第1話『配属』
整備されていない土道を鉄と錆びの匂いが染み付いたトラックが車体を揺らしながら走行していた。
荷台には屋根はなく、代わりに左右に木製の策が取り付けられていた。また、そこに人を乗せれるように簡易式の椅子が設置されてはいた。しかし、椅子と言うにはほぼ遠く、長方形に寸断された木材を固定させた物だった。その為、車体が揺れるたび尻に強い振動が走る。
荷台に乗り込んだ者達は何時間と休憩無しに走り続ける荷台に乗っていたため、荷台に乗り込む事に慣れている者達は流石に辛いものがあった。
そんな苦痛を間際らすかのように、皆それぞれ別々のことをやっていた。
ある者は談笑、ある者はタバコを吸い、ある者は聖書を読み、ある者は写真を眺めるなど、各自暇を持て余していた。
そんな中、一人の男は黒い手袋を嵌めた手で薬莢に包まれた弾丸を眺めていた。
男は周りと同じように軍服を身に纏い、被っていたであろう軍帽は自身の尻に敷いていた。見た目からは若さが見て取れ、他の兵士と比べると少し長めにも思える黒髪を持ち、その前髪を後ろへと流して、額を露わにした髪型をしていた。
弾丸は黒く色がつき、男は塗られた場所を呆然と眺めながら何度も撫でていた。
「おい。なんでそんな弾持ってんだよ」
目の前に座っていた男は、無精髭を生やした顎をしゃくりながら聞いてきた。
「何か特別な思いでもあんのかよ?」
男は弾をすかさず胸ポケットへと入れた。
「他と変わらない、ただの弾丸だ」
「はぁ、そうかい」
無精髭の男は肩を竦めた。
「お前衛生兵か?」
無精髭の男の目線を辿ると、男の足元には救命道具が入ったポーチがM1903小銃と共に置かれていた。
「そうだが、それが?」
「いやなに、そんな奴がどうして装填手と同じような手袋をしているのか疑問に思ってね」
「衛生さを保つ為に着けてるだけだ」
嘲笑うような表情で、無精髭の男は鼻で笑った。
「そうかい。それだったら俺がもっと綺麗にしてやるよ」
無精髭の男は男の手を取って、掌目掛けて痰が混じった唾液を吐きかけた。
「これで完璧だ」
黄ばんだ歯を見せんがら、粘りつくような笑顔を作った。
周りにいた兵士達も二人のやり取りを見て、高らかに笑っていた。
男は吐きかけられた手を眺め、暫くしてからゆっくり握りしめた。
「ありがとよ」
「どういたしまして」
互いが睨み合っていると、走行していたトラックが停止した。
「お前ら到着したぞ! グズグズしてねぇでとっとと降りろ!」
助手席に座っていた上官がトラックを叩きながら叫んだ。
乗車していた兵士達は急いで荷台から降り始めた。
「腰抜けが」
無精髭の男も立ち上がり、先に降りた兵士の後に続いて降りた。
見送る形になった男は、手に着いた液体をズボンで拭き取り、荷物を持ってから下敷きになっていた軍帽を深く被ってから荷台を降りた。
男が降りるとトラックは瞬く間に前進して行った。
男が降りた場所はとある駐屯地であった。
駐屯地には即席で作ったような拙い兵舎が幾つか建ち、その周辺に道を作るようにして四角錐の形をしたテントが均等に設置されていた。
汚れが目立つテントの前で焚き火を囲むように座る兵士達が温めたポットから沸いた水ををコップに注いでいたり、手綱に繋がれた馬をブラッシングする者もいた。また、兵舎等が集う場所から離れた場所では、白い布を被された戦死者達が水平に並べられていた。
男は流し目でそれらの光景を見ていると、ふとある者へと視線が止まった。それは戦死者をタンカーに乗せてトラックへと運ぶ中、白い布からはみ出した手を握りしめながら悲傷に崩れる者がいた。
男はその様子を暫く見ていたが、遺体をトラックへ乗せた所まで見ていると、後ろから歩いてきた兵士に肩を打つけられた。
男は視線を元に戻して兵舎の方へと歩き出した。
