56.ミグサイドベリカ防衛戦4 ~傭兵の川流れ~
「では、ご覧じあれ!」
ナルコーゼはそう言うと、フラスコの栓をスポンと抜いた。
そして地面へその液体をぶちまける。
だが、周囲にはなんの変哲もないように見えた。
敵兵たちもすでに態勢を立て直しつつある。
突然の落雷は不運な出来事ではあった。しかし大勢に影響があるわけではない。
しょせん部下が数名、命を落としただけなのだ。
アギレスは獰猛な意志を取り戻す。
そして再度、突撃を命じようとした、その時。
「かぺ・・・」「んぎっ?」「げッ・・・!」
何人かの兵士たちが突然、血を吐いたのであった。
「なっ、何事だ!」
その質問に答えられる者はいない。
だが奇妙な出来事はそれだけで終わらなかった。
「ぐぅぅぅ、何だ・・・? 突然、震えてきやがった・・・。寒い・・・、寒いぜ・・・」
「頭が割れるようにいでえッ!! くそ、いきなりどうしてっ・・・!?」
「急に腹が痛み出して・・・、ぐぅぅぅううう」
今度は数十名の兵士たちが頭痛や吐き気、悪寒を訴え始めたのだ。
さっきまでピンピンとしていた兵士たちがだ。
いや、生まれてこの方、病気などしたことがない男どもが、である。
しかも、それが少しずつ広がって行くようなのだ。
かくいうアギレスも、なぜか頭がボンヤリして来た気がする。
鼻水がたれて来たので思わず鼻をすすった。
だが、彼も部隊の司令官である。
突然の体調不良を理由に戦争をやめるなど出来るわけがなかった。
「ばっかやろう!! お前たち何をしている!! 目の前には敵がいる!! 勝利は目前なんだぞ!! 少しくらいの痛みがなんだ!! 気力で立ち上がれ!! 隊長の俺に続けええぇぇぇええええええッ!!」
その言葉に傭兵たちも奮い立つ。
そうだ、自分たちは戦争のプロ。目の前には勝利の美酒が約束されているのだ。勝った暁には金と女が手に入る。これにいきり立たずして何が傭兵であろうか。
彼らはクラクラとする頭と痛む体にムチ打って立ち上がると、再度進軍を再開したのであった。
だが、その速度は当初のものとは比べるべくもない、ノロマなものになっている。
「ほほお、頑張りよるわい」
その様子を眺めながらタマモが尻尾を振って言った。
「人間の執念と欲望は凄まじいものだな。強力なウイルスに感染させたんだが、どうやら死んだ兵士は僅からしい」
ナルコーゼの言葉にベルタンが頷く。
「でも、だいぶ弱ったみたいですよ。まだ雨過天晴とは行かないみたいですけど」
「そろそろわらわの出番かの。トートモルテたちも準備にはもう少し時間を要するゆえに」
タマモがそう言うと、切れ長の目を大きく見開いた。
彼女は敵兵たち全員を視界に収めると、唇を歪めて笑った。
「恐れおののくが良いぞえ。我が手のひらの上での」
そう言って手をひと振りする。
次の瞬間、雨雲を引き裂いて上空から幾つもの影が舞い降りて来た。
「なっ!?」
兵たちの何人かがそれを見つけて慌て出す。
ざわざわという声は次第に周囲へと広まって行く。
その騒ぎはすぐに隊長のアギレスにまで伝わり、
「こっ、今度は一体なんだ!?」
苛立った様子で彼は叫んだ。
だが部下は口をぱくぱくとするばかりで丸で要領を得ない。
上空を指差し慌てるばかりなのだから。
「くそっ! 空がどうかしたってん・・・」
しかし、そのアギレスも言葉を最後までつむぐ事ができなかった。
雷鳴も、突然の体調不良も、自分の見ている光景に比べれば何でもない!
彼も部下と同じく口をあんぐりと開けて空を指差し、ついに絶叫した。
「ドラゴンの大群だとぉぉぉおおお!?」
この世の終わりを告げるかのような光景に、アギレスは気が遠のきそうになった。
・・・
・・
・
「まあ、幻なのじゃがな。それにしても我らのギフト、ことごとく戦争向きではないのう」
タマモの言葉にナルコーゼが「そうだな」とあっさり頷いた。
「イッシさんのおっしゃっていた通り決定打にはならないようだ。種が割れる前に早々に退散することとしよう。ベルタン、どうだ?」
はい、と呼ばれた少女が答えた。
「準備は完了しました。近くに大きな川でもあればもっと大規模な地形攻撃になるのでしょうが、このあたりではこれが限界ですね」
「ふむ、そうかえ。じゃが、時間は十分に稼いだぞえ。ひと当てしたらスミレに回収してもらうとしようぞ。スミレ、準備は良いかえ?」
タマモがそう口にした瞬間、少し離れたところにスミレがテレポートで現れた。
「ちぇっ、まだまだ精度がイマイチだなあ。遠見で誘導してもらっても、誤差が結構ありやがる」
「何をブツブツ言うておるのじゃ。準備は良いのかの?」
「ああ、すまねえな。いつでも良いぜ」
「了解。じゃあ行くよ、最後のひと当て! 傾盆の大雨よ、世界を押し流せ!!」
ベルダンが口にした瞬間、雨足が更に強くなった。
もはや前が見えない程だ。
地面はぬかるみ、足を取られる。
視界が丸できかず、兵たちは立ち往生をするしかない。
と、そこへゴゴゴゴゴゴゴ、という音が遠くから聞こえきた。
それは徐々に大きくなり、やがて地面をも震わし始める。