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38.ラッガナイト城塞都市戦争計画書

ビブリオテーカは懐に隠し持っていた短剣にそっと触れながら、公爵のいる寝室を睨みつける。


だが、ため息をついてその手を下ろした。


(暗殺は・・・リスクが大きいから禁止だったわね)


館長からの命令を思い出しながら、心の中で呟く。


『ディアン町長を暗殺した際は周囲の兵たちに気づかれ、たちまち襲撃される羽目になった。ロウビル公爵を暗殺しようとすれば前回の二の舞となるだろう。しかもディアンと違い、公爵自身もかつては猛将としてならした男とのことだ。罠がどこにあるかもわからない。暗殺自体が失敗する可能性が高い。何よりも、君たちを万が一にも失いたくない。情報だけを確実に持ち帰るんだ』


そう言われて優しく頭を撫でられたことを思い出す。


彼女はドアから視線を外すと、禍々しい香りを放つ目的の本が収められているデスクへと意識を集中させた。


幾つかの引き出しがあり、いずれからも濃厚な匂いを感じ取るが、その中でも最も禍々しい匂いを発している引き出しに手を伸ばす。


引き出しは簡単に開き、中には黒い表紙にレポートが挟み込まれた冊子が収められていた。


(間違いない。これだわ!)


彼女の五感はこの本が館長の求めるロウビル軍の戦力であると直感する。


彼女は「司書」のギフトを全開にしてその冊子へと触れた。


その瞬間、黒の書から彼女へと語りかける禍々しい声が響き渡った!


それは彼女の精神へ直接投げかけられた言葉であった。


これこそが彼女が「司書」のギフトの真髄。


手に取った書物のすべてを理解し、自らの蔵書ものとする力だ。


だが、そのためには条件がある。


彼女の手にとられた書たちは、精神の世界で自らを彼女に物語ることになる。彼女は彼らを理解し、言祝ことほぎ、自らの書架へと迎え入れなければならないのである。


だが、この黒の書は実におぞましい姿をさらしていた。


醜悪な牛の顔をして目からは血を流している。


身体は人であるのに、その背中からは黒い翼を生やしているのである。


見たこともない奇妙な造形をした生物・・・いや、


(悪魔そのもの、ね)


人間が人間を効率的にすり潰すためにその時代の叡智の結集として作り出される戦争という舞台装置が、象徴的な形と意思を持ったのだ。


悪魔は司書たるビブリオテーカへと語り掛ける。


「汝に問う。我は何者であるか。これに対する答えを汝は持っているか」


書は常に読者へと語りかける存在。だが、狂気へとさらされ続けた書は自らの正体を見失っているようだ。


その命題めいた質問に対して彼女は淡々と答える。


「惑うているのね? ならば逆に貴方に問いましょう。綴られた日に聞いた金弭(かなはず)、それが無何有郷(むかゆうきよう)に鳴り響いたのを覚えている?」


書との戦いとは言葉による戦い。


負ければ永遠に彼女はこの悪魔の本に魅入られることになる。


逆に問いかけられた悪魔は「ワハハハハ」と腹を抱えて笑った。


「悪魔たる我にその様な神来しんらいがあったわけがあるまい! 適当な事を口にするものではないぞ! この世界の書をつかさどる者よ!!」


だが、彼女は悪魔の哄笑こうしょうにどこか焦りがあるように感じた。


やはりこの悪魔には僅かながらに綴られたばかりの頃の記憶が残っているのだ。


それこそが、この書を自らの図書館ライブラリーに収めるための切り札となる!!


「貴方を苦しめるは、白帝(はくてい)に生まれ落ち、峨峨(がが)たる岨路(そばみち)を辿った水端(みずはな)の記憶。貴方はまだ覚えている。思い出しなさい。その時の委曲(つばら)かな律動を。そして黄鬱金(きうこん)瑞獣(ずいじゅう)として生まれた事実を」


瑞獣(ずいじゅう)・・・? 罪深く醜い悪魔たる我が?」


信じられないと困惑する悪魔に、彼女は首を振ると、


緑陰(りょくいん)に満ち、杳渺(ようびょう)とした脚辺(あとべ)には、花筵(かえん)に掛かる迷霧(めいむ)の如き紗幕しゃまくが織りなされるもの。けれど(みず)(がめ)が如何に遠かろうとも、(ひだる)さを知らずに生きた子はない。貴方もまた同じ哀れなわらべに過ぎないのよ」


「ぐぅぅぅ、頭が割れるように痛い。もう・・・やめよ! もうそなたは言葉を続けるのはやめよッ!!」


そう言ってビブリオテーカへと襲い掛かろうとするが、これは言葉による戦い。


その恐るべき爪が彼女に届く訳もない。


彼女は司書としての役割を果たすために、世界のあらゆる書に記された聖なる言葉によって託宣を告げる。


蕭条(しょうじょう)たる(まなじり)を持つ書の神に代わり、この司書たるビブリオテーカが神祠(しんし)より告げる。畢竟(ひっきょう)千載(せんざい)において許多(きょた)たる艱難(かんなん)、そなたは鴇色(ときいろ)涙滴(るいてき)こぼすに至った。しかし、その乳色(ちちいろ)花唇(かしん)からは変わらず蘭麝(らんじゃ)の如き微醺(びくん)を醸している。書の神は貴方を百花(ひゃっか)の如き奥津城(おくつき)と申しておられる」


「ぐぐぐううぅうぅうぅっぅうぅう」


「書の神は貴方を向かい入れよう。我が図書館ライブラリーに収まるが良い」


「ああ、思い出した。思い出したぞ! だが、このように変わり果てた我のことを神は見捨てぬと言うてくれるのか!?」


「書に別なし。あらゆる書は等しく整理され我が蔵書ライブラリーへ並べられる」


「我は・・・我の名はラッガナイト城塞都市の戦争計画書。そして人の叡知たる残酷の結晶」


「承知した。それでは貴方を我が図書館に収蔵する。配架を待て」


その言葉を聞いて悪魔はさらさらと崩れ落ちて行く。


それと同時に書の悪魔が呼び起こした精神世界も薄れて行く。


現実へと帰還するのだ。


「やれやれ、なかなか骨の折れる本だったわね」


ここまで厄介な書はそうそうないのだ。


彼女はほっと吐息を漏らす。


そうして精神世界から現実へと帰還すると、その冊子は変わらずに引き出しに収まっていた。


だが、ビブリオテーカには最初見た時よりもずっと身近な書であるように感じる。


(当然ね。なぜなら貴方はもはや、私の蔵書のひとつ)


現実世界においては時間が全くたっておらず、ましてやページをめくりさえもしていない。


だが、今や彼女はこの本に書かれている内容の全てを理解していた。


いや、それはかなり控えめな表現だ。


彼女はこの書の暗喩、比喩、執筆者の本来意図した内容、説明されなければ気付けない暗示まで、全てを知悉ちしつしているのだから。


これこそが、ビブリオテーカ。


すなわち、歩く大図書館たるゆえんなのである。

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