泥濘んだ道を歩いていると靴底に泥がへばり付き、足が重くなる。男は一息吐きながら兵舎の前に佇む上官の元へと歩を進めた。
男の存在に気がついたのか、上官は手に持っていたボートを持ち、挟んでいた紙を捲り始めた。
男が上官の前に立ち、敬礼をしようとしたが「名前と階級を」と口早に問われ、遮られた。
「ゲイト・マッケン、階級は一等兵」
ゲイトと男が名乗ると上官はサングラスの隙間から上目遣いで、目の前の人物の顔をまじまじと眺めた。
「ゲイト・マッケンだと? お前がか?」
ゲイトは何故自身の名前を知っているのか気になった。
「はい」
二人の間は暫く無言の時間が続いたが、上官は何かを納得した様子で、視線を再びボートへと戻した。
「……そうか。じゃお前は第15特分隊に所属だ」
想像もしていなかった部隊への所属されることにゲイトは眉間を寄せた。
分隊8から12人ので構成され、指揮官の階級は軍曹から兵長とされている。しかし、特分隊はそれと異なり、人数に変動は無いが所属される者は上等兵以上の階級の者とされ、指揮官の階級は少佐であった。
そんな中、一等兵であるゲイトが何故部隊に召集されるのかが理解できなかった。
「何故私のような一等兵が……」
「お前第15特分隊のこと知らんのか?」
ゲイトは心当たりあるか記憶を手繰り始めたが、上官はその様子を見て直ぐに話を続けた。
「災難なこった」
ため息混じりにそう呟く。
「兎に角、お前は第15特分隊だ。分かったらとっとと行け!」
ろくに説明を受けないまま、追い払われるようにしてゲイトは上官の元から離れた。
自身が何故部隊に召集されるのかが、どれだけ考えても分からなかった。一つの可能性を除いては。
もしも、自身が想像している通りであったら非常に不味いことだとゲイトは焦った。だが、深く考えていくと、その想像は間違ったものだと気付き始めた。
M1903小銃の背負い紐を強く握りしめて、ゲイトは自分自身に言い聞かせるようにして落ち着かせた。
ゲイトは第15特分隊が何処にいるのか上官に教わっていなかったため、何人かの兵士に尋ねたところ、皆して難色を示した。
その分隊の名をすら聞きたくないと言う者もいれば、関わりたくないと話を拒む者ばかりだった。その為、分隊がいる場所を知ることが出来たのは、駐屯地に着いてから一時間以上過ぎた後だった。
全ての者が嫌悪感を露わにする分隊に不安を抱えながら、ゲイトは分隊員と思われる集団の前に立った。
「本日から此方に所属されることになったゲイト・マッケン一等兵であります」
そう言って敬礼をすると、その場にいた者達が振り向いてきた。
その中の一人が手にしていた物を置いてゲイトへと近寄ってきた。近くに近寄ってきたのは身長が高く、肩幅が広い筋肉隆々な坊主の白人男性だった。
大柄な体を持つ男は無愛想な趣でゲイトの前に立った。自身よりもひと回りも巨大な相手だったがゲイトは狼狽すること無く、敬礼を崩さなかった。
大柄な男は右手を振り上げ、勢い良く振り下ろした。
ゲイトは肩に振動を受けたが激痛が発するほどでは無く、寧ろ優しく掴まれていた。
「おぉ! あんたが新しく入る人か!」
大柄な男は無愛想な表情から一変し、愛想を漂わせる笑みになっていた。
「俺はビル・ドルスレェだ! 宜しくな!」
ビルと名乗る大柄な男はゲイトの肩を何度も叩きながら挨拶をした。
「此方こそ宜しく御願い致します」
「敬語は抜きでいこうじゃないか。俺はそっちの方がやり易い」
ゲイトは少し悩んだが、断ると寧ろ悪影響を起こしかねないと考え、提案を飲んだ。
「わかった」
「おい。俺には敬語を使えよ」
突然奥で手榴弾を弄っていた痩せ型の男が話しかけてきた。
「おいおいガッセン。そんなこと言うんじゃないぞ? これから共に命を助け合う仲なんだから」
「アホ抜かせ。誰が一等兵の若造如きに命を預けれるかよ」
