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第4話堕ちた愛憎の塊

 この世を血と肉で染め上げる赤。

 黒いのは堕ちた愛憎の塊。

 それは、確かに生きていた。

 そして、確実に死んでいる。

 矛盾を孕んだ混沌。

 この世の理を外れた存在に恐怖が心と体を蝕む。



「あり得ない……こんな生物は、あり得ない。お前は、一体何なんだ?」



 伝える言葉に意味などない。

 到底人の言語を理解して話すように見えないからだ。

 しかし、それでも尋ねてしまう。

 あれから叩き付けられる感情。

 強烈な憎悪に、身体が否が応でも反応する。

 絶望と憤怒が凝縮され、憎しみが悲しみと深く結びついてる負の塊。

 ただ、そこに在る。

 それだけで幾千幾万の地獄が写った。

 次元が違う。

 同じ世界に居ることがおかしい。

 脈動する醜怪な肉体。

 見るも悍ましいにも関わらず、匂いも気配もない。

 本当にそこにいるだけ。

 それ以外は何もない。

 この化物は本当に何者なんだろうか。



「……いや、そんなことは、どうでもいい。はや、く。逃げないと」



 荒れる呼吸。

 震える心と身体。

 凍ったように動かない足に喝を入れ、これ以上の思考をやめた。

 理性よりも本能。

 優先すべきは己の命。

 考えるのは後だ。

 幸いにも化け物は扉から動かない。



「──ぁ、あぁ、アああぁ……ひ、ひひぃとお。い、いかい。にく、い。にくい。にくいにくいにくい憎い憎い……いせかいじん、ガァああああっにぐぃいぃいいいああああああああああああああああああああああっっっ!!!」



