105話 カミラ様は豆腐メンタル
「――――で、これはどういう事かしら?」
カミラは青筋を額に浮かべながら、ユリウスとアイリーンに聞いた。
カレーとサラダが並ぶ食堂、――身内用に作られた一般家庭サイズの室内とテーブル。
セレンディア家と同じく、アットホームな家風はカミラにとって嬉しい事だった。
だったが。
「…………まぁ今日くらいは許してくれカミラ」
ユリウスは、どこか気まずそうに。
「すまない。アイリーンは甘えん坊でな、どうしてもと言って聞かないのだ」
アーネストは、親馬鹿丸出しで。
「ええ、お気持ちは解ります。解りますよカミラさん、…………これも“血”なんでしょうねぇ」
イヴリンは諦めた目で、深くため息をついている。
カミラとしては、諦めるくらいなら言い聞かせて欲しいが、義母のこれまでを思うと何も言えなかった。
(私と同類に愛されて、血を分けた子供は“血”の気風を受け継いで。さぞ、ご苦労されたのでしょうね)
だがしかし、コイツは駄目だ。
明らかにカミラへの“当てつけ”であり、その証拠にうっすらと口元が歪んでいる。
「小さい頃はよくこうして、食べさせて貰ってたのよ! 普段は義姉様が独占しているんだし、今日でおお終いって事で、ね?」
「うふふっ、私も。久しぶりの家族の交友を邪魔する気はありませんわ。ええ、普段は“独占”してますし、これからも“独占”するのですから」
ユリウスの“膝の上”に乗ったアイリーンと、隣に座るカミラとの間で、火花がバチバチと散る。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼)
とても嬉しい光景なのに、愛するユリウスが家族と打ち解けて。
カミラもまたその一員の様に、“些細な事”で仲良く睨み合う。
命の危険も、世界の裏側も、そんな事は何一つ関係ない暖かな風景。
だからこそ、それ故に。
気づかされる。
カミラは気づく。
浅ましい自分に、自分の本当の願い、に。
(嫌、嫌、嫌、嫌よ……。アイリーンは“血”の繋がりがなくともユリウスの家族。そして今は、私の家族の一人。――――でも)
カミラは柔らかな笑みで、これもまた微笑ましいと、諦めた“フリ”をして、場を壊さぬ様、誰一人として心に立ち入らせるまいと淑女の仮面を被る。
やがて和やかな空気の中、食事が始まったが。
理性と感情で、カミラの心には嵐が吹いていた。
(――――“そこ”は私のモノなのに。嗚呼、嗚呼、嗚呼。今すぐ突き飛ばして私が座るの。でも駄目、そんな事をしたらユリウスが悲しむわ)
些細な事、些細な事だ。
まだ年端もいかぬ幼い子の他愛ない我が儘だ。
けれど、けれど――――。
カミラはカレーを口に運ぶ、何かを話しかけられて何かを言ったが、分厚いガラス板の向こう側の様に、関知し得ぬ出来事だ。
アイリーンがユリウスに、サラダのミニトマトをアーンしている。
カミラもまた、負けじと参加するが。
全てが自動的で、頭に入ってこない。
ただ、ユリウスの嬉しそうな困り顔が癒しだった。
アイリーンへの本能的な敵意と、ユリウスへの想いにカミラは分離する。
食事が終わり、コーヒーと共にデザートが運ばれて談笑は続く。
ユリウスの小さな頃のエピソードは、喜びと共に脳裏に刻まれ、しかしてそれに浸れない。
(私は浅ましい、何て浅ましいの…………)
やがてカミラは、案内された客間に一人。
呆然と立ち尽くす。
ユリウスと同室であったが、幸か不幸か彼は義父とまだ談笑中だ。
故に、漸く、カミラは心を晒け出した。
「愛が、愛が足りないわ…………」
カミラからユリウスへの、ではない。
ユリウスから、カミラへの、だ。
「もっと、もっと、もっともっともっともっと。ユリウスから愛されなければ」
そう、それなのだ。
カミラの、カミラの本当の望みは――――。
「ああ。どうか。私が貴男を愛するように、貴男も私を愛して欲しいのに」
血を吐く、そして地を這う様に出された言葉は、独りぼっちの室内に小さく響いて、消える。
人として、間違っていると解っている。
だがそれでも、カミラは。
「――――愛した分だけ、愛して欲しい」
愛の対価に、愛を求めてはいけない。
人類発生以来の教訓だ。
「私だけを見て、私だけを感じて、私だけに囁いて、触れて、私にだけ、私にだけ」
無償の愛なんて、嘘っぱちだ。
幸せにしたいのも、愛されたいから。
愛されたいから、愛するのだ。
「ユリウスの世界に、私だけが居ればいいのに」
世界には邪魔なものが多すぎる。
だからといって、排除に動けばユリウスが悲しむ、愛を喪うかもしれない。
(私は、どうすればいいの)
血が滴ってもカミラは拳を強く握り、仄暗く笑った。
他の時間軸の、シーダ達ならどうしただろうか。
(いえ。“排除”してしまった“先”が私なんでしょうね)
出発の前の晩のメッセージ。
きっとあれは、この事を言っていたの。
哀しみと共に幸せを掴み、けれど埋まらぬ渇望に身を焦がし生きる事を選んだのだろう。
(嫌よ。そんなの…………私は絶対に後悔などしたくない)
力なく、握りしめた手を弛める。
途端、魔王としての修復機能が働き、瞬く間に傷が癒された。
カミラが虚ろな目で、無意識に流れ出た血を魔法で洗浄していると、コンコンとノックの音。
「どうぞ、入ってもいいわ」
カミラが淑女という猫を被りなおした直後、部屋似入ってきた者は――――。
「カミラ様、入浴の用意が出来たそうですっ!。……って言っても、今からアイリーン様がお入りなさるので、その後なんですけどね」
「ええ、わかったわ。それで? そこの――――」
アメリの後ろにいるメイド美少年の名前を呼ぼうとして、その名を聞いていない事に気づく。
少年もそれに気づいたのか、少しオドオドした様に名乗った。
「先ほどは名乗らずに申し訳ありませんカミラ様ボク――いえ、ワタシはリディと言います」
「んでですねカミラ様。耳寄りな情報――もとい、相談があるようなので、聞い貰えませんか?」
カミラは何かを掴めそうな予感を感じながら、にこやかに頷いた。
次回は明後日です。