第10話常世への覚醒
酷い頭痛の所為で、意識がはっきりしない。
血液は激しく脈打ち、丸で煮え滾るマグマのように熱を帯びてこの身を焦がす。
心臓はブレーキの壊れた暴走車で、無尽蔵にアクセルを踏み続け、崩壊するまでただ脈動する。
それが拍車を掛けるのか、頭痛でぼやける精神を荒れ狂う身体が無理矢理引っ張り上げ、目的地も無いまま彷徨う。
意識はまだ、醒めない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「──痛え」
苦虫を噛み潰すような萎れた呻き声を上げ、やけに重い瞼を徐々に開きながら嘆息をする。
身体のあちらこちらからが悲鳴を上げているのだ。
痛みの種類で言うならば鈍い感じの。
だがしかし、痛いとは言っても、耐え切れないものでは無いし、何よりもこれは傷では無い。
「ん……午後辺りか。それなりに意識を失っていたか」
取り敢えず身体を起こして立ち上がり、服に付いた汚れを叩きながら頭上にある太陽を視認した。
位置的には大体三時から五時の間ぐらいなので、寝ていた時間は半日以上となる。
そこから視点を変え昨日の荒地へ。
状況としては戦闘後特段変わった様子は無く、辺りに血の匂いに引き寄せられて来るような獣型の魔物等の姿や痕跡も大雑把には確認出来ない。
唯一の変化と言えば、あの赤黒き化物が残した置き土産が未だ健在な事程度だろう。
無駄な粘り気を持ってそうな汚い赤黒い液体と、よく理解出来ない黒い欠片。
明らかに何かありそうな雰囲気があるが、触れぬ神に祟り無しとか昔から言うので、無視。
「にしても、派手に壊したな俺」
申し訳程度に表情を変え、己の手で破壊してしまった大地に再度眼を見張る。
塵屑の家があった場所から後方に十数メートルの範囲には、真っ二つに砕けている大木が転がっており、その大地は放射状に亀裂が走り暗い底の見えぬ闇を形成していた。
それだけではなく、赤黒の怪物の通った場所は腐ったように爛れてて、とてもではないが生物が生息可能な環境とは言えそうにない。
もしかしたら、魔物が寄って来ないのもあの醜い怪物の所為かも知れん。
元来は自然はそれなりに好むので、こういう状況を見るのは僅かながらも心は痛む。
それが己に原因があるのなら尚更。
こうなっては余り乗らないが、【研究改造】のスキルを行使してみるか。
スキル名【研究改造】
【強化】と並ぶ俺の保有するスキルの二つ目。
名前の通り、ありあらゆるをものを解析し、理論に基づき改造を行うスキルである。
しかし、【強化】と比較すると馬鹿にならない程の魔力を有する上、何を対象にスキルを行使するか、解析段階から研究段階へ、そして最後に改造段階へと移行するのだが、その過程でも難易度により必要魔力量が大幅に変動するので基本は使用して来なかった。
勿論、死都にいる際はスキルの効果を理解する為に幾度なく使用したが、それは飽くまで効能を確かめる為のものなので、本格的な運用はして無い。
一抹の不安はあるが、この機会に乗じて本格的な運用に移行するべきだろう。
いつまでも使わないのは宝の持ち腐れだからな。
「……やってみますか」
既に回復した身体と精神に力を込めて集中を始める。
まずは基本となる魔力の生成。
常に反復して行ったおかげかはたまた怪物との死闘を乗り越えた影響かは知らんが、いつもよりも容易に魔力を生成する。
更に言えば、それなりの量の魔力を生成したにも関わらず、身体の倦怠感がほぼ見られない。微かに重いかなと言った程度だ。
これはいかなる状況かは知る余地も無いが、確実なのは一つ。
俺は強くなった。
「ククク──悪くない」
思わず素の笑いが零れる。
意識が昂ぶるとどうも口角が吊りあがり、ぐもった声で笑ってしまう癖があるのだ。
少々下品なので抑制していたつもりだが、偶にはいいか。
楽しければ自然と笑みは零れる。
そういうものだからな。
「──」
魔法やスキルを発動する際に重要となるのは色々あるが、その中で更に気を付けられているもの。
それは明確な想像性。
簡易な火属性魔法を行使する際、安易に魔力を生成し、世界に記された真理を読み解き魔法と為す。
その過程に置いて、ただ火属性魔法だ、と思って行使するよりも、明確な炎のイメージを持ち、尚且つそれを実行した際に起こり得る事象を計算した方が、威力はより高い次元に昇華する。