 動こうとした足が止まった。

 いや、足だけではなく、全身の刻が凍る。

 先ほどとは比べものにもならない憎悪。

 ひび割れた亡者のような声が、家を揺らして咆哮を上げた。

 目がないのに、睨まれたような感覚。

 呼吸が止まりそうだ。

 息が荒れて、視界が霞む。

 意識までもが萎縮する。



「うばうば、てい、く、あくま。にぐぃいぃいにぐにくい。どど、どう、してわ、だしガァあら、うば……の?」

「……」

「どぉおおおおシテェええええええええええええええええええええええっ!!」

「──ッ!?」



 突然目が覚めた。

 目の端で化け物が鳴いている。

 強い悲しみが伝わって来た。

 何が悲しいのだろう。

 誰のために泣いてるのか。

 この女は何がしたい。



「女性? この化け物が、女だと。そう感じてる……どうして」



 呆然と響く呟き。

 目の前にある赤黒き液状の肉体は、その身を震わせながら悲しみにくれる。

 悲哀と絶望に泣き叫ぶ。

 それを理解した時、徐々に冷静さと余裕が戻って来る。

 少なくとも、心を持つ化け物。

 それならば、まだやりようはあるはずだ。



「いや、それでどうする? 仮に心があったところで、この俺に何が出来るんだ……何も無いだろう」



 反芻するように噛み締めた言葉。

 この手では何も掴めない。

 手を差し伸べるなど、最初から選択肢に存在しないんだ。

 俺はただ殺す者。

 それしか出来ない。

 そう己の中で結論付けた時、自ずと次の行動が見えて来る。

 無闇矢鱈に戦う必要はない。

 ゆっくりと後退し、化物の動向を伺う。

 敵の手を知らない以上、不用意に近づくのは無謀だ。

 少しでも距離を取り対応出来るようにする。

 化け物はいまだ動かない。

 このまま背を向けて一気に逃げるか。

 そう思った時、突然目の前の化け物が消えた。



「──っ!?」



 床を蹴りを後方へと飛ぶ。

 消えたのではなく、その質量を変えて襲いかかってきた。

 それはまるで波のように広がり、肉塊となった死体を呑み込んで尚広がる。

何かが溶ける音が嫌に響き、化物の質量が増えた気がした。

 消化機能を有しているのだろう。

 取り込まれたら終わり。

 生唾を飲み込み、額から垂れる汗を拭う。

 今までにない難敵に鼓動が早まっていく。

 床は溶けて煙が立ち込め、領域を広げて化け物が距離を詰めていた。

 更に後方へと反転。

 馬鹿馬鹿しくてやってられない。

 奥の部屋へと脱兎のごとく逃げ込み、全身を強化して壁を蹴り壊す。



「──うぉっ!?」



 反射的に伏せてそれを回避。

 飛び出ようとした時、黒い塊が眼前に迫っていた。

 避けられたのは強化の賜物。

 直ぐさま立ち上がって右へと移動。

 後方に気を配りつつそれを見た。



「……まさか、これも化け物の一部か? おいおい。いったいどれだけの大きさなんだよ」



 怯える視界で捉えるのは、赤黒い化け物が穴を溶かして流れてくる姿。

 それのなんと悍ましいことか。

 尋常ではない悪意の塊。

 大きく息を吐き、後方へと下がる。

 流れ来る地獄は止まることを知らず、全てを溶かして挟み撃ちにあっていた。

 どうするべきか。

 解決策がどうしても思いつかない。

 悩んでいる間にも距離が縮まる。



「──っ!?」



 悪寒を感じた。

 首筋が震え、全身が死を予感する。

 振り返りざまに横へと飛ぶ。

 その時に悪寒の正体を視界に納めた。

 化け物の流動体が一瞬で鋭い針状になって伸び、濃厚な死を漂わせて襲い掛かってくる。

 身体を捻って回避してみるが、避けきれずに被弾。

 衝撃が走る。



「ガッ!?」



 全身に鋭い痛みを感じた。

 続く熱と衝撃が身体を襲い、受けた方向に進路を変えて吹っ飛んで行く。



「ぐっ……ふざけやがって」



 背中に強い衝撃を受けて肺の空気が抜ける。

 ぐらんと視界が揺れるが、痛みを何とか無視して直ぐ様立ち上がり前を見た。

 どろりと流動する化け物。

 尖っていた無数の触手は溶けるように崩れている。

 見渡す限りに広がる死。

 逃げ場がない。

 憎しみのまま人を殺す怪物が、徐々に包囲網を狭めていた。

 死ぬ。

 本能が感じ取る濃厚な現実。

 そんな考えに震えを抱きつつ、身体を叱責して動かす。



「あ〝アァ〝いぃど、て……わだぁあし、を──う〝らあゝぎるの」



 曲がった音が、圧力を伴って響く。

 誰かに裏切られたことが許せないのだろうか。

 どんどん強くなる憎しみの奔流。

 その矛先が自分なのは笑えない。

 今までよりも太く鋭い二つの触手。

 貫かれたら死を免れないのは元より、掠っただけでも不味いのは考えるまでもない。

 痛みで鈍る身体を気合いで誤魔化し、迫り来る触手を見据えて動く。

 右から来る突撃を斜め前に移動して避け、続く横薙ぎを上体反らしで躱す。

 脚に一瞬だけ力を込め、反らした体勢から手をつき、全身をばねの要領で一本立ちになり、そのまま独楽のように全身を捻り宙へと逃げる。

 それと同時に通り過ぎる一振り。

 その隙間を縫って何とか前傾姿勢で着地。

 左方向にある窓へと加速する。



「──ッ!?」



 後数歩という所で踏み止まり、そのまま床に伏して、突然の二振りを間一髪で避けた。

 肘を曲げた状態で床に着いている両腕に力を込め、前方から来る振り下ろしに対して、斜め前へ回転して何とか回避。

 立ち上がりざまに振り返って確認する。

 突然増えた手数の種は単純明快だ。

 質量と大きさを変化させていただけ。

 感情に理性は飛んでいると思いきや、殺すという一点においては割りかし冷静なのかも知れない。

 自嘲気に笑みをこぼす。

 思いもせずに親近感を覚えたからだ。

 いつだったか忘れたが、どんなに感情が昂ぶろうと、意外に殺す時は効率良く仕留めるもの。

 実に懐かしい気分だ。

 乱れ始めた呼吸を整えながら回避を続ける。

 攻勢は強まる一方で逃げる隙がない。

 体力と気力が削れていく。

 先程よりも速く多い触手に対し、こちらは絶えず眼を働かせ身体に命令を下して動く。

 いつ緊張の糸が切れるか分かったものではない。

 負担は馬鹿にならないし、本当に困る。

 身体を捻り、回転させ、跳躍と絶え間ない脳処理。

 次々と降り掛かる選択は、身体に傷を作りその動きを鈍化させ、少しずつ追い込まれる。

 もういいかな。

 心が折れかけ、ふとそんな気持が湧く。

 元々生きていたいわ──




「──う〝 ギィッ!?」



 思考が中断される。

 四本の触手を避けている内に、少しずつ壁際に追いやられてことに気付かなかった。

 右に誘い出された攻撃に対して、餌に飛びつく魚のように反対側に回避を行う。

 迫る攻撃のみに集中力を割いた時、四本の触手に紛れた一本の細い鞭。

 意識の隙間を縫った一撃。

 右脇腹に当たり窓の外へと意図せずに吹き飛ばされてしまう。

 浮遊感を覚えながら、僅かに安堵する。

 意識ははっきりしている。

 身体は思ってるより傷を受けてない。

 運良く窓の外へと飛ばされたのも幸いである。

 これが壁だったら死んでいたかも知れない。

 この投げ出される速度を利用して、ささっと退散しよう。

 ぼんやりと頭を働かせて、着地に備えてるため体勢を整えようと、首を傾げて地面を見た。



「ッ!?」



 鳥肌が立つ。

 寒気が死を伴って付き纏うそんな感覚。

 眼下の先には、何かがいた。

 月明りに照らされたそれは、赤黒い身体を開いて待ち構えている。

 落ちるであろう場所に。



「ちぃぐ、しょうがああああああっ!!」



 歯を喰いしばって身体を全力で捻る。

 それの横へと強制的に流れを変えるが、横薙ぎを受けた右半身から草原に叩き付けられる形となった。

 右腕を地面に突き立てる形で落ちたので、肘から骨が飛び出て肋骨からは嫌な音が響いた。

 右指の大半は折れて肉は破け、頭は衝撃に揺れて激痛に襲われている。



「ぁ、ヒュ、い〝 ぃいあ〝 ……」



 喉が焼けるように痛い。

 丁度落ちた場所に石があり、強く喉に当たったのが原因だろう。

 体の至る部位が悲鳴を上げる。

 特に右腕と右脇腹の損傷具合は酷く、呼吸や動かそうとする度激痛に苛まれる。

 呼吸を満足に出来なくでは、身体に酸素は回らず上手く機能しない。




「ひゅ、は……あ〝 ギぃうぅ〝 ああぁア〝」



 頭がぼんやりとする。

 苦しくて痛いのに、何故か遠ざかっていく。

 視界も段々と霞んでいた。

 肉を潰すような音が耳に届き、気力を総動員して視線を向ける。

 そこには、黒い何かがいた。

 人の形に酷似している。

 赤黒い形をした人間に。

 でも、おかしな点が一つあった。

 頭部がない。

 そして、歪む視界はある事を捉えてしまった。

 赤黒い何かに覆われていない部位が、糸が切れて風に舞う葉のように揺れている。

 その部位は、腕に見えた。

 人間の右腕みたいで、良く観察してみると脚も片方が揺れている。

 丸で折れたかのように。



「ぉ、まえ〝 は……!」



 息を飲んで身体を震わす。

 心臓が激しく脈打つ。

 一歩ずつゆっくりと近付くそれ。

 その度に潰れた音が、嫌なくらい鈍く響いた。



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