そう言ってガッセンは懐から萎れたタバコを取り出して火を点けた。
乱れた髪型にメガネをかけていたガッセンの服装は酷く汚れていた。
「爆薬扱ってる時にタバコを吸うなって何度も言ってるだろ」
「いちいちうるせぇな。お前は俺の母ちゃんか」
「爆発したら皆が巻き込まれるんだぞ?」
「どうせここにいる奴らが死んでも変わりなら幾らでもいるだろうが」
鬱陶しそうに悪態を吐くガッセンにビルはため息を吐く。
「すまんなゲイト。少々気が荒い奴だが悪い奴じゃないんだ」
「あぁ」
「おい、ホモ野郎。何分かったような顔してんだ」
ビルが再び注意をしようとした時、怒鳴り声が響いた。
「お前達騒がしいぞ! 私がナンバープレートをやってる時は静かにしろといつも言ってるでしょ!」
テントの中から現れたのはタンクトップに男物のパンツを履いた女が現れた。
髪の短い女は手に雑誌と鉛筆を持ち、露出した足や胸元でずかずかと出てきた。
「軍曹! 女の子が下着一丁で出歩かないでといつも言ってるでしょ!」
「うっさい! お前は私のお母さんか!」
ビルは下着姿で出てきた女と口論になり、ガッセンは呆れた様子でタバコを吹かしながら作業に戻った。
放置されたゲイトはただ呆然と立ち尽くすしか無かった。
軍隊に女性がいるのは然程珍しいことではないが、まさか自分が所属する分隊に女性がいるとは考えもしなかった。ましてや、指揮官が彼女という事に度肝を抜かれた。
ゲイトより少し身長が低く、金の髪に透き通った青い目を持っっていた。見た目から見ても23を超えるゲイトよりも遥かに若く見えた。
「もう! 服を着ればいいでしょ! ファッキンマザー!」
「だから女の子がそんな言葉使っちゃいけません!」
不貞腐れながらテントへと戻り、怒りを強調するように物音を立てていた。そして、テントから出てくると、腰の高さまでしかズボンを上げずにいた。まるで親に少しでも反抗する子供のようだとゲイトは感じた。
「で? 何で五月蝿かったの?」
ビルは半ば諦めながら、事情を説明した。
「あぁ。今日から新しい隊員が来るのか」
女はゲイトの方に顔を向けた。
「貴方が新入りさん?」
「はい。ゲイト・マッケンです」
女はゲイトの彼方此方を見てから、再び視線をゲイトの目へと戻した。
「そう。私はリアスよ。皆からは私の地位でもある軍曹と呼ばれてるわ」
そう言って手を差し出してきたが、ゲイトは差し出された手を見つめた。
「どうしたの?」
一向に握手に応えないゲイトにリアスは不信感を抱いた。
「いえ……」
ゲイトは手袋をしたまま握手をしようとした時、手首を掴まれ、嵌めていた手袋を外されてから強く握られた。
「女とは素手て握手したくないのかしら?」
満面の笑みを浮かべながら握り締められる手は、女性が出せる力とは思えない程であった。同時にそれだけ彼女が自身の行動に嫌悪したのだとゲイトは感じ取った。
「決してそのつもりでは……。すみません……」
ゲイトはそう言うと、自身の手が震え、汗が噴き出し、鼓動が早くなっている事に気がついた。
暫く、彼女はゲイトの瞳を見つめ続けた。
「まぁいいわ。とりあえずこれから宜しくね同性愛者さん」
彼女は最後に強く握ってから手を離した。
奥ではガッセンが吹き出し、ビルは頭を押さえてため息を吐いていた。
手を離された瞬間ゲイトは安堵し、自分の手を見つめた。
「さて、新入りもきた事だし、次の任務のおさらいと行くわよ」
リアスは両手を腰に当て、小さな胸を張って立つ。
ゲイトは地面に落ちた手袋を再び手に嵌め、改めて三人を見た。そして、この先ここで無事にやって行けるかを考えたが、そんなことを考えても答えは見つからなかったし、考えるのも無駄と思った。
この手を使う事なく、生涯を終える事だけを考えればいい。彼はそう思いながらリアスの方へと向いた。