スキルも大体似たようなもので、世界に刻まれた真理をその身に宿す事で行使可能。
詳しい理由は知らないが、書物や教官から学んだ事を総合するとこうなる。
運動する際に明確な意思を持って取り組むのとそれで無いの違い的な感じだろうか。
何となく近い気はする。
「……」
そんな事を考えつつ、スキル行使に必要な魔力を全身へと巡らせ、【研究改造】を使用した。
《……対象指定、辺り一帯の大地。半径約五十メートル以内。
────解析中…………汚染──大地及び空気中に含まれる魔力濃度及び性質に異常を確認。
該当性質及び属性不明。
原因の究明が困難────エラー……最度解析及び研究。
推定危険度、不明。エラー。エラー。エラー。
……………………難航。
使用魔力の不足を確認。任意で魔力早急不足の解消を求める………………魔力早急の確認。
再々度の解析及び研究に移行。
エラー……汚染──不明、属性の混沌化を……負──性質及び属性に混沌の色を確認。
改造段階へ移行。
…………難航、最度の改造。
──────エラー。性質に変化を確認。属性が混沌から──に移行を確認。
エラーエラーエラーエラー……失敗。
解析及び研究の結果、改造は原因不明の状態により強制終了と為す。
──状況終了》
「……何だそりゃあ。説明がさっぱり足りねぇよ」
それなりの倦怠感を身に纏いつつ、スキルが告げる内容に悪態を吐く。
粗方予想はしていたが、矢張りいざそうなると堪えるものはある。
【研究改造】は未知のものや高位に存在する何かには滅法弱い──というよりも、能力は使用者に依存するのでこうなる訳だ。
見た限りあの赤黒い怪物は、間違い無く格上に加えてある種の高位的存在にも感じられた。
どこぞの神の影響を受けた変異体なのかも知れない。
「まぁ、無理はものは仕方無し。申し訳無い気持ちはあるが、潔く諦めるか」
さして気にしたような態度には見えないが、あまりこの地長居する気は無いので、一番楽で早い方法で無理なら引く。
別に傷を付けたのは俺ではないからな。
それよりも気になるのは、もう回復し始めたこの身体。
今の今まで何故気に掛けなかったが、俺の肉体は間違い無く死んでもおかしくない重体だった。
あれ程の傷を半日で癒やす術などは知らない。
少なくとも、あのクラスの傷を癒すには、王宮使えの高位回復士か高位から最高位相当の霊薬レベルが必要となる。
感覚的にはそれくらい不味いダメージだった筈。
だか蓋を開けると綺麗さっぱりに完治していた。
ついでに強くもなったのか、魔力生成速度及び自然治癒力の向上を確認。
良い事尽くしなのは間違いないが、あれ程の代償を払った結果がこれとは……
「……そういやぁ、性質と属性が変化したとか言ってたな」
ふと思い付いたように首を傾げ、ぽつりと呟く。
結果と言えばもう一つ。
明らかに不可能な事に対しての変化。
俺では処理出来ないレベルの事が突然変わった。
よくよく考えれば、それはかなりおかしい。
俺の状況も大概だが、あの汚染とやらが変わったのがどうにも引っ掛かる。
「なーんか足りないってか、分かんないね──ッ!?」
頭の後ろで手を組みながら唸っていた時、桁外れの殺気を背後から感じた。
即座に距離を取ると同時に背後に向き直り臨戦体勢を整える。
ただそれだけで心臓が高鳴り、冷や汗が嫌という程出るのが身に染みた。
「──お前は……何者だ?」
収縮していく気道から何とか声を絞り出し、俺の背後にいたであろう男に声を掛けた。
僅か数メートル先にいる男は依然として沈黙を保ち何も語らない。
ただ殺気だけがこの場を呑み込み支配する。
前方にいる男は俺の知る人間と少し異なっていた。
身長は俺よりも高く大凡百八十後半程で、この世界の基準からすると並みなのだが、その奥に潜む肉体から流れ出る圧倒的暴威ははっきり言って次元が違う。
恐らくは……いや、間違い無くあの赤黒い怪物を遥かに凌いでいるのは確かだ。
だが、異なる部分はそこでは無く、その中性的で外国人特有の顔立ちを思わせる甘いマスク。その額部青緑色に輝くひし形の水晶体が存在を誇示している。
ツーブロックに刈り上げている金髪に、何となく瑞々しさと光沢がおり混じっていそうな銀色のプレートアーマも目を引くが、矢張り目立つはあの青緑色の水晶体。
こいつは一体……『人間族』では無い?
