愛と、私達の愛の力で、必ず乗り越えましょうっ!」
(ど、どうしてこうなったのおおおおおおおおおおおお!?)
(残当)
(昔のカミラとはいえ、カミラだったのだなぁ…………)
(わたしも協力しますよカミラ様っ!)
(根は変わらないんだな、お前)
ちょっとは慰めなさいよっ! とカミラは叫び、ミラは叫びだした姉に首を傾げる。
前途多難、という言葉がぴったり来ていた。