第6話人間の限界
「あ〜また私のお菓子食べてる! もういい加減にしてよね? いい加減怒るよ──」
記憶の狭間で揺れた声。
それは夢か現か。
聞き覚えはない。
「すっげー! あんな高いに木に登ってもうカブト虫捕まえたんだ! やっぱ──はすごいや!」
それでも、心が痛むのは何故だろう。
ひどく、懐かしくて。
それでいて、悲しい気分になる。
覚えていないのに。
記憶にらすらない言葉。
誰の台詞なのだろうか。
俺に関係あることだった? 否、何も知らない。
今となっては、もう過ぎたことだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……お、おれ〝は──ッ!!?」
混濁する意識の中、声を上げて身体を動かそうとした瞬間、尋常ではない苦痛が神経を灼いた。
悲鳴を上げて騒ぐことも出来ない苦痛。
それは全身をきつく縛りその場に固定する。
息を僅かに吐いた瞬間に走る激痛。
折れてしまった肋骨が内臓に刺さった。
しかし、その線はないだろう。
体の内部に違和感はさして感じていない。
呼吸系統のどこかにダメージを負ったと考えるのが妥当だろう。
それより問題なこと。
この身体の神経を焦がすが如き稲妻。
これが身体の動作を縛る。
【強化】を使用してを尚蝕む痛み。
朧気だが先程触手の一撃を受けた為か。
防御力を引き上げても完全には防ぎきれず傷を負った。
先程まではここまでの痛みは無かったというのに。
このままでは……
「……い、だみ〝が、ひい、てる〝?」
震える右手を気力で動かす。
先までの神経を灼く苦痛は徐々に収まり、動かそうと思えば多少は動いた。
その手で攻撃を貰った腹部を触る。
鋭い痛みが走り、右手を顔の位置まで持っていくと、赤黒い液体が付着している。
これが苦痛の原因だろうか。
まるで他人の苦しみを無理矢理捻じ込まれた気分だったが、時間経過による毒素の消滅。
はたまた別の要因なのか。
答えなぞは知らない。
ただ確かなことは一つ。
全身の苦痛はある程度引いた。
残るはこれまでで積み上げた傷だけが、先程よりも痛みを増して身体と精神を喰らう。
しかしだ、思考は先よりも楽になった。
それだけでも喜ばしいことである。
『アぁ〝 ァアあああぁア……ご〝ごおおおお〝ロぉあおあおお〝 おおおおおおおおおおおおおっっっ!!』
寒気を呼ぶ音が辺りに木霊した。
いや、これは既に叫び声に近い。
それに合わせて、混ざるような悍ましい音が一箇所に集中し始めていた。
あの巨大な化け物が分体を吸収しているのだろうか。
恐ろしさの余り震えそうだ。
ここで俺は死ぬ。
最早この身は死に体。
一体どんな抵抗が出来るのだろう。
もう、大人しく成り行きに任せた方が楽になれるのかも知れない。
でも、そうだとしてもだ。
本当に諦めていいのか? このまま敗北する。
それはあの負け犬どもに敗北を認めたも当然のことだ。
あんな畜生にも劣る人形風情に殺される。
そんなのは駄目だ。
屈辱の余り血管がはち切れる。
それに、このまま死ぬくらいなら、命を賭して戦った上で殺された方がマシだ。
「どう、ぜしぬ、な〝ら……か」
震える手を見つめながら零し、既に底がつきた身体を見つめ直した。
微弱ながらも体力はある。
まだ抗い闘争を望む選択肢が一つ。
逃走の二文字はない。
故に、スキル【強化】使用した。
無理矢理魔力を精製して、精神力を再び最大まで強化。
音が響く方を確認する。
そこには巨大な赤黒き化け物が、音を立てて巨大化していた。
林の中から見える程の巨体。
しかし、まだ襲い掛かって来る気配はない。
実に有り難いことだ。
己の本懐を遂げる機会がある。
その恵まれた幸運に自然と頰が歪むのを自覚した。
「さぁ〝ぃのぢ、を──賭ぞ、ぅう〝」
目を瞑りスキルの限界点を認識する。
アレの前に生半可な攻撃など意味は無い。
圧倒的な物理的火力で圧し潰す。
この一手しかあるまい。
スキル【強化】とは、ありあらゆるものを強化することが出来る力だ。
理論上強化の限界は存在しない。
より厳密に言えば、一定ラインを越えると脳に警告が来るだけ。
しかし、今回はその警告を振り切る。
化け物を殺すに必要なのは圧倒的な火力だ。
この数多に連なる樹々を用いて叩き潰す。
「ガアアァァッ!?」
溶岩が血液の代わりに流れてるのかと、そう錯覚する程の痛みが駆け抜けた。
膝が笑い音が遠のき、視界が真っ白に染まる。
少しでも気を抜くと集中力の糸が切れてしまう。
身体が燃えるように煮え滾る。
全身が蝕まれる感覚。
想像以上の負荷に折れてしまう。
しかし、精神力を強化しているので耐えられた。
ゆらりと、一番大きな樹に近付き、右手の指を揃えて手刀の形にして斬り裂く。
根元から斬られた樹は、ゆっくりと化け物の方へ倒れる。
強化した部位は既存も含めて六ヶ所。
精神力と右腕の切断能力。
腕力と握力。
全身の強度及び骨密度。
その内の一つ、右腕の切断能力は済んだので強化を解き、並外れた握力で根元付近を抉り掴んだ状態で、一つ空いた枠に樹の強度を上限越えで強化。
後は、叩き潰すだけだ。
「──づぶ、れ〝ろおぉおおおおオオオオおおおっ!!」
吠える同時に疾走。
強化をしても進む度に重心が前後左右に揺れるが、何とか化け物目掛けて勢い良く振り落とす。
化け物はまだ吸収途中で動かない。
確実に捉えて潰したと、そう考えたが違和感を感じた。
荒れる呼吸の中、疑問に思わず眉を潜める。
手ごたえがない。
大地を叩いただけの感触。
僅かに思考するが即座に止め、そのまま右足を軸に回転して横薙ぎではら──
「──い〝ぃ!?」
手応え有りと感じた瞬間、左脚に苦痛を感じて身体が右に揺れた。
握り締めた力が緩み、そのまま倒れるのを防ごうと右足を踏み出そうとするが、視界が反転。
気が付けば浮遊感を感じて、次の瞬間頭に凄まじい衝撃が走る。
幾度も無造作に浮遊感と衝撃が続く。
全身が満遍なく痛みを覚えるが、それよりも辛いのが左脚の苦痛。
取り払おうにも激しい加速で叶わない。
最後とばかりに顔面が強い衝撃を受けて全身が軋む。
海老反りの形から背骨が収縮した反動で前に跳ね、そこから身体を捻り地滑りする形でなんとか着地をして前を視認。
巨大な触手が眼前に迫っていた。
咄嗟に受け止めるが、余りの力に吹き飛ばされる。
辛うじて後方回転をして着地するが、顔を上げて上空を視界に入れた瞬間、眼を見張って僅かに硬直してしまう。
何故ならば、宙に大木があったからだ。
使用していた大木が最も容易く浮いている事実に瞠目し、その隙が次の一手に繋がっている事に気付けなかった。
枝の間から無数の細き触手が飛んで来る。
避けようと動くが、その時には脚に細い触手が巻き付きていて、引っ張られると同時に転倒した。
「ガッ──っい〝いぃいいいいい……ッ!」
転倒の衝撃で肺から肺から酸素が抜ける。
苦悶に声を上げると同時に、宙に浮いていた大木が物理法則に従って落ちて来た。
咄嗟に左腕で受け止めるが、耐え切れず徐々に押し潰されていく。
「ガァ〝アアアアァァァアアアアっ!?」
右腕も使おうとした矢先、大木の重さが爆発的に増す。
余りの重さに容易く腕は押し戻され、大地は放射状に亀裂が入り始める。
枝の隙間からは赤黒き体液が漏れ始め、樹は消化音を立てていた。
必死に抵抗を試みるが限界を越えた腕力を持ってしても上がらない。
身体は悲鳴を上げて大地に沈み、筋繊維と骨が嫌な音を奏でている。
現実は冷酷に死を告げていた。
命を賭した程度では、敵わないと。
こうしてる間にも体力は削られ死へと近づく。
終わりが、近い。
だが、命を賭けたぐらいでは足りないというのならば、更に力を引き出して勝つ。
選択は、最初から決まっている。
「──ぁ、ああ、アア〝 アアアア〝 アアアッ!!」
スキルから更に力を出す。
脳の警告など振り切って際限無く力を上げ、受け止めていた大木に指を食い込ませ、強引に持ち上げて化け物ごと地面に叩きつけた。
強化した樹はへし折れ、肉を潰す音が弾ける。
土煙が爆発したように舞い散り、石や土が辺りに飛び散った。
土煙が消えた頃には、立っていることが出来ずに膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。
限界を越えた【強化】には時間制限でもあるのか、徐々にその頭角を現して蝕み始めていた。
しかし、それでも視界が半ば消えた瞳でその土煙に眠る大木の先を見る。
そこに、化け物はいない。
あるのは大量の赤黒き液体と、人の頭よりも大きそうな暗き欠片が転がっている。
「……なん、と〝 かな──」
苦笑するように呟いていた時、身体がぐらつき揺れるが、歯を食いしばってそれを耐える。
まだ【強化】は解いていたので、例え限界越えの能力が下がろうとも問題はない筈だ。
震える身体を引きずり、倒壊した家の瓦礫に腰掛けて、応急手当てに移る。
魔法の袋から回復薬と回復草を取り出す。
震える左腕に力を込めて、右肘の複雑骨折した箇所の骨を掴む。
神経を引っ掻くような激痛が背骨を通じて走るが、それを呑み込んで飛び出た骨を中に押し戻し、折れた部位と形だけの接合を整える。
骨と骨が擦れるたびに意識が飛びそうな激痛。
震える手で回復草を傷口にあて、残りを細かな部分に使用。
事後、不味い回復薬を飲んで、自然治癒力を高める。
「はぁ、はぁはぁ……ごほっ、いてぇ──っ!!?」
苦痛に喘いでた時だ。
想像を遥かに超える痛みが全身を駆け巡った。
それは、精神と肉体がずれて削がれる感覚。
その苦痛は動きはおろか、呼吸すらも徐々に奪いながら生命を縛っていく。
「カハっ! ……ごぼぅうう〝 ぅぅ」
突然の吐血。
口から留めなく溢れる血は、瓦礫に血溜まりを作り始める。
それに伴い見えていた景色が赤く染まり、鼻や耳からは何かが流れる感覚も現れていた。
やがて意識が遠のき始め、自然と身体が前に倒れて血溜まりに伏す。
その時、不自然な感触が顔を通じた。
それは柔らかい肉のような嫌な感触。
生温く緩いそれを感じたが、それと同時に言いようのない懐かしい気持ちになった。
しかし、それもほんの一瞬のこと。
次の瞬間に苦痛は更に上がり、意識を保てなくなっていった。
消えゆくなか、ふと最近の記憶を何故か思い出す。
この世界に召喚される時に味わった苦痛と、同じ痛みだということを。