訝しむ視線を前方の男に流しつつ、いつ来ても逃走出来るように全身の強化をしようと、魔力生成を始めとようとした瞬間、
「……お前──その色は、異界の人間だなぁ?」
こちらを観察するかのような視線を向けていた男が、ゆっくりと口を開きドスの効いた声で問い掛けて来る。
「──ッ!」
タチの悪い事に更に殺気の質を上げて。
俺は蛇に睨まれた蛙の如く身体が緊張していくを感じ、息を呑みながらこの場から逃れる事を考える。
何故かは知らないが、相手の男は俺が異界から来た人間だと分かるらしい。
色がどうだと言っていたがこの際は知らん。
問題は逃走。
しかし手段が思い浮かばない。
土を跳ね上げその隙に逃走? もしくは意表を突いて殺す? ……どれも現実味に欠ける。
ここは大人しく相手の質問に答え、時間を稼ぐしか無いか。
「おい、ささっと答えろ。お前は異界から来た人間かって聞いてんだよ。耳と口がついてんだからよぉ、早く答えろや」
「……そうだ。その通りだが、何か問題でも?」
相手の催促もあったので意識を切り替え集中する。
出来るだけ怒りは買わないようにしつつ、そこまで下手にいかないで応答し、ついでに質問を返す。
どういった意図で俺に殺気を放ち質問してるかは定かで無い。
明らかな敵意と殺意しか感じられないが、関わりは間違いなくないので、対応さえ誤らなければ恐らくは大丈夫。
しかし、
「へぇ〜やっぱりそうか。いや、聞かなくても確信はあったけどよ、その濃い黒色だもんな。間違いは無かって訳だ」
何がおかしいのか、男は含み笑いをしながら顔を手で多い、隙間からこちらを見上げるように睨み付けていた。
その瞳は軽く血走っており、心なしか呼吸も荒く感じられる。
更に言うと──空気が、変わっていた。
「なぁ、蝿が眼の前にいたらさ、殺すか払うよな?
だってあいつらは害虫だ。駆除対象に過ぎない」
「……」
「俺はよ、そういう世界に害を為す生物が大嫌いなんだ。自分の世界を傷付けられるのは誰でも嫌だろ? そう思わねぇか」
「そう、だな」
「だよなぁ、そう言うと思ってた。意見が同じで嬉しいねぇ」
震える声で何とか返答する。
男は俺の答えを気に入ったのか、背筋が凍る程の笑みを浮かべ、ゆらりと動き始めた。
「ふん、どうせ【グドローズイングラム】を呼び寄せこの地を破壊したのはお前だろ? あれは高濃度の異世界人にしか反応しねぇ──お前は黒だ」
段々と何を言ってるか聴き取れなくなって来たが、正直話している内容は興味無い。
そんな余裕も無いぐらいの殺気に押し潰されそうになる。
心臓を鷲掴みにされていると錯覚する程の威圧。
そして、その暴威の矛先は、間違い無く俺に向かっている。
理由は分からないが、眼の前の男は異世界人を嫌悪しているらしい。
それも殺したいぐらいに。
本当に勘弁して欲しい。
俺が何をしたってんだ。
まだ何もしてない。
言い掛かりも程々にしろよ。
この糞仏野郎が。
どこの仏を真似てんだよ。
ちくしょう。
「やっぱり異界のものは禍いしか呼ばねぇな。この世のどんな塵よりも最低だ……処分しなきゃあいけねぇ」
勘弁しろやあ! このど畜生野郎め。
そう言えたら多少は気分もすっきりするのだろうが、精神と反して身体は震えるだけ。
いや、精神も最早逃げ腰なので何ら変わり無い。
男は右腰に掛けてある無骨の長剣に手を掛け、柄を握り引き抜ことしたが、一瞬苦虫を噛み潰した表情を見せ、すぐに止めてこちらを鋭く射抜く。
「あー面倒くせ。あの糞爺の絶対の言いつけは守んねぇと駄目か。マジでムカつくなぁ。ま、使わねえだけなら何ら支障はねぇか。なぁ、異界の害虫?」
桁外れの暴威を前に心臓ははち切れんばかりに脈打ち、身体は危険信号を嫌という程鳴らす。
垂れ流す冷や汗は最早滝のよう。
心の中で悪態を付き現実逃避をしてみるが、効果は一切無い。
だが。
「あ? 何汚ねぇ笑みを見せてんだよ」
「……」
こんな修羅場の中、自分自身でも理解出来ない昂揚感をどこからか感じる。
笑っているつもりは一切無い。
ただ、心のどこかでこういうのを望んている俺がいる。
何故かは分からない。
ただ知らず知らずの内に脳が現実逃避をしているだけかも知れないし、恐怖で狂っただけな可能性もある。
依然として身体は震え、心臓は五月蝿い程に高鳴る。
思考が一つに揺らぎそうになり、他の事がどうでもよくなりそうに狂う。
脳に鮮明に写る。
まだ染み付き覚えているのが、脳裏を掠めて離さない。
赤く美しい光景。
幻想的でもあり、それが俺を遥か先へと導く。
移り変わる。
「はっ、そうかよ。てめえがそういう態度なら、手加減は死ねぇ。容赦無く地獄を見せてやる」
癇に障ったのか、男は不快げに顔を歪め、前傾姿勢に移る。
それに合わせて俺も──
「──死に晒せやあああぁぁっ! 下等生物ガアアアアぁぁぁッッ!!!!!!!」
男は吼えると同時に姿を消し。
気が付けば俺は、赤く輝く太陽を視界に捉